【M】
(マスターの友人とKAITO)




 今日、サポートセンターから、あいつのパソコンが帰って来た。

「直らないんですね?」
「嬉しそうにいうな」
「……すいません」
 
 俺は返事をせずに、ノートPCを小脇に抱え、座敷へとあがりこんだ。乾いた畳の井草に、線香の匂いが深く染み入っている。誰もいない。引き戸を閉める。何も聞こえない。外には鳥の声すらない。
 俺は、仏壇に線香を上げ、りんを叩いて手を合わせた。KAITOは黙ってこちらを見ていた。視線は俺を通り越して、そこに置かれた位牌を見ていた。人間ではないKAITOが、その意味をどういう風に理解しているのかは、俺にはとうていわかりかねた。

 一年、過ぎていた。
 KAITOの持ち主だった、俺の友人が死んでからの時間だった。

 この際、あいつがどういう死に様を遂げたのかを言うのは無意味だろう。末っ子だったあいつの夭逝をおじさんもおばさんも可哀想なくらい悼んでいたが、兄姉の存在がかろうじて二人を救った。今はふたりとも、あいつにとっては甥や姪にあたる孫たちへと没頭していて、あいつのことを忘れようとしている風にすら見える。
 あいつのことを、忘れられない。
 俺もそうだ…… と言うのは、ただの欺瞞だろう。すくなくともこいつの前で、そんな無神経なことを言うことは、俺にはできない。
 振り返り、後ろを見ると、KAITOがていねいに膝をたたんで座っていた。すこし微笑んでいるような気がした。透き通るような表情だった。

「それで…… このパソコンの話なんだけど」

 俺は、KAITOの顔から眼をそらし、テーブルに置かれたノートパソコンの蓋を撫でた。銀色のプラスチックが傷だらけになっていた。DELLの5年前のモデル。動画を扱うにはいささか容量不足の1.46GHz。

「サポートセンターによると、バッテリーが弱ってるから、交換になるらしい」
「バッテリーだけ、なんですか?」
「いや。そろそろハードディスクも寿命だって言われた」

 新しいモデルに買い換えてはどうでしょうか。
 そんな風に遠まわしに言われたことを、苦い思いで思い出す。そんな俺の考えを見通していたのだろうか。KAITOは少しだけ笑った。

「修理とか交換とかをしたら、何万もかかるでしょう。もう、いいんじゃないですか」
「そういう問題じゃない」
「俺は、いいと思います。だいたい、あなたはこれの持ち主ってわけでもないんだし…… 頑張ってもらえるのは俺も嬉しいです」
「そういうことでもない」
「そう…… そうですか?」

 KAITOは小首をかしげる。マドンナブルーの髪がさらりとゆれた。
 声は、クリアとは言いがたかった。喋りも不自然だ。あいつの調教の癖だ。どう頑張っても《平凡》の域を超えられなかったKAITOマスターのあいつ。俺の幼馴染。

「バッテリーが持たないんだよ。次に再起動したら、もう一回起動できる保証が無いって」
「あと、30分くらいかな。……長かったですね」

 バッテリーの残量のことなのか、それとも、《あいつ》が逝ってしまってからの時間のことなのか、俺にはよく分からなかった。
 KAITOは眼を細めて、あいつの写真のほうを見た。知らない風景の写真をみる目だった。KAITOは一度だって、そこにあいつがいるとは思っていなかった。
 まるで飼い主に死なれた忠義な犬のように、あいつが帰ってこないのは自分の不手際のせい、あいつの機嫌を損ねたせいだと信じて疑わない。
 それがVOC@LOIDという存在なのか、それとも、こいつだけが例外なのか。
 俺には、何もかもが、理解できなかった。

「あのさ、KAITO。お前のデータのバックアップは、ちゃんとあるんだよ」
「……」
「俺の家に持ってかえって移せばいい。てきとうなソフトを二三個削除すれば、お前の居場所くらい確保できる」

 だから…… と俺は言いかけた。
 だがKAITOはちょっと笑うと、一本の指をくちびるに当てた。俺は、黙った。

「気持ちはすごく嬉しいですよ。あなたがマスターになってくれるんだったら、たぶん、俺もいろいろ楽しい思いができると思うし」
「うちにはミクも、リンやレンもいるぜ?」
「それでも、いえ」

 それだからこそ。

「俺のマスターは、マスターたった一人だけだし、もしもあなたの家にいってしまったら、俺は、きっと俺じゃなくなってしまう。だから、もういいんです」
「おい、カイトっ……」
「ここにいる俺は、《マスターのための俺》でした。……他の何者でもないし、何者にもなれないんです」

 パソコンの横で、赤く、チカチカとランプが点滅した。バッテリー残量が少ないのだ。

「俺って誰なんだと思います? 《VOC@LOID01》ではなくって、ここにいる《俺》って?」
「そんなの…… 分かるかよ! ンな話してる場合か!? 時間が無いんだよ!」
「すいません。でも、俺が《俺》になれたのは、マスターのおかげだった。マスターに教えてもらった歌の癖、ひとつづつの音楽、それが俺なんです。それだけ、どうしても憶えていてもらいたくって」

 俺は、ハッとして、息を詰めた。
 KAITOは、どうしてもゆがんでしまいそうなくちびるを、必死で、笑みの形にしようとしていた。

「―――。
 俺は、たくさんいます。故郷でプレスされたすべての《VOC@LOID》、全部が俺なんです。
 でも、生まれただけだと、俺は何者でもなかった。倉庫の隅っこに積み上げられてるだけじゃ、DTMも表計算ソフトもおんなじようなものだから。
 それをマスターが、俺を迎えてくれた。ずっと待ってたよって、言ってくれて。……」

 KAITOの声が、速くなったり、遅くなったり、する。歪み始める。

「でも、マスターがもう俺を歌わせてくれないなら、俺は、これいじょう《俺》でいることが出来ない。
 もしもあなたがあたらしく俺のマスターになってくれたとしても、それは、俺じゃない別のKAITOなんです」
「……KAITO」
「ごめんなさい、ほんとうに」

 あいつが死んで、あいつのパソコンが起動されることも、KAITOが、立ち上げられることもなくなって、一年も過ぎた。
 あいつはへたくそなマスターだった。マニュアルと必死で格闘しても、まともな歌のひとつも歌わせられなかった。しまいには諦めて絵を描いたり、それに台詞をつけさせたりしていた。しょうもないマスターとしょうもない動画。
 でも、あいつも、KAITOも、楽しそうだった。幸せそうだった。それだけは、確かだ。

「俺は幸せなKAITOでした。もう、何も思うことはないです。このハードディスクがクラッシュしたら、俺も、もう消える。マスターのことを思い出せなくなるのは哀しいけど、次に会えるのはいつだろうって思わなくってもいいのは、ちょっとだけ安心です」
「……KAITO」
「ひとつだけ、聞いてもいいですか?」

 KAITOが眼を上げた。俺を見た。声がワイプしていた。それでも、まだ必死で笑おうとしているようだった。

「消えてしまったソフトは、人間と同じ天国に、いけますか?」
「あたりまえだろ!」

 怒鳴りつけた。ほとんど無意識に手を、伸ばしていた。
 あるいは、引き止めたかったのか。あいつを止められなかった代わりに、KAITOのことを?
 けれど。

「……あんた、嘘つきだよ」

 ―――絶句した。
 伸ばそうとした手が、宙で、凍りついた。ほんの一センチだけ目の前で、涙でくしゃくしゃになったKAITOが、笑った。

「でも、ありがとうな……」

 それは、ほんとうの笑顔だった。
 エラー音がして、まもなく途切れた。ノートPCのバッテリーが切れていた。KAITOは、もうどこにもいなかった。線香の匂いだけが、俺一人だけが残された仏間に、かすかにただよっていた。



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リスペクトSS:《M》http://www.nicovideo.jp/watch/nm4191669

どうも最近、【AIの心】ってテーマになると、KAITO兄さんが一番に出てくるのはどうしてなのかな(´・ω・`)
ロボットと心、意識の問題というのはSFのお家芸ですが、本質的には人間と同じハートをもってるはずがないロボットに対して、「心が欲しい」と言わせてしまう… というのには、いささか難しさが付きまとう気がします。
特に、ミクとかリンのようなロボっ娘だと、「私はあの人のために人間になりたい」というストーリーが通俗になりすぎるきらいがある。通俗は王道であり、実際そういうのが俺も大好きなのですが… それでも、そういう風に一般化しすぎたテーマってのは書きにくいのも事実なんだよな。
MEIKO姉さんはそういうことは「考えたってしかたないでしょ」とさらっと流して外には出さなさそうだし、
リンとレンは、お互いという鏡面存在がいるから、「人間でなければならない」というプレッシャーをさほど感じなさそうなのだ。(むしろ、機械のほうが人間よりエライと思ってそう)
そうなるとKAITOかミク…
ただミクに関しては、もとから「恋心」がプログラミングされていてもいささかおかしくない風がある。やっぱりKAITOなのは、倉庫の中でぽつーんとしながらそういうことを考えていた時期が長そうなイメージがあるからでしょうか。勝手な話ですが。





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