20万HITリクエストSS 耳のあるロボットの唄 化けものみたいにでかい、夕暮れの雲。 それが目印だと彼は言った。 「大丈夫、そいつをおっかけてけば、お前はちゃんと戻れるよ。どこにでも帰りたいところに帰れるし、おれたちにだって会える。だから、はぐれても心配はいらない」 ほらああいう、と言って彼が指差す先には、ものすごく大きな《化けものみたいにでかい雲》があったのかもしれないが、生憎、《かれ》の記憶には何一つとして残っていなかった。 空なんていつでも見られる。《かれ》は、いつまでも生きられるのだから。夕暮れなんて千回も、万回も、見られるはずだった。 だから《かれ》が見ていたのは、彼の指先のほうだった。空色のスリーブと、色石の腕飾り。それから彼の指差す方向に立っていて、こちらを振り返りもしない後姿、それだけを、身じろぎもせずに見つめていた。 ジタンと、《ジタン》のいた頃のお話だ。 ジタンと、《ジタン》のことを見分けるのは、ものすごく簡単だった。 実際のところ同一人物なのだと思うと、それは本当はとても可笑しなこと。でも、バッツだけではなくスコールだって、一歩踏み出した足音を聞くだけで、ジタンと《ジタン》の区別を付けられる。 その話を聞かされて、「それが何だよ」と嫌そうに顔をしかめたのがジタンで、「何のために?」と真顔で問い返したのが《ジタン》だった。同じ顔、同じ髪、同じ手足、瞳。なのに、浮かぶ表情はあまりにくっきりと違っている。そのせいでなおさら、まったく同じ顔立ちが際立つのだということに、あの二人は気付いているんだろうか。 夕暮れが終わって空が暗くなってくるころ、バッツが《ジタン》の手を引いて二人のところに戻ってきた。黙りこくるジタン相手に困り果てていたスコールは、いつものような屈託のないにこにこ顔で戻ってきたバッツに、一瞬だけ安心しかける。だが、「遅くなってゴメン」とバッツが言った瞬間、ジタンのほうがばね仕掛けみたいに立ち上がるから、思わずびくりとすくみあがりそうになってしまう。 実際のところのスコールは、表情一つ変えはしなかったのだけれど。 そのせいで面倒ばかり背負い込む損な少年を一瞥すると、ジタンは大声で、「見回りしてくる」と宣言する。そのまま身軽に地面を蹴ると、火の届かない闇の向こうへと消えうせた。 (協調性のないやつ…!) 内心でののしるスコールと、にこにこしながら火の傍に腰掛けるバッツ。隣の《ジタン》も大人しく隣に座る。スコールは何を言っていいか分からず、黙って焚き火に木切れをくれる。 ぱちりぱちりと生木の割れる音がする。 火と夜の匂いも。 「スコール」 「何だ」 「お湯沸いてる? お茶いれるから。途中で材料取ってきたから。お前も飲むよな、《ジタン》」 スコールは手を伸ばし、火の傍に置いて湯を沸かしていた水筒を取る。そのついでに横目でちらりとバッツの隣を見る。大人しく膝をかかえて座っている少年。人形のように小さな顔。きらきら光る青緑の目。ビーズ細工のように、火を照り返し、何の感情もなくちらつくだけの二つのひとみ。 「お茶?」 「そうだよ。こういう旅の途中に飲んでおくと、病気にならない。ちなみに苦いのは嫌いか?」 「どちらでもいい……」 「そうか。でも、蜂蜜も入れたほうがいいな。ジタンは甘い方が好きみたいだから。スコールはどうする?」 急に話をふられて、スコールは内心でぎょっとした。 「……俺はいい。甘いものは、好きじゃない」 「ふーん、そう。じゃおれもいいや。代わりにお前らの分、すげえ甘くしちゃう」 うつむき加減に振り返りもせず、淡々と答えるだけの《ジタン》。それにまるで構いもせずに、バッツはあれこれと隣からやかましく話しかけている。なんとなく、ここを出て行ったジタンの気持ちも分かると、スコールは闇の向こうに目を向ける。蜂蜜色の髪をした《尻尾のある少年》の姿は、陰も形も見当たらなかった。 ジタンと《ジタン》。 同じ姿かたちをしたふたり。 言うまでもなく、スコールとバッツの仲間であった少年は、闊達でしなやかな精神を持った"尻尾のある盗賊"のジタン・トライバルのほうだった。彼らはもうずっと三人で行動を共にしていたし、「このジタン」以外に「ジタン」が存在しようとは夢にも思ったことはなかった。当たり前のことだ。 でも、その「当たり前」が崩れたのは、今からほんの一週間ほど前のこと。 困った事態が起こったとセシルに言われ、《秩序の聖域》へと呼び戻されることになったときからだった。 (見た目だけだったら、本当にジタンとまったく同じだ……) ちらちらと揺らめく火に照らされながら、スコールはひっそりと、一週間が過ぎてもまったく変わらぬ驚きをかみ締める。バッツが入れてやった薬草茶を、《ジタン》はだまってちびちびと飲んでいる。熱くないか? 痛くはない? とバッツが隣から何回も声をかけていた。 《ジタン》がまったく冷まさないままの肉を口にして、口の中にひどい火傷をしてしまったくせに、まるきり黙ったままで食事を続けてしまった。それが四人で行動するようになってから一日目の晩のことで、バッツはそれから食事のたびに、何くれと《ジタン》のことを気にかけている。 言われるままに薬草茶を冷まし、口にし、ときおり冷めたパンを口に運ぶ。機械的なしぐさがひどく違和感を感じさせる。ジタンはバッツと同じで、どちらかというと食事も会話もにぎやかならにぎやかなほうがいいというタイプだ。こんな風に粘土でも食べるみたいに味気なくモノを食べられては、違和感はひどくなるばっかりで。 「おい、スコール、冷めるよ?」 「……?」 「お前のお茶だってば」 からかうような口調で言われて、ようやく、手に持ったままのカップを思い出す。とたん、憮然とした顔になってカップを口に運ぶスコールに、バッツは、くつくつと笑い声をもらした。 「美味い?」 「……そこらの草をむしって、煎じたみたいな味がするな」 「そりゃそうだ、そこらの草をむしって煎じてるんだし」 いちおうはちゃんと選んでむしった《草》なのだから、これはバッツ流の冗談なのだと思うけれども。 「《ジタン》はどう?」 「《どう》とは、何がだ?」 こちらのほうも冗談だったら、どんなにいいか! 「美味いか、不味いか、甘いか、苦いか、他にもうーん、何でもいいや!」 「特に何も」 「そうか?」 淡々とした口調が急にいらだたしくなり、「おい」とスコールは声を上げかける。けれど。 「んじゃおれ、ジタンのほうにも差し入れ持っていく。スコール、後は頼んだぜ」 「なんだって?」 急に押し付けられて、スコールは面食らう。が、バッツの方はさっさと立ち上がって裾を払っている。「おい!」と思わず腰を浮かせかけるけれど。 「いいから、《ジタン》のこと見ててやって」 通りすがりざまに、バッツにぎゅうと頭を押さえつけられてしまう。 「すぐ戻るからさ。腹減ったらもう飯食って寝ててくれていいから!」 (勝手なことを!) 「じゃあ、頼んだぜ、騎士さまっ」 ぱちりとウインクを残して、バッツはそのまま、軽い足音を残して闇の向こうへと駆けていってしまう。こうなったら否が応でも二人きりだ。スコールは情けない気分で、火の向こう側の《ジタン》のほうをみる。 保護者というよりも親鳥のように面倒を見てくれていたバッツがいなくなり、《ジタン》は不安な顔をしているかと思えば、相変わらず表情のひとつもなく、黙って座っているだけだ。 蜂蜜色の髪が光を受けてかすかにきらめく…… 人形のような、人形同然の、端正さ。相変わらずかとスコールは思いかけたが。 「彼は、どこへ行ったんだ?」 無感情に問いかけられて、なんとか思い直す。 「お前のオリジナルを…… もう一人のジタンに、茶を持っていったらしい」 ぶっきらぼうに答えると、「そうか」と答えて、また元通りに黙ってしまう。そんな《ジタン》にスコールは眉を寄せる。これは、やはり。 (バッツのことが気になるのか?) 気持ちは分からないでもない。バッツは、秩序の兵たちのなかで一番、《ジタン》に対して親しみを持って接している。そもそもバッツがいなければ、《ジタン》がどうなっていたかもよくわからないくらいなのだ。ジタンと《ジタン》。同一人物であり、同じ魂を持っているはずの二人。 同時に同じ場所に、時間に、存在しているはずがない二人。 ほうっておくと黙っている。何も言わなければ何もしない。ぽつんと座り込んだ姿はまるきりただの《人形》で、そんな姿がジタンを苛立たせているのだろうとスコールにもなんとなく想像が付いた。苛立つというよりも、不安なのだろうと誰だかは言った。たしか、言ったのはクラウドだったかと、スコールは少し遅れて思い出す。 《秩序の聖域》に集められたとき、彼らはそれぞれの反応を見せたと思う。驚いたもの、警戒心を露にするもの、不安がるもの。そんな秩序の兵たちを無感情に見つめ返して、《ジタン》はぽつんとそこに立ち尽くしていた。 「イミテーション…… じゃない、の?」 「違う。コスモスはそう言っている」 恐る恐る問いかけるオニオンは、不安げに目を瞬くティナを、小さな背中いっぱいにかばおうとしていた。小首をかしげたのはセシル。困惑も露わに眉を寄せていたのはフリオニールだった。 「ジタンにそっくりだけれど、この子は誰なの? コスモスは何て言っていた?」 「ええと、お前は…… 君は、誰なんだ。何処から来た?」 フリオニールの問いかけに目を上げるけれど、答える様子は一向に無い。視線がしばらく彼らの間をさ迷い、やがて、ジタンの方を見る。ジタンは、見たことも無いような顔をしていた。眉を寄せた表情。……不安げな顔。 「彼は、ジタン本人だ」 「何ッスかそれ?」 「同一人物だということだろう」 「ちょ、え、リーダー、それアリ!? 同一人物が同じところに何人もいたら困るッスよ!」 「事実なのだから仕方が無いだろう」 仕方が無いといわれても。 淡々と答えるWoLは、自分の言っていることに何の疑問も抱いていない様子。困り果てたのは仲間たちのほうだった。 いくらこの世界がでたらめに出来ていると言われても、いきなり、《仲間の同一人物》などというものに沸いて出られては困ってしまう。しかも顔かたちは同じ鋳型から出てきたようにそっくりでも、そこにひっそりと立ち尽くしている彼の様子は、ジタンとは余りに異なっているように思えた。そして案の定。 「……あのさリーダー、いくらなんでも冗談きついよ? いきなり、コレがオレの同一人物とか言われてもさ」 ジタンは肩をすくめた。隣のバッツが目を瞬いている。微妙な違和感を感じたんだろう。スコールも同じだった。砂が混じったような微妙な違和感を、しかし、まるで無視したような様子で、ジタンは奇妙に早口に言う。 「コスモスだって判断ミスくらいするだろ。オレとそっくり同じ顔で、でも表情もないしまともに口も利かないんだろ。だったらやっぱり、《まがいもの》なんじゃないの?」 「ジタン、そういうこと言うのは、ひどいと思う」 割り込んできた相手が予想外だったのか、ジタンはとっさに言葉の続きを途切れさせる。ひどく真面目な顔をして、ジタンのほうを見ているのはティナだった。亜麻色の髪の少女は、珍しくも強い口調で言う。 「この子が誰だとしても、少なくとも《まがい物》なんかじゃないと思うの。だからってどうしたらいいとか、そういうの、わたしには分からないけど。でも……」 でも? でも、どうするんだろう? ジタンはしばらく黙って、それからちょっと目線をそらした。 「分かったよ、オレが悪かった」 ぼそりと一言だけつぶやいて、それきり何も言わない。 どうしたらいいのか分からない。口に出さなくても、そっぽをむいた横顔が主張している。ぼそりと誰かがつぶやいた。クラウドだと気付いたのは一拍過ぎてからだった。 「さすがにジタンでも、これは不安になるらしいな」 どうやらジタンには聞こえなかったらしく、反応はなかった。だが俺は無性におちつかない気持ちになる。 どうしようもなくて(なんて無様な!)、すがるような気持ちで隣を見る。が、肝心のやつはそこにはいない。ぎょっとして振りかえると、そいつは、好奇心たっぷりできらきらした目で、《まがい物》の前に膝をつき、興味しんしんの様子で顔を覗き込んでいた。 「なぁお前さ、ジタンなの?」 「わからない」 「そっか、じゃあ名前は?」 「……知らない」 訥々とした返事だった。ジタンが、片手で顔を抑えて、なんだか呻くようなつぶされたような声を上げた。バッツは案の定、満面の笑みで、誰もが想像したとおりのことをいう。 「それじゃあ、お前も《ジタン》にしよう。よろしくなっ、《ジタン》!」 まだ途中ですよ(9/10) |