カナシキヒステリックガール




 姉に「あんた好みのバンド見つけたんだけど」と熱く語られたその日の夜、僕は生まれて初めて足を運んだライブハウスの前で途方にくれていた。
 あたりを歩き回っているのは髪の毛を脱色したりワックスを揉み込んだりして派手な格好をしているお兄ちゃんたち、さらには顔をあらったら絶対に眉毛のなくなっちゃうだろうおねえちゃんたちばっかり。正直、こんな場所に来てもいいんだろーかと逃げ腰になった。というよりも、逃げたかった。怖いって、ここ!
「な、なあ、ここ未成年とかって入ってもいいわけ…?」
「大丈夫、大丈夫。そのチケットについてるドリンクはノンアルコールもアリだから」
「そういう問題かよっ!?」
 そりゃ、僕は音楽好きだ。ロックだってメタルだってイケる。でも、清く正しい音楽少年は、いまどきは真面目にバンドすら組みゃしない。僕のパーカッションも僕のキーボードも、ついでいうとサックスもストリングスも僕のPCの中にあるのだ。そりゃこういうちゃんとしたグルーヴ感ってもんも嫌いじゃあないけども。
「あ、すいませーんあたしシャーリー・テンプル!」
「りりりリン!?」
「オーケー。あれリンちゃん、そっちのそっくりの顔だれ?」
「あたしの双子の弟。ヘタレ。あ、じゃあついでにヴァージン・マリーとか作ってー。こいつたぶん好きだから」
 けらけら笑いながら、ファイルを通せそうな穴が耳に開いてるパンクスなバーテンさんが、リンのために手早くイロイロを混ぜてくれる。なんか、慣れてる。リンにはピンク色のカクテル、僕にはカクテル的な何か真っ赤なのをくれながら、「大丈夫だって、リンちゃんモドキ」とバーテンがけらけら笑った。
「ここ健全だから。リンちゃんだって別に悪いことしてるわけじゃないしね。話は聞いてるよー、作曲できる弟がいるって」
「は、はい……」
「やんないの、バンドとか?」
 やらない。
 思い通りに演奏できる実力があるかどうかもわからないメンバーを集めるのは僕の性にあってなかった。ビックバンド風の分厚い音や、昔懐かしい渋谷系のサウンドが好みの僕は、正直、今時のバンドとかにはむちゃくちゃ向いてないのだ。スリーピースとか単調でイヤになる。そんなの文化祭で我慢するのもめんどくさいくらいなのに。
 真っ赤なカクテル的な何かは、ひとくち飲んでみるとトマトジュース的なナニかだということが分かった。リンはトゲトゲを大量に身につけた人たちの中に割り込み割り込み前へと行くけど、僕はだんだん横におしだされおしだされして壁際にまで追い詰められてしまう。隅っこで小さくなってトマトジュース(的なナニか)を飲んでいると、ふと、壁の向こうで音がした。
 なんだろう。金属弦だ。ギターのチューニングとかしてるのか。
 真っ黒に塗られて一面にフライヤーが貼られた壁は、でも、よく見るとベニヤ板一枚を立ててるだけだった。僕は身体を斜めにして向こう側を覗き込んだ。誰かいた。マーチンの白いブーツを履いて、ボロボロになったガーゼのシャツを着た女の子だった。
 短いチェックのスカート、長い長い髪。鋲を打った首輪なんてしてるくせにピアスを一個も開けてなかった。透き通るような白い肌に、眼の周りを真っ黒に塗っているのが誰かに殴られた痕みたいで痛々しかった。彼女は真剣な顔でフレットと格闘していた。どうしてもチューニングに納得がいかないらしい。
 必死にヘッドを弄ってる彼女を見てたら、なんとなく見当は付いてきた。わざとチューニングをずらして音階をいじってるんだろう。でもこういうのは一回ズレてしまうと調整が難しかったりするんだ。
 なんとなく見てたらたまらなくなってきた。思い切って僕は、「ねえ」と声をかけてみる。
「それ、オープンEだよね。Gが上にずれてる」
「え?」
「だから、四番目のG。そこの… ちょっと貸して」
 もどかしくてたまらなくなった。僕は狭い隙間に身体をねじこみ、唖然としている彼女からギターをうばいとった。
 ギターくらいはナマモノが家にある。ストリングのズレを調整して回りといくつかあわせなおした。けっこう典型的なチューニングなのがよかった。すぐになおして、「これでいいんじゃない?」と彼女に返した。
 彼女はあわててフレットを押さえなおした。あっていたらしい。驚いたみたいに眼をぱちくりして僕のほうをみる。
 僕はなんだか急にはずかしくなって、トマトジュース的なモノを一気に飲み干した。
「ありがとう。…どうして分かったの?」
「別に。よくあるチューニングだから、それ」
 僕は急にはずかしくなってくる。顔が赤くなるのをごまかしたくて、無意味にぶっきらぼうな早口になった。
「ボーカルだったらどうせギターなんて飾りなんだろ。そういうの、ちゃんと詳しい人にやっといてもらったほうがいいよ。外したら致命的だから」
「……」
 長いまつげをしていた。ちょっとぽかんと口を開けた表情で、よけいにあどけなく見えた。下手したら僕と同い年くらいに。だから。
「……なんか、レンくんらしいね」
 そういわれたとき、僕は、はっとした。
 彼女はくすくすと笑った。破れたガーゼシャツにチェックスカートというパンクスな格好とはぜんぜんあわない、内気そうな、可愛い笑い方だった。なんか知ってる気がする。どこかで。どこかで?
「私だよ。ミクだよ」
 彼女が恥かしそうに言う。僕は、かくん、と顎が落ちるのを感じた。
「え? ええ??」
 ミク。初音ミク。僕の、先輩。大人しくって声のきれいな、髪の長い先輩。
「は、は…初音先輩ッ!?」
「うん」
 先輩は、にこにこと頷いた。
「なんでここにいるのかなって思ってびっくりしちゃった。私のこと、分からなかった?」
「……」
 声も出ない。まじまじと顔を見ると、たしかに先輩だった。ぶんなぐられたみたいな化粧のせいで分からなかった。
 いやそれよりも、こんなところに先輩がいるなんて、夢にも思ってなかった。
「ミク、遅い! こっちきて!!」
「あ、はぁい! すぐ行くね! …あ、レンくん!」
 呆然として声も無い僕に、初音先輩は、ちょっと恥かしそうな、怒ったような顔で振り返った。
「ずるいよ、こんなとこ見に来るなんて。…でも、見られちゃうんだから、言っちゃうからね」
 何を?
「この曲、私が作詞したんだよ。すごく本気で」
 初音先輩は、ちょっと顔を赤くして、言った。
「これ、私がレンくんのこと好きだよって歌だから」
 それだけいうと、初音先輩は、軽い足音を立ててベニヤ板の仕切りの向こうへと走っていってしまう。僕は呆然として声も無い。何が? 何の話なんだよ? どういう意味??
 歓声が聞こえた。爆音がとどろいた。割れそうな大音量。真っ暗で狭苦しいライブハウスに、セロファン越しのライトが七色に乱舞する。
 舞台の上に飛び出す初音先輩は、殴り合いの喧嘩から帰って来たばっかりのシェークスピアの妖精だった。嬉しそうに大声で叫んだ。マイクで拾われた音が大音量のシャウトになった。

 こうして僕と、初音先輩のステージは、はじまってしまったのだった。






http://www.nicovideo.jp/watch/sm5342008

ミクにはガーゼシャツとチェックのミニスカと白のマーチンが似合うと思います。(パンクス…)




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