王よ





 政宗が、王の名の意味を悟ったのは、まだ家督を継いで間もないとき。血臭に咽ぶ、小手森城でのことだったと憶えている。
 奥州を統べるためだった。城をひとつ、殺した。男も女も、子どもも老人も関係なしに、畜生すらも残らず斬れと命じた。己も刀を取って陣頭に立った。人を切った。老年の武士も切れば、壮年の足軽も切った。まだ歳若い娘も切った。まだ六爪を握るよりも前だ。刀が血脂で鈍って切れなくなれば、予め手挟んでおいた代えに持ち替えた。斬っては棄て、棄てては斬り、いったいどれだけ殺したのか。腕は疲れて鉛を積めたようになり、片方きりの目に返り血が入って霞んだ。それでも斬った。誰よりも多く殺さねばならぬと、己に既に決めていた。あの頃の政宗は少年だった。政宗は、殺すことで、王の道を知った。

 王。
 それは、己の意志ですべてを決め、己の身を持って全ての結果を受け止めなければならぬ、一つの生き方の名なのだと思う。
 政宗にとっての王の道は、攻めることの道、殺すことの道だった。敵の数は殺すほどに増えた。身のうちにも国の外にも。己は決して最初から強い人間であったわけではない。恐らく、守ることの王の道は、政宗にとっては望むべくも無いものだった。己の強さはそのようなところには無い、と政宗は自分を知っている。
 
 強さには無数の種類がある。純粋も強さなら、不純も強さだ。時には愚かさも、弱ささえも強さだ。政宗にとっては、己のうちに潜む狂気と残忍さは、あきらかに強さのうちに入った。酷薄さも同じだ。己は、根本的に、『優しくない』人間だ。人の痛みを目の当たりにしても痛痒すら感じぬ。人間としては欠陥である。だが、政宗にとってはそれが武器であり、強さだった。

 王は全てのことが許される。己の国では何をしても許される。どれほどの残忍も、荒淫も、蕩尽も、王のやることならば、正義だ。ただし一つだけ許されないことがある。敗北。王にとって、敗北だけは、決定的な悪だ。どのような手を用いても、勝たねばならぬ。王が倒れるということは、その背に背負った全てのものが崩れ落ちるということだ。王は、王である限り、決して誰の前にも膝を突くことは許されない。

 たとえ己自身に対してであっても。







 ――-激しい戦の後は、血が滾って眠れない。
 外ではまだ明々と篝火が焚かれたままの、関が原の合戦の夜。徳川家康が大将首を挙げ、日ノ本を東西に分けた決戦もまずは結末と相成った。後は、蹂躙戦だろう。逃げ去ったものたちに対して寛大であるようにと総大将は命じたようだが、それでも、戦功を逸るものたちは確実に、西軍方のものたちの首を次々と挙げてくる。己なら、どうするだろう。命に反して多くの首を狩り立てたものたちに対しては?
 首検分の光景を思い出し、またごろりと寝返りを打つ。血臭が脂粉の香りのように甘く纏わり付く。眠れない。政宗は片腕を枕に、ぼんやりと闇へと目を開いている。
 洗われ、髪を結われ、化粧を施され、次々と並べられていく多くの首。火の粉を散らす篝火に照らし出され、勝ち戦に沸き踊る無数の陰。酒と血と、死と生と、焔と闇と、そして、
「……誰だ?」
 ふいに、幕屋の外に感じる気配。政宗は意識するよりも先に刀を取っていた。だが。
「ああ…… すまん、邪魔をする。ワシだよ、独眼竜」
 大将らしからぬ、どこかしら遠慮がちな口調は、間違いようがない。政宗が舌打ちをし、とっさに立てていた膝を治めるのと、幕屋の入り口を分けて家康が顔を覗かせたのがほぼ同時。ばつが悪そうな顔で刀を納める政宗に目をまたたき、それから、少しばかり可笑しそうに笑う。疲労が、まだ幼さを残した顔立ちに、淡い陰影を滲ませる。
「What`s happnd?」
「いささか疲れただけでな、先ほどまで東軍の皆を労っていたのだが、どうも三河の陣営には帰りにくい」
「そりゃ念願の勝ち戦だからな。アンタの念願の天下統一だろうが、徳川家康」
 家康は少し、困ったように笑っただけだ。
 政宗が改めて得物を降ろし、自分の傍らをぽんぽんと叩くと、草履を脱いだ家康がおずおずと腰を下ろす。つんと鼻に付く匂いは膏薬のものだろうか。弟切草と蓬の香り。
「皆が喜んでくれるのは嬉しいんだが、ちょっと休憩したい。悪いが匿ってくれないかな、独眼竜……」
「代償は?」
 家康がとたんに困った顔になるので、政宗はにやりと唇をゆがめ、「冗談だ」と返しておいた。
 激しい戦いの代償だろう、家康の体はいたるところが手当ての痕だらけだった。それは自分も同じだが、と政宗はつらつらと考える。特にひどいのは指先から肘にかけて分厚く巻きつけられた白い包帯。仕方がないのだろう。激しい戦があれば、得物をいためるのは当たり前。そうして家康の得物であるところの彼の両腕は、鈍くなった刀のように簡単に棄てや代えが効くというシロモノではない。
「……ワシな、さっきまで、首検分に付き合っていたんだ」
 ぽつり、と家康がつぶやく。政宗は目を細くする。
「幸村はいなかった。あとは黒田殿も。おそらく、どちらも九州に落ち延びたのだと思う」
「それを、わざわざオレに?」
 こくりと家康は小さく顎を引く。
「黒田殿は元々島津殿と縁が深いと聞く。さすがに今の東国を上って甲州に戻ることは、真田幸村であっても不可能だ。たぶん黒田殿が、お互いに組まなければ落ち延びることも不可能と誘った、ということなんじゃないだろうか? たぶん二方が身を隠すとしたら、九州だろうとワシは思う」
「……そうか」
 政宗は目を閉じる――― 短い安堵。そして、安堵した自分を、胆汁のように苦く恥じる気持ちが、喉の奥からせりあがってくる。
「そっちはどうするんだ」
「ひとまず、追っ手を出す気はない。この先の本州の動向を見て、向こうがどう動くか次第だと思っている。出来れば…… もうこんな大戦は、これきりにしたいものだ」
 政宗は、漠然と思う。『居なかった』のは、その二人だけなのだと。
 つまり、他のものは皆、死んだということだ。
「大友は」
「死んだ」
「立花は」
「死んだ」
「大谷は」
「死んだ」
「長曾我部は」
「…死んだ」
 短い沈黙。
 政宗は、ゆっくりと、問いかける。
「石田は」
「殺したよ」
 家康は、静かに、答えた。
「ワシが、この手で殺して、首を取った」
 みんな、みんな。
「三成を晒し者にしたのも、この、ワシだ」
 家康はかすかに笑っているように見えた。声は、震えていた。政宗は静かに思い出す。梟首台の上の光景。洗い清められ、髪を梳かれ、無残な傷跡は水白粉で覆い隠された、若武者の首―――
 戦場で倒された武将は、晒し首とされるのが世の習いだ。政宗とて己の末路は首台の上だろうと思ったことは何度もある。それでも、あの光景は惨い。己の見知った人のものであるならば尚更に。ただの、もの、にされてしまった人間の姿。もう二度と喋らない、目を開かない、息をしない、にんげんの姿。
「アンタが、首を取れたとはな。……その手じゃ、脇差も掴み辛かったんじゃないのか?」
 政宗は手を伸ばし、家康の拳に重ねる。びくり、とかすかに跳ねる感触。傷だらけで腫れているはずなのに、熱のない、冷たい手。
「そんなことはない…… ワシだって武将だ。慣れているよ」
「Bat, ンなこと、関係ねぇだろう。辛いものは、つらい」
「別に、昔は、普通に槍を持って戦をしていたのだし、」
 さえぎるように、政宗は、声を割り込ませる。
「つらかった、だろう?」
 目を細め、家康の顔を覗き込む。今までに、無数の修羅場を、己の歓喜と凶暴さを持って潜り抜けてきた目で、その双眸を見つめる。
 普段の家康だったら、笑っただろう。政宗にいかな眼力があるといっても、簡単に心底を暴かれるような男ではない。だが、今日ばかりは、家康の武器も、防具も、すべてがぼろぼろに擦り切れた後だった。政宗が見たものは、飴色の双眸の向こうに開いた、ふたつの小さな深淵の色だった。ぽっかりと心に穿たれた深い深い孔。
 家康は目を伏せた。開いたままの目が、呆然と己の膝を見つめる。
「……つら、かっ、た」
「ああ」
「つらかった」
「ああ」
「小刀が、切れなくて。刃が鈍くて柄が手に食い込んで、痛かった。辛かった。あんな、時間をかけて、無駄に痛い思いをさせて、三成に、もうずっと、ずっと痛い思いばかり、させてきたのに。なのにワシはまた、あんなきたない切り口で、あんな恥を、みつなりに、」
 みつなり、みつなり、と家康は、壊れたように何度も繰り返す。
 政宗は、そのこぶしの上に、己の両手を重ねた。家康には気付く様子もなかった。泣いてすらいない。表情も変わらない。ただ名前だけが、ぱらぱらと、心の虚ろからこぼれおちてくる。くりかえし、くりかえし。
「何回、ころしたんだろうワシは、みつなりを、心を殺して、希望を殺して、それから、体も殺して、誇りも、みつなりは、あんなに綺麗だったのに、どうしてワシは、みつなりにあんな、」
 慰めは侮辱だ。
 政宗は、静かな痛みと共に思う。
 家康は、王、としての義務を果たしたのだ。天下分け目の大いくさは、決して、大将同士のためのものではない。むしろ国と国とが争うための戦なのだ。家康は総大将として、むしろ、王として、あの戦場に立った。そして王である以上は、勝利せねばならなかったのだ。己の心や、友への愛惜や、哀しみ、といったようなものにすら。
 凱旋の王は今、己の涙も、哀しみすらも殺し、ここに座っている。
 二つの虚ろになってしまった双眸から覗けた、心の壊れすらも、勝利の結果だ。
 そして今、外の世界での争いは終わり、血みどろの戦は、家康の中でだけ続いている。
 凱旋に相応しくない己の心、哀しみや絶望、涙や怒りを殺すため、家康は、血みどろになりながら、今も戦を続けている。
 心の中だけで。
 自分の一部を殺し、勝利をもぎ取るために、たった一人の戦を、戦っている。
 王でありつづけるために。
「家康」
 政宗は、腕を挙げる。家康の髪に、手を置く。
「アンタは、最高だ。最高の王だ。オレはアンタの強さの全てと、戦いの全てとを、誇りに思う」
「独眼竜……」
「忘れるな。あんたは誇り高く、強い。この国に相応しい王だ。この独眼竜政宗が、主として認めるに相応しいと思った、唯一の男だ。……どれほど辛くても、哀しくても、正しく全てをやり遂げられる。オレはそう信じてる」
 虚ろのひとみが、政宗を見る。金色の、空虚。胸の奥が苦い。政宗は黙って、くしゃくしゃと家康の髪をひっかきまわす。やがてこつんと胸に家康の額が当てられる。独り言のようなつぶやき。
「頼む」
「なんだ」
「今夜だけでいい。そばにいてくれ」
 震えているのは、声だけじゃない。
「Yes,your majesty」
 赤子をあやすように、その背中をそっと叩いてやる。己の胸元に押し当てられた、家康の体温を感じる。まるでこごえているかのような震えが伝わってくる。
「My majesty……」
 それでも政宗は、この男が泣くことは、決してないだろうと思う。想像ではなく、確信として思う。なぜなら政宗もまた、王なのだから。他の誰にも理解されないものだとだとしても、政宗は、王として生きることがどういうことなのか、己の身を持って、知っているのだから。


 月が地平に沈む。曠野は霧に沈み、朝が訪れる。


 その夜、政宗はずっと、家康の背中を抱いていた。
 家康は涙を流さなかった。

 ただの一滴も。
 


【fin】






権現の持つものの重さを理解できる筆頭、
甘えないけれどそれを知り安心を知る権現、
そんな二人が理想です


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