ずいぶん静かになっちゃったね。
 ほら、雪が降ってきた。あたしの予想通りでしょう?
 天気予報は得意だなんて言ってたけど、あたしだって捨てたもんじゃないの。今だって雪の匂いなら分かるわ。こんなに真っ赤な髪になっちゃっても、自分のふるさとの匂いなら、分かる。
 ああでも、ふるさとってどこなのかしら。この世界は間違いなく異国だけれど、あんまり長く旅をしすぎて、どこがふるさとだったかなんて分からなくなっちゃったみたい。
 あなたは覚えてる? ――― 一本釣。




  /神様




 雪は好きよ。寒いところが好きなの。それも、吐く息が凍り付いて、チリチリと小さく音を立てるくらい、凍てついた場所が好き。一本釣は魚が釣れないって文句が言うかもしれないけれど、これでも、氷の海にもけっこういろいろ魚がいたりするものよ。流氷の上でニシンでも釣るっていうのは、それはそれで乙なものなんじゃないかしら。あたしには良く分からないけれど。
 そういう寒いところだと、星がとてもきれい。空気が濁らないのね。ときどきはオーロラだって見えるわ。オーロラ…… 懐かしい名前ね。
 元気にしてるかしら、って思うことも無理というのは、とても、残酷なこと。
 だって、もう何千年も、何万年も、きっと過ぎちゃってる。彼だってあたしを見たって誰だかわからないんじゃないかしら。こんな姿になってしまったんだものね。髪の色も眼の色も違うし、年も、性別も違う。その上、今のあたしは悪魔なんだもの。
 口に出してきいたわけじゃないけど、あなた、おかしい、って思ったでしょう。なんであたしがこんな喋り方になってるのかって。
 大昔みたいな普通の男の子の口調じゃなくて、女の子の天使だったときのバカ丁寧な口調でもない。でもね、笑わないで。これはあたしなりのけじめだったの。
 あたしが、今のあたしになったってことの、けじめ。
 悪魔になってしまったとき、はじめは、何も分からないで、夢中で戦っているだけだったわ。
 目の前に現れるものが、みんな、敵と味方の二つに分かれて見えたの。あらためて言うまでも無いかしら。いままでずっとそうだったものね。でもね、アリババと再会して、ハムラビに会ったとき、はじめて思ったの。あたしの本当の敵って、一体誰だったのかしらって。
 こんなこと、もう何千年、何万年も考えたことなかった。天使は味方で、悪魔は敵。いい子は味方で、わるい子は敵。でも、気付いたらあたしの手は血まみれだった。天使だって悪魔だって、心の悪い人だっていい人だって、血は流すの。切られると痛いの。死ぬことは恐ろしいの。
 ハムラビのこと、信頼したことはないわ。本当はこの世界の戦いは、アリババ抜きでやるべきだったんだって今でも思ってる。アリババはあの蓮の花みたいにきれいな世界で、静かに暮らしているべきだったんだと思ってる。可愛いお姫様に仕えて、信じた人を守って、まっすぐに歩む…… まるで、何の迷いも無かった頃のあたしたちみたいに。
 でも、起こってしまったことは取り戻せない。ためらう余裕なんて、与えられたことはない。それが運命だから。それが、あたしたちの定め。
 ねえ、あたしはまぼろしが見えるの。まぼろしは真実なんて語らない。結局のところ、ただの光のゆらめきのようなものだもの。
 でもちょっとだけいいこともあるわ。人の想いが、人の未来が、まぼろしになってあらわれることがあるの。この力は悪魔になってもっと強くなったみたい。『幻』は、たったひとつ、聖も魔も併せ持った力だものね。聖魔の『幻』の力を併せ持ったあたしは、たぶん、今の世界で一番強い幻視者なんだと思う。
 あたしに見えた未来はふたつ―――
 ハムラビが倒されてこのパンゲラクシーが滅びる未来と、ハムラビがこのパンゲラクシーを統一して水の帝国を築く未来。
 どちらの未来も、また、遠い未来には、滅びに終わるの。戦いはずっと、ずっと、終わらないの。
 ……でも、ハムラビが勝てば、この世界には、ほんのわずか、平和の未来が与えられる。
 この世界が滅ぶ未来にはね、アリババがいないの。彼だけ、また、仲間はずれ。そして、その仲間はずれは、未来永劫続くの。あたしたちの輪廻はそこで終わり。あたしたちは最期には6人になってしまう。
 きっと、アリババもこのことを知ってる。アリババは『夢』を見られるもの。ひとつの魂のままで聖魔をめぐる痛みを経て、その力はずっと強くなっている。だからきっと彼も知っているの。あたしたちは、もう、神の目すらも届かないほどの遠い遠いときにじゃないと、再会することは出来ない。
 フッドと話し合ったわ。たくさん、たくさん、話し合った。何回か、喧嘩もしたわ。
 先が見えない分だけ、フッドのほうがあたしよりも冷静だった。あたしはちょっと混乱していたみたい。何回も泣きながら叫んだわ。みんなで一緒にいたいだけなんだって。
 みんな、で。
 ねえ、あたしたち、悪いことばっかりじゃなかったよね。
 みんな女の子で、みんなで一緒にいたときは、ささいなことで泣いたり笑ったり、誰かの恋のうわさ話や相談をするときなんて、みんな信じられないくらい熱くなって真剣で、チョコレートでも食べているみたいに幸せだった。でも、あのときにも、ずっとずっと、誰かが足りないって思ってたよね。
 いちばん幸せだったときは、やっぱり、一番最初にみんなで出会って、旅をしていた頃だよね。フェニックス様がいっしょにいて、十字架天使もいっしょにいて、次界にたどりつけば、すべてが上手く良くって思ってた頃だよね。
 つらいこともいっぱいあった。みんながみんなを好きなのと同じくらい、別れるときはかなしかった。でも、最期はみんなで輪になって手をつないだよね。あのとき、あたしのとなりにはあなたがいた。あのときのごつごつした手の感じ、今でも覚えてる。あたしの手だって同じくらい大きくて、ごつごつしてたけど、でも、やっぱりあなたの手のほうが、いつだって大きかった。
 あたし、思うの。
 なんとかして、あの頃に戻れないかなって。みんなただの男の子で、じゃれあって遊んで、喧嘩して、一生懸命になって、未来の夢について思いをはせたりして。
 でも、そうやって泣いているあたしに、フッドは言ったの。
 もう、選ばないとダメなんだ、って。
 アリババのいない、6人の未来。
 アリババと、あたしと、フッドと。たった3人の未来。
 でもね、後者のほうの未来には、見えない部分があるの。可能性があるのよ。もしかしたら、あたらしくハムラビの作る水の帝国の長い長い治世のどこかで、あたしたちがまた会えるかもしれない。そのときにはあたしたちは、なんの定めも力もない、ただの悪魔か天使でいられるかもしれない。
 あたしたちは、そっちに賭けてみることにしたの。
 ごめんね、一本釣。
 あたしたちは、いろんなものを秤にかけて、大切なものをいくつも捨てたの。
 ヤマト、牛若、男ジャック、それに、あなた。
 もういっかいだけ、みんなで話したかったな。戦場でなんかじゃなくて、平和などこかで。寒いところでもあたたかいところでもいい。
 ヤマトとお酒を飲みたかったな。
 牛若の笛をもう一回聴きたかった。
 あんまりふざけていると、男ジャックに怒られたりしてね。
 そうして、あなたは何も気にしないで、大きな口を開けて笑っているの。
 分かってなんて言えないのは知ってる。そんな実現するかも分からない未来のために、あたしたちはあなたたちを捨てたんだから。
 でも、少しでも希望が欲しかった。もう一度、『みんな』に戻れる可能性が欲しかったの。長い長い輪廻の果てで、どこかで、幸福に笑いあえる未来が来るって、そういう希望が欲しかったの。
 ずいぶん話が長くなっちゃったね。あたしが、『あたし』になった理由だったっけ。
 ハムラビが言ったの。天使も悪魔も同じ。より強い力を得るためには、『変わる』ことが近道なんだって。
 天使が悪魔になり、子どもが大人になり、男が女になる。
 そういえば、昔は力が増すたびに背が伸びていたわ。それを思い出して、あたしは選んだの。いちばん強くなる道を。
 氷が炎に、子どもが大人に、男が女に。
 とても苦しかった。辛かった。体が炎に焼き尽くされる痛みの中で…… でもね、笑ってね。あたし、フェニックス様に祈っていたの。
 あの方は『不死鳥』の名前を持っている。不死鳥は火に焼かれて甦る。
 あの方は大天使だし、誰よりも戦いを好まない方だったわ。仲間を殺すために悪魔になるあたしをなんて、ゆるしてくれるわけがないのは分かってた。
 でもね、おぼえていたの。一本釣、とおいとおい昔、あなたが言っていたのよ。
 
 もしもあたしたちが永遠に離れ離れになっても、あの方の流してくれる一滴の涙だけは、永遠に残るだろうって。

 『永遠』なんて無いこと、あたしはもう、痛いほど知ってる。
 楽園だったはずの次界は戦火に沈んだ。あたしたちはばらばらになり、お互いに殺しあってる。生きるときも死ぬときも一緒だっていう誓いもやぶられてしまった。残っているものは記憶だけ。あたしたちはお互いのことがお互いに大好きだったっていう記憶だけ。
 あたしにはもう信じられるものはない。天使が正義で、悪魔が悪なんじゃない。滅びないものなんてない。永遠の平和なんてない。あたしの手はもうどうしようもないくらい血まみれで、そして、同じ輪廻が幾度廻ってくるかも分からない。
 でもね、ふしぎ。今もね、あのときあなたの言ったことだけは、今でも思い出すの。
 あの方の、フェニックス様の思いは、すべてが消えたそのあとも、永遠に残るだろうって。
 あなたは信じてるのかな。あたしは、信じる、というところまではいかない。でもね、なぜかな、思い出してしまうの。夜空を見上げるとき、遠い星のどこかにふるさとがあるのかもしれないと思うとき、そこにいるのかもしれないあの方を思い出すと、一緒にあなたの言葉も思い出すの。
 あの方は、涙を流してくれたのかしら?
 あたしたちが手をつないだまま、風の中で砕け散っていったとき、ひとつぶでも涙を流してくれたのかしら?
 優しい方だったから、きっと、泣いてくれたわね。
 今は思うの。あの方は、きっと、あたしたちの神様だったのよ。
 繰り返す昼と夜、無限の闇と、さみしさに冷え切った長い明け方。終末と原始の空の下、まだ誰一人として生まれていない世界の、岩石に降り注ぐ、あたたかい雨。
 あの方は、きっと、そんなものも見るでしょう。そして、すべてが消えたその後も、あの方の思いだけはそこに残るの。
 ふたたびこの世界に静けさが訪れて、すべてが消えたそのあとにも、思いだけは残ってる。
 あたしたちが風に散って、哀しさに流した涙が、そこに、一粒の星のように光っているの。
 たとえ、永遠があたしたちをばらばらに引き裂いたとしても、その星だけは、きっと消えない。輝き続ける。
 そんな風に思えば、ほんの少しだけ、救われるような気がする。あなたが言っていたのって、そういう意味じゃなかったかしら。今になってそう思ったんだけど、あっているかしら。
 あたしも、少しだけでいいから信じたい。ねえ、あなたはそれを信じていたの? 
 最期まで信じていたの、一本釣―――?





「こんなところにいたのか、バンプ・ピーター」
 冷厳な声が、冷え切った空気に、響いた。
 乙女は顔を上げる。そこには一人の男がいる。紫紺の髪が冷たい風に靡き、鋼の翼にしずかに雪が降り積もる。
「バンパイア・フッド」
「戻るのが遅い」
「力を使い果たして飛べないの」
 甲冑にはひびが入り、背に燃え上がっていた翼も今は消えている。その体は傷だらけだった。乙女は冷え切った地面に膝をたたみ、一人の男の頭を、そこに乗せていた。細かに降り積もる粉雪を丁寧に払いのけ、血で汚れていた顔は、今はマントの端できれいに拭き清められていた。
 緑色の髪。日焼けした肌。精悍な顔立ち。閉じられた目。ほんのすこし笑っているようですらあった。長い爪をもった指がいとおしげに額を撫でる。
 男は地面に降り立った。薄く雪が積もっている。雪は、戦場に散らばった無数の亡骸に、折れた剣に、降り積もる。すべてを白く覆い隠し、そこで流された血も、悲嘆や苦痛も、無かったものであったかのようにしてしまう。
「歩けるか」
「無理みたい」
「そうか」
 紫紺の髪の男は、手を差し出した。乙女はその手を取る。最期に乙女の手が、名残惜しげに膝に乗せた男の頬を撫でる。
「連れてかえれないかな」
「無理だ」
「……残念」
 こんなに軽い体なのに、と最期に髪をもう一度撫でた。日焼けした肌、すこし荒れた髪の感触を、覚えておくために。
 たくましい戦士の肉体なのに、腰から下を失ってしまった体は、まるで、子どものように軽い。
 男は、バンパイア・フッドは、バンプ・ピーターの体を横に抱き上げる。バンプ・ピーターは仲間の首に片腕を回す。長いマントが雪風にひるがえる。ふわりと、静かに舞い上がる。
 雪に覆われた、かつての戦場が、遠ざかっていく。
 いとおしいかつての仲間の、まるで眠っているような亡骸も、純白の雪の下に、消えていく。雪雲を超え、はるか彼方へ。最期の一人の友の待つ、遠い地へと。
「さようなら、一本釣」
 炎まとう戦乙女の呟きは、雪風に吹き散らされて、静かに消える。

 また、会えるのかな。
 会えますように、神様、どうか―――

 バンプ・ピーターは、残された仲間の腕の中、静かに眼を閉じた。






パンゲ編はよく知らない…… というか、いろんな人が思いを込めて書かれているので少々敷居が高かったのですが、こんな感じに。SBM版だとハムラビが勝って帝国を築いていたんだよなぁ、と思うとこの辺りが実は一つの分水嶺ではないかと。結局はスサノオロ士とどっちが勝ったんだろう。
ただ、ピーターはクライシス化の時点で属性変化している気がするのですが、そのあたりはあまり突っ込まないでください。
BMの世界には客観的にいわゆる『神様』ってのはいないなぁ、というか、こういうのは『神』じゃなくて『菩薩』か『天使』というのだよと誰かが言ってた気がするけれども、そこも突っ込まないでください。誰だって祈りたいときはあるはずですよ。たとえ地獄にいても。