きみがだいすき
ぎらぎらとまぶしい闇の中で夢を見ている、怖い苦しいやめて痛い怖い怖い怖いやめてやめてやめて。 わたしは怖いのはいや、狂うのもいや、誰かを傷つけたいなんて思わない、ただ帰りたい、帰りたい、ふるさとへ、行ったことのないところへ。水のにおい風のにおい空のにおい月のにおい。空と水のはざまで眠る私の焔がゆらめく。極光は私をくるむ毛布。三日月は私のゆりかご。帰りたい帰りたい。ここはいや。怖い怖い怖い。夢を見るの出口をふさいで夢を見るの。戦うのは怖い生きるのは怖い狂うのは怖い死ぬのは怖い……
「……ティナ?」
「……あ……」 ふい額にふれる手を感じて、ティナは、うっすらと目を開いた。体の下に夜露にぬれた草を感じた。軽くあたたかな毛織りのマント。誰かのあたたかい手。 「ティナ、目がさめた? 大丈夫?」 心細そうな、今にも泣き出しそうな声で、誰かが顔を覗き込む。緑色の目がそこにあった。ティナはそっと息を吸い、吐き出す。頬がかすかに微笑をうかべるのを感じた。こんなときに笑える自分が不思議だった。 「オニオン」 「覚えてる、どうしたのか?」 「うん…… 私、横になってたんだよね」 ティナがそっと頬をすりよせると、まだ子どものやわらかさを残したまま、剣だこで覆われた手が頬をつつんでくれる。ティナはそっと息を吸った。夜の大気の、星のにおいのする空気を、小さな胸空にそっと吸い込んだ。 どこだか仔細はわからない。大きな木の生えた、水辺の土地だった。ティナがめまいを覚えてたっていられなくなったとき、連れである少年、オニオンナイトが探し出してくれた場所だった。すとんと気絶するように眠りに落ちたティナを、どうやら彼はずっと傍らで見守っていてくれたらしい。体の上にかけられていた彼のマントをかきよせると、自分の体温で温まって、ひどく心地よいぬくもりがある。 「大丈夫? 何もなかった?」 「ん。僕はここで待ってたけど、クラウドはそのへんうろうろしてるみたい。ときどき覗きに戻ってくるし、大丈夫ってことだろ」 「そう…… 心配かけちゃったね」 「ほんとだよ」 オニオンは子どもっぽく頬を膨らませてみせて、それから、ちょっと笑った。なんだか大人びた笑い方だった。ほんとに心配、かけちゃったんだな。ティナは思わず胸元の布をぎゅっとかき寄せる。 ティナが、ときおり立ちくらみを起こしたり、めまいを起こして立っていられなくなるのは、彼女の体がいまだ自分自身の体質である【トランス】という現象に耐え切れていないからだった。はじめはティナがへたりこむたびに自分のほうが真っ青になっていたオニオンだったが、今はだいたいの事情は把握しておちついている。ティナが実際に動けなくなることも、その期間も、ほんの短時間のうちにどんどん回数を減らしていっていた。ティナもまた、自分の体がどんなつくりをしているか、どんなことはできてどんなことはできないのかを、今、自分自身で学習している最中なのだ。 「私、どれくらい寝てたかな」 「たぶん、2・3時間ってところかな。今日はこのままここで野宿したほうがよさそうだ」 「……どうして、時間がわかるの?」 オニオンはニッと得意げに笑った。指で直角を作って見せて、「月」と近くのこずえを指差してみせる。 「このあたりでも、月が出てから沈むまでの時間は変わらないみたいだからね。角度が変わるスピードを見てればだいたいの時間は把握できる」 「そ、そうなの?」 「ん。異世界だからテキトーって可能性もあったけど、きちんと確認しといたから間違いないね。特にああいうちゃんとした丸い月が出るときは確実さ。月が動く角度で時間経過はわかる」 ティナが目を丸くしているのを、オニオンは得意げな顔で見ていた。やがて小さく嘆息し、ティナは、頬をゆるめた。 「すごいね。オニオンって、なんでも知ってる」 「僕からしたら、ティナのほうが驚きだよ」 笑顔を見て、こちらもようやく気を緩めたらしい。草の上にとすんと小さな尻を落とす。オニオンの頭の上で、白い羽飾りがゆれていた。 「魔法だって使える、空も飛べる、トランスもできる、誰にもわからないあれやこれやの気配もわかる…… なのに時間の計り方も知らないんだ」 「私、何もできないから」 ティナは小さな声で言う。「そうじゃなくって」とオニオンがあわててパタパタと手を横に振った。 「僕がティナみたいなヒトを見たのがはじめてだってこと! なんか悔しいんだよ。キミみたいな子がいるってこと、何にも知らなかった自分がさ」 ティナは少し首をかしげた。寝る前に解いた亜麻色の髪がやわらかく肩にゆれる。オニオンは少し顔を赤くした。ティナは目を伏せる。 「知らなくていいと思う。私みたいなのって、不幸な子ばっかりだから」 「ティナみたいな?」 「よく、おぼえてないんだけど」 夢の中でみた。ぎらぎらと光る闇の中で、自分自身の魂が腫上がり、破裂するという恐怖に震えていたときのことを。ティナは声ではない声で絶叫した。その声が空気を振動させ、金属質の悲鳴となって火花をこぼしたのを覚えていた。 「昔とても怖い目にあった気がするの。私が魔法を使えるのは、たぶん、そのせい」 「……」 「前ね、ちょっとクラウドと話したの。クラウドもなんとなく知ってるみたい。そういう悪いことをするひとが、ときどきいるんだと思う。でもオニオンのいた場所にはいなかったんじゃないかな」 ティナの言葉はつたなくて、いっそ、時に幼い子どものようだ。知り合ったばかりのころはその拙さに焦れるオニオンが怖かったこともある。だが、今では二人ともそのテンポにお互いになれつつあった。ティナは拙いことをわかりながら一生懸命に言葉をつなぐ。それがティナの歩み寄り方だ。 「その……とても怖いの。体の中に、夜とか星を入れられるようなものなの。そうやって魔法の芯を入れて、魔法を使える子を作る。そういうことを、私もクラウドも、されたことがあるんだと思う」 「あんまり覚えてないんだね。思い出したくない?」 ティナはあいまいに首を横にふりかけ、それから、うなずいた。上目遣いに自分を伺う臆病な少女に、オニオンは、すぐに納得がいった様子でうなずいた。今日はこれ以上追及されたくないと理解したんだろう。 「でもさ、夜とか星とか、そういうのがスルッと出てくるってのがすごいよね。ティナって」 「そうなの?」 「そうだよ。クラウドに聞いたってぜんぜんわかりゃしないし。ティナのほうがずっと頭がいい」 クラウドがここにいたらてきめんに機嫌を損ねそうなことを言って、オニオンはちょっと歯を見せて笑う。 「漠然とした話はわかりにくいけど、なんとなく最近理解できるようになってきた気もするんだよね。ティナにとって、【夜】とか【星】とかって、実感がある言葉なんでしょ?」 「うん」 ティナはうなずく。ティナは、そういう生き物だった。いままでは他のひとびとはそうではないと、知りもしなかったのだけれど。 「月ってどんな匂いがする?」 「月はね、ひんやりしてて、浜辺のガラスみたいな匂いがするの。星は静電気みたいな匂いがして、とけたざらめの味。夜はすべすべした布を濡らした匂い」 「共感覚……いや、違うかなぁ」 「?」 「いや、こっちの話。それで、他にはどんな感じ?」 ティナは細いひざを抱え、ぬれた草の上に座りなおす。拙い言葉はビーズをつなぐようにぽつぽつとこぼれてくる。砂の中から光るつぶをより分けるように、ティナは自分の言葉を捜した。 「近くにいくと、みんなも違うにおいがあるの。クラウドは青いこはくの匂いにちょっと金属を混ぜた匂いがする。フリオニールは朝方ごろの波のきらきらの匂い」 「におい…… 匂いか。うーん」 鼻の頭にしわをよせるオニオンに、ティナはくすりと笑みを漏らす。 「みんな少しづつ違うの。犬みたいって言われたわ」 「誰に?」 「フリオニール」 「モテない男らしいよね。ぜんっぜん、デリカシーがない。あいつ」 ちょっとばかり悪態をつくオニオンのとなりで、ティナはゆっくりと息を吸い込んだ。薄い胸が、華奢な肩が上下する。におい、がする。鼻で感じる嗅覚とは違うものが。ほんとうはたぶん、【魔力】という名前で呼ばれるものの気配が。 「オニオンは、ばら色の極光の匂いがする」 「え?」 「すこしチリチリするけど、あたたかくてやさしいの。私は大好きよ」 いつもの癖ですこし首をかしげるようにしてティナが微笑うと、オニオンの頬が赤くなった。子どもっぽい頬にすこしだけ浮いたそばかす。「どうしたの?」と目を丸くするティナに、「なんでもないっ」と慌ててそっぽを向く。 何かぶつくさとつぶやいている。しばらくきょとんとしていたが、すぐに可笑しくなって、ティナはくすくすと笑い出した。少年といっしょにいると幸せな気持ちになれる。あたたかくなれる。彼のとなりが大好きだ、とティナは思う。極光にくるまって眠る夢とおなじくらい、オニオンのとなりは心地よい。 「そのうち、僕がティナの正体をつきとめるよ」 やがてオニオンは言う。決意のこもった声で。 「大丈夫。ティナが悪いものなわけないし、出身とか由来がわかれば、これからどうすれば楽に暮らしていけるかもわかるよ。倒れたりしなくてもよくなる」 「私、今のままでも平気よ?」 「平気って言わないよ、このままじゃ」 「そうかな」 「そう」 ティナにはオニオンの口調の、子どもじみたかたくなさのわけがわからない。しばらく黙って、それから、言った。 「私、あなたが好き」 「!?」 「クラウドも、フリオニールも、みんな好きよ。だから急がなくてもいいと思うな。…どうしたの?」 「いや、くだらない期待をした僕自身のバカさに、ちょっとショックを受けてた」 やれやれ、と少年はため息をつく。そして二人は顔を見合わせ、くすくすと笑いあう。ふとティナは風の中に【におい】を感じる。青いこはくと薄い銀のにおい。クラウドの気配。 「帰ってきたみたい」 「お邪魔虫め」 「…そうなの?」 「いや、言葉のあやっぽい何かだけどね」 オニオンは立ち上がる。おーい、と呼びかける。やがて返事代わりに剣をふりあげてみせた気配がする。今夜はここで休むことになるだろう。 ティナは、肩にはおったままのマントをぎゅっと抱きしめる。そして思う。怖くない。苦しくも、痛くもない。狂わなくてもいい。ここは、どこよりも安全で、あたたかい。 大丈夫。そばに、好きなひとたちがいる。わたしの一番好きな人は、ばら色の極光のにおいがする。 ティナはそっと目を閉じた。クラウドの重いブーツが地面をふみしめる音がきこえて、どうやら彼はもう、すぐそばまで帰ってきているらしかった。
恋よりも大切なひと、愛よりもむつかしいひと。
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