あなたの髪を切らなきゃ







 寮の、今は遊戯室あつかいになっている部屋のそとには、ぼろぼろになって崩れかけたポーチがある。
 昔は藤棚だったはずのあずまやの木が腐って、白いペンキがはげている。それでもかろうじてやぶ蚊を嫌がって定期的に草を刈るから、ちょうどいい具合になずなやはこべが伸びていた。浮き上がったタイルブロックの広場。そこに、天気のいい日はバッツが椅子をもちだしてくる。さあ、今日も散髪屋の開店だ。

 ―――ふと、スコールは自分の部屋でうたたねをしていたらしい。目を開くと太陽の光が頬に当たっていた。ぎしぎし言う体をもちあげてゆっくりと体を伸ばすと、眼下に寮のポーチが目に入る。きらきら何かが光っていると思ったら、ステンレス製のはさみがポーチの向こうで光っているのだ。薄茶色のやわらかそうな髪が見えた。楽しげにリズムをきざむような独特の動きも。その目の前で椅子に座らされているのはあまり見慣れない色合いの金髪で。
 (また来ているのか)
 あれは、寮生でないくせに、ここ最近コスモス寮に入り浸っている同級生だろう。今日のお客は彼なのか。椅子から立ち上がる。痛む首をひねる。
 (今日は天気がいいからな)
 別に特別な思い入れがあるというわけではない。けれど、こんな天気なのにわざわざ部屋に閉じこもっている理由も無いだろう。スコールはわれながら面倒くさい言い訳を自分に言い聞かせながら、椅子の背中にかけてあった上着を取る。

「なぁー、フリオニールー、切りすぎてないっすかぁ?」
「平気、平気。というか、なんでオレじゃなくてフリオに聞く」
「だって……」
「安心しろ。いつも俺もバッツに頼んでるから」
「フリオニールみたいに頭ボッサボサで放ってるわけじゃねぇもん、オレは」
「ぼさぼさ言うな」
「こらじっとしてなってば。大丈夫大丈夫。慣れてるんだからさ。ほれ」
 チョン、といい音を立ててこめかみのあたりの髪をおとす。ティーダの、お日様みたいな金色をした髪が、こまかい粉になってぱらぱらと散った。と、のっそりと遊戯室の奥からあらわれたスコールにバッツが気づく。はさみをチョキチョキ言わせながら、「おはよ!」と大きな声を出す。
「また散髪屋か」
「そ。ティーダが終わったら次はフリオなんだ」
「ティーダも?」
「スコール! ほんとに大丈夫なんッスか!? 虎刈りにされてないオレ!?」
 てるてるぼうずみたいに白い布をかぶせられて、ティーダは半ば泣きそうな悲鳴を上げる。「じっとしてろよー」といわれてなんとか逃げるのを我慢しているらしいが、そろそろ辛抱も限界だろう。……が、助けてやる義理もつもりもない。スコールは二人を無視して部屋を横切ると、遊戯室に常備してあるインスタントコーヒーの瓶を取る。
「俺にもくれ」
「……。昨日、泊めたのか」
「まぁな。それで、ついでだから、今日は髪を切ってもらって帰れってことにした」
「……」
 フリオニールほど親しくしているわけではないが、ティーダのことはよく知っている。同じクラスの同級生だ。バスケ部のエースで、校内では有名人だが、本人は至極屈託の無い子どもっぽい性格をしている。こんな風に散髪をしてもらっているのを見ると、まるで小学生みたいだ。
「うー」
「これくらいでいいかな、っと。はい終わり」
「ううううう」
 ぱんと金色の頭をひとつたたいて、バッツははさみをズボンの尻ポケットにつっこんだ。白い布をほどいてもらうと、ティーダは不安でいっぱいの顔のままぶるぶると頭を横に振る。ぱらぱらと髪の毛がこぼれる。そのまま飛び出すようにバッツの椅子から逃げ出すと、そのまま遊戯室にある姿見のほうへとダッシュした。
 フリオニールはやれやれと呆れた顔をしていて、バッツは布をはたきながら笑いをかみ殺していた。おそるおそる鏡を覗き込んだティーダは、けれど、「あれ」とすぐに拍子抜けした声を漏らした。「だから言ったろ?」とバッツが笑う。
「ふ、普通、ッスね」
「オレはこれでもプロ級なんですって。満足した?」
「かなり意外ッス……」
「はい、ありがとうございましたーっ。散髪代500円なー」
 ポーチでバッツが布をはたくと、短い髪がきらきらと光りながら草の上に散る。寝不足のせいか目がちかちかして、その光景が妙にまぶしくみえた。スコールは砂糖を入れないコーヒーをすすりながら、目を細めてそっちを見る。
 バッツ。一年年上の先輩。でも、そうはまったく思えない友人。首の伸びたTシャツから伸びた細い喉首。締まった腕。
「こんな特技があったんッスね、バッツ」
 頭をさすりながらティーダがふたりの隣に戻ってきた。コーヒーカップに角砂糖をつぎつぎと放り込みながら、「まぁな」と何故だか得意げに答えるフリオニール。
「バッツは器用だから、たいていのことは頼めばやってくれるぜ」
「へぇー。ふーん。なんか意外ッスね……」
「意外か?」
「ええと、なんつうか、バッツってその…… バカっぽいって言うか」
 (お前に言われたくは無いだろう)
 無言で思うスコールと、「お前が言うな」とフリオニールがあきれるのがほぼ同時だ。ぐしゃぐしゃと髪をかきまわされて、ティーダは鼻の頭にしわをよせた。ぱらぱらと髪の毛が散る。
「ここのやつは、割とみんなバッツに頼んでるぜ? 前髪とかなら特に」
「え、そうなの? クラウドは?」
「……さすがにクラウドは例外だけど」
「そうだよなぁ…… え、じゃあスコールも?」
 急に話をふられて動揺する。ぎょっとした証拠にコーヒーの水面がちゃぷんと音を立てた。
「俺は……」
「うん、スコールも。オレの常連さんだぜ」
 口を濁そうとしていると、邪魔な髪の毛をはたきおわったバッツが部屋にあがりこんできた。なんだかやたらと自然な感じでフリオニールが飲んでいたコーヒーに手を出す。ちょうだいちょうだいと無言の笑顔でうったえられて、フリオニールは苦笑しながらカップを渡した。
「うわ何これ甘っ!」
「あんた、なんでそんなこと出来んの?」
「んー? いや、田舎にいたころ近所に散髪屋が一軒しかなくてさ。そこのおばちゃんと仲良くて入り浸ってたら、なんか、憶えた」
「……見てるだけで憶えられるもんなんッスか?」
「だってオレ、器用だもん」
 甘すぎるコーヒーにちょっと顔をしかめ、フリオニールにカップを返す。今度は期待に満ちた目でこっちを見る。「自分で入れろ」とスコールはぞんざいにあしらった。
「ちぇ。いいじゃん、一口くらいさー」
「不精するな」
「スコールのいじわる。老け顔。優等生」
「あんたさ、それ、言ってて悲しくならないか……」
 ぺたぺたと、すりへった床を踏んで過ぎる。その足がはだしだとスコールはふいに気づく。
 椅子の背もたれによりかかるようにして座ったティーダは、やたらと感心した様子で首をひねっていた。どうにも納得がいかないという表情でもある。自分の前髪をつまんでより目になっている顔に、ふと、スコールは、自分の記憶が急に巻き戻されることに気づく。
 自分も、同じように妙に居心地が悪い気分で、自分の前髪を気にしたことが確かにあった。
 まだこの寮に入って間もないころに。
 感情ではなく、感覚で記憶が巻き戻される。降り注ぐ春の光。足元に伸びたたんぽぽの葉がくるぶしのあたりをくすぐる感覚。くすぐったく髪にふれる手。耳元で小気味のいいはさみの音。
 前髪伸ばしすぎると、目が悪くなるぜ。
 なんだか妙に楽しげな口調で、頭のすぐ上から言われたのを覚えている。
 (顔に傷がある)
 ほんとだ。でも、顔がいいから出しちゃえば逆に目立たないって。前髪短くしろよ。
 (あんたには関係ないだろ)
 髪の毛硬いなぁ。でもなんかつやつやしてる。伸ばしたらすごいかもな。
 (あんたには関係ないのに)
 あはは、冗談だって。そんな顔すんなよ、スコール。

 スコール…。

「あれ、スコール、前髪伸びてないか?」
「!?」
 急にずいと視界に割り込んできた薄茶色の目が、ぱちくりとまたたきながら、顔を覗き込んでくる。スコールはぎょっとした。
「いきなり近づくな!」
「あ、ごめんごめん。でもそういや、しばらく切ってやってなかった」
 離れる代わりに、髪の毛をひょいとつまみあげられる。すっかり慣れきった手つきだった。スコールが前髪をもてあそばれている様子に、すぐ横のティーダが目を丸くする。
「目ぇ悪くするぜ、スコール。切ってやろっか」
「フリオニールが待ってるんじゃないのか?」
 そう言うと、バッツはくるりとフリオニールのほうを見る。フリオニールは「オレは後でいいや」と空とぼけた。
「あれ、切ってもらいたいって言ってたのに」
「ティーダお前は…… いや、オレは後でいいから、ホントに! スコールを先にしてやれ。逃げるぞ!」
「OK。分かってるって」
「……」
 言うまでも無く、バッツは分かっている。がっちりと二の腕をつかまれたスコールは苦い顔になる。そのまま半ばむりやり立ち上がらされて、ずるずると椅子のほうまで引きずられた。座らされて、髪の毛を指でつかまれる。前髪をつかんで指から出る長さを測りながら、「んー」とバッツは首をかしげる。そんな気配が頭上から伝わってくる。
「……あんた、また、金欠か」
「あ、あはは、ばれたー? そのとおり」
「何やった?」
「いや別に何ってわけじゃないけど…… ジタンに連続負けしたせいかなぁ」
 (テストの点で賭けとかするからだ)
「あ、なんか考えてるだろ。なんだその顔。切るからお前も500円出せよ!」
 文句を言いつつ、ばさりと布をひろげる。その布にはねかえす光のまぶしいほどの白さ。目がちかちかするのは寝不足のせいだろう、とスコールは黙って自分に言い聞かせた。
 頭上でちょきちょきとはさみを鳴らす音がする。たぶんそのはさみに弾かれた光はまぶしいほどにきらめいているはず。それをスコールは知っていた。当たり前だ。ずっと、見ているのだから。
「……バッツ」
「ん?」
「任せた」
 はさみの音が一瞬とまって、それから、すぐに、はじけるように笑う気配が頭上からする。炭酸がはじけるみたいだ。
「バッツさんにお任せな。了解!」
 もの珍しそうに目をまるくして、ティーダがこっちのほうを見ていた。いつものことだからフリオニールは気にもしていないのだろう。スコールは、目を閉じた。頭にあたる昼前の光がぽかぽかして温かかった。





散髪屋さん兼手のかかる先輩兼気になるあの人