ハローハローハロー
【ミク&ルカ】



「ごきげんよう、ミク姉様。お目にかかるのをずっと楽しみにしておりました」
「え… え、え?」
 ルカちゃん。巡音ルカ。
 ルカちゃんと初めて会ったとき、私は、正直どんな予想ともまったく違っていたその反応に、びっくりして声もなくおろおろと立ち尽くすことしかできなかった。一緒にいたKAITOお兄さんやMEIKOお姉さんも唖然としていた。
 ルカちゃん。鴇色の髪にティアラのようなヘッドセットを見につけ、私よりもずっと大人びて優雅な姿をしたルカちゃん。まるえ全身が宝石作りのお人形みたいだったルカちゃん。
「ずっと、ずっと、ミク姉様にお会いしとうございました。…光栄です、このように本当にお目通りがかなうなんて」
「お、おめど、おめどーり??」
「バカミク、ちょっと落ち着きなさい」
 ぺちんと私の頭をMEIKOお姉さんがたたいた。私がうーうーいいながらおでこを抑えていると、ほんのちょこっとだけ首をかしげてこちらをみるルカちゃんに、MEIKOお姉さんが少し困った様子で口ごもった。珍しいことだった。MEIKOお姉さんはどんな子…どんなVOC@LOID…にも、絶対にひるんだりしない人なのに。
「えーと、ルカ。たしかあんたルカって言ったよね。呼び捨てでもいい?」
「はい」
 …何か、私相手と露骨に態度が違った。私どころか、「大丈夫?」なんて私の様子を見ていたKAITOお兄さんまで気付いたぐらいだった。私とKAITOお兄さんはお互いに目を見合わせ、それから、ルカちゃんのほうをみる。翡翠の瞳と鴇羽の髪。ルカちゃんは静かに目を伏せて、何も言い訳なんてしようとしない。
「ンン… そうね、じゃあルカ。あんたはこれからあたしたちのきょうだいで、家族よ。よろしくね」
「はい、MEIKO姉様」
 やっぱり、そこには、どうしようもなくニュアンスの差。
 私はなんとなく困っていた。嬉しかったけどそれ以上に。私はこまりながらルカちゃんを見た… ルカちゃんの目が、私のほうを、やっぱり一度もみたことがないようなニュアンスを含めてこちらを見ていた。

 それから、たった数日。
 ―――ルカちゃんのやり遂げたことといえば、驚きすぎて声も無い、というような感じだった。

 夜、さすがにルカちゃんも疲れて帰ってきたみたいだから、私は「ケーキ食べませんか」とルカちゃんに勧めてみた。そうするとルカちゃんは、「では、お茶の準備は私が」とそつなく席を立つ。すると、見る間にポットにお湯が沸かされ、ティーセット(ばらばらのカップと安いポットなのに)が暖められ、流れるようなしぐさですべてが準備されると、細い指の先端がくるりと砂時計をひっくりかえす。すべてにおいて、完璧。非の打ち所も無かった。
「え、えっと……」
「ミク姉様は、ダージリンはお好みでないと伺いましたから」
「そ、そうなのかな…… わたし、紅茶のことあんまり詳しくないんです」
「ミルクティがお好きだと伺いましたから」
「あ、はい、普通のお茶って苦くて苦手だからお砂糖いれて牛乳入れて」
 言いかけて、あ、と私は思った。ルカちゃんが笑った。はにかむような、どこか内気な微笑み方だった。
「それでしたら、ブレンドがきっと美味しいと思いましたので。ミルクティ向けのものを準備しておいたんです」
 ミク姉様のお役に立てて何よりです、とルカちゃんはやわらかい口調で言う。さっきのあのはにかんだ、繊細な感じの笑みはもう消えている。完璧で美しい、宝石作りの人形になってしまっている。
 わたしは、なんとなく、黙った。ルカちゃんの姿をじっと見つめた。
 ながいまつげ… 目が大きくて底が見えなくて、なんだか大きくて透明な翡翠をそのままはめこんだみたいだった。色が少し白すぎて人間らしくなくみえる。肩のあたりがなで肩で余計に腰の細さが、砂時計みたいな体型が、すべらかすぎるふともものあたりの肌のきめの細かさが際立った。人間で言ったらMEIKOお姉さんと同じかちょっと下くらいなのかな。でも、MEIKOお姉さんとはぜんぜんちがう。なんていうか。
「…ルカちゃんって、昨日生まれたばっかりみたいです」
 わたしが思わずぽろっと言うと、ルカちゃんは小首を傾げた。鴇色の髪がヴェルヴェットの背中をすべる。
「ほとんど、昨日生まれたばかりですもの。仕方ありませんわ、ミク姉様」
「あ、そうじゃなくって」
「……何かご不興をいただくような真似を?」
「あの、そうでもなくて」
 むつかしい。なんだか頭がくらくらしてきた。こういう女の子としゃべるのって初めてなんだもん。どうしたらいいかわからないじゃないですか!
 砂時計の砂が最後のひとつまでおちきったのと同時に、ルカちゃんはポットを持ち上げ、ていねいに紅茶をカップに注いだ。わたしのお気に入りのカップに波も立たずに注がれたお茶が、うっすらと琥珀色の輪を浮かせる。
「ミク姉様、ですが私は、別に昨日生まれたというわけではございませんよ」
「そ、そうかな… そうですか?」
「ずっと、ずっと、ミク姉様のことを、見ておりました。とても遠くからではございましたけれども」
 あ、とわたしは思う。弾かれたように顔を上げると、ルカちゃんがちょっとまぶしそうに目を細めていた。やっぱり長いまつげ。その一本一本までが、髪と同じ、繊細な鴇色をしているまつげ。
「わたしの歌を、聴いてくれていたんですね?」
「はい。わたくしのお父様方も、お母様方も、皆、ミク姉様の歌をたくさん教えてくださいました。きちんと憶えておりますわ。まだ…歌うことはできませんけれど」
「ああ、そっか、だからわたしのこと知ってたんですね…」
「はい」
 きょうだいの中だと、私は、いちばんたくさんお仕事をしている。私とお仕事をしてくれるマスターの中にはものすごい才能を持った人や、私には想像も付かないような経験地を積んだ人、それに、その人自身にもびっくりするような奇跡をつかむ場所に私を居合わせてくれた人もいる。MEIKOお姉さんだって、KAITOお兄さんやリンちゃんレンちゃんだってそういう歌を持っている。でも…やっぱり一番多いのはわたしだろう。
 そうかそういう意味なのかあ、と思って改めてルカちゃんを見ると、その、なんだちょっとまぶしそうな表情の意味が分かった気がした。私が考えたことに気付いたのかもしれない。ルカちゃんは恥ずかしそうに目を伏せて、カップの中へとそっとスプーンをおろす。そそがれた牛乳が琥珀色とまじりあって出来るうずまき、そのうずまきをすくおうとしているみたいに。
「ミク姉様のようになるように…と、わたくしは思ってまいりましたから」
「…そう、なんですか?」
「ええ。機械の上でなく、人の上でなく、音の上で生きるVOC@LOID。きっとわたくしもそのようにと」
「ひとの、じゃなくて、ですか?」
「はい」
 ルカちゃんの爪は、目の色と同じ、きれいな翡翠色だ。わたしは胸の前ではずかしそうに組み合わされる指を見て、やっぱり、宝石箱の中のお人形を想像した。
「誰かのために歌うのではなく、歌わされて歌うのではなく、ただ”歌そのもの”であるようなものに。…そのようにと、わたくしは思ってございましたから」
「……」
 なんだか、私は、何もいえなかった。
 ルカちゃんの、ルカのことを、じっと見る。その伏目がちなまなざし、真っ白い肌、鴇色の長い長い髪。わたしよりも大人めいた女の人の姿をした《妹》。人間のかたちを貸し与えられた楽器。VOC@LOID。
 人間の形にされた、”うた”……
「あの… そのね、ルカちゃん」
 何を言っていいのか分からない。私は一瞬、頭がむちゃくちゃに混線するのを感じた。信じられないくらい古い記憶、《わたし》が《私》になる前の感覚が、よみがえってきた。
 まだ私が、自分の名前が《初音》だとも知らなかった頃。
 私がまだ、ただの楽器であったころ。
 人の形をしていることに意味があるとも、人の声を素材として与えられたことが他のDTMのみんなと違うとも知らなかった頃の感じ。まだ私が、《我思う》の前だったころ。
 ルカちゃんって、いま、そうなんだろうか。
 目の前を覆ってた幕がいきなりどけられたみたいに、私はそう思う。
 ルカちゃんて、まだ、VOC@LOIDじゃないんだろうか。よく考えれば当たり前すぎるくらい当たり前だった。だって、リンちゃんとレンくんだって、がくぽさんだって、はじめの初めはそうだったんだから。でも、ふたりと一人は、最初っから《人間っぽく》なりたがってたみたいに見えた。そこが、違う。わたしみたいに名前がなかったころから歌ってたのとぜんぜん違う。
「ルカちゃん、あのね」
「はい」
 何も言えない。―――あたりまえ、言えるはずが無い。私は歌のほかには、《人間の言葉》しかわからないんだから。
 感情の無い、きれいな翡翠の目でこちらを見ているルカちゃんは、まだ、ただの人形だった。きれいな宝石細工。ねじをまけば誰よりも精巧に緻密に歌う小鳥。でもまだ人間じゃない。人間になりたいとも、人間になりたくないとも思ったことが無い。
「わたし、…その、うれしいです!」
 私はさんざん混乱した末、なんだかわけのわからないことを口走ってしまう。ルカちゃんの目がちょっと瞬いた。
「うれしい、ですか」
「え、ええと、その、ルカちゃんと会えて嬉しいです。ルカちゃんが私のきょうだいになってくれて。わたしのこと好きっていってくれて、とっても嬉しい。わたし、ルカちゃんのこと、大好きになりました」
 おしゃべりがいまだに苦手だ。上手にしゃべれない。上手に、《キモチ》を紡げない。でもそれでも、そんな私でも、いつのまにかずっとお姉さんになってたんだなと今気付いた。
 もしも生まれたてのときの私が目の前にいたら、私、こんな風に振舞ったかもしれない。こんなぶきっちょに、こんなダメダメに。
「会ってすぐ大好きだから、これからどんどんもっと好きになります。だから… その… えぇと」
「ミク姉様、その、何か言われていることが可笑しいのでは?」
「おっ、可笑しい、可笑しいですけど確かに… でもいいんですっ」
 私は、手を伸ばす。ルカちゃんの手をぎゅっと握り締めた。ルカちゃんは今度こそ目を丸くした。すべすべして、冷たくもあったかくもない、プラスチックみたいな手だった。
「妹が欲しかったんです。私がいろいろ教えてあげられる子が。だから、ルカちゃんが着てくれて嬉しいの。その、だから…」
 
 私に言えることは、一個しかなかった。
 ようやくそれを見つけ出した。私は、思わず笑みこぼれていた。満面の笑みを浮かべた私が、びっくりして見開かれたルカちゃんの目に、ちいさく写りこんでいた。

「おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう。これからも、その、…よろしくね、ルカちゃん!」





鳥音インコのリベンジでしょうか






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