/虹の彼方に
ぽつ、と頬に何かが触れた。
見上げると、空は瑪瑙のような灰色だ。まだらの雲が天を多い、ぽつ、と再び額に何かが触れた。地面に黒いしみがひとつ、ふたつ、落ちる。
「わ」
見る間にしみは数を増やし、あっというまに大気に雨のにおいが満ちる。少女はあわててカバンを頭にかぶり、近くの木陰へと急いだ。道行く誰もがあわてて駆け出していく。雨は見る間に強くなり、木陰にたどり着く頃には、誰がどうみても間違いの無いどしゃぶりになっていた。
手提げのバックを下ろして、無数の水滴を振り払った。ついていない。せっかく下ろしたてのワンピースを着てきたのに、と恨めしい気持ちで空を仰ぐ。
「もう、なんでこういう日に限って降るんでございますの?」
「天気はお天道様の機嫌じゃん。しかたないじゃん」
独り言のつもりでつぶやいたのに、予想外に、返事が返ってきた。
振り返ると、そこには長い髪の少女がいる。闊達そうな顔立ちに、日焼けした肌。着ているものはフードのついたパーカーに膝丈のジーンズ、足に結わえたサンダルとごくシンプルだったが、髪は腰に届くくらい長く、あちこちが奔放に跳ねていた。
自分と同じくらいの年頃だろうか。にこにこ笑いながら傍らを示し、ぽんぽんと地面をたたく。座れということらしい。たしかに、この降り方だと、そうそうすぐには止みそうに無い。少女はあきらめてため息をつき、裾に気をつけながら、少女の傍らに座り込んだ。
「あんた、もしかして次界警備隊の養成学校の見学に来たんじゃん?」
「ええ、そうでございますわ。来年には新入生でございますもの」
遠く、雨にかすんだ空の向こうに、『時の塔』の頂上に光る『聖火光』が見える。
「わたくし、ミネルンバと申します。あなたはなんとおっしゃいますの?」
「あたいはメルクリン。学校に入るために来たばっかし」
おかげでこんな雨降りにあっちゃったじゃん、とメルクリンは苦笑した。
「雨降りの気配も読めないなんて迂闊じゃん。里だと天気予報は百発百中だったんだけどなぁ」
「どこからいらっしゃったのでございますの?」
メルクリンは地名を挙げた。聞いて少し驚く。ずいぶんと遠方だ。この次界の果て、南方の温かい土地。
「海がきれいで魚がいっぱいいる、いい土地じゃん。でも、次界警備隊に入るためには、ここの学校まで通わないとダメだから」
「奇遇でございますねえ。わたくしもでございますよ」
もっとも、ミネルンバの出身はそれほど遠方でもない。きちんとした交通手段を使えば数時間で帰れる。とはいえ、親元を離れて寮暮らしをするのは初めてだ。都会暮らしそのものには惹かれないでもないが、来てみると次界ヘッドのお膝元も思ったよりはのんびりした土地柄だった。
雨にかすむ『時の塔』の向こうに、緑に溢れた土地が見える。
あまり高いビルは建てない土地柄なのだろう。平屋建て、木造の建物が多く、いかにも戦いを好まなさそうなおっとりとしたお守りの姿が多く見られた。ミネルンバの出身地のように特別天使ばかりが多いというわけでもないらしい。町並みはやや古びていて、その分、しっかりとした味のある雰囲気の店が多かった。服だのアクセサリーだのを買うには物足りないだろうが、暮らすにはのんびりとしていい土地柄だろう。
「どれくらいで止むんでございましょうねぇ」
「んー、通り雨だからすぐ止むじゃん」
「すぐ?」
「一時間くらいで」
ずいぶんとのんびりした時間感覚だ。ミネルンバが少しあきれた顔をすると、メルクリンは「待つのは慣れてるじゃん」と笑った。
「一時間、二時間待つのはあったりまえじゃん。気が短いと損をするじゃん」
「なんの話でございますの? レディをそんなに待たせるなんて、ずいぶん失礼でございますわ」
メルクリンは、にっ、と笑った。けっして『女の子』らしくはないが、明るい笑顔。
「待ち合わせ相手は魚じゃん。大物が欲しかったら、それだけのんびり待つのが肝心じゃん」
「……なんの話でございますの?」
「釣り」
なるほど。
「あたいン家は先祖代々釣り好きじゃん。こういう土地だと海釣りが出来なくてちょっと寂しいかなぁ」
唇を尖らせるメルクリンに、ミネルンバは少しあきれた。つん、と澄まして言ってみる。
「仮にも次界警備隊に入ろうという身で、趣味の話ばかりしているなんて、少々不謹慎じゃございませんこと?」
「趣味じゃないじゃん。釣りは生き様じゃん」
二人は顔を見合わせる。お互い、にらみ合う。
……ぷっ、と吹き出したのは、どっちが先だったか。
お互いにくすくすと笑いあい、どちらとも無く肩を小突きあう。同い年くらいの女の子同士、しかもこれからは同じ学校だ。
ミネルンバはバックをあけて、小さなポーチを取り出す。中身は色とりどりの銀紙にくるまれた、ハート型や星型のチョコレート。向こうも肩掛けのカバンを開けてクラッカーを出してきた。魚やタコ、ヒトデの形のクラッカー。同じことをお互いに考えているのがおかしい。
「お昼、食べた?」
「まだでございますわ」
「だったら、後で一緒に食べようじゃん。このへんにうまい肉まん出してくれる店があるっていう話を聞いたじゃん」
「肉まんひとつじゃあ、お昼にはならないでございますねぇ……」
「他にもいろいろ食べればいいじゃん。いろいろつまみ食いをしながら歩き回るのって楽しいじゃん」
薦められたクラッカーを一つつまむ。岩塩の味とハーブの味。相手も星型のチョコレートの銀紙をむいて、口に放り込んでいた。
「そういうこと、家だったらお行儀が悪いって許してもらえないでございますよ」
「ミネルンバはお嬢様なんじゃん?」
「うーん、『お嬢様』って言葉の解釈しだいでございますねぇ」
家が代々長く続いているという意味だったら確かにお嬢様だろうし、中には彼女の家系を尊ぶ人もいる。だが、ミネルンバ自身はあまりそういう話は好きではない。だからこそ、こんな土地にまで、来ることを選んだのだから。
「女の子だったらレディたれ、男の子だったら紳士たれ、というのが我が家の家訓でございます。何事も清く正しく美しく、というのが大切なんでございます」
「堅苦しいじゃん」
しかし、すっぱりと一言で切り捨てられて、ミネルンバは苦笑した。
「まぁ、そうとも言えるでございますねぇ」
スカートのすそをつまみあげる。蒼い髪、きれいに梳られた髪によく似合う、薄いピンク色のワンピース。スカートの裾には銀の糸で、細かい模様が刺繍されている。
白いカフスとレースの襟、喉元には星型の銀のブローチ。こういう格好をしていては、野山を駆け巡ったり、水遊びをする、というわけにはいかないだろう。実際、ミネルンバはほとんどそういう経験は無い。ただの箱入りの令嬢ではなく、将来は次界の役に立つ人間になるために、という名目でそれなりに体を鍛えさせられてはいたものの、どちらかというと、おとなしく、レディらしく、という育てられ方をしてきたほうだ。自分の母もそうだというのだから、たぶん、代々ミネルンバの家はそうなのだろう。
「そういうメルクリンはどうなんでございます?」
「あたい? あたいは船に乗れて、魚がつれて、どんな荒波でもおぼれなきゃいいって言われてたじゃん」
「……それはずいぶんワイルドでございますね」
「あと、どんな大物でもばっちり包丁一本でさばけるじゃん。おっきな紅マグロ一匹、骨まで残さずきれいに料理できるじゃん」
メルクリンは胸を張る。ミネルンバは思わず吹き出してしまった。
「すっごい野生児でございますねぇ」
「そういうミネルンバは箱入りのお嬢様じゃん」
「ただのお嬢様だと思ってもらってはこまりましてよ?」
「あたいだって、ただの野生児じゃないじゃん」
お互いに笑いあい、肩を小突きあう。あやうくお菓子をこぼしそうになってあわてる。顔を見合わせる。また、笑いがこぼれる。
―――わざわざ、この街に来てよかった。
なんだか、初めて会った気がしない、と何気なく言おうとした。その言葉を読んだように、メルクリンが言った。
「なんだか、ミネルンバとは、初めて会った気がしないじゃん」
驚く。眼を瞬き、眼を覗き込む。視線が合った。
瞬間、声が途切れた。
ボクは/おれは
キミと/おまえと
もう一回/もう一度
会いたかった
「あ……」
ぽろり、声が漏れた。沈黙を破ってしまったことに気付いて、ミネルンバは、ハッとした。
「す、すみませんでございます。ちょっとぼうっとしてしまって……」
「う、ううん」
メルクリンも、眼をぱちくりと瞬いている。今の刹那は何だったのか。困惑の眼を見合わせる。
ごまかすように眼をやると、空が明るい。灰色の濃淡が途切れ、陽光が光条となって幾筋も雲の間から差し込んでいた。そして、ふいに、雲の間に淡く、七色の光がひらめく。
「虹……」
七色の、淡い、光。
まだどことなく後ろめたくて、そろりと傍らを伺うと、メルクリンは虹に見とれている。そんなに虹が珍しいわけでもないだろうに、初めてみたかのように見とれていた。ごまかすのに丁度いい、とミネルンバは、親に教えられた話を思い出し、もったいぶって口にしてみる。
「なんで雨が降ると、虹が出るか、知っているでございますか?」
「え?」
「雨は、神様の涙なんだそうでございますよ」
次界のものならば、誰でも知っている。この世界を拓くために、光の果てへと消えていった英雄たち。
「雨が降るから虹が出るんじゃなくて、虹が出るから雨が降るんだそうでございます。虹を見ると思い出して、大切な人たちの思い出に、神様が泣かれるんですって。そして、それは虹のかなたの方々に、いちばんきれいなこの世界を見せてあげるために、その涙で世界をきれいに洗うためでもあるんだそうでございます」
「思い、出」
「ええ。……メルクリン?」
ふと、ミネルンバは、日焼けした少女の顔に、不思議な表情を見つける。戸惑いとも、哀しみとも、あるいは、よろこびともつかない。古く、淡く、名状のしがたいその顔。
「神様が、覚えてて、くれるんじゃん? ずっと…… ずっと?」
「なにを、でございますか?」
「……」
声に詰まる。返事が無い。
傍目にも明らかなほど、戸惑っていた。何を思えば良いのか、何を答えれば良いのか、分からない。―――なぜ自分がこんな気持ちになるのかも、分からない。そんな表情。
返事に詰まったその刹那、その代わりのように、片目から、涙がこぼれた。一滴の涙が、頬を伝った。
「メルクリン!?」
ミネルンバはあわてる。今の話のどこがそんなに衝撃だったのか。あわてて肩をつかむと、メルクリンは我に返ったらしい。自分で驚いたように目元に触れて、ぱちくりと眼を瞬き、あわてて顔を拳でこすった。
「あ、あはは、あたい、おかしいじゃん。なんで今の話で泣けるんだろ」
「……」
笑えるじゃん、とメルクリンは無理やりのように笑ってみせた。けれど、ミネルンバは笑わなかった。ごまかす気も、しなかった。
うっすらと、覚えている。
幼い日、この物語を始めて聞いたときに、自分が何を思ったか。
そして、虹を見上げるたびに、何が哀しくてかもわからずに、泣きじゃくっていたということも、覚えている。
なぜ泣くのかも分からずに――― ただ、理由も無く涙することがゆるされる幼子であることに安堵して、泣いていたことを覚えている。
だから、ミネルンバは、くすり、と笑った。
「もう、そんな顔しちゃあ、レディが台無しでございます」
ポケットからハンカチを出し、差し出す。清潔な真っ白いハンカチに少し戸惑ったような顔をして、けれど、メルクリンは、すぐに笑ってくれた。
「ありがと」
「ほら、雨があがりますわ」
雨が途切れる。水溜りに、葉末に、光がこぼれる。天には淡く輝く、大きな虹の橋。触れることすらかなわぬほどのかなたに、けれど、確かで鮮やかな七色に、輝いている。
「本当のレディは、簡単には泣かないんでございますよ」
ミネルンバは、いたずらっぽく笑ってみせる。
「レディの涙は、世界一の宝石ですもの。簡単に見せてはもったいないというものでございます」
「あはは、そうだね」
メルクリンは笑う。もう、涙は無い。
「なんかあたいたち、友達になれそうじゃん?」
そう言うメルクリンに、けれど、ミネルンバはもったいぶってこたえた。
「そんなことございませんわ」
立ち上がる。ふわり、と薄いピンク色のスカートがひるがえる。蒼い長い髪が、雨上がりの風に揺れた。
「『なれそう』じゃなくて、もう、お友達でございましょう?」
そのとき、まだ、彼女たちは知らなかった。
力をあわせ、はるか世界のかなたまで旅をする運命も――― 光の中に砕け散る最期までも共にした、その過去も。
メルクリンは、その言葉にくすりと笑った。そして、勢いよく立ち上がる。
「うん、じゃあ、行くじゃん。おいしい肉まん、食べに行くじゃん!」
「楽しみでございますわ」
そして、少女たちは歩き出した。
革を編んだサンダルと、エナメルの赤い靴が、ぱしゃりと水溜りを踏み割る。水面には虹のかかる光の空。
今は淡い雲が黄金に染まり、光に満たされた天空。……そこに写る七色の虹が、いまだ平穏に満たされた次界を、静かに見下ろしていた。
オズとセレンスは幼馴染、ボルカンヌとベスターニャは姉妹のように育ってる、だったらミネルンバとメルクリンが仲良しって設定でもいいじゃん…… と思ったというのは嘘ですごめんなさい幻ルーツと界ルーツの組み合わせが好きなだけです(笑
しかしこの二人は共通点として『影が薄い』というか、『彼氏が出来ない』というか。ミネは「わたくし思いますに」という台詞、メルは聖フックしか印象に残ってません。可哀想だぞ〜。ひいきだひいきだ。
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