ecco






 大丈夫、何度でも逢えるから。
 また、逢おうな。
 
 またな。
 
 俺の、……



 風の歌は、空気の流れにのり遠くまで届く。上手く空気の流れを、あるいは入り組んだ壁や構造を使って反響させれば、ときに人呼ぶ笛の音は驚くほど遠くにまで届くことがある。スコールは、つい最近になってそのことを知った。
 バッツが、二本の指を口に入れ、たっぷりと息を吸い込んで吹き鳴らすと、鳥の鳴き声のような音が響き渡る。ヒューイ、ヒューイ、と。バッツはそれからしばらく、高い岩の上に立ったまま、耳を澄ましていた。
「…あっ、聞こえた!」
「近いか?」
「ちょっと待って。確かめてみる」
 大きく風が吹き、バッツのマントが空気をはらんでふわりと舞い上がり、ひるがえる。バッツは巧みにその流れに音を乗せた。ふたたび音が響く。短く一回、長く伸ばして二回。スコールには意味のよく分からない暗号だった。ジタンもそうらしく、顔を見ると、ちょっとつまらなさそうな顔をしていたのを見つけられて、露骨に狼狽した様子を見せる。
 やがて、風の向きが変わり、しばらく耳を澄ましていたバッツが、ちょっとがっかりしたような顔で岩から降りてくる。「どうだった?」とジタンにたずねられ、首を横に振った。
「あー、こりゃ遠いって。ぜんぜんだめ。しばらく合流できないって言ってる」
「ふーん……」
「でも一人じゃないみたいだな。ムリに合流しなくてもいいんじゃないか?」
「そっか〜。じゃあ、今日はここで野宿か! ちぇっ〜」
 ジタンの尻尾が不服そうにおおきく揺らされて、それから、ちかくの地面へとぽすんと腰を下ろす。「ティーダに逢いたかったのにさ」と口を尖らせる。
「なんだよ。なんかあったの?」
「オヤジさん見かけたから、教えてやろうかと思って」
「なんか、喜ばなさそうだなぁ」
「オレだってむさいオッサンなんてうれしくねーよ」
 そんな悪態をつきながらも、やっぱりあの二人の間柄を心配しているらしいジタンはいいやつだ。バッツも似たようなことを思ったらしい。なにやらにまりと笑うと、「オレで我慢しない?」とずうずうしいことを言う。ジタンは鼻の頭にしわをよせる。
「今日はどんなのが好み? 可愛い女の子? きれーなお姉さま?」
「ちょっ、キショ… やめろよバッツ!」
「ジョブマスター舐めんなよ。お好みどおりにしてやろうじゃんか」
「やだー! 男はいやだ〜! こっち来んな〜!」
 ばさっと覆いかぶさってきたバッツに、ジタンはあわてて逃げ出そうとする。が、すかさずマントを頭からかぶせられて逃げそこなった。ぎゃあぎゃあと転げまわって騒いでいる二人を尻目に、スコールは、ため息をつきながら腰を下ろす。今夜は不寝番だ。
 しばらくうるさい気配が背中から聞こえてきたが、やがて、ジタンの怒鳴り声がすると、静かになる。しばらく黙って背中を向けていると、ふいに、背後から腕が肩にしがみついてきた。また、ため息。
「ジタンに嫌われた。振られた〜」
「あたりまえだ」
 …というよりも、ジタンでなくとも逃げるだろう。
「ちぇっ。俺そんなに未熟かぁ? もうちょっと誘惑スキルあげるべき?」
「そういう問題じゃないだろう……」
「そうだよ!」
 怒鳴り声が聞こえてくる。さすがにスコールも振り返る。ジタンは見上げるくらい高い場所に器用に座り込んで、思い切りこちらに向かって舌を出してみせる。
「ンだよ、せっかく癒してあげようと思ったのに。俺が」
 (その、"俺が”が問題なんだろうが)
「すごく癒せる自信あるのにさー」
 (だから根本的に間違っている)
 思えど言いはしない。ここで口をはさんで巻き込まれるのがそもそも面倒くさい。自分までガキになるのはごめんだ、と思いつつも、スコールは背中にひっついている子どもっぽいやつが自分より三つも年上だったと思い出す。なんだか、どっと疲れた。深い深いため息をつくスコールに、「何だよスコールまで!」とバッツがむくれる。
「試したりしないでいきなりダメだしとか、ひどくないか?」
「最初からあんたに期待なんてしてない」
「あっ、ひでえ」
「だいたいジタンに何ができる気なんだ?」
「えっ? えーと」
 肩越しに振り返ると、バッツは首を捻って考え込んでいた。考えてなかったのか…… ますます莫迦だ。だがスコールがそんな風に内心で思っていると、バッツは急に、「あ、そうだ、歌うとか!」と唐突なことをいいだす。
「歌う……」
「出来るぜ? かなり。なんだって出来ちゃうんだから、バッツさんは」
「嘘付けー!」
 また、声が降ってくる。振り返るとジタンは木の上くらいの高さがある場所から野次を飛ばしている。これでモテるも何もないだろうに。どっちもどっちだ……
 だが、そう思いかけたとき、ふとスコールの記憶に、何かが引っかかった。
「バッツ……」
「ん、なに?」
「あんたは、草笛が吹けた?」
 バッツはきょとんと目をまたたいた。煙水晶のひとみ。すぐに顔いっぱいに満面の笑みになる。「なんだ、それがリクエスト?」とうれしげに答えた。
「草笛って、ティーダのアレじゃなくて?」
「あれは指笛。草笛はこっち」
 バッツはちかくの地面から草の葉をむしる。それを口に当てたかと思うと、ピピピピィ、と小鳥のような音を出してみせた。ジタンの目が丸くなった。バッツは目だけで少し笑って、音を次々と続けていく。
 甘く、どこかしらノスタルジックなフレーズ。草笛の素朴な音には見合わない。けれどバッツはその差を丁寧になだめるようにして、たくみにメロディをつづりあげてゆく。まるでピアノのキィを奏でるかのように。
 ひとくさりのメロディを紡ぎ終えると、バッツは小さく息をついて草の葉を離した。「どう?」と茶目っ気たっぷりに問いかけられて、ジタンはようやく我にかえったらしい。
「驚いた……」 
「そうだろ、そうだろ! 尊敬しろ!」
「その言い様がなけりゃなぁ」
 ジタンはまた鼻にしわをよせてみせる。が、今度はほんの一瞬だった。ぴょんと身軽に立ち上がると、ごくなにげない動作で高い場所から降りてくる。今度は興味しんしんで、バッツの顔を覗きあげてきた。
「そんな特技まであったのかぁ。お前、見た目よりも有能だよなぁ」
「見た目よりとか言うなよ!」
 バッツは笑いながら、ジタンの頭を小突く。
「音楽の才能、あるんだぜ? 楽器も得意だし」
「マジで?」
「うん。ピアノとかハープとか。音さえだせりゃなんでも」
 ジタンはため息をついた。感心した様子で。
「人って見かけによらないって、マジなんだな」
「……いくらなんでも、ひどくないか?」
 さすがのバッツもぼやきだす。ジタンはすまし顔で金色の尻尾を揺らしていた。いつもどおりだ、とスコールは思う。ふっと笑みがこぼれた。
「バッツ、あれの続きは」
「あぁ。聞きたい?」
「……ああ」
 珍しくも素直なスコールに、ジタンは目をまたたく。二人の間で視線をいそがしくめぐらせた。バッツはちぎった草の葉を器用に指先で巻く。くちびるに軽く加えて音を確かめる。くちびるの間からちらりと見えた歯が、すこしだけ緑色に染まっていた。
 スコールは目を閉じて、素朴でやわらかな音色を、しっかりと耳に捕まえようとする。自分の内側にある記憶とつなぎ合わせるように。
 その草笛の音を。
 その音色を。





 ……その日、夜遅くのこと。
 スコールが眠れないままで草の上で空をみていると、ふと、傍らから気配がした。草を踏む音。ほとんど足音を立てない軽やかな姿。
「なぁ、スコール」
「なんだ」
 ジタン。金色の髪の山猫は、どこか落ち着かない表情でスコールの隣に腰掛ける。バッツはたぶん、もうぐっすり眠っているのだろう。ふたりのほかに気配はなかった。
 ジタンは何かためらいがちに、言葉に迷っているように思えた。珍しいことだと思う。それでもスコールは何も言わないでいた。本当を言うとジタンの言いたいことはとっくに分かっていた。見上げる空は青瑠璃のようで、かすかに金の星がまたたいている。
「あのさ、スコール、昼間の…… バッツの」
「ああ」
 先手を打つように、スコールは、ジタンの言葉をさえぎった。
 青緑色の目が、ためらいがちにまたたく。スコールは淡々と答える。
「俺が教えた。あれは、元は俺が覚えていた歌だ」

  Whenever sang my songs
  On the stage, on my own

  whenever said my words
  Wishing they would be heard

 頭の中でくりかえされるメロディが、あの草笛の音にとって変わられる。懐かしい音色。すぐ傍に聞こえているにもかかわらず、何故かとても遠くから響いているように思える音色。
「……いつ、教えたんだ?」
「さあ」
「さあって……」
 ふいに、ちくりと痛みが胸をよぎった。スコールは目を閉じた。
「知らない」
 嘘ではない。本当に、知らないのだ。かすかに記憶はあるけれど、思い出すことが出来なかった。思い出してはいけない記憶だとも思っていた。
 くしゃりと草が倒れる気配がする。ジタンがぎゅっと膝を抱え込んでいた。金色の尻尾がくるりと不安げに体に巻きつく。そうやってみるとジタンはずいぶん小柄で華奢な姿をしているとスコールは思う。
「オレたちって、何なんだろうな?」
「……」
「オレはずっと、バッツとお前とつるんでる。なのにバッツはオレの知らないこといっぱいしってるし、スコールだってオレの知らないバッツのこと知ってる」
「……ああ」
「バッツのあの指笛だって…… いつティーダから習ったのかぜんぜん憶えてない。それにティーダのオヤジさんはホントは悪いやつじゃないって、どうしてオレは知ってるんだろう? ……おかしいよな?」
 自分に覚えのない記憶が、いくつも、いくつもあるということ。
 自分の知りもしないことを、いつの間にか知っているということ。
 スコールはまた目を閉じる。苦痛に耐えかねたように。うちがわから胸を突く痛み。知りもしない記憶。
 バッツがいた。ジタンもいた。けれど何かが少しづつ違っていた。ずれていた。スコールは呟く。
「ジタン、憶えているか」
「へ、何」
「ティナと、戦ったこと。ジェクトに助けられたことがあること」
 はっ、とジタンが息を呑む気配がした。スコールはゆっくりと自分の中の深い水に指をさしいれる。自分でも知らない自分の中の忘却。胸を鋭く刺す失われたものの破片。
 ティナ……
 儚げな姿をしたあの少女が、金のひとみを無感情な肉食獣の喜びにきらめかせ、ひとで無いもののように襲い掛かってくる姿を見た。どれだけ必死にいなしても、追いすがるように地を砕き、吹き上がる激流からは逃げ切れない。水がつきささり、皮膚を切り裂く。真っ赤なものが飛沫する……
「お前も、だったのか?」
 ジタンの声が、今までに知らないほどか細く、不安げに聞こえた。本質的に勇敢で心の靭いはずの彼。それが、こんな風に。
 理由は、思い出せた。
 もう一人の《彼》。もう一度だけ前の《彼》。……姿が少し違っていた。力の容も。それが、致命的な結末を、招いてしまった。
 どこででも見るような茶色い色の髪をしたバッツ。だが、本当はあの髪は違う色をしているのだ。赤みかかった金色になるまで髪の色を抜いているティーダと同じように。理由を聞いたことはあっただろうか。無い、と思う。そもそも《今の》スコールが、バッツの生まれつきの髪色を知っているはずが無い。
 思い出す。透き通るようにやわらかく、淡い草色をした髪をしていた頃の、彼のことを。
 
 彼を失くしたことを。

「なんでか知らないけど…… オレ、バッツのことがときどきすごく心配になるんだ」
 ジタンが不安げにつぶやく。スコールは黙ったまま聞いていた。
「別に、あいつは心配しなきゃいけないやつだとは思わないのにさ。フラフラしてるしガキっぽいけど、ほんとはオレよりも旅慣れしてるくらいなんだから」
「……そうだな」
「でも…… でもさ、もしも《間違ったこと》がおきたら、どうする? バッツに何か、《間違ったこと》が起こっちまったら、オレはどうすりゃいい? どうやってあいつに謝ればいいんだ?」
 《間違ったこと》が起こってしまったなら、どうやって。
 スコールの中で、刹那、痛いほどに生々しい感覚が、よみがえってくる。
 あたたかく濡れた指先。
 そのくせ、どうもなく、頬へと握り締めたその指が、見る間に冷たくなっていったということ。
 その恐ろしさ。
 その絶望。
 何も、出来ようがなかった。遅すぎた。ジタンへの、執着を通り過ぎて愛じみた感情に駆られた彼は、たわむれに蝶の羽をむしるように、バッツのことを壊していった。おそらくはただ戯れだけが理由で。他には何も、訳などはなくて。
「何にも理由とか…… こういう風に思う訳とか、わかんないんだけど」
「……」
 かぼそく呟くジタンに、スコールは何も言わなかった。何も、答えられなかった。あのときは確かに、スコールすら、ジタンを責めたかもしれなかった。激情にかられ、何故彼だったのかと、まったく意味も無い怒りをぶつけたことがあったかもしれなかった。
 あれは、何だったのか。《もう一度だけ前のこと》は、ただのまぼろしなのか。思い出せもしない記憶など、価値はないと思うほうが正しい。スコールの理性はそう告げていた。けれど。それでも。

 

 大丈夫、また逢おう。
 だから泣くなよ。
 またな?

 俺の、スコール。


「忘れろ。ただの思い過ごしだ」
 自分が思ったことと、まったく逆のことを、スコールは何故か口にしていた。
「でも」
「そんなことを考えていたら、剣筋が乱れる。敵の思うが侭になるだけだ」
 ジタンは黙った。指先にぎゅっと力が込められるのを、スコールは見た。その葛藤が触れているかのように生々しく分かると、スコールは思った。
 それでもやがて、力をなくした金色の尻尾が、ぱたりと草に落ちる。ジタンは少し笑った。ほかにどんな表情をしようもない、という顔だった。
「……分かった。スコールの、言う通りかもな」
 その返事に、スコールは急に、何かをわめきちらしたいような衝動に駆られる。だが、無理やりに目を閉じ、スコールはその衝動を無理やりに押さえ込んだ。無意識の闇に押し込めて。すでに過去だから価値の無いものだと鍵をかけて。


 けれど、本当は知っていた。
 何度でも、何度でも、同じことは起こったのだと。

 遠くへ別れてしまうとき、バッツは必ず同じことをいう。
 またな、と。
 その別れがどんな形であっても、それがただの短い別れに過ぎないかのように、バッツは笑う。そして言ってのける。また逢おうと。
 またな、また逢おう。
 元気でな、俺のスコール。
 
 けれど、《また》とはなんなんだろう? どれだけ別れればいい? どれだけ見送れば、そして取り残していけばいい?
 出口はどこにある。たどり着く場所はどこに?


 どれだけ同じことを考えても、答えは決して見えない。
 胸の中のくらがりに、ただ、遠く懐かしい草笛だけが響くのを、スコールは、感じていた。

 


 
 





何故、あのジタンが、バッツたちとはぐれてあんなに取り乱したのかという話。
緑髪バッツはSFC時代の遺物です。