遠方より来る








 過去の記憶など無い。が、青年はそのことに深く悩んだことが一度も無かった。そのことにようやく青年、バッツが気付いたのは、こたびの輩でもある銀の髪のセフィロスが、それを口に上らせたときだった。
「昔のこと? 憶えてない!」
「……」
「そんなたいした事かな。別に、困らないだろ。必要なこと忘れちゃったわけじゃないんだし」
「……お前は」
 深い深いため息をついて、がっくりと岩に座り込む。そんな姿を見たら他の混沌の兵どもは目を丸くするかもしれない。なんだか面白いなあ、などと思いながら、バッツはぷちぷちと枝から赤い実をむしった。今回のお土産だ。たぶん、何かグミの実らしきもの。見つけたから喜んで枝ごと刈り取って、勝手に【ゆうじん】と呼びつけているセフィロスのためにもってきたのだ。
「お前は、自分の生き様を、なんだと思っている」
「へ?」
「生きる意味だ。お前の」
「……んー……」
 あまずっぱい汁でべたべたになった指をなめながら、バッツはしばらく考え込んだ。が、ネコのように集中力が無いのは生まれつきである。バッツはすぐに考えることをあきらめると、「美味いものをくうことじゃないか?」と適当なことを言う。
「よほど、正宗の錆になりたいらしいな」
「ちょ、ちょっとタンマ! そんなマジだったのかよ!? わかった、ちょっと考えるからちょっと待って!」
 ほらこれ食べて! とバッツは枝ごとのぐみをセフィロスにぎゅうと押し付ける。愛用の刀ごと押し返されてセフィロスは秀麗な眉をわずかに寄せた。が、ため息をついてすぐに枝を受け取る。まるで始めてみるものを観察するように、ものめずらしそうにぐみの枝をしげしげと見る。
「生きる意味、ねえ」
「そうだ」
 指先で、ひとつぶを摘んだ。が、力加減を間違えたらしく、簡単につぶれてしまう。セフィロスはむしろ面白がるような顔になる。汚れてしまう手袋を口で咬んではぎとり、またべつの一粒を摘んだ。透き通るような果肉をつつむ皮。とても薄い。力をこめるとわずかに抵抗があるが、それがある閾値を越えると、ぷちんと破けてつぶれてしまう。
「そうだな、お前は旅人だという。何が旅の目的だ?」
「目的かー」
「どこへ、たどり着きたい。何を求める?」
「求める…」
「何のために生まれてきた。そして、何のために死に場所を求める」
 セフィロスはべたべたと果肉に汚れた指を舐めた。想像していたほど甘くはなかった。むしろ酸っぱい。少し顔をしかめて舌を出す英雄を、バッツは、しげしげとものめずらしそうに眺めた。くるくると感情が動いて、ひと時もとどまることを知らないふたつの瞳。細い指を舐める手をふと止めて、「なんだ」とセフィロスは答える。
「あのさぁ、セフィ」
 バッツは、いかにも、真面目たらしい顔を作ろうとする。が、どうしても、何かまずいものでも食ったようにしか見えない。
「あんた、なんで息してるんだ?」
「……?」
「なんで心臓がドキドキ動いてるのかとか、どうして水に手を入れたら冷っこくて、火にかざすと暖かいのか。理由が説明できるか?」
 しばし、ふいをつかれて返事の出来ない英雄を見て、無邪気な旅人はにやりと笑った。してやったり、という顔だ。手を伸ばしてぷちぷちとぐみの実をちぎると、そのまま纏めて口の中に放り込む。
「こういうもんを食うと、甘くて、酸っぱくて、青っぽい味がするのかとか」
 ぺろりと、舌を出してみせる。さっきから食べている木の実のせいで妙に赤く、甘い色合いになっている。
「べろの色が変わるのかとか」
「……」
「考えて楽しいなら、まぁ、考えるよ。でもそうじゃないんだったらどうでもいいと思うな。結局そういうことなんじゃないのか? 自分の心のことなんて考えたって分かるわきゃない。分かるのは頭の中の、《考え》のところだけじゃないか」
 どうよ、とバッツは顎をそびやかす。目がきらきらしていた。上手く切りかえした、と思っているのだろう。実際、上手い切り替えしだ、とセフィロスは思った。もうひとつぶつみとって口に入れてみれば、さっき思ったほどまずいものではなかった。
「考えても意味が無いことは、考えない、か」
「うん」
「バッツは、真正の《愚者》なのだな……」
「……褒めてるの? それとも、莫迦にしてるのか?」
「両方だ」
 なんだよ、とバッツは頬を膨らませた。セフィロスはくつくつと喉の奥で笑いながら、ふと、自分の肩にのしかかっていた重たい何かが滑り落ちたような感覚を憶える。これは何なのだろう? 自分の過去に由来するものなのか。それとも。
 バッツは両足をぺたんと投げ出すと、そのまま後ろにごろんと転げる。セフィロスの長いコートのすそを頭の敷いて、ふと、真剣なまなざしをして美しい英雄の目を覗き込む。まるで夜天に星を見るようだ。無限の好奇心とあどけない憧れ。底知れぬ空を除くように、バッツは、セフィロスの奇妙で美しい双眸の中に、何かを探そうとする。
「何か見えるか」
「セフィが見える」
「……なるほど、確かにな」
 単純な、素朴な答えだ。セフィロスは目をそらし、空を見る。無数の色をはらんで灰色にけぶる空は、淡く解かれて空を覆った真珠の薄曇り。その向こうに空が見えないことが奇妙ではあったが、それを"奇妙”と思うことすら、今までは一度も無かったのだ。
 なるほど、この世界は奇妙さと不可思議さに満ちている。彼の生涯はそういった宿命に翻弄されるためにあったようなものだ。大海の嵐に揉まれ、次の瞬間には荒波の影に消えるちいさな木片。そのような己を思い、けれど、索莫とした思いが今は起こらないということに、しずかな驚きを感じる。
 形のない、むなしいばかりの生き様だ。それは憶えている。にもかかわらず、今も人間としての形骸にしがみつく己は滑稽ですらある。それを知ってもいる。だがそれをこのあどけない青年に話したところで、哀れみも、憎しみも、何も得られまい。ただ彼は子どものような感嘆の念を持って彼を見るだけだろう。まるで嵐の朝に燃え上がる空、その不吉な焔の紅を、感動と驚嘆をもって見るのと、同じように。
「あのさあ、ひとつだけ思い出したことがあるんだけど」
 ぽつりと、バッツがつぶやく。とらえどころのない思索から引き戻されて、「なんだ」とセフィロスは答えた。
「おれ、ここに来る前に、《世界を見なさい》って言われた気がするんだ」
 バッツはゆっくりと手をもちあげる。ちゃら、と腕飾りが鳴る。色石を連ねたその形。
「見るだけ、って言われたら、おしまいだけど…… でも、その言葉にしたがったら、《見るべきもの》は絶対無意味になったりしない。つまりおれは、何もかもが、必要だと思うようになりなさい、って言われたんじゃないかな?」
「何もかもに、《意味》を、与えるか……」
「そうそう。だから、おれはエクスデスにいっつも嫌がられる」
 《無》という言葉を好んで使う奇妙な大樹を思い出してか、バッツは、くすくすと可笑しそうに笑った。その目はいつもさまざまな感情をくるくると照り返して、一瞬たりとも止まるということがない。流れる水のようだ。いや、とセフィロスは思う。
 むしろ、吹き渡る風のようだ、と言うべきか。
「いろんなこというやつがいるけど、おれは、ここに来てから会ったやつのなかで、会わなきゃ良かった、って思ったやつはひとりもいないんだよな。みんな好きだよ。向こうもそうかどうかは知らないけど。敵味方に分かれるのはどうかと思うけど、ルールはとにかく、ゲームが出来るってこと自体はすごくいいことだって思うな」
「全てに《意味》を、《価値》を、あたえるまなざし。それがお前の使命ということか」
「そう、たぶんそう。……いや違うかも。そんなめんどくさいことじゃない気もする」
「お前は本当に莫迦なのだな」
「……あっ、今のは褒めてない。マジでバカにしやがったな、この!」
 ふざけてこぶしで腹のあたりをたたいてくるバッツに、セフィロスは、少し笑う。冷笑ではなく、嘲笑でもない。ただ可笑しい。そう感じる自分がひどく奇妙に思える。私は、形骸ではないのか。この感覚はどこから来る?
「私を愛しているか、バッツ?」
 セフィロスは手を伸ばし、グミの実で赤く染まった指で、彼の顔にふれようとする。バッツは少し笑ってその手を途中で掴み取る。こちらの指も、また、赤い。
「大げさだな。好きだよ。当たり前のこと聞くなって」
 ほんとうは、当たり前などではなかったのだ。一度たりとも。
 けれどバッツにとってはそうではないのだろう。セフィロスは、風変わりで奇妙で、危険でいながら端正で、けれど、それもすべてひっくるめて、バッツにとっては《当たり前》な存在なのだ。出会った時から。
 ……神の采配というものは、風変わりなものだ。
 セフィロスはそう思いかけたが、けれど、ふざけて掴みかかってこようとしたバッツに気付いて、考えを中断する。グミの枝を真ん中に挟んでとっくみあっているとき、セフィロスもまた、バッツと同じふざけ好きの青年に戻っていた。笑ってすらいた。彼自身気付かぬままに。


 


カオス・コスモスレポート双方を読んでて、バッツをディシディア世界にいざなったのは、底抜けの楽天性と好奇心なのではないかと思いました。
すべての存在に、”YES”をあたえる。風は万物にひとしく吹くものなのです。