じりりりり、じりりりりん、と共有電話が鳴って、「はいはい!」といいながらレンが部屋を出てった。共有ってことは姉たちかKAITO兄からの連絡のはずだ。仕事の話だったらケータイにかかってくるはずだもんね。 しばらくたってから部屋にもどってきたレンは、心底げんなりした顔であたしを見た。あたしはとてもアンニュイな顔で窓辺に座っている。…当然だけど、返事してあげる義務なんてないんだからね。 「おい、リン」 「……」 「銭湯で、《また》姉ちゃんがたおれたらしいんだけど…」 「どっちよ」 「両方」 知るかっ!! 「なんかさーMEIKO姉ちゃん最近仕事増えたからストレス溜まってるらしくって」 「テンションあがってるだけじゃん」 「なんか久しぶりのアイドル扱いで猫かぶりすぎてイライラが頂点なんだってさ。それでミク姉ちゃんと一駅向こうの温泉引いてる銭湯に行ってさ…」 「ビール飲んじゃ風呂につかって、風呂につかっちゃビール飲んで」 「……うん」 泥酔してる方の入浴はお断りしております。どこの風呂みたってそう書いてあるのをいまだに理解してないの、MEIKO姉…… 「いやだって、銭湯でビール売ってるんだからさ。飲んでもいいってことなんじゃないのか? 僕にはよくわかんないけどさ」 「ミク姉の長風呂でアルコールは死亡フラグたちまくりよ! 何回のぼせて帰って来れなくなったら気が済むわけ!?」 なんというかもう、ミク姉の銭湯好きは病気だと思う。以前、うまれてはじめて広いお風呂にいったとき、”髪の毛踏まないでお湯につかれる!”と感動して以来のものらしいから仕方ないんだけど…… ただでさえ大量のシャンプーを消費するミク姉のお風呂セットの量はちょっとすごい。あれをもって銭湯に通うバイタリティがすごい。さすがトップアイドルってことなの? なんか間違ってない? とにかく、ミク姉は今日はMEIKO姉もひっぱって、My銭湯ソングを歌いながらうきうきと出かけていった。それが二時間くらい前。 ちょっと前にものすごくいい曲の仕事を貰って喜んでいたミク姉は、いっつも鼻歌でそいつを口ずさんでたのだが、なんだか最近鼻歌が進化してえらいことになっていた。 銭湯大好きおひめさま♪ って…庶民的だよ、ミク姉。せめて温泉にしようよ。スパとか流行ってるし。 「あんたが行ってよ。あたし、外に出たくないんだもん」 「やだよ、女湯の帰りに迎えに行くとか。それに」 レンは、肩を落とすと、ふかいふかいため息をついた。 「僕はKAITO兄ちゃんのほうにいかないと」 「……あっちはどーなったのよ?」 「調子くれてダッツダッツ言ってたらマスターに解雇されそうになって、そのまま泣きながら飛び出していったらしい」 バカだ。とてもバカだ。 「んで、電車に乗って遠くに言って、そのままそこでサーティワンでアイスのやけ食いしてたら帰りの電車賃なくなったって。だから迎えに来てくれって泣きながら電話してきた。途中で切れた」 「あー、もう、お金ほんとにないんだね……」 「うん。公衆電話もかけらんないって」 10円もないのか。これはひどい。 「お腹いたいけど薬を買うお金もないって」 「―――もうほっときなよ、そんなバカイトっ」 あたしが投げついたティッシュ箱を器用に避けて、レンはなんだか遠い目をした。なんか人生を悟り澄ましたような目だった。なんかムカついた。すごくムカついた。 「リンさあ…… 結局、出かけたくないだけじゃん」 「うるさいっ」 「薬局にだってけっきょく僕にばっか行かせてるし」 「うるさいうるさいうるさいーっ!」 「銭湯行くついでに…… あたらしいティッシュとアイボン、買ってきたら?」 「鬼っ悪魔っショタバナナ鼻声っ!! あんた、病で苦しむ姉をいたわろうって思いやりはないわけ!?」 そう。 そうなのだ。 あたしは、なんとしても、今外に出るわけにはいかないのだった。 眼をこすりたいのを必死で耐えながら、窓の外をにらみつける。そろそろ夏も終わりに近づいて蝉の声が聞こえてくる。ちかくの空き地に雑草がしげっている。黄色いのはブタクサとかセイタカアワダチソウだと思う。これは嫌がらせ? それともクリプトン社に対抗するために他社が作った生物兵器なの!? 「目がかゆいってのは分かるけどさあ……」 レンは、頭をガリガリかきながら、ため息をついた。 「ずっと引きこもってるのは身体に悪いよ? 別に杉ヒノキで空気が黄色いってわけじゃなし」 「あんたは分かってないッ!」 あたしは、レンにむかって怒鳴りつけた。なんだかえらいことムカムカしてきた。 バン! と空になったティッシュ箱を踏み潰し、仁王立ちになる私に、レンが思わず及び腰になる。たぶん、今のあたしは世界で一番鬼のような形相。鼻も眼も赤いし。…ほっとけ! どうせあたしは可愛くないよ!! 「あんたねぇ! 目医者にいって”花粉症を引き起こす植物”のポスターに全身トリハダになったことあんの!? まぶたの裏をキャプった映像みせられたらぷつぷつだらけで絶望したことあるの!?」 「な、ないけど、さあ」 「だいたいねえ、花粉症ってのはね、アレルギーなの! 人間アレルギーで死ぬやつだっているんだよ!? 具体的にはピーナッツとかソバとか! 蜂に刺された人が死ぬのだって、あれ、アレルギーのせいなんだからね! なんか、あ、あ、あ……!」 「アナフィラキシーショック?」 「そうたしかそんな感じのやつ! ようするに人はアレルギーで死ねるのよ。花粉症だって死に至る病なのッ」 なんかレンはそんな大げさな… とか、リンは人間じゃなくてVOCALOIDじゃん… とかもがもが言ってたけど、あたしの知ったこっちゃない。 「今もねえ、あたしの体内だと花粉のせいで刻一刻とヒスタミンがわいてるのよ! そりゃもうヒスタミンの回転数ガンガンよ! あんたにはわかんないでしょこの絶望がッ」 ええそうですとも、あたしはどうせ重度の鼻声よ。しかたないじゃん花粉症なんだから! でも杉もヒノキも終わって開放感たっぷりでバンバン仕事してたら、最近なんか妙に目がかゆくなって目医者にいったら”アレルギー性の結膜炎ですね”って言われたときの気持ち、誰にも分かるわけがない。 違うよねぜったいに部屋の掃除が足りないとかだよねレンにやらせりゃいいんだもん! とか思って血液検査をやってみたら、こんどはブタクサとかの花粉で陽性の反応が出てたときのあの絶望。あたしは本気で日本全土をロードローラーで巡業してすべての空き地をぶっつぶすことを検討した。ガソリンが高くて無理だったけど。 「まだ今日は雨が降ってないの… 今、空に向かってお願いをしていたんだよ… はやく雨降ってくださいって。雨雨降れ振れもっと降れ… って」 雨が降れば湿度があがる。湿度が上がると花粉は飛ばない。 すべての雨はあたしの味方だ。髪が湿るってミク姉が嘆こうが、マスターがめんどくさがってコンビニ行ってくれないってKAITO兄が泣こうが、なんといったってあたしのために雨は降るべきだ。こんなにも可憐なあたしが目と鼻を真っ赤にして部屋にひきこもるという惨劇がおきないように。 「だからもう知らないッ。ミク姉もMEIKO姉も自分で帰ってくりゃいいじゃん! KAITO兄だって人気あるんだから駅の隅っこで座ってたら誰かがきっとお持ち帰りしてくれる!」 「ちょ、リン、そんなヤケにならなくったって」 「あたしは行きたくったって銭湯もコンビニも行くの嬉しくないんだもんーっ! 目がかゆくなるんだもんーっ! みんな花粉症になっちゃえばいいんだぁぁ! ミク姉もMEIKO姉もKAITO兄も、みんなヒスタミンまみれになっちゃえええええ!!」 ふえええええん、と泣き出すあたしに、おろおろしているレン。嘘泣きのつもりだったけど眼をこすりすぎてほんとに涙出てきた。もう泣きたい。いや、もう泣いてるけど。 知らないよもう、こんな世界だいっきらい! あたしは手元にあったティッシュの備蓄箱をレンにむかって投げつける。レンは悲鳴を上げながら逃げていった。 ―――リンにティッシュ箱とかいろいろ投げられながら、レンは、ほうほうのていで部屋を抜け出した。 ドアをしめてようやく振り返り、部屋からリンが出てくる気配がないのを確認して…… がっくりと肩を落とした。 「……ダメだあれは」 リンの花粉症ヒステリーは、一回起こると手が付けられない。部屋にとじこもってるのは花粉のせいなのか、それともヒステリーのせいなのかいまいち判別がつかない。どっちにしろ、兄姉の尻拭いは、レンひとりでやらないといけないみたいだった。 とりあえず先に迎えにいかないといけないのはミクとMEIKO… だが、のぼせてるということは徒歩じゃ帰れないだろう。愛車をださなきゃダメかな? でもKAITOもそうそうに助けに行かないとヤバい。最近KAITOは大人気だから、リンのいってる台詞じゃないけども、ダッツをちらつかせてホイホイとついてくるKAITOを誘拐しようとする悪い人間にぶつからないとも限らない。 「なんでボーカロイドってバカばっかりなんだろう…」 まぁ、しかたない。みんな同じシリーズなんだからな…… ひとりだけ頭がいいとかそういうことになったら逆に不自然だ。 ガレージに止めてあるロードローラーのキーをひっぱりだしながら、レンはふと、ミクが歌っていた曲を思い出してみる。 「せかーいでー、いちーばん…… ヒスタミン♪」 だが、なんとなく真似して口ずさんでみたら、歌詞がとても間違っているような気がした。 「そぉーいう扱い心得てーよーねー」 ……でも、僕の現状はこっちのほうがただしいよ、うん。 14歳にして苦労症のたっぷりとしみついたため息をつきながら、レンはガレージのシャッターをあける。愛車のジョセフィーヌを運転して、手のかかる年上のVOCALOIDたちを助けに行くために。 杉の人、というPが作ってる《杉は戦争》って曲があってだな… ←back |