ティンク、ティンク!



 *注意
 このSSは、とあるサイトさんへ(気持ちだけですが)贈るためのSSです。
 ですので、ネタかぶりがあるとしたら、それは後出しじゃんけんのこちらのサイトがパクった結果だとご判断ください。先方へのご報告も、こちらへの報告も無用です。ご了承の上ご覧ください。






 そこが、”どこ”なのかを知る人間は、”ここ”には独りも居ない。

 ゆるやかに弧を描いた階段があった…… ちいさな舞台があり、深い青のファブリックをつかったソファがいくつかおかれていた。臙脂色の毛並みに模様を編みこんだ絨毯。高い天井がはがれおち、はりめぐらされた薄い布は襤褸となって垂れ下がっている。
 彼女はそこにいた。ずっと前から。

「久しぶり」

 そう言って微笑み、手のひらで埃をはらい、やわらかな曲線を描いたボディをそっと撫でる。ていねいに愛撫されるたびに、傷だらけになった膚の向こうに、かつて彼女が感じられる。つやめいた黒い膚。愛を歌うためだけにあったその歌声。遠い昔の話。あったはずの物語―――

「今日はさ、なに弾こうか?」

 バッツは唇をほころばせ、ぽん、と一本の指でキィを押した。高い音が答えた。硬い枠の中に張り巡らされた鋼鉄のテンション。数トンにも及ぶ負荷をうけとめるグラマラスな肢体。帰ってくる音の薫り高い豊かさに、バッツは心地よさそうに眼を細める。喉を撫でられた猫の笑みだった。



 バッツはピアノを弾く。
 その話を聞いたのはいつのことだったか、ジタンもスコールもまともにうけとっていたわけではない。何しろ相手が相手だったのだ。この気ままな旅人は何かと器用にものごとをこなす性質だとはいえ、音楽の演奏といった繊細な技術はその印象からいかにも遠い。だから、思いつきで適当なことを言っているだけだろうし、そうじゃなくても実際に腕のほどを確かめるチャンスはたぶん無い、絶対に無い、と二人が二人とも思っていたりしたのだ。
 なにしろ、ここは次元の岸辺。ばらばらにされた世界の欠片があつまるおもちゃ箱である。ピアノなんて上等なものは探したってみつからない。そのはずだったのだが。
「……まさか、ピアノまであるとは」
 バッツが半分ステップでも踏むような調子で舞台に上っていくのを、スコールは、あきれかえった調子で見つめていた。ジタンも半ば同じ気持ちだったらしい。が、バッツが手馴れた仕草で鍵盤のふたを開け、キィを叩くと、とたんに表情が変わる。目が輝きだす。
「うわ、音も出るのか!」
「そうそう〜。っていうか、出るようになってからお前らに見せようと思ってたんだよな」
「え、じゃあ、調律までやったのか!? ありえねー!」
 ジタンはぴんと尻尾を立て、跳び上がるようにして舞台へと駆けていく。臙脂色の別珍を張った大きな椅子。半ば尻で割り込むようにして、興味津々のようすでバッツの手元をのぞきこむ。なんともいえない気持ちになる。正直脱力してしまう。スコールはソファの上に座り込んだ。
「調律ってほど上等なことはやってない。ぶっちゃけ」
「じゃあ、何したんだ……?」
「んーと、アイテム修理の裏技かな。詳細は企業秘密な!」
「相変わらずわけ分かんないヤツ……」
「まぁいいじゃん。な、ジタン、お前って歌は得意?」
 いくつかのコードを連続して押さえると、それがやわらかい和音の連続となる。すっかり気をよくした様子のバッツは、器用に指で鍵盤を走り抜けた。歌うような音階が後に続く。
「歌? どうして歌?」
「そりゃ、舞台があってピアノがあってさ、歌わないとウソでしょう」
「出たよ謎の理論展開。おーいスコールさーん、なんか言ってやってー?」
 あきれたような声でこちらに話題を放ってくるが、スコールから見ると、ジタンの様子はつま先から尻尾まで丸見えだった。半ば膝で椅子に乗り上げている様子はノリノリだとしか言いようが無い。スコールはぶっきらぼうに答える。
「気が済むよう、つきあってやったらどうだ」
「やぁねスコールさん、冷たいったら。……お客さんはああいってるけど、ジタンはどうする?」
「(誰がお客さんだ?)」
 スコールは、無意識にそっと指を動かし、ソファに使われている深い青の布を撫でていた。記憶の中のどこかに触れて、すぐに、そんな感覚が錯覚にまぎれて消えた。ここは、俺の知っている場所なんだろうか? 分からない。たとえ知っている場所だとしても、親しい場所ではないに違いない。単に通りすがっただけの場所のひとつだ。
「まぁいいや。だったらジタンに任せちゃう」
「任せる?」
 ジタンは眼を丸くする。バッツはいたずらっぽくくるりと眼を回して見せた。いくつかのフレーズを指がさぐる。三拍子、八拍子、変調、また三拍子。
「思いついたままの歌詞、てきとうに歌ってくれたら、あとは即興であわせるよ」
「―――マジで? 冗談じゃないだろうな」
「あったまえですよ。ジタン相手に半端なことやれないって。本職だろ、お前」
 てきとうにきらきらとぶちまけたフレーズの中から、特別にきれいないくつかを注意深くより分ける。ビーズを糸で繋げるように、きれいにバランスが取れるように、バッツは思いついたままの旋律を繋いでいく。ジタンの尻尾がその拍子にあわせて揺れ始める。さっきから、本当はずっと、尻尾のほうがジタン本人よりも正直だったのだ。傍から見ていたスコールはそう思う。
 舞台の上に、彼と、彼と、そして、ピアノと。
 荒れ果てたその場所には、スポットライトも照明もない。けれど舞台の上と、その下は、はっきりと隔てられている。そんなことを考えて、すぐに、辞めにした。スコールが眉間の皺を指でもみほぐしている間に、ジタンとバッツはお互いの拍子をシンクロできたらしい。小さな尻でジタンがバッツの横に割り込む。同じフレーズを誘うように三回ほど繰り返すと、尻尾の先が考え込むように拍子をとり、そしてジタンは、フレーズにあわせてステップを踏むようにして、歌いだした。

 ”長い夢 過ぎて 朝になれば”
 ”キミのことも 恋も 全部が冗談”

 ひゅう、とバッツが口笛を吹いた。眼を細めて嬉しそうに笑う。バッツは、いつだって、心から嬉しそうなのだ。ソファの上からぼんやりと舞台を見上げ、スコールはそう思う。

 ”そんな風に思っていたけれど バカだったみたいさ”
 ”キミはぼくの夢だった でも 冗談なんかじゃない”
 ”キミはぼくの夢なのさ つまり そういうことだったんだ”

 ジタンの声は透き通っていて、よく晴れた五月の空みたいだった。歌う歌詞はどこかさみしい。バッツは顎で拍子をとりながらテンポよく鍵盤を叩く。肩から腕にかけてのはずむような仕草。

 ”いい夢だったなあ! 一生忘れられないよ
  キミはぼくの宝物 そしてぼくはデイドリーム・ビリーバー”

 ”いい夢だったなあ! 一生醒めなきゃよかったのに
  キミはぼくのお姫様 そしてぼくはデイドリーム・ビリーバー”

 どこかで聞いたことのある歌だ…… とスコールはふと思う。目を上げるとジタンとばっちりと眼があった。どこか複雑な色がそこにあった。たぶん同じことを考えている。触れた指同士が静電気にぱちりと音を立てるみたいに、お互いの考えが伝わりあう。
 何も知らない、気付いても居ない様子なのは、バッツ一人だけだ。バッツは夢中になって”彼女”とたわむれている。つややかな毛並みの、血統書付きの素敵なレディ。バッツはたぶん、彼女のことが大好きなのだろう。世界中のほかのすべてを愛するのと、同じくらいに。

 ”いい夢だったなあ! ずっとずっと夢見てたかった
  キミはぼくのなにもかも そしてぼくはデイドリーム・ビリーバー”

 ”いい夢だったなあ! けれどそろそろ目覚めなくっちゃ
 キミはぼくの帰る場所 そしてぼくはデイドリーム・ビリーバー”

 クライマックス、ハミング、ラスト。
 とびきり元気に最後のコードを両手で押さえると、バッツは白くそろった歯を見せて、嬉しそうに笑い出す。声まであげて。隣のジタンに向かって手をあげてみせる。ハイタッチだ、とジタンが気付くまでに、ゆうに一拍は時間がかかった。
「うん、やっぱサイコー! ピアノ弾くんだったら、こうじゃないとな!」
「ほんとにラストまで合わせきったな……」
「ジタンこそさ、その歌、今考えたの?」
 ジタンはひょいと肩をすくめた。
「さあね、違うよ、たぶん」

 バッツが声を上げて笑うたび、きらきら光りながらこぼれる金色の粉が見えそうになる。まったくの錯覚なのは間違いなかった。けれどただの勘違いでもないということは、認めざるを得ない。スコールにとってこうやって見上げるバッツの屈託の無い笑顔は、まるで無頓着にこぼされる金の砂のようなものなのだ。
 スコールは目をそらす。馬鹿なことを考えているという自覚はあった。けれどふいに、舞台の上から、ぱちぱちぱち、と手を叩く音が聞こえてくる。バッツが「ほら、ほら」とせかすような口調で言う。
「なぁスコール、拍手、拍手」
「拍手……?」
「アンコールだよ! アンコールが続くかぎり、おれはピアノの前に座ってていいんだからさ。だから」
 拍手して、拍手、とバッツは大真面目な顔で言う。となりのジタンが苦笑交じりに肩をすくめていた。あきれているようには見えなかった。
 しぶしぶとスコールが手を叩くと、バッツは大きく眼を瞬く。二度、三度と繋げて、拍手めいたものになってくると、その笑みが満面にひろがった。ふたたび鍵盤に向き合うと、リズミカルにキィを叩き始める。仕草はピアノとダンスをしているようだった。
 拍手を続ける限り、アンコールは続くのかもしれない。少なくともバッツは本当に、そう、信じているのかもしれない。ばからしい、子どもじみた信念だとスコールは思う。それでもスコールは、熱心に手を叩き続けた。まだ歌を聴きたかったからだった。バッツのピアノを聴いていたかった。その気持ちだけは混じりけの無い、ほんとうの気持ちだった。
 




だからアンコールを続けてください。あなたに、私に。

【デイドリーム・ビリーバー】:http://www.youtube.com/watch?v=e_IP3Y71N4w