/喪失ではなく



 それがどんなに まばゆいことだったか
 大きくなったからこそ わたしにわかる



 この世界に落ちてきて、再会したとき、"変わった"とまず思った。
 記憶すらないたよりない身。ただひとつだけ確かだったのは己の『聖命』。そして引き合わされたもう一人の『彼』は、愛らしい顔立ちだけはそのままに、過去の心は失っていた。

「こんなところにおったんか」
「何? ……なんだ、キミか」

 そこは、荒涼とした、処刑場だった。
 十字架が立ち並び、むき出しの地には草一本生えない。『そら』ではなく『から』だけのある真黒域の天の下、その丘には、紫の血が染み込んだ木の十字架が、まるで墓標のように立ち並んでいる。
 処刑があったのだ、と血の臭いが知らせた。
 彼らは死せば消えうせる。けれども、流れた血だけは名残に残る。それは修羅の証。自然の理によって迎える死ではなく、『鋼』や『爪』によってもたらされる、苦痛に満ちた死の証であるにほかならない。
 彼を、ピーターを見る。華奢な手足と蒼い髪、蒼い瞳。この暗い地において、そのあざやかな『白さ』は夜目にもあざやかに映える。けれども、風にもたらされる臭いはあきらかだった。
 ピーターからは、『血』の臭いがする。

「おまんが手を下したんか」
「ちょっと、手伝っただけだよ」

 くすくすとピーターは笑った。可憐、と言ってもいいような笑顔。

「だってつみびとだったもの。はじめから殺されるんだったら、どんな死に方をしたって一緒。違う?」
「……」

 一本釣は、沈黙する。
 まるでその笑みは、赤蜻蛉の胴を毟り、蛙を木の枝に突き刺して、蝶の羽を千切る子どもそのままの残酷さだった。ため息をつく。とがめても仕方が無いということは、この世界へとやってきて、『彼』と再会してからあまり間のないうちに分かったものだった。

「なぜ殺した?」

 問いかける。その問いを何度繰り返しても、仕方がないと分かりながら。
 彼は、殺す。
 無邪気な笑いをきらきらと振りまきながら、残酷に命を絶っていく、その酸鼻極まりない様が、今では悪魔たちの間ですら、恐れられていることは知っている。仮にかつての仲間であっても容赦はしない、とピーターは言い切っていた。その言葉にはなんら偽りは無い。自分ですら、背中を見せたなら、いつその剣で背をえぐられるか分からないと、一本釣は思っていた。
 くるり、宙で優雅に体を回転させたピーターは、灰色になった木の十字の上に降り立った。血を吸い込んだその横木の上に腰掛ける。くすくすと笑いが漏れた。

「汚い大人なんて、生きてたってしょうがない」

 きらきらと惑わすような笑い声の中、一本釣は黙ってその声を聞く。澄んだ少年の声、を。

「罪を重ねて、心穢れて、生きていたって哀しいだけだもの。だから止めを刺してあげたんだよ。これはボクからの『贈り物』だったんだよ」

 違う? とピーターは笑った。
 冷たいのに濁った風が吹いて、一本釣のマントをなびかせた。血臭は消えない。錯覚を覚える。
 それはたった今流された血のものではなく、自分たちが浴びてきた、数限りない『死』の臭いなのではないか、と?
 かすかな眩暈――― 一本釣は軽く唇をかむ。

「キミはキライだ」

 表情の変化を見て取ったピーターが、ふいに、機嫌を損ねたように、眉を歪めた。

「なんで、笑わないの。笑えばいいのに。……ボクたちは、子どもなのに」

 さっきまで笑っていたその目が、今では、憎しみに満ちて一本釣を見下ろしている。まるで移り変わる陽炎のように、ピーターの感情は変わりやすかった。その感情はおそらく本人にすら御しがたい。おそらくは、自分自身すら覚えていない遥か過去に由来するものだからだ。
 ―――自分たちには、記憶が、無い。
 にもかかわらず、なぜ、これほどまでに哀しむのか。これほどまでに、苦しむのか。
 それが『聖命』と呼ばれるのは、己たちがそのために造られたからだ。鳥が飛ぶために生まれるように、魚が水の中に生きるように、己たちは『聖命』からは逃げられない。ならば戦う定めに作られたのならば、永遠に争いは輪廻と廻るだろう。すがるべきものはその定めであり、定めが消えるときには己すら消えてしまうのなら、あまりに哀しい、と一本釣は思う。
 
「おんしゃ、子どもやない」

 一本釣は静かに言った。

「もう、あっしらは子どもには戻れんぜよ」

 その瞬間、足元で、何かが爆ぜた。
 一本釣は避けようともしなかった。あたらないことは分かっていた。けれど、十字架の上に立ったピーターは、怒りに燃える目で一本釣を見下ろしていた。癇癪を起こしたように、叫ぶ。

「何を言ってるの!? わけわかんないよ!!」
「おんしにも分かっておろうが」
「知らない、知らない!!」

 子どもそのままの癇性さで怒鳴り、地団太を踏む。再び振り上げた短剣が空を裂いた。飛び散った光の飛礫が、今度は狙いをたがえない。とっさに一歩退くが、光は一本釣の肩を掠めた。軽い痛み。顔をしかめる。思わず手で押さえた。それがまもなく、ぬるりと滑った。
 血が、流れる。
 仮にも『仲間』の血を流したことに驚いたのか、びくんとピーターの肩が震える。信じられないものを見るように一本釣を見、それから、己の手を見つめた。動揺に見開かれた蒼い目。
 そこに、鮮やかな『哀しみ』を見たのは、一瞬だった。

「―――キミなんて、キライだっ!!」

 金切り声で叫ぶと、そのまま、身を翻す。ふわり、宙へと浮く。そのまま地面に降り立ったピーターは、逃げるように走り去っていった。
 その後姿を、一本釣は、自分の肩を押さえたまま、じっと見つめていた。
 虚ろな風の吹く丘のかなたに消えるまで、じっと。





 『ピーター』は、きっと、知っている。

「子ども同士の喧嘩で流血騒ぎかい。滑稽だね」

 どこかしら聞き覚えのある声で、白い兎が言う。

「狡兎ごときがせからしか。さっさと去ね」
「おやおや、あたしは氷ミコ様に言われて、あなたの様子をうかがいに来たのだよ? どうやらまた諍いがあったようだね。どうしてあなたがたはそう仲が悪いんだろう」

 兎が笑う。一本釣は答えない。上半身だけ裸になって、肩の傷に包帯を当て、端を噛んで、き、と締めた。
 ふと自分の手を見下ろして、思う。―――子どもの手だ。
 かつての記憶の断片。かすかに頭を掠める。かつてはこの手が大きかったこともあった。剣を握り、戦場を駆け、戦うための手を持ったことがあった。
 ぬぐえないその記憶がささやきかける。お前はもう『子ども』には戻れないよと。

「……分かっとる」

 一本釣は、かみ締めるように呟いた。
 そして、振り返るなり、兎を睨みつけた。憎悪の篭った視線に、兎は笑ったようだった。

「―――用も無いのにちょろちょろするなとあの女に伝えておけ! 様子なり何なり、どうせ上から見とるんじゃろうが!」
 
 兎は笑った。そして、癇に障るような笑い声を残して、部屋を飛び出していく。その白い小さな影は暗い廊下のかなたへと消えていく。そして暗い部屋には、一本釣だけが残された。
 肩の傷が引きつるように痛む。幻の痛みだ。この程度の傷で、イタイ、などと訴えるような自分ではない。はるかに深い傷を、癒えぬ痛みを、何度も乗り越えてきたはずだ。それを知っていれば、耐えられぬことなどない。どれほどの屈辱、どれほどの悲哀が、この輪廻に勝ろうか。
 小さくなってしまった自分の手を見つめ、思う。
 ……きっと『ピーター』も、同時に、この思いを知っているのだろうと。

 自分たちは、未来永劫、幸福な大人には、なれないのだ、と。

 この手が大きくなるのは、手足が強くしなやかに伸びるのは、体に力が満ちるのは、戦うためだ。時に敵と、時には友と争い、血を流すためだけなのだと。
 遥か未来の痛み。死するため、大人になる未来。友を斬るために、大人になる未来。
 だからきっと、彼は泣くのだろう。
 小さくなりたいよう、小さくなりたいよう、と。
 永遠に子どもなら、誰とも争わないで済む。友と手を携え、幸福な世界を信じ、まっすぐに歩み続けることができると。

「あん、阿呆が」

 ぽつり、と言葉が漏れた。

「そんことを知っとおって、どうして『子ども』に戻れるか」

 きっとピーターは、今、泣いている。
 『子ども』だから、泣けるのだろう。膝を抱え、暗闇にうずくまって、肩を震わせ、泣きじゃくる。恥も外聞もなく赤子のように哀しみを泣く。
 けれど、『子ども』はそんなことのために泣きはしない。自らを、友を悼んで泣きはしない。だからそれは、偽者の『幼年』だ。けれども、一縷の慈悲にも似た、救いだろうとも思う。
 それが、長いときを超えて、たった一つ、彼の手に返された『幼年』だった。
 ……一本釣は、自らの手のひらを見下ろす。
 一度きりの『子ども』の哀しさ、未来を信じる幸福。過去を悼んで流される涙。
 そんなものは、自分には、いらない。
 ただ、欲しいものは、敬慕した人の哀しみ。自分たちが消えさった後、たった一つだけ、永遠に残されたもの。
 嘆くだけの安い涙など、好きなだけ流すがいい。自分には一掬の涙さえあればいい。
 新しい世界にも永遠に残され、星のように輝き続ける、一掬の涙。廻り廻る輪廻の向こうに輝く、一顆の宝石。
 尊い人が救われて、そして永遠に自分を覚えていてくれる。それだけでいいと悟っている。
 けれど、そう思っているのに、掻き毟られるように胸が痛む。
 なぜだろう?
 一本釣は肩に触れる。ピーターのつけた傷。疼くように痛む。古い記憶のように。遠い哀しみのように。
 自分は決して、泣きじゃくる彼の肩を抱きはしないだろうに。その哀しみを慰め、涙をぬぐうことなど無いだろうに。
 ピーターがどこかの暗がりにうずくまり、今も、独り泣き続けていることを知っていても。
 
「……あん、阿呆が」

 呟いた声が、闇に溶ける。
 同じくらい愚かしい。それを悟りながら――― 一本釣は、耳を澄ましている。もしやどこかに、ピーターの泣く声が聞こえないだろうかと。
 自分ひとりくらい、その泣き声を聞いてとってやれないか、と。



 いちどのかなしさを
 いま こんなにも だいじにおもうとき
 わたしは"えうねん"を はじめて生きる

 わたしは ほんとうの
 少しかなしい 子供になれた―――






作中の詩は吉屋信子の『喪失ではなく』という詩です。タイトルどおり。
ピーくんが駄々っ子という設定は今後の話で生きるかどうか謎ですが(笑) 一本釣のあの落ち着きっぷり、ピーターの氷ミコへの対応を見るに、どうにも記憶がまとば組より残ってるんじゃないかと思われる真黒組。だとしたら自分たちの前途も知ってるということで、そう考えるとBMはずいぶん残酷な話です。ピーターと一本釣はパンゲ編だと宿敵同士だし。(水の大層を挟んでるから、そうじゃないかと予測)
大人も嫌い、だって、自分は永遠に大人にはなれないから――― な、寂しいピーター・パンのお話。