トライアングル・チルドレン 「スコールお前顔にキズ」 「昔からだ」 「じゃなくって、ほらここ」 「……」 「こすると膿むぜ? 手ぇおろせ」 この男相手に何を言っても無駄だ、とスコールはあきらめた。うっとおしく近づけてくる顔を手で払いのけることをあきらめる。ニッ、と無邪気に笑う笑顔が近い。なんだかひどく落ち着かない気持ちになる。 「かすり傷だろう」 「ほっとけってか」 「……」 「お前、さっきからずーっと顔のキズこすってるんだもん。気になってさぁ。洗っておいたほうがいい。泥が入るし……っと」 「おいお前らーさっきから何やってんだよ。顔近いよ?」 「あ、見ろよ。スコールここ切ってる」 「ほんとだ」 「ジタンもデコんとここすってるぜ」 「マジで?」 「よっしゃ。まとめて手当てしてあげるから待ってなさい」 やっと、バッツと距離が離れる。スコールはひそかにほっとした。道具袋をごそごそとひっかきまわしているバッツを見て、それからスコールのほうをそろりと上目でみて、ジタンがなんだか妙な感じで笑った。隣にとすんと腰を下ろす、軽い音がする。 「ほんとだ。顔にキズー」 「……」 「なんで気づいたんだ、とか思ってる?」 「……」 「お前ってば何でも内心で考えるだけ。当ててやるよ。何思ってるか」 「…煩い」 「またまた」 背中の辺りにくるりとじゃれついてくる尻尾がなんともこそばゆかった。今度こそ払いのけてやりたかったがプライドが邪魔をした。横に座っているジタンの髪が頬の辺りにあたりそうだ。明るい金色の髪。たんぽぽ色の毛並み。 「なんでそんなちっちゃなキズに気づいたんだろーとか思ってる」 目の高さが違うのに、あんなに気ままにふらふらと、付かず離れず歩いているくせに。 「実〜は俺の顔見てたのかなとか思ってる」 無関心だから、無表情だから、飽きられ誤解されるのではないかと内心でいつも思っている。くるくると気まぐれな風。自由気ままな後姿。 「かと思ったら、オレのほっぺにもすぐ気づいたから、なーんだ誰でも同じかーとか思ってがっかりしてる?」 「煩い」 「お、図星図星」 けらけらとジタンが笑った。今度こそ自分の顔が真っ赤になったとスコールは自覚してしまう。恥ずかしい。苦虫を噛み潰したような顔で視線をさまよわせていると、「なんだよ、何してんの?」といいながら、バッツがこっちに戻ってきた。 「ポーション?」 「まーさか。もったいない。洗うだけ」 「ふーん」 「そういうちっこいキズが膿んだりしたらめんどくさいからな」 「よく気づくよな。……慣れてる?」 そろりと何気ない口調で探りを入れる山猫に、しかしバッツはまるで気づかぬ口調で、「慣れてる!」と即答した。満面の笑顔で。 「ほら、おれずっと旅暮らしだからな。仲間がそういうことになったら気づくことにしてるんだ。誰かが倒れたら大変だし」 「仲間か。かわいい女の子とか?」 「まぁな!」 ちらり、とジタンの目がこちらを伺った。この、山猫め。スコールは内心でジタンをののしるが、しかし、胸の中の振り子がぐらりと危うい感じで揺れるのを抑えられない。女の子? 仲間? 「でも、基本的にはボコだよ。チョコボはしゃべれないから、こっちで気づいてやんないと、だし」 「あっそう」 「ンだよ、その言い方。なんか隠してるとでも思ってるのか?」 「まさか。お前に隠し事なんてムリだろ。単純だもん」 「単純って言うな」 「たんじゅーん」 「言うなー」 べえ、と舌を出すジタンと、楽しそうに言い返しているバッツ。スコールは思わずひたいを抑えた。 (子ども…) こんな幼稚なやつ相手に、ゆさぶられてどうする。冷静でいないとひとりではいられない。そう憶えたのはいつだった? 「ぎゃっ!」 そんな風に考えていると、いきなり、横からの悲鳴で引き戻される。みたらジタンがびじょぬれになっていた。頭から水をぶっかけられたらしい。水に濡らされたネコみたいにぶるると身震いをする。盛大に水がとびちった。 「こぉらバッツ、何するんだよ!」 「水も滴るいい男、じゃないのか?」 「じょうだんじゃねー!」 「おい、いつまで遊んでいるんだ」 いい加減、スコールも口を挟まざるを得ない。幼稚な二人はお互いに子どもが意地を張り合うみたいにべーっと舌を出し合った。ジタンはぶつくさ言いながら髪の毛を気にしている。それを見ていたバッツが、こちらを向くと、ふとスコールの顔を見下ろして、何かを思いついた風にニヤリと笑った。 ひょいと、こめかみのあたりに手を当てられる。どきんと胸が打つ。不意打ちで動けない。硬直するスコールの目の前を、ふわりと薄茶色の髪がかすめた。 ヒュウ、とジタンが口笛を吹くのが聞こえた。 まぶたのきわのあたりにあたたかくぬれた何かが触れた。かすかに吐息が耳に触れた。目元のあたりにチリリと微かに痒いような感覚がする。舐められた、と気づいたのは、たっぷりと一拍以上は立ってからだった。 「―――ッ!?」 「こら、じっとしろ。噛んじゃうぞ」 「おい、ばっ……」 忍び笑いが横から聞こえる。小さな山猫が含み笑いというにはおおっぴらすぎるニヤニヤ顔でこちらを見ていた。ここでうろたえれば思うツボ。スコールはとっさにぎゅっと目をつぶってしまう。なんだこれ。どうしろっていうんだ。どう反応しろっていうんだ。 すこし乾いたくちびるがまぶたのきわをこすって、そして、離れた。思わず体から力が抜ける。脱力してへたりこむスコールに、「びっくりしただろ?」とバッツがからからと笑った。 「ジタンのせいだぜ。うらむならジタンをうらめ」 「なんだよそれ、逆恨みじゃねーか」 「だって勢いでぶっかけちゃったんだし。お前のせいだぞ」 「知らねーよ。バッツ、こっちもー」 「へいへい」 ねだり声でいって、しどけなく尻尾をくねらせる。9割がた冗談には間違いなかったが、今のスコールには刺激が強すぎた。思わずびっくりするような大声を上げてしまう。 「ッ何やってんだ莫迦ども!」 驚いたように動きが停止する。バッツの薄茶色の目がまあるくなってこちらを見ていた。薄茶色。金色の混じった色。透きとおるような。 ジタンは肩をすくめて、バッツの首にからめていた腕を解いた。「怒られた」と言う声に、バッツの目がぱちぱちとしばたく。 「いきなり顔舐めるとか、ないだろー」 「え、そう?」 「スコールさんびっくりしたってさ」 言うとおりだが、その言いようはないだろう。ものすごい目でにらみつけるスコールに、小さな牙みたいな八重歯を見せてちょっと笑う。こちらはあきらかに確信犯だった。ささやかな意地悪の色はひらめくようにすぐに消えうせて、すぐに、闊達な少年のいつもの表情が戻ってきた。 「バッツのコミュニケーションってなんか変」 「変って言うなよ。だって、慣れてないんだし」 すねた口調で言う。怪我どこ、と言われて、このあたり、とジタンの生え際のあたりを布で押さえる。よくみるとたしかに擦り傷がある。まともに目に入ってこない。 「オレずっとボコと二人旅でさー。ボコ文句とか言わないしさー」 「スコールと同じってこと」 言って、ちらりと流し目をくれる。しかし今度はバッツがすかさず否定した。「まさか!」と笑いながら。 「さすがにスコールとボコは違うって。お前ひどいよー」 「そう? どう違うわけ?」 「どうって…… そりゃ違うよ。なぁ?」 スコール? そう同意を求められて、どう返事をしたらいいのかわからない。「あたりまえだ」と答える声はずいぶん浮ついている気がした。また、ジタンが笑った。猫みたいにビロードの喉を鳴らして。 ああ、わからない。全然わからない。どうしたらいいのかわからない。 こいつらの前だと俺はまるで何も知らない子どもだ。そう思ってスコールは目をそらす。頬が熱かった。風が、ここちよかった。 子どもみたいなぼくらの子どもじゃできないゲーム |