ベッドいっぱいの花






(何か、匂いがする)
(甘いような、埃くさいような、スッとするような)
(日向の草に寝転んでいるみたいな)
(……草の匂い、花の匂い?)

 熱に浮かされてぼんやりとした思考の中で、誰かの優しい手と、心のこもったひとさじを感じるときは、幸せだ。
 たぶん、誰だってそう。幼いころに、母かきょうだいか、そうじゃなくても心配をしてくれる優しい誰かに、丁寧に看病をしてもらった経験がある人だったら誰だっておなじはず。スコールだって例外ではない。彼の記憶は遠いかなたに掠れてしまっているけれど、その感触はちゃんと憶えている。よく乾燥させられた居心地のいいベッド、石鹸の匂いがする洗い立ての寝巻き、乾いた唇にふくませてもらうぬるい飲み物の感覚。
 そんな甘えん坊な気持ちはとっくに捨てたつもりだったのだけれど、心の奥底にひっそりと眠った幸福の種を葬り去ることだけはできなかったらしい。彼は、そういう心の襞をくすぐるのがずるいほど上手い。何回も鍵をかけて何重にも包装して、とっくになかったことにしていた気持ちを、いともたやすくつまみ出し、こっちへおいでと表に引っ張り出してきてしまう。

 今回だって、そうだ。

「あ、目ぇ醒めた?」
 寝ぼけながら甘いことを考えていたということまで、まるで、読んでたみたいに返事なんてして。
 スコールが熱に浮かされた頭で頭でぼんやりと目を開くと、きらきらした薄茶色の目が心配そうにこっちを覗き込んできている。ひたいに乗せられていた布をのけて、かわりに手が載せられた。「まだ熱いな」とつぶやくと、隣から立ちあがる気配がした。
 どこかへ行くらしい。どこへ行くんだろう?
「どこへ……」
「水汲みに行くだけ。ぬるくなっちまったからな」
 かすれた声でも、きちんと聞き取る。なんなんだ、あんたは。俺のおふくろか。いや、俺はおふくろにこういう面倒を見てもらったことなんて一回も無いのだけれど。
「いい子で待ってろよ。すぐ戻るから。あと、喉渇いてない?」
「……少し、だけ」
「よかった。水いっぱい飲んだほうがいいからさ。飲み物も持ってくるからまってろよ」
 うん、と顎を少しだけ引いて返事をした。バッツはニッと笑ってみせると、気づかないうちにマントのはしを掴んでいたスコールの手を合図するように握る。そして立ち上がると、わざわざ両手を使って、ていねいに一本づつ指を解き、スコールの手を外した。





 ……野営地に張ったテントを出ると、外に、フリオニールとジタンの二人がいる。火の番をしているのか焚き火の前に並んでいた。敏感に気づいたジタンが、「どうした?」と声をかけてきた。「目が覚めたみたいだぜ」とバッツはごく気楽に答える。
「熱はあるけど、たぶん平気だろ。薬飲ませてなんか飲ませて、それからもう一度寝かすよ」
「……それだけでいいのか?」
「スコールだろ、体力の塊だもん。熱が出てるのは病気を追い出すため。下手に薬とか使って下げないほうがいいんだよ」
 フリオニールは気遣わしげにテントのほうを見る。だがバッツは、「入るなよ」と釘を刺してくる。フリオニールは複雑な顔になる。
「うつるからか?」
「それも。あと、お前うるさいからスコールが落ち着かない」
 フリオニールが思わず渋面になると、隣でジタンが笑いをかみ殺す。バッツは笑顔でひらりと手を振ると「んじゃ、水汲んでくるわ」という。片手には言うとおり、手桶を持っていた。水源のすぐ裏にテントを張ったから、べつに周りを警戒するほどの距離でもない。
「ほんとうに、ただの風邪なのか……」
「風邪だろ。フリオニール、心配しすぎ」
 セシルもああ言ったのにねえ、とのんびりと答えて、ジタンは棒の先で火をつついた。いくつか水筒が火のそばにならべてあった。湯をわかしているのだ。
 いまひとつ納得しない表情のままでしきりにテントのほうを気にしているフリオニール。こいつ、風邪ひいたこととかないのかなあ、とジタンはちょっとあきれてしまう。あきれ半分、楽しさ半分の顔でにやにやしているジタンを見て、「なんだ」と少しムッとしたような顔をする。子どもだ。なんだか妙におかしくて、ジタンはまた笑ってしまった。
 昨日くらいから、スコールが風邪で寝込んでいる……
 頭が痛い。ふらふらする。食欲が無い。手足の関節が痛い。めずらしくそんなことをスコールがこぼした瞬間、「風邪!」と宣言して半ばむりやりにテントの中にスコールを押し込んだのはバッツだった。動けなくなる分手が足りなくなるから、と普段は別行動をしているほうが多い、フリオニール、セシル、ティーダの三名と合流するように仕向けたのもバッツだ。普段のうっかりさ加減が信じられないくらいの手際のよさだった。
 そして実際、今日の昼ごろくらいから、スコールは高熱を出して動けなくなってしまった。これが移動中だったら大騒ぎになっていただろう。実際には、見通しがよくて安全な場所に野営地を立てていたのだからほとんど問題はなかった。バッツの見立ての正しさのおかげだといえる。しかし。
「バッツは、何かこう…… 医者でもやってたのか?」
 ここまで手際がいいと、さすがに不思議な気持ちにはなってくるらしい。フリオニールはしきりに首をかしげながら、テントの中のスコールのほうを気にしていた。ジタンはというと落ち着いたものだ。「医者ってジョブは聞いたこと無いな」と気楽に答える。
「単なる経験じゃないのか? バッツ、看病が上手いから」
「そうなのか……」
「オレが怪我したときとか、もう、ちょっとした奴だったらそこら辺に生えてる薬草使って全部なんとかしてくれたし。たぶん慣れてるんだろうな。道中の怪我とか病気とかってやつに。……あ、お帰り〜」
「ただいま!」
 タイミングがいいのか何なのか、バッツはほんの数分で戻ってきた。水でいっぱいの手桶を片手で器用にぶらさげながら、「そこの水筒とって」とジタンに声をかける。
「ほいパス」
「サンキュ、っと」
「お前がうつされんなよ〜」
「はいはい」
 水筒を投げる、バッツがキャッチする、ひらりとジタンが手を振る、軽い口調でバッツが答える…… この間、タイムラグ無し。惚れ惚れするような連携っぷりである。
 そのままテントの中に器用にもぐりこんでいくバッツの背中を、フリオニールはすこしばかり複雑な表情で見ていた。隣のジタンは灰に埋めていたナッツを器用に棒の先で掘り出す。「妬いてる?」とのんきに声をかける。
「や、妬く!? 何を!?」
「何って、そりゃ、スコールをだよ」
「どうしてオレが…… 心配しているだけだ。スコールみたいな丈夫なやつが風邪だなんて」
「素直じゃないなあ、のばら」
「……っ」
 ジタンは器用にひろいあげた栗を、指先でつつきまわす。「ほら」と一個をフリオニールに投げる。反射的に受け取ったフリオニールは、「熱っ!」と焼き栗でお手玉をするはめになる。
「羨ましいのが当たり前だろ。オレだってそうだもん」
「なっ、なにが」
「だって嬉しいだろ。どうでもいいような病気してさ、すっごく優しくていねいに看病してもらうのって」
 フリオニールは、黙った。ジタンはのんびりと栗の皮をむく。灰に埋めて焼いた栗はほこほことして甘い匂いがする。
「特に子どものころって、病気してるときって好きなだけ甘やかしてもらえなかった?」
 オレはそうだった気がするなあ、とジタンは答える。
「大人になると自分の面倒は自分でみることになるけどさ、バッツのってアレだもん。完璧に子どもの面倒見るおかーさん」
「おかーさん……」
「まぁ、オレとかが熱だしてもあそこまで構ってもらえるかどうかわかんないけどな。スコールって普段つっぱってるから、たまに弱み見せてると思うと、いろいろ構うのが楽しいんじゃないかなって気もする」
 フリオニールは少し黙る。こちらを見る目がなんともいえない表情だ。いじわるなことを言い過ぎた、とでも思われてるんだろう。―――いちおう自覚はある。ジタンは今度こそ、はっきりと苦笑した。
「だから言っただろ、《妬いてる》って」
 べつに病気になりたいと思うわけでもないし、甘やかして欲しいとねだるほど子どもじゃない。でも、風邪を出して寝込んだベットに、つめたく絞ってひたいに乗せられる布巾、特別の食べ物や飲み物、丁寧に気遣ってくれるやさしい誰か。そういうのにはなんとなく憧れめいたものを感じてしまう。そして、バッツは間違いなく、そんな《手当て》を風邪引きの子ライオンのために甲斐甲斐しく提供しているわけで。
 ……いや、これやっぱ嫉妬か。
「まだまだ青いなー、オレー」
「……意味がわからん」
「お前も青い」
 そんなことをフリオニールに言い放って、ぺろりと舌を出してみせる。そんないじわるな顔をしてみせるジタンの舌は、まるで子猫のようなピンク色だった。





 ぴたり、とひたいに冷たいものが乗せられる。スコールは薄く目を開く。視界に、水色の装束が見えた。バッツだった。
「まだ起きてたんだ。飲み物、すぐ出すから」
 ひたいの布巾を交換して、それから、なにやら横で準備をしている気配がする。匂いがした。喉や鼻のうちがわがカラカラに渇いていたが、湿度を保つために定期的に湯をはった手桶をとなりに置いてくれるからそこまで辛いわけでもない。何か、さっきもぼんやりと感じた匂いがする。ひとことで何といえない複雑な香りだ。何種類もの香草の匂いが交じり合った香り。
「なん、の……」
「んー?」
「なんの、におい、だ?」
 ああ、とバッツが笑う気配がした。腕の飾りが触れ合って、しゃら、と小さな音を立てる。
「お茶入れてんの。えっと、ローズマリーとカモマイルと、菩提樹と薄荷と、他にもいろいろ」
 他にもバッツはいろいろと草木の名前らしいものをあげたが、スコールには半分も分からなかった。途中からうとうとと目を閉じかけるのに気づいたらしい。バッツは少しわらって、「まだおきてろ」と軽く頬をはじく。
「今すぐ、飲むものが出来るから。食う元気はないよな?」
「……ああ」
「お茶飲んで、よく寝て、たぶん次に起きたころには熱も下がってるよ。一晩だからおとなしくしてろ」
 普段は子どもっぽいばかりだと思っている相手だった。
 けれど、こうやって隣に付き添ってもらって、甲斐甲斐しくいろいろな面倒を見てもらっていると、逆に自分が極端に小さな子どもで、バッツが頼りになる大人のような気がしてくる。熱のせいだろうとスコールにだって分かっていた。というよりも、そうとでも思わないと、落ち着かなくて困ってしまう。
 年上の癖に落ち着かない。ふらふらしていて目が離せない。面倒を見てやらないといけない。自分がしっかりしていないと。
 そういう相手が、バッツであるはずだった。
 本当は、それがスコールのただの思い込みだとしたら……
 困る。ものすごく、困ってしまう。
「こら」
「う」
 考え込んで、眉根にしわをよせていたらしい。ぱちんと鼻を軽くはじかれて、思わず目を開ける。おかしそうに微笑んだバッツの目がすぐそばにある。たぶん日の薄い場所で暮らしてきたんだろう。日にさらされていても白い頬。健康的な肌色。
「寝込んでるときに悩むんじゃないの。熱が上がるぜ? 飲んで、食って、あとは寝ること」
「……こども、あつかい、だな」
「病人と子どもは同じ扱いですよ」
 すまして言って、それからふと、自分が言った言葉を自分で反芻するらしい様子をする。ちょっと笑う。
「そうだなぁ、スコールが病人なのは困るけど、子どもっぽくなってくれるのは歓迎かも」
 ―――人の気も知らないで。
「バッツ……」
「なに?」
「ばかやろう」
 スコールが子どもっぽく言うと、バッツは目を丸くして、それから、ぷっと吹き出した。けらけらと笑い、「迫力ねえ!」と可笑しそうに言う。
「そういうのは元気になってからにしてくれよな。ほら、お茶。起きて」
 背中の後ろに腕がまわされて、起こされて、くちびるにカップを当てられる。ぬるいお茶からは何種類もの香草がまじった複雑な香りと、清涼な味が感じられる。おとなしく、一口づつ口にする。背中の後ろにまわされた腕が心地よい。一杯をあっというまに飲み干すと、もう一杯おかわりをくれた。飲み終わってまた横になる。バッツが毛布を首まで引き上げてくれる。
「治ってくれなきゃ困るぜ?」
 バッツは悪戯っぽく言った。その指先からも、草の匂いがする。ベットの中にいるのに、まるで夏に日差しで乾燥した草の上、花ざかりの草原にねているようだとスコールは思う。
「スコールがいつも素直じゃおれが困る。たまにでいいよ、こういうのは」
「……ばか」
「あはは」
 これもたまの夢だろう、とスコールは思う。熱が出ていると変なことを思いもする。およそ大人とは思えない相手に、子どもっぽく甘えてみたりしたくもなる。
「んーん?」
 毛布をあげた手を、そのまま指先で握られていることに気づいて、バッツは困ったように首をかしげた。けれどすぐにその意図に気づいたらしく、笑うように目を閉じる。そのままスコールの隣にぺたりと座る。
「はいはい、いい子で寝てろよな」
 そのままきゅっと握り返してくる指。その感触。
「おれなら、ここで見てるからさ。な?」
 
 あなたの腕は、まるで花ざかりの森。

 言葉にしない思いまで通じる。まるで魔法みたいだ。
 そう思ったのが、スコールの思考の中ではっきりと形になった最後だった。そのまま心はとろとろとスープの中の豆みたいに溶け出して、スコールはゆっくりと眠りに落ちていく。
 ……最後まで、乾いた花の香りのする指は、そばにいてくれた。その不思議でやわらかい幸福感が、眠りの前に、最後に感じたものだった。





14万HITで”あや”さまにいただいたリクエスト、”スコールの風邪引きネタ”より。
病人はべたべたに甘やかすのがバッツさん流です。
あやさま、ありがとうございました。