チョコレイト・ディスコ






「絶望したことー」
「絶望したこと!」
「プリンにしょうゆをかけたらウニっぽい味になるって言われたけど、《しょうゆかけたプリンの味》しかしなかったッス!」
「おぉ、それは絶望するな…… お前、きゅうりに蜂蜜かけたこともあるだろ」
「あるッス! やっぱり蜂蜜キュウリの味がしたッス!」
「おれはなー、おれはなー、昔砂糖に塩を混ぜたら何の味もしなくなるかと思ったら、世にもフシギな味になったときは絶望したなー」
「それはゼツボウッスねー」
「でも、トーストにバター塗って海苔と七味かけたら美味いってことが分かったときは、未来に希望が沸いてきたね」
「え、それ美味いの? どう聞いてもやばそうな感じしか……」
「いや、これが意外にイイんだって。とりあえず炭水化物系のモンにバターは正義だな。ココアにバターもかなりいい感じ。ギットギトだけどさ」
「へぇー」
「ラムと牛乳をあっためたのに無塩バターってのもいいな。これはシナモントーストと合う……」
「おい」
「ラムか! へえ、ちょっと探してみようかな。オヤジの部屋ひっかきまわしたら出てくるかも」
「あと、赤ワインにオレンジジュースちょっといれて、いろいろスパイスいれても美味いよ」
「へぇーへぇーへぇー!!」
「……おい、お前ら」
「お?」
「うぇ?」
 スコールがとうとう我慢しかねて低い声を出すと、広い調理場でコンロに向かっていたバッツと、その手元を期待たっぷりに覗き込んでいたティーダが振り返る。頭には三角巾白い割烹着の給食当番スタイルのティーダ。バッツにいたってはどこで見つけてきたのか、胸当てがハートになったかわいらしいデザインのエプロン姿だ…… さっきからどこかで止まらないかとじっと我慢していたスコールだが、この二人だったらどこまでも止まらないということにようやく気付いて、覚悟を決めた。
「何の話をしているんだ」
「え? えーと、ホットで美味いカクテルの話……」
「……」
「あ、ああ、えっと、外じゃ飲まないから! それにホットだからアルコールとか飛んでるから! な、ティーダ!?」
「……お前はともかく、そいつは運動部員だ。出場停止にする気か?」
「あーうー」
 ティーダがべえと舌を出してみせる。いかにもげんなり、という顔だ。が、誰かが止めないといつまでも止まらない面子なんだからしかたないだろう。損な性分だとスコールは自分でも思う。
 タイルの流しがいかにも古臭い調理場。以前はこのコスモス寮の寮生全員分のメシを作っていたのだというからそうとうな広さがある。が、今では使われている場所もほんの一部。それ以外は清潔なまま放置されっぱなしのはずだ。すくなくとも一年のうち360日くらいは。
 ところが、今日はその場所に甘い香りがたちこめ、大きな鍋にはぱちぱちと揚げ油がはじけている。スコールは眉根にしわを寄せて調理台のほうをみた。琺瑯びきのバットの上に、きなこやシナモンや他にもイロイロが広げられている。
 そして反対のほうを見れば、そこには学食であまっていたのをもらってきたと思しいコッペパンが山盛りになっている。コッペパン、砂糖、揚げ物… 何をする気だ?
「らららコッペパン♪ らららコッペパン♪ らららいつも変わらない味〜♪」
「……何をやってるんだ、バッツ?」
「いやさ、そろそろバレンタイン近いだろ」
 いまいち脈絡の無いことを言って、バッツは油に菜箸を突っ込む。すこしたってから、温度を確かめているのだと気が付いた。
「……だから?」
「安いんだよ、製菓関係のアレコレが。手作りで菓子を作るんだったら今は最高のシーズンなんだぜ」
 得意げな口調で言うバッツだったが、そもそもスコールの頭の中では、お菓子は《作るもの》ではなく《買って来るもの》だった。その発想が分からない…… 無表情のまま悩むスコールをよそに、ティーダはいかにもわくわくとした顔でバッツの手元を覗き込む。
「なぁなぁ、ココア揚げパンってアリじゃないッスか!?」
「あ、それアリ。すげーアリ」
「んじゃココアも!」
「ココア…… うぅ、ココア。ココア粉が無い!」
「えぇー」
「コーヒーじゃダメか?」
「コーヒー揚げパンは無いッスよ」
「ちぇ。贅沢言いやがってさ、この」
 バッツがコッペパンを油に落とすと、ぱちぱちと小気味のいい音が聞こえてくる。「痛てて!」と悲鳴を上げて飛びのくティーダはいかにも料理初心者だ。バッツはけらけらと笑った。
「痛くないのかよ、バッツ?」
「痛いに決まってんじゃん」
「なのに、平気なんッスねえ」
「人生、痛みと試練に耐えられないと得られないもんがいっぱいあるってこと。たとえば揚げパンとかな」
 よりにもよってあげパンか。スコールはとうとうため息をついてしまった。
「ンだよー」
 口を尖らせながら、バッツが振り返る。そこらへんにおきっぱなしだった椅子を引き寄せて、スコールは、ため息混じりに座り込む。足を組む。
「あんたは、どうしていつもそう、楽しそうなんだ」
「人生は愉しまないと損じゃん?」
 だからって、誰もがそうできるというわけではない。だから世の中はムツカシイというのに。
「そろそろ面白い時期だからな。今年もバレンタイン! どんな惨劇が起こるかとおもうと今から楽しみでしょうがないね、おれは」
「……惨劇ッスか」
「惨劇なのか」
 バッツはもったいぶって腰に手を当て、振り返る。二人の後輩の顔をぐるりと見回した。得意げなような、それでいて気の毒がっているような、独特な表情。雲母めいた薄茶色の目が感情たっぷりにまたたく。
「―――今に分かるさ」
 そして、ウインク。
「あ、やべ、焦げる!」
「あー、ああー!!」
「……」
 能天気な二人が鍋のほうに向いてしまうので、スコールはきづかれることなく席を立てた。そのままひっそりと調理場を出る。二人は、どうやら気付かなかったようだった。


 続き部屋の食堂へいってみると、ティナとオニオンが向かい合ってテーブルについていた。オニオンは床からぎりぎり浮いてしまいそうな足をぶらぶらさせながら、真剣な顔で古ぼけた本と向かい合っている。その手元を覗き込むティナは小首を傾げつついかにも楽しそうな様子。ふと、スコールに気付いて顔を上げると、すみれ色の目をぱちくりと瞬いた。
「ああ、スコール。台所すごかっただろ」
 オニオンがこっちを見ないで言う。ペンを持ったままの手でがりがりとこめかみを引っかきながら。
「ティーダと、バッツか」
「うん。なんか今日とかさ、大量に砂糖とか買ってきて大変だったんだよ。もうすぐバレンタインだからって」
 バッカだよなあ、とオニオンはあきれかえったような口調で言う。
「なんで男がバレンタインでチョコ作る作らないで大騒ぎしないといけないわけ? それ、間違ってるだろ、あきらかに」
「……」
 スコールは、何も言わない。ティナはまだ目をぱちくりしながらスコールを見ていた。いつもどこか伏目がちなティナだから、まっすぐに見上げられると気恥ずかしかった。スコールは無言で目線をそらす。
 しばらくたって、ティナは、くすりと笑った。オニオンが顔を上げた。やたらと敏感な反応だ。
「オニオン、バッツはとっても親切よ」
 口元にすこし手を当てる内気な笑い方が、かわいらしい。オニオンの頬にパッと朱が散る。
「……はぁ?」
「揚げパンって、とっても美味しいんだって」
「知らないよ、小学生の給食じゃんか」
「うん、だからなの」
「どういう意味なのさ?」
「オニオンのお友達がね、《今日は揚げパンだから》って言ってたの、わたし聞いたの」
 あれか、とスコールは思い出す。ジタンを通して間接的にオニオンと知り合いになったらしい、まるで人間というより帽子があるいているような小柄な子ども。
「でもねわたし、揚げパンってどんなか知らなかったの。それでバッツに聞いたら、《じゃあおれが食わせてやるよ!》って……」
「……」
「……」
「すごく楽しみなの。バッツって、とっても親切だと思う、わたし」
 ティナがにこにこと笑っているのを見て、「あのやろう」とオニオンが悔しそうにつぶやく。リアルタイムで気付けばポイントを稼げただろうに、うっかり見逃して気の毒に。オニオンは完全に気が散ってしまったらしい。ぱん! と勢いよく表紙を閉じると、ぼろぼろの本が空中分解しそうになる。
「ティナ! バレンタインに何がほしい!?」
「え? ……バレンタインって、女の子が男の子に何かあげるのって、リディアに聞いたけど」
「それは日本だけ。チョコレート会社の陰謀だよ。本来は好きな女の子にカレシが何か上げる日なの。…ティナのカレシだよ、ぼく!」
 きゃんきゃんとほえているオニオンにくるりと背中を向ける。どこもかしこも甘ったるい、とスコールはちょっとため息をついた。
 こんなところをうろついていたら糖尿病になりそうだと、スコールはそのまま廊下を横切り、階段を上った。部屋に戻って予習でもしよう。こんなことに巻き込まれたらろくな目にあわない。―――自分のペースがわからなくなってしまうと、スコールは自分に言い聞かせる。
 ところが、階段を上る途中、踊り場のあたりで足が止まる。踊り場には古ぼけて曇った鏡。そこに、自分の姿がぼんやりした影みたいに映りこんでいて。
 そこに映った影を、しげしげとスコールは見つめる。見ていると頬が赤くなってきた。耐え切れずスコールは、とうとう片手で顔を覆った。
「―――不覚だ」
 下の階からどこか甘い香りが立ち上ってくる。砂糖とシナモン。それから安い揚げ油。誰かの鼻歌。
 どうしようもなくやに下がった自分をもう一度だけみて、スコールは、そのままずるずると踊り場に座り込む。頭が砂糖漬けになりそうだ。いやもうなっているのか。どうしようもない。
 《気持ち》というものは、どうしてこうも、手に負えないものなのか。
 そんなスコールのことなど知らぬげに、古ぼけた建物の中には、早くも、甘い甘いお菓子の香りが、漂い始めていた。




 


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