/一万年の夢の終わりに



 人間としての容をなくしてから久しく時間が過ぎて、なのに、何故かときどき夢を見るようになった。
 
 過去に経験したことのない、そしてこれからの未来でも体験すると想像したことすらもない、あまりに遠い、遠い夢だ。

「どんな夢なんだ?」

 周りに、黒々と深く、そして、広大な夜がある。
 圧縮されたガスの塊たちが、核の焔にきらめき、青く、赤く、また金に銀に、遠く近くまたたく。彼は星々の間に横たわる広々とした空間を泳ぎ、渡る。
 ときに滅びゆく星から放たれた粒子の香りが受容器官をくすぐる。また、淡い靄となって漂いながら未来の星をはぐくみつつある星雲からは、ぱちぱちとはじけるような味わいを感じる。
 堅固な殻に包まれた体の内側で、惑星の中に流れるものと同じものが、脈打ち、そして、流れる。
 彼は星々の海を泳ぐ。孤独の中で心は充たされている。人間には存在しない想いで。不安に似たものと期待に似たもの、喜びに似たもので、《こころ》とよく似た形をしたものが、生き生きと充たされている。

「―――おかしな話だろう」
「んーん?」
「悪い夢ではない。ただ、恐ろしく異質だというだけでな。……どこであんなものを知ったのか、可笑しな話だ」
「そうかなぁ。単純にそれ、ホンノウってやつじゃないの?」
「どういうことだ?」

 生成りのままでごつごつとした岩に腹ばいになり、さも、楽しそうな様子で星々の合間を流れる本流を見下ろしていた彼。草の上で昼寝でもするように腕を枕にしていた。そんな彼は、青年の言葉に屈託のない様子で顔を上げる。そして答える。


「それって、セフィの《本当の姿》が見る夢なんじゃないのか?」

 ―――次の瞬間、鈍い音を立てて、岩が砕けた。

 短く息を詰めて、荒い岩肌を見つめる。まるでバターにナイフでも突き立てるようにやすやすと、岩肌に正宗が突き刺さっている。刃は清らかで氷のよう。血が伝い、ちいさな水滴となって滴り落ちる。
「……わお」
 彼はいまさらのように首を引っ込めた。苦笑いを浮かべ、顔を上げる。片手で耳を押さえた。指の間から、赤黒く熱い血が流れる。
「ひどいな、いきなりじゃんか」
「口で言っても、お前には無意味だろうからな」
 何の前触れもなく、頬から髪一筋ほどの場所へと、彼の獲物である鋭利すぎる刀を突き立てて――― 冷え冷えとした声でセフィロスは言う。
「《本当の姿》だと? 考えもなしに言葉を選ぶものだな」
「気に入らなかったんだ」
「当たり前だろう」
 バッツは手を上げる。血まみれになった手のひらを見てちょっと顔をしかめ、舌を出し、真っ赤になった指の間をぺろりと舐めた。セフィロスは見る。やわらかい髪の間から見えていた耳殻がざっくりと切れ込み、真っ赤なリボンのような血の流れが首筋を伝い降りていた。「痛ってえ」とつぶやきながら、おっかなびっくりの動作で傷を探ろうとする。そんな彼に、バッツに、セフィロスはひどい苛立ちのようなものを感じる。無言で手を再び振り下ろす。
「お」
「何故、笑っている?」
「いや、だって…… ねぇ? 別に意味なんてないさ。ただちょっとびっくりして、思わず笑っちまっただけだよ」
 こわいなあ、とのんびりとした口調で言って、軽く肩をすくめた。喉にはぴたりと吸い付くように刃が寄せられている。セフィロスが軽く手を引けば、それだけで、正宗の刃は、バッツの喉をたやすく切り裂くだろう。だがバッツの表情は変わらず、口調もまったく変わらなかった。上目遣いにこちらを見上げる目には、悪戯っぽい表情と同時に、どこか、ひどく異質に思えるような色がある。魚か虫か、あるいは鳥か、何かの小動物を連想させるような、透き通った目。非人間的にすきとおったきらめき。
「そんなにヤだった? なら謝るけど」
「……」
「でもそれ、悪い夢じゃなかったんだろ。怒ることじゃないと思うけどなあ」
「……」
「うー、痛てて。耳、痛い。なんかザックリ切れてないか、これ?」
 セフィロスは大きく息を吸い、そして、吐き出した。正宗の刃を下ろす。手が小刻みに震えていた。手先が狂い、バッツの首を切り落としてしまいそうだったのだ。バッツはきょとんとこちらを見上げる。首筋や頬にかけて、幾筋も、真っ赤なリボンのように流れる血。
「セフィ?」
「……煩い」
「え、どうしたの」
「煩い。消えろ!」
 叫ぶなり、力任せに、正宗の刃を、傍らの地面に叩きつけていた。炸薬を叩きつけたような音が響き、石の欠片が飛び散った。バッツが目を大きく見開いた。ただただ呆然として、セフィロスを見上げていた。。




 ―――別に、セフィロスが情緒不安定なのは、いつものことだ。
 けれど、何気なく口にしたことであれだけ怒らせてしまうと、さすがに少し申し訳の無い気分になる。しょんぼりしたままで言われるがままに《星の体内》を離れ、風に乗り、近くのエリアへと移動した。相変わらず血が止まらない。手当てしたほうがいいみたいだった。布で傷を抑えたまま水場を探して歩き、透明な水の流れる暗い場所を見つける。傷を洗うついでに顔や首を汚した血も落とした。
 この場所へ来てから、バッツはずいぶんと夜目が利くようになった。ふと、水鏡を見ながら髪を掻き揚げて、傷口を確かめてみる。はさみでも入れたような傷口を見たら、さすがにうめき声が漏れてしまった。
「うへぇ。……こりゃ酷いや」
 傷を見たら気分が悪くなってしまった。気がつくと耳飾が片方なくなっている。切り落とされてしまったのか…… 手でなんとか傷口をくっつけ合わせ、布で頭に縛りつけた。回復呪文を使うかアイテムを使うか、どっちにしろちゃんとした手段で治療しないと後々めんどうなことになりそうだった。ため息が出てしまう。まったくもう、なんでこんなことになるかなあ。
「セフィの乱暴もの。ばーか」
 子どもじみた口調でつぶやくと、ふいに、くつくつと背後から誰かが笑いさざめく気配が聞こえてくる。パッと、バッツは顔を上げた。とたんに表情が明るくなる。
「ファム?」
「……血の臭いがすると思うて目を覚ませば。また面白いことになっているようじゃのう、旅人よ?」
 ふわりと闇がほどける。背後から誰かがしなやかな腕を首に回してくる。頬を撫でる髪がくすぐったく、その腕は乳のように滑らかに白いくせに、水のようにひえびえと冷たい。バッツは笑う。「ファム」とうれしそうに呼びかけると、背後から己の首に手を回す妖魔へと、じゃれつくように頬を摺り寄せた。
「ああ、そっかぁ。ここ、ファムの家?」
「はて、のう。わしにもよう分からぬが、なにやらおもしろそうな気配がしたから、顔を出してみたまで」
「面白いかなぁ…… おもしろい?」
「さて、ひゅうひゅうと草を笑わせることしか能のないような虚ろき風が、そのようにしおれた顔をしてなどいる。それだけでもわしには十分おもしろい」
「ひっでえ!」
 バッツは笑う。その拍子に足が水を蹴ると、白い蓮のように水面へとうつりこんでいた妖魔の影が、はじけ、揺らぎ、笑いさざめく。ファム。ファムフリート。……《暗闇の雲》。今はうつくしい女の姿をした、闇に凝る本来かたちを持たぬ精霊のようなもの。
 とうてい人間には理解のしがたい存在のかたち、心のかたち。だが今生のバッツにとってはとても親しく、また、懐かしく感じられる存在のひとつだ。友だと呼んで懐いている銀の髪のセフィロスを除けば、もっとも親しい存在だと言ってもいいだろう。彼女もまた、気まぐれで移り気なバッツを《虚ろき風》と呼び、ときどきは遊ぶように戯れることを楽しんでいるように思えた。
 霧のように乳のように白い膚。けれど、触れると指に伝わってくるのは、朝方の水のようなひんやりとした冷たさだけ。二つの瞳は熱のない焔、長い髪は死に絶えた陽光の亡霊のよう。
 姿かたちを離れてみるならば、《暗闇の雲》は、妖艶で美しい女の姿をしている。だが今生でのこの姿は彼女の本質にはまったく関係が無い。実際に指で触れ、確かめたなら、誰であってもその異質さに気付かざるを得ないだろう。人間の女のかたちをした、彼女は、《化け物》なのだ。命もなければ心もない。
 ―――それがなんだって言うんだよ。
 だが、バッツにとっては、その事実がどうして忌まれ、遠ざけられるのかがさっぱり分からない。妙齢の美女だと思うとどういう関係になればいいのか悩みもするが、《暗闇の雲》は女性の容をした精霊であり、モンスターである。戯れに頬を寄せ合っても、髪に触れても、何を考えるという相手ですらないのだ。バッツにとってすれば何かと苦手意識が先に立つアルティミシアなどよりはよっぽど組しやすい相手である。また、《暗闇の雲》の物事への対し方は人外らしく裏というものが存在しない。そのシンプルさが好ましい。バッツにとってすれば、他の混沌の兵たちの彼女に対する扱いのほうが、よっぽど謎に満ちていた。
「ほほう、血の臭いがすると思えば、源はおぬしであったとはな。これ、見せてみよ」
「やめてくれよぉ。けっこう深いんだから。今、どうやって治そうかって考えてたんだ」
「痛いか?」
「割と」
「ならその痛み、わしが吸ってやろう」
 くすぐったそうな、気恥ずかしそうな顔で笑うバッツの耳元に、《雲》はくちびるを寄せる。珊瑚色のくちづけを受けると痛みが抜け落ちた。治癒とは違うだろう。そもそも傷の辺りの感覚そのものが一時的になくなってしまったらしい。耳そのものがなくなってしまったような軽い違和感と喪失感。
「ありがと。でも、ちゃんと手当てしとかないと、あとがめんどそうなんだけどな」
「ふむ。この傷ならば、相手はあの英雄かの? ……さても気まぐれな男よ。戯れできりつけられては落ち着くまいに」
「まあ、そうなんだけどさあ」
「何をやった」
「ええと、セフィに…… 《本当の姿》のこと言った?」
 《雲》は目をまたたいた。しばしの間。《雲》はしゃらしゃらと薄い銀板が触れ合うような声を上げ、可笑しそうに笑い出す。バッツは居心地の悪さに肩をすくめる。
「あいも変わらぬ考え無しよのう、おぬしは!」
「そうかあ? セフィにまで言われたよ、それ」
「ほ、ほ、ほ。あの男の一番の《闇》であろうに、たやすく触れられようものなら、それは、刀の一つも抜きたくなろうよ」
「そういうもん? ぜんぜん悪いことだと思えないんだけど、おれには」
 バッツは想像する。
 星の間をゆったりと泳ぐ、とても巨きな、そして異質な、不思議な生き物のことを。
 数万年、数十万年のときを超えて、星々を輩とし、暗闇の間で光年の距離を越える。
 ―――なんてすごい、生き物だろう。
「そういう生き物おれは見たことないし、そういうやつらは絶対に普通は人間と一緒に喋ったりできないし。でも、セフィはそういう生き物の生き方と、人間の心と、どっちも持ってる。すごくないか?」
「さての、どちらもわしには分からぬことゆえにな」
「……あ、でも、セフィはそういうの、あんまり好きじゃないのかもしれない。あいつ、《人間》にやたら拘ってるから」
「ふむ……」
「なんでなのかな?」
 ふむ、と答えながらも、雲は目を細める。半ば腕の中に抱きこめた青年をみつめる。あどけないというよりも幼く、そして、欠落している。どこかしらで人間としての正常な心が、回路としてつながらなくなっている。
 ―――こやつもまた、《ひと》とは程遠い形の心であるゆえか。
 混沌の兵としての宿命を与えられたとき、同時にバッツは、何かを忘れ、落としてきてしまったらしい。《何か》による拘束が断ち切られたことは
により、旅人の心は限りない自由へと解き放たれ、同時に、人としての命を持たない《暗闇の雲》ですら分かるほどの欠落を生み出した。闇も無いゆえに光も無い。その心の中には、ただ、無限の風だけが気まぐれに吹き渡っている。
「おぬしは人の心を知らぬか」
「さぁ? どうなんだろう……」
「あれは人の心を知りたがっておる故にのぅ」
「どうして?」
 バッツは、《雲》を見上げる。その目は無垢な鳥のように、無機質に透き通っている。
「おかしいだろ、鳥には鳥の心があって、水には水の心があって、星には星の心がある。当たり前のことなのに」
「隣の花は赤く見える、というらしい。自分の持ちえぬものを羨望する心は、どの心においても濁った闇として凝るものよ」
「……」
 ふっ、とバッツは目を伏せた。長いまつげ。煙水晶のひとみ。
「どうすればいいんだろうな」
 その向こうで、人間としての容をなくした心が、かすかにきらめく。
「おれは、自分に嘘をついたりしない、本当のセフィが見てみたい」
「……」
 虚ろき風の言葉には、ただ真実の響きだけがある。彼は嘘を知らなかった。何の恐れも、戸惑いもない。ただ移ろい、流れるだけの心。
 人の身で人ならぬ心を持つものと、人ならぬ身で人の心に焦がれるもの。
 ―――《こころ》持つ命の、なんと、数奇なこと。
「そのように星の輩へと化してしもうたなら、あの英雄は、そなたのことなど忘れ去ってしまおうぞ」
「べつにいいよ、そんなの」
 《雲》は、細い指で、やわらかな髪を梳く。バッツはくすぐったそうに目を細める。
「そういう、長い長い旅ができるやつがいるってこと考えるだけで、すごく嬉しい気持ちになるから。……別にセフィロスがおれのこと憶えてるかとか、友だちだと思ってくれているかとか、どうでもいいんだ」
 ただ、星々の流れに身をゆだね、星々と同じ形の命を生きる存在のことを思う。
 それだけで心が充たされる。静かで不思議な幸福を感じる。
 人の身にあっては想うことすら不可能な魂を思ったとき、旅人の心は、憧れと夢想でいっぱいになる。
 ただそれだけで、ひたひたと、心が満ちてくるのを感じる。


 ……。


 いままでのセフィロスにとって、夢というものは、ただただ甘く苦い、尽きることのない追想を意味していた。
 人に憧れて、人になれなくて、まるで分厚いガラスに爪を立てるように、死に物狂いで人間としての生き方にしがみつこうとしていた日々。だが、どれほど人を真似ても、人を想っても、己の命の形はそもそも《人間》という生き物を遥かに遠く離れたものだった。空を飛ぶ鳥が、暗闇に生きる目の無い魚に焦がれるようなものだった。知ることは出来ても、《成る》ことなど不可能だ。セフィロスは己の一部であり、己を離れた存在である青年の心から、そのことを知った。
 汲みせど尽きぬ憧憬と焦燥。人になりたい。喜びと幸せがほしい。哀しみと怒りと孤独がほしい。だが、人間としての身体が消滅したその日から、日ごと確実に、己の中から人間だったときの形が消えていく。血肉に刻まれた本能がささやく。二本の手足しかもたず、星々の闇に耐ええぬ形は窮屈だと。ゆったりと身体を伸ばし、ひろい海へと漕ぎ出したい。数万年の旅に、限りない夢に、この身をゆだねたいと。
 違う、とセフィロスの中の人間である部分が絶叫する。
 私は違う。化け物ではない。人間だ。私は、そのように長い旅路など知らない。はかなくもろい命を生きたい。人間として。
 人間として。
「セフィ」
「……」
「セフィロス?」
 彼はゆっくりと息を吸い、そして、吐き出した。閉じていた目を開く。見上げる岩の上から、しゃがみこんでこちらを見下ろしている青年が見えた。バッツ。気まぐれな風。
 顔に布がまきつけてあった。耳の傷を覆っているのだろう。黙ったままセフィロスのことを見ていたのは、ほんの一拍ほど。彼はすぐにおっかなびっくりの仕草で、岩肌を伝い降りてくる。
 高い場所が苦手なバッツが、セフィロスのいる場所にくるまでに、しばらくの時間がかかった。セフィロスはその間、身じろぎのひとつもしなかった。抜き身の正宗が片手に携えられている。狙えば、確実に屠ることのできる隙だらけのうなじを、黙ったまま、じっと見つめていた。
 最後の一歩を飛び降りると、しゃらん、と装飾品が幽かな音を立てる。歩いてこちらまでやってくると、仰向いてセフィロスの顔を見上げる。怯えもなく、恐れもない。戸惑う以外の何も出来ない。
「何をしにきた」
「お前に会いに」
 にっ、と笑うと、バッツは手を差し出す。
「おれの耳飾、返して」
「……」
「拾っててくれてるだろ? 違う?」
 顔の半分を覆った布に、乾いた血が赤黒いしみを付けていた。セフィロスは思い出す。丸く見開かれて、驚かされた猫のように、きょとんとこちらを見上げていた目。あのあどけなさ。
 人間らしさの欠落した、無垢なひとみ。
 セフィロスは黙って、握ったままの片手を差し出した。バッツの手の上で開くと、ちゃら、と音を立てて小さな装飾品が落ちる。「ありがとな」とバッツは笑った。
「何故、私に逢いに来る?」
 セフィロスは呻いた。理解ができない。セフィロスには人間としての判断力がちゃんと残っている。ああやって脅し、傷つけ、遠ざければ、どんな人間であっても彼を恐れ、近づくこともなくなるはず。ましてや今のバッツのように無防備な背中を見せたり、かぼそい喉を見せたまま、こうやってセフィロスを見上げることなんて、決して出来なくなるはずだ。
「んー……」
 バッツはしばらくの間、つま先を見つめ、考え込んでいた。やがて顔を上げると、そこには、いたずらを見つけられてしまったような、ばつの悪そうな笑みがある。「分からない」と苦笑交じりに答える。
「お前に逢いたいから逢いにきてるだけだけど…… その理由はうまく説明できないな。おれにもよくわかんないから」
「何故だ……」
「ほんとに分からないんだよ。ごめんな、セフィ」
 頭の中がぐしゃぐしゃになる。混乱のあまり何も分からなくなる。発作的に、目の前のバッツを、斬り捨ててしまいそうだった。そんな自分を抑えようと自らの腕を強く掴む。黒いコートに皺が寄る。爪のようにつきたてられて震える指先を、バッツは、哀しそうに見つめる。
 けれどやがて。
 その手の上に、バッツの手が、重ねられた。
 指先がすこし硬くなっていた。爪が短かった。旅人の手だ。セフィロスは息を呑み、バッツを見下ろす。照れくさそうに笑う笑みがそこにある。
「何にもしないよ。ほんとに。……おれ、セフィのことが大好きなんだ。それだけだ」
「……信頼できるものか」
「嘘じゃないってば」
 バッツは目を大きく見開くと、おどけたように、くるりと目を回してみせる。
 バッツの手が硬く食い込んだ指を解く。そして、指先を自分の喉元へと導く。バッツはまだ笑っている。どこかひどく優しい笑み。
「どうしても信じられないんだったらさ、確かめてみるといい」
「……バッツ」
「おれも、見てみたかったんだ。セフィの夢をさ?」
 分けてくれよ、とバッツは言った。
「お前の夢とか、未来、ちょっとだけおれにも分けて」
 その代わりに。
「あんまりちゃんとしたやつじゃないけど、おれの《ココロ》を、セフィに分けてあげるから」
 頭の裏で、火花が、はじけたような気がした。
 もう導かれるままではなく、自分の意思で、セフィロスは指を伸ばしていた。喉仏のちいさな突起から、鎖骨のくぼみへ。さらにその下へと指を伸ばす。健康的に乾いた肌を指に感じる。その向こうに流れる血潮の熱さも。
 何をされるのかを理解しているのだろう。けれど、バッツは何の抵抗も見せなかった。セフィロスの表情を見て、くすりと笑った。嬉しそうな様子すら見えた。
「私の夢を…… 何故、見たいなどと、思う」
「憧れるから、かなぁ」
「どうして?」
「だってさ、セフィは誰よりも遠くにいけるんだろ。ものすごい長い時間とか、ものすごく遠い距離とか、越えられる。すごいと思う。うらやましいというより…… やっぱり、憧れるよ」
 旅人は、目を細めて、まぶしそうにセフィロスを見上げた。
「―――おれは、見たことの無い場所が、好きだから」
 胸元ちかくの肌理が細かい皮膚。指で押すと、その向こうに胸骨の合わせ目を感じる。呼吸に胸が上下する。鼓動している。
「だから、おれが絶対に見れないものをいっぱい見られるセフィが、好きなんだよ」
 急に、泣き出したい気持ちになる。それを飲み込むようにして、セフィロスはその指先を、ゆっくりと、バッツの胸に埋めた。
「……ア」
 やわらかい泥に指を埋めるように、何の抵抗もなく、長くうつくしい指が、胸の中へと這入りこんでいく。喘ぐような声がバッツの喉から漏れる。
「……あぁ」
 膝が崩れる。倒れこみそうになるバッツの身体を、もう片方の手で抱きかかえる。
 肋骨がつくりだす胸の中の鳥かご。空気を吸い、また吐き出し、収縮する肺。熱く流れる血潮。神経を伝うパルス。
 何の抵抗もなく、セフィロスの腕が、肘まで、バッツの体の中へと差し入れられる。指を動かす。ゆっくりとかき回す。骨に触れ、血潮を味わい、しなやかな筋肉をそっとなぞる。
 このまま無理やりに融合して、《ひとつになる》ことも出来た。けれど、それが今の望みではなかった。鼓動する心臓にそっと触れる。鳥の雛を手の中に抱いているような不安で、そして、あたたかい感覚。壊さないようにそっとなぞる。セフィロスはささやく。
「私が見えるか」
 バッツは目を開いた。夢見るように。
「うん、見える」
 まどろみの幸福が、ちいさな笑みとなって浮かぶ。バッツは両腕を上げる。己の体へと深く潜り込んだ、あまりに異質な存在の頬へと、いとおしげに、両手を添える。
「星の匂いがする。……暗闇が、口の中で、ぱちぱち言ってる。光の音が聞こえる」
 頬に触れる手のひらは、すこし硬くて、荒れていて、そして、あたたかかった。セフィロスもまた目を閉じた。逆にバッツの中から何かが自分の方へと流れ込んでくる。かすかな風を感じる。肌に感じるものではなく、心の中をそっとなぞっていく風の感触。
 ああ、と声が漏れた。胸を充たす不思議な幸せ。
 旅立ちの朝に感じる、静かな不安と、そして、期待。


「こわれていく恒星の匂いがする。生まれてくる惑星の香りがする」

「流星が長い尾を引いて泳いでいく。きらきらして冷たい味」

「真空の闇があたたかい。星々の間を泳いでいく、その事が、心地よい」

「何もかも、見たこともない、ことばかり」

「周りにあるもの、ぜんぶ、ぜんぶが」

「とてもきれいな、ものばかり……」
 

 涙が出そうだった。セフィロスは小さく呻いた。バッツが目を開く。半ばまどろむように、不思議そうな顔だった。やがて笑顔になる。指先で軽く、セフィロスの頬をひっかいた。
「泣くことないだろ。……こんなに、きれいなのに」
 その何気ない言い方に、セフィロスもまた、笑みをこぼした。「ああ」と静かに答える。
「そうだな、お前の言うとおりだ」
 さらりと長い髪が肩からこぼれる。まるで銀の滝のようだ。長い髪におおわれ、バッツは、不思議そうに微笑む。その表情がいとおしい。セフィロスは再び目を閉じる。
 手の中に感じるもの、心の内側に感じるもの。遠い未来の夢。人とは違うものになりはてたときに見るだろう世界。

 星々の間の広大な海。
 きらめく星の間をゆったりと泳ぐ夢。遠い夢。

「何もかも、美しいものばかり」
「だろ……?」
 バッツは目を細めていた。そこには憧れが灯る。
 指が、セフィロスの髪を、そっと撫でた。指が透き通る銀の髪をすくいあげ、また、たわむれるようにさらさらと、指の間からこぼしていく。砂をこぼすように。
 二人で夢を見る。あまりに遠い。人に身に許されるものではない。けれど恐ろしくは無い。
 何故なら、その夢は、とても美しいものなのだから。
「この世界はみんな、みんな」
 バッツはつぶやく。
 歌うように、夢見るように。

「みんな、きれいなものばかり……」








雲さん=ファムフリート呼びはFF12より。
やっぱりセフィロスの本質は、ラヴォス(クロノトリガー)みたいな生き物なのかなと…