/回帰潮流


 
 オレには、自分が分からない。
 何かの拍子にそうこぼしたときに、ジェクトがした表情を、クラウドは忘れることができなかった。
 粗野で乱暴だが、心には誰よりも熱く血潮が流れている。闘うとき、自分の好きなものについて夢中になって喋るとき、そんなときには見ているほうが釣り込まれそうなほど生き生きとして嬉しそうになる。ジェクトのそんな部分に、釣り込まれていたのかもしれない。あのころのクラウドは、気がつくと、この豪放だが妙に愛嬌のある性格をした好漢と道を共にしていることが多かった。
「自分がって、そりゃあ…… そりゃなんだよ?」
「……知らない」
「自分でいっといて知らないったあなんだ。ジェクト様にも分かるように説明しやがれ」
 ごつい指で頭を小突かれると、そのまま横に倒れそうになる。憮然とするクラウドを見て、焚き火の向こうでフリオニールがくすくすと笑っていた。ぱきりと折って火に投じる粗朶。暖かな匂いがする。
「あんたに分かるように説明できる気はしないな」
「喧嘩売ってんのかコラ」
「それ、自分で墓穴を掘ってないか?」
「アァ? なんだァ、俺様が脳筋だって言いてえのか。自分はツンツン頭のくせに。このチョコ坊主」
「チョコ……」
 とうとう、フリオニールが「ぶはっ」という。盛大に吹き出したらしい。そのまま声を上げて笑い出すフリオニールに、ジェクトは、無骨な顔立ち全体をゆがめるようにしてにやりと笑ってみせる。自分だけ悪者か? クラウドが思わず情けない顔になると、にやにやと笑いながら、ジェクトはまた頭を小突いてきた。けっこう痛い。
「言葉の通りだ。オレには、自分がどういう人間なのかが分からないし、どうしたいのかも分からない。……いままで、こんな人間がどうやって生きてきたのかも、分からない」
 頭をさすりながら、言葉を選びながら答える。ジェクトがふとまた複雑な表情をした。赤い琥珀のような複雑な色彩を含めた瞳。
「なんか複雑そうだな。おいのばらァ、青春の悩みってそういうもんなのか?」
「の、のばらって…… いや、俺はそういうのには縁がないからよくわからない。悪いとは思うけれど」
「いや、いいんだ」
 ジェクトにしろフリオニールにしろ、種類は違えど、飾り気のない素朴な人柄の持ち主だ。その素直さを快く思う。クラウドは抱えた膝に顎を乗せる。
 おそらく、彼らの眼から見たなら、クラウドの双眸は、青と緑、紫と灰色をふくめた奇妙な色に、きらきらときらめいて見えるのだろう。あたりまえだ。それが、ソルジャーの証なのだから。けれど何故自分が《ソルジャー》になろうと思ったのか、なって、何をしたいと思っていたのか、そういったことを考え出した瞬間に、クラウドの心は出口のないループを作り出してしまう。
「なんとなくなんだが、オレは、フリオニールほどまともな生き方をしてなかった気がする」
「まとも。オレがか?」
 フリオニールはわずかに苦笑した。自嘲めいた表情は、いかにも、似合わない。
「ああ、まともだよ。真っ当といってもいいかもしれない」
「まァ、たしかにお前は真っ当でもまともでもないよなあ、チョコ坊主」
「……クラウドと呼んでくれ、頼むから」
 ふむ、と顎をひねり、ジェクトは手にした小石を火に投げこむ。ちいさな音を立てて熾が崩れる。
「だがよ、仕方ねえだろ。今さらお前の過去に戻って何もかもまともに戻すってわけにも行かないんだ」
「―――前向きだな、ジェクトは」
「年寄りなんでね。過去の後悔なんて重たいもん真っ当に背負ちまったら、こっちの足腰が持たねえや」
 どことなく意外な気持ちで見上げると、またジェクトがにやりと笑った。「なんだよ、クラウド」といって頭をこづく。いい加減に髪が崩れてきた。クラウドは複雑な表情でこめかみをさする。
「真っ当とか、まとも、とか……」
「おーおー、悩んでンなァ、のばらも」
「フリオニールと呼べ、とは言わないから、せめてフリオって言ってくれ」
 さっき誰かも言ったようなことをいって、フリオニールはふと真面目な顔になる。火をはさんだジェクトを見ると、自然、視線が見上げる形になってしまう。真っ直ぐに見られてジェクトは赤琥珀の眼をまたたく。
「俺は、そんなに《真っ当》なのか?」
「ンだよ、お前も思春期か」
「そうじゃないが、俺は、ぜんぜん真っ当なんかじゃないと思うから。……何にも知らない。戦い以外のことを知らないんだ、俺は」
 クラウドはフリオニールよりもいくつか年上で、フリオニールもそろそろ10代も終わりにさしかかっていた。コスモスの戦士の中には彼らよりも若く未熟なものも何人も居る。にもかかわらず、ジェクトと居ると、気付けば自分の心情を吐露するような言葉を口にしている。
 何故なんだろうな、とクラウドはぼんやりと思っていた。何かひどく必死な眼をしているフリオニールの横顔を見つめながら。
「戦う方法しか知らなくて、他のことは何も分からなくて、そういう人間が《まとも》だと思うのか?」
「ってか、若い連中は小難しいことばっか考えてンだなァ。お前らの過去なんざ知らねえよ。ただオレには、フリオはえらくまともで真面目で真っ直ぐなガキに見えるし、クラウドはうだうだ小難しいことで悩んでる普通の若いの以外にゃあ見えねえな。ジェクト様の勘はあたるぜ?」
「いい加減なやつ」
「言うねぇ、思春期」
 ジェクトがまた頭を小突こうとした手は、クラウドに横に避けられて空振りした。ちょっとムッとしたような顔をするが、いちいち小突かれていてはたまらない。クラウドはニッと笑う。とたんに次の手が飛んでくる。黙々とやりあっている二人をやや唖然としたようにしばらく見て、それからすぐに、フリオニールも笑みをこぼす。
「そうか、《真っ当》か……」
「なんか嬉しそうじゃねえか。ニヤニヤしやがって」
「嬉しいんだ。すごく」
「……」
「……」
「えっと…… その、なんだ? なんかオレ、変なことを言ったか?」
 まじまじと二人から見つめられて、フリオニールは困った顔をする。眼を見合わせて、お互いに考えていることを納得して、それから、ため息をつく。クラウドにとってもフリオニールは年下の少年だった。この素直さがまぶしくもこそばゆい。
「まァ…… フリオと比べたらアレだな、クラウドは根暗だし性格もひねてるよな。何かとめんどくせえ奴だしよ」
「言われなくても分かってる!」
「何だよ、分かってるんだったら怒るこたねえだろ」
 ジェクトは顎をひねる。なんと返事をしたらいいのか、クラウドには分からない。
「でもよぅ、そういう性格の悪いヤツだからって、《自分が分からない》ってことまで言わなくてもいいだろ。お前はお前。どこの何モンだろうが、今ここにいることだけは間違いねえ」
「だからそういう……」
「言い訳すんな」
「!」
 ごつん、と今度は音がした。
 指どころじゃなかった。拳ごと来た。頭を横から乱暴にどつかれて、クラウドの視界に星が飛ぶ。思わず頭をかかえてうずくまるクラウドに、フリオニールが、「おぉ……」と気の毒そうな顔をする。
「ほーら痛ぇだろ」
「い、痛いに、決まってるだろうがっ」
「どつかれて痛いんだったら、そりゃ、生きてる証拠。何も心配することなんざないだろ?」
「ごまかされないからな!」
「……ちっ」
 なんだか理不尽にどつかれた気がするのはともかく、とクラウドは思う。
 こうやって火を囲んで話をして、たわいもないけれど心のこもった言葉をもらっていると、お互いに信頼しあっている、という実感がゆっくりと胸に沁みてくる。嬉しい。もどかしい。少し悔しくて、嫉妬やらひねくれた考えやらの浮かんでしまう自分が悲しくて、だが、それ以上に何もかもが暖かい。
 戦いを繰り返し、明日をも見えない暗い日々だ。けれど、フリオニールも、ジェクトも、クラウド自身もまた、そんな日々にそれほどの不安や苦しみを覚えない心をもっているようだった。もしかしたら明日も知れない日々というものを、それぞれにどこかで識っている故なのかもしれない。
 けれど、明日どうなるかすら分からなくても、今、こうやって火を囲んでいるひと時は、暖かくて穏やかだ。クラウドは抱えた膝のうえに顎を乗せる。そんな姿勢が癖なのかもしれないとふと思った。子どもっぽい仕草に見えるだろうが、フリオニールもジェクトも、何も言わなかった。
「さっきから人のことばっかり言ってるけど、アンタはどうなんだ」
「んぁ?」
 そんな姿勢のままで、口調もまたどこかだだをこねるように、クラウドは言う。ジェクトの口が開く。
「フリオニールは素直で真っ当で、オレは根暗でひねくれてて、じゃあ、アンタはどうなるんだ?」
「オレはって…… そんなん決まってるだろ、オレ様はジェクト様よ」
「返事になってない」
「予想通りだなぁ」
 ジェクトは笑う。豪放な笑い声だった。
「夢だろうと幻だろうと、オレ様はどこにいてもジェクト様よ。まぁお子様どもと違って、自分で自分を信じてるってことだ」
「……自分で自分を?」
「お子様どもは、他人に信じてもらって補給しときゃいいんだ。人から色々と信じてもらえるってのはありがたいもんだからな」
 夢だろうと幻だろうと。
 ふと気付くと、火が小さくなりかけていた。フリオニールがようやく気付き、慌てて、傍らに積んでいた粗朶を手に取る。ジェクトの言う意味がよくわからなかった。膝を抱えたままのクラウドに、ふと、ジェクトが手を伸ばす。また小突かれるのかと身構えたが、今度は大きな手を頭に載せられた。クラウドは眼を瞬いた。
 そのまま大きな手が髪を撫でる。乱暴だが、どこか、優しい手つきだった。心地よさを感じて困惑する。クラウドは眼を伏せる。奇妙で美しい双眸が内心をうつしたままの不安定なきらめきを揺らす。
「自分で自分を信じられない人間ってのは、弱いもんだからな」
「……そうだな」
「こら、いきなり根暗にならねえで最後まで聞け。だから、友だちだの家族だのが居るんだろうが。そういうときは他人に信じてもらえ。そんで、その分はあとで余裕ができたときにでも、テキトーな誰かに返してやりゃあいいんだ」
 ごつい手のひらの下から、クラウドは、ジェクトを見上げる。不安を映した眼がきらめく。「ビー玉みてえだな」とジェクトはつぶやく。
「まぁ、こう見えてオレもどっかの誰かさんからの借りの分があるんでね。だからこうやってお前らにおせっかいを焼かねえとならねえってわけだ。ジェクト様だけへの借りだと思うなよ」
「……借り」
「ちゃんと、どっかの誰かさんに、きちんと返せよ。おめえみたいなヤツは死ぬほど借りてるに決まってンだ。長生きしてせいぜい返済にはげめや」
 上目遣いをすると、不安定な幼さが際立った。ジェクトは妙にくすぐったそうな顔のまま、金色の髪をごりごりと撫で続ける。乱暴な手つきだったが、クラウドは拒もうとはしなかった。やがて膝を抱えたまま眼を伏せる。フリオニールはすこし笑い、膝に乗せて枝を追った。
 火の中に投じた枝が、ぱちりと音を立てる。目を閉じても、暖かさと光をまぶた越しに感じる。少しづつ降り積もっていく。胸の中のぬくもり。
 もしかしたらオレでも、いつか、誰かを護れるのかもしれない。……護りたいと思った誰かに、ただ、優しくすることができるかもしれない。
「クラウド。お前は、おまえ自身が思ってるようなやつなんかじゃないよ」
 フリオニールが、つぶやく声が聞こえる。
「お前が思ってるよりもずっと、お前は、いいやつだと思う」
「またストレートだねぇ、のばら。愛の告白かよ」
「ちっ、違、それより《のばら》はやめろって言っただろ!?」
 ほほえましいやり取りを横に聞きながら、クラウドはふと手を伸ばす。ジェクトの手に触れてみた。硬くなった指先は、けれど、とてもあたたかかった。
 いつの間にか顔をほころばせている自分に気付いて、かすかな驚きを感じた。自然と、さらに笑みがこぼれた。クラウドは、目を閉じた。

 表情は安堵にみたされて、どこか幼子のようだった。








ゴル兄がみんなのお兄ちゃんなら、ジェクトさんはみんなのパパといったところでしょうか。