金色のアリス





 ひとは、泣きながら、生きつづけることなんて、出来ない。
 哀しいままだと、生きていくことができないから――― 何よりも大切だった約束を、粉々に、打ち砕く。

 サヨナラ、と。








 真夜中の街を切り裂くようにして、一台のバイクが、駆け抜けていく。
 クロームの輝きは一陣の雷光。制限速度をあきらかに超えたすさまじいスピードに、まばらな人影のいくつかは、驚きの表情で振り返る。だが、それもわずかなことだった。鋼鉄の奔馬は風のように静かにかける。けたたましいエンジン音も、排気の叫びもなく、ただ、彼はただの光のきらめきのように、真夜中の町を駆けていく。
 ヘルメットの中に内蔵されたヘッドセット。ヘルメットのプラスチックにルートが表示され、ノイズの多い声が叫ぶ。
《目標まであと2分切ったぜ! 見えたか!?》
「まだだ…… いや!」
 その言葉を否定しかけた言葉を途中で断ち切って、彼は、鋭く答えた。視界の向こう。雑居ビルが立て込んだ一角に、そこに、存在するはずのないもの―――
 温度を持たない、黄金の焔が、閃く。
 すさまじい業火は、さながら彼の故郷の太陽が降り注がせる、断罪の刃にも似た黄金のそれ。だが、あれは太陽の降り注ぐ裁きの光ではなく、むしろ、まったく逆の意味を持つものなのだ。
 魂を苛む、煉獄の焔……
「対象を捕捉。すぐに捕縛に移る!」
《まて、マリク。危険だよっ》
「あれをほうっておくほうがずっと危険が!」
 キキキキィ、とタイヤが悲鳴を上げた。剃刀で切り込むような、常識離れのカーブ。タイヤが地面に置かれていたプラスチックのゴミ箱を蹴散らし、焦げたゴムの臭いが鼻を突く。頭上では烏がけたたましく鳴きながら飛び交っていた。さっきからずっとそうだったのだ、と彼は、ようやく気づく。あれは鳥たちの悲鳴。人間よりもはるかに原初に近い魂を持った者たちが、地上に降臨した現世に在らざる力に怯え、逃げ惑っているのだ。
 横倒しになったバイクから半ば飛び降りるようにして、彼は、ビルとビルとの間へと、駆け込んでいく。と、眼前に黄金が閃く。視界を圧するほどの黄金の焔。
「くっ!」
 身体を貫き通す、すさまじい光の刃。
 その熱はなぜだか凍てつく氷のそれにもにて、刃は、分厚いライダースジャケット越しにも、皮膚へと鋭く切り込んでいく。だが、それは幻影なのだ。証拠に彼は気づいていた。雑居ビルの間に積み重なった古いダンボールやゴミの類。いちばん最初に燃え上がるはずのものたちには、まったく、こげる気配すらも見られない。
 この焔は、夢の焔だ。
 命を持つもの、心のあるものだけを焼き尽くす、断罪の焔――― 幻影の黄金。
 ゆらめく焔のまぶしさに、彼は、紫水晶の瞳をきつく細めた。まぶしすぎてほとんど何も見えない。だが、見えるものもある。
 そこには、《在りえない光景》が、繰り広げられていた。
 ……海、が、そこにある。
 燃え盛る黄金の焔のなか、ごみごみと立て込んだ薄汚い路地に、広大な海が広がる。
 波が、打ちつけては翻る。白くやわらかいものが、強い風に吹き散らされて、六花のように、あるいは、白い花の花弁のように、舞っていた。彼の知らぬ景色。真冬の海、そこに打ち寄せて千々に砕け、波の花を咲かせる北方の光景。
 幻惑、されそうになる。
 だが、それが幻だということを、彼は知っていた。そして人の心を操ること、その昏い思いをえぐりだして、操りの糸で縛りつけること。それこそが彼の魔術だった。
 キッ、と硬く奥歯をかみ締めて、瞬間、目を閉じる。視る、ために。
 
 焔の主を。
 ”誰かの想い出”を現実へと変えようとしている、真の力の主を見つけるために。

 燃え盛る黄金の焔が身体を取り巻き、身体を切り裂いていく。じゅう、と音を立てて、指の先端が焦げ始める。苦痛が魂を舐める。悲鳴を上げる。
 だが。
 その瞬間に、彼は、”捕縛”した。
「―――そこッ!!」
 カッ、と目が見開かれる。その瞬間、彼の手には、一筋のワイアが握られていた。鞭というにはあまりに細い銀の糸。だが、鋭く振るわれた腕にしたがって、蜘蛛が網を広げるように散会した糸は、確実に、ターゲットの存在するポイントを包囲した。ぐい、と引かれた腕に、一瞬にして糸が引き絞られる。鉛色の海を、空を舞う浪の花を、まるで、一枚の薄紙を破るように、たやすく引き裂いて。
 びん、と糸が張った。何かを捕らえた。彼は、目を見張った。そして見た。薄っぺらい一枚の紙のようになった”幻想”の向こうに、存在していたものを。
 それは、小さな子ども―――
 振り返る。子どもは、こちらを見た。その目に見られた瞬間、まるで、心臓を黄金の焔につかまれるような衝撃が、身体に響く。
 表情のない、人形のような、ちいさな子ども……
 ちいさな唇が、動く。

”忘レ物ハ、何?”

「……っ!?」
 だが、その真意をただすよりも先に、引き絞られた光のワイアが、その”まぼろし”を、バターでも切るように、深々と切り裂いた。
 ぱぁん、と。
 音が、聞こえたような気がした。
 だが、それはただの錯覚で、あまりのまぶしさに幻惑されていた視界がゆっくりと戻ってくると、そこにはもう、先ほどまで存在していた黄金の業火の存在を残すものなのなど何もない。砂をガラスへと融解させるほどの温度がそこにはあったはずなのに、はじめて”フィジカルな”現実を見てみれば、そこにあるのはただ、建物が壊されてぽかりと空き地になった、小さなスペースがあるだけだ。
 ただ、違和を残すもの。そこに焔があったと証明するものは、たったひとつだけ。
 ……一つまみほどの白い灰と、真っ白な骨とが、そこにある。
 彼はゆっくりとそこへと歩み寄った。灰は、風に吹かれてはらはらと散っていく。触れようとしてはじめて、己の指が満足に動かないことに気づいた。化繊の手袋が溶け、焼け焦げた爪に張り付いていた。範囲は狭い。だが、ひどい火傷だった。
 ため息をつく。彼の手の中にはワイアは無い。なぜなら、すべては、”幻想”に過ぎなかったのだから。
《おい、どうなったんだ?》
「ターゲットは消滅。でも、犠牲者がひとり…… たぶんね」
 灰と、骨だけでは、それが何人であるのかすら、判別することは出来なかった。
《お前は大丈夫かよ》
「ちょっと火傷したけど」
《無茶しやがって… すぐに救護班を向かわせるから、そこで待ってろよ》
「ああ」
 ぶつん、と音を立てて、通信が途切れた。
 息苦しい。彼は、ヘルメットを脱ぐ。淡い亜麻色の髪がふわりと広がった。褐色の膚、ライラックの瞳。目尻を彩る異国めいた文様が、その繊細な面差しに、さらにおとぎ話めいた風貌を加える。彼は手にしていたものをみる。それは光のワイアではなく、一枚のカード。己の力の媒介としたカードを懐へと戻すと、もう、そこで起こったことを髣髴とさせるものは、何一つとして残らない。
 彼は、少年は、わずかに風の匂いを嗅いでみる。だが、風にすら、焔の気配は残っていない。何もかもが消えた。
 ……その言い方は正しくないかもしれないと、少年は、自らの思いを打ち消す。
 消えたのではなく、初めから、無かった。
 なぜなら、何もかもが、ただの”幻影”だったのだから。ただひとつ残されたもの。己の指先の痛み。
 少年は、それを確かめるように、グッと、拳を握りこむ。
「忘れ物、か……」
 ちいさな呟きは、冷え切った空に、とけた。



 ―――《人体発火事件》。
 初め、その事件は、そんな三文オカルトめいた言葉を持って、世間へと現れた。
 だが、事態は決して収束しないにもかかわらず、その出来事は、速やかに世間から忘れ去られていった。その理由はひどくシンプルな、だが、実際のところ、事件そのものを超えるほどに、異常な理由によるものだった。
 はじめ、人体を焦がし、焼け爛れた死骸をそこに残していた焔は、
 いまや、それが”ひと”であると分からぬほどに完全に、犠牲者を焼き尽くすほどのものと、なっていたのだ。
 ほんのわずかな灰と、白く清潔な骨だけを残して消滅させられた人体は、もはや、それが何者であったのかを判別することすら不可能だ。通常のやり方でそこまで完璧に人間を消そうとおもったら、それこそ、通常の火葬炉を越える設備が必要となるだろう。多くの水分と筋、そして脂肪とたんぱく質で形成された人体を、ただのひとつかみの灰へと変えてしまう。適切な設備も無くそれほどの温度を作り出しうる技術はまれ、まして、それを自在に操るだけの能力となれば、どれほどおおがかりな設備と人員、そして、金銭が必要となるのか。およそ現実的な話ではない。
 彼の火傷は、瞬間的なものだったことが幸いして、見た目の惨さよりははるかに軽い規模のもので済んだ。手当てを終え、包帯だらけになった指を動かしていると、ドアが開いて、ひとりの少年が入ってくる。長い黒髪を首の後ろで括った少年。少年は彼を見るなり、開口一番、「無茶しやがって」と言った。
「たいしたことないよ」
「そういう問題じゃなくて! お前に怪我させると、お前の姉さんに怒られるんだよ」
 憤慨しながら歩いてきて、ベットに腰掛ける。だが、口調には心配の色のほうがより濃くにじんでいた。
 マリク・イシュタール。そして、海馬モクバ。
 二人の少年は、雑談めいたやりとりも早々に、本題を切り出す。ぱたんとモクバがテーブルに投げ出したファイル。使い慣れない左手でファイルを開き、マリクは、そこに記録された文字列へと目を通し始める。
「犠牲者は、ホームレスの男性…… 出身地はニイガタケン?」
「日本の北のほうだよ。海の傍だぜ。お前の言ってた黝い海と、それと、白い泡。あのあたりの名物らしい」
「じゃあ、あれは犠牲になった人の記憶……」
 ああ、とモクバは頷いた。苦い表情。
「でも、そいつ、郷里を出てるんだ。そこの海は今はもう無い」
「どういうこと?」
 モクバは淡々と言う。
「ちかくにでっかい原子力発電所が出来て、海に排水をだすようになったから、漁をやらなくなったんだ。港は閉鎖、今はそこで漁をやってるヤツはいない。もっとも、そいつが郷里を出たのはそれよりずっと前だから、その景色はきっと見てないはずだけど……」
「……なるほどね」
 マリクはため息をついた。パタンと、ファイルを投げ出す。
「でも、あんな徹底的に燃やされちゃったら、本当にそいつが犠牲者なのか、確かめようが無いね」
「うん。分析をしてみたけど、また温度が上がってる。このままだったら、被害者がほんとうに消滅するまで焼き尽くされちゃうのも、時間の問題だぜ……」
 特別な力を持たないものには、そもそも、見えることすらない幻影の焔。
 それに焼かれて、塵すら残さず消滅してしまえば…… そこに犠牲者が存在した、ということすら、ほとんど認識されなくなる。そうなってしまえば、完全に、手遅れだ。
 マリクは、テーブルに片手で頬杖をついた。そして、ひたと、モクバを見つめる。
「じゃあ、”金色”のほうは?」
「……」
「誰を庇ってるつもりなんだ、モクバ。優先順位を間違えないでくれ。キミがあの子に思いいれがあるのは分かるけど……」
 いらだち混じりに言いかけるマリクの言葉を、搾り出すようなモクバの声が、さえぎる。
「うん……」
 モクバは、目を上げた。そして、ファイルを開く。そのページの一枚を。
「脳波計に反応が出てた。ここ――― 感知があってから、お前がターゲットを捕縛するまでの時間で、脳波が大幅に乱れてる」
 マリクは思い出す。幻影の焔の中で見た姿。
 栗色の髪の、ちいさな、こども。澄んだ、平板な声。

 ”忘レ物ハ、何?”

「確定したわけじゃない。でも、オレは間違いないと思う」
 そこには一枚の写真がある。写っているのは、ちいさな子どもだった。
 栗色の髪。どこかしら、さみしそうな表情。
 モクバは、何故だか、ひどく苦しそうに言った。
「たぶんこいつが…… 遊城十代が、一連の事件の犯人、”金色のアリス”なんだ……」



…To be continued?




初音ミク : http://www.nicovideo.jp/watch/sm1386861

金色のアリス
作詞:jas39 作曲:85スレ45

 古い おとぎ話なら うさぎを 追いかける少女が
 零と 一の狭間から 目覚めた 姿は黄金色

 光の迷路 素早く駆け抜けて 止まらない時計 探して
 うさぎが開く 破滅の扉から 世界(を)護りきる為に

 青い 星を 突き射した 光の先 燃え上がってく
 痛みが 胸を貫いた
 固く 誓う 約束が 嘘になった 炎の渦
 届かない 願い 噛み締めてた
 金色のアリス

 わずかな光 辿って駆け出した 消えそうな希望 探して
 うさぎを見つけ 悪夢を終わらせて 未来(が)目を覚ます為に

 赤い 空を 切り裂いた 光の先 燃え上がってく
 想い出 胸をよぎってく
 古い 記憶 灰になる 止められない 炎の渦
 輝いて 全て 焼き尽くした

 青い 瞳 閉じながら 繰り返した さようならと
 哀しみ 抱いて歩き出す
 こんな 時代 終わらせて 懐かしい時 戻れるなら
 叶わない 願い つぶやいてた
 金色のアリス



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