【或る詩謳い人形の記録】
(KAIKOとミクオ?)





 あのころ僕が住んでいた国で、ぼくは、自分以外に命を持った人間というものを一度も見たことが無かった。
「生きるものはすべて、他のものが生きるためには、殺されてもかまわないものなのですわ」
 彼女は日に日に、僕に、そう言った。あるときはほっそりとしたその白い手で重たく実った林檎の実をもぎながら、あるいは、生け簀からすくいあげた銀色の鱒のはらわたをていねいな手つきで抜きながら。
「じゃあ、ぼくも誰かが生きるためには、殺されてしまってもかまわないの?」
「ええ、その通りです。でもマスターはご自分を食べてしまうようなものに出会ったことはないでしょう?」
「うん、そうだね…… 見たことない」
「そういったことは、マスターの命をほしがるものに出会ったときになってから、考えられればよいと思いますわ。そしてもちろん、マスターは、そのときに甘んじて殺されなければならないというものではございません」
 イキモノは、生きるために何かを殺す。でも逆もそのとおりだ。生きたいがために、イキモノは、殺されることを全力で拒むものでもあるのだ。
 僕がうっかりして晩ご飯のシチューにするためのうさぎを逃がしてしまったことがある。彼女はべつにおこらなかったが、僕は芋と豆しか入っていない味気ないシチューを食べることになった。その日、彼女はそんな僕をほほえみながら見ていた。暖炉の前のちいさなテーブル、羊の毛皮のラグと、壁にかけられたからっぽの額縁。
 ぱちぱちと音を立てて暖炉のなかでトウヒの木がはじけ、ねずの実の香りが強く香った。僕はひどくふてくされて、でも、まずいシチューをのろのろと口へとはこんでいた。おなかがすいていたのだ。そして、まずいものだからといって残せるほど、僕は豊かな暮らしをしていたわけじゃなかった。
「どうして僕、何かを食べたりなんてしないといけないんだろ」
 僕は行儀悪く椅子をゆらしながら、そう、不満たらしく文句を言った。
「キミはなんにも食べないでもいいのに。だから何にも殺さなくていい
。そうでしょ?」
「しかたありません。わたしは人形ですが、マスターはそうではないのですもの」
 そういって微笑む彼女の姿が、暖炉でゆらめく焔に照らされていたのを、今もおぼえている―――
 やわらかい、白いドレス。雌鹿のようにほっそりとした体つき。髪は青猫のような青灰色をして、硝子玉のひとみは夜のように青かった。けれど、そのほっそりとした身体はヴァイオリンの胴のようにがらんどうなのだ。すべすべした肌は、ビスクのように完璧で硬い。常には乙女のように、ときどきは青年のように歌った彼女。僕の乳母であり騎士であった詩謳い人形。
「マスター。人形は誰も殺す必要がないゆえに、誰も殺してはならないのですわ。天秤の片方に乗せる対価をもたないものは、誰も、その向こう側に乗せるべきものを欲することができないのです」
 この世界は天秤なのです。彼女は、そうも言った。
「片方に女が乗り、片方に男が乗る。片方に老人が乗りもう片方に赤子が乗る。そのようにしてすべてができ、そして、秩序を保っているのです。それがこの世の理なのですわ…」
 あのころどうして僕には、彼女のほか誰もいなかったのだろう? その答えもまた、彼女のいう『天秤』のなせる技だった。
 天秤の片方の錘である僕が、こうやって誰もいない場所でたいくつに、けれど平和で心穏やかに暮らしている。その対価として、僕ではないもう一人が、たくさんの人々で満ち溢れた場所で、華やかだけれど危険であやうい生き様を送っている。そういうことなのだと彼女は言った。
「どうしてなの?」
 僕は、そう問うた。当たり前だろう。
「なんで、もう一人の僕はそういう暮らしをしてるのに、僕はキミとふたりきりなの?」
「天秤を、傾かせるためですわ」
 彼女の答えは、簡潔で、完璧で、そして残酷だった。
「マスターが孤独で、心穏やかで、そして平和な暮らしを送る分だけ、その逆の分がもうひとりのマスターへと与えられるのです。マスターがこの森に棲むのも、私のほかにだれもいないのも、その対価を求めるものがいるせいなのです」
 僕らが暮らしていた黒々としげる森の中、冬の館の回廊には、無数の肖像が飾られていた。けれど不思議なことに、額縁は回廊の左右にかけられているのに、絵が入っているのはそのうちの片方だけなのだ。もう片方の中には代わりに鏡が入っていた。古い古い鏡は曇りながら、自分の向こう側にかけられた肖像の、不完全な像を写りこませていた。
 僕はときどきその回廊をゆっくりと歩いた。そこにはたくさんのひとびとがいた。太陽の光のように金色の髪をして、山猫のように残酷そうな緑の眼をした魔法使い。青い髪に雪割る菫のひとみ、白く清純な面差しに、ぬぐいされない不幸の面影をまとった剣の少女…
「誰もがそうなのです。この冬の館に生まれるものは、かならず、ふたごとして生まれてくるものなのですわ」
 そして、誰かが天秤をゆらすことを望むから、彼らはかならず片方しか生き延びることができなかった。だから、回廊にかけられる肖像のうち片方は、かならず、ただの鏡であったのだ。
「僕の片割れってどこにいるの?」
「お答えすることはできかねます」
「何してるの」
「マスターが知ることは、まだ、出来ませんわ」
「じゃあ、それまで僕はどうしていたらいいの」
「お待ちください。運命(さだめ)が刻を告げるまで」
 彼女は優しいけれど、硬く、そして、その身体には一滴の血も通ってはいなかった。髪を撫でる白い手は、ひんやりとして冷たかった。僕は思った。僕の片割れというのはどんなイキモノなのだろうか。どんな顔をしているのだろうかと。
「御覧なさいませ、マスター」
 そのたびに、彼女は僕に、こういった。
「こちらに、マスターの片割れのお顔が、ございますよ」
 そういって彼女が僕に見せてくれたものは、鏡だった。古い金作りの蔦飾りが呪いのように巻きついた、古い、古い鏡。
 僕はいつもそこに、もうひとつの顔をみた。本当はただの鏡像であるもの。けれど、その鏡の意味でいうのなら、僕のものではない顔を。
 さみどり色の髪、ひとみ。乳のように白い頬。あどけなく無垢な面差しに、誰の心も惑わしうる、青く澱んだ血をたたえた姿―――
「マスター、いつかお会いになれます」
 彼女はいつもそう言った。微笑みながら。
「誰であってもイキモノは、いつか、おのれの定めに出会わずにはいられないものですもの……」


 ―――そして、すべては彼女の言うとおりだったのだと、後に、僕は知ることとなる。




 
 極寒の地にある黒い針葉樹の森、そこに詩謳い人形と二人でひっそりと暮らす幼い少年。
 詩謳い人形の歌う、古い、そして昏い物語を聞きながら、子どもは少年へと成長していく。
常に双子で生まれ、そして、双子であるゆえに数奇な物語を紡ぎ続けてきた、青き血の一族のさだめの元に―――

 …とか妄想していた。青磁Pとは当然なんの関係もありませんよ(´・?・`)
 うん、なんとなくね、”言霊使い”がリンレン双子のお話だったから、”少女”のほうもKAITOとKAIKOが双子なんだったんじゃね? とか思ったんだ。ジャンヌ・ダルクじゃないんだったら、死んだ兄の代わりとして戦場へ行って、そのせいで魔女として処刑された少女のお話だったのかと。それだけのお話。


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