You were there




「あんたの言うことは聞けない、悪いけど」
「……何だと」
 彼は、片翼の天使は、ふと聞こえてきたやり取りにうっすらと目を開いた。どうやら、彼の揺籃たる星の体内へと、降りてきたやつばらがいるらしい。
「貴様は、あの男に従うというのか。それとも輪廻のわだちに足を取られ、かつての仲間への情に負けたか。あるいは願いを果たすという目的すら忘れ去ったか、虚ろなる風よ」
「あんたの言い方って難しくて、よく分かんねぇ」
「……」
「もっと分かりやすく言ってくれ。意味分かったら考えるから」
「……貴様」
 そこまで聞いて、笑いが抑えられなくなる。くつくつと低い笑い声が漏れたのに気付いてか、「あ、いた」と嬉しそうな声が頭上から降ってきた。彼は、岩陰から顔を出す。嬉しそうな顔で手を振っている青年が一人。
「皇帝陛下のお出ましか。だが、今日はお供の一人も居ないらしい」
 皮肉というよりもからかうような気持ちを込めて呼びかけてやると、彼のやや後方に見えていたもう一人が露骨に機嫌を崩したらしい顔になる。ばさりと紫紺の外套を翻すと、その姿が、消える。ぱちくりと目をまたたいていた青年だったが、すぐに彼の方へと振り返ると、「消えちゃった」とやんちゃらしい顔をした。
「寝てたのか、セフィ?」
「もう、目は醒めてしまったがな」
「あぁ煩かったか。いいよな、別に」
 相変わらずのマイペースぶりは変わらず、青年は彼に咎められたとは微塵も思わなかったらしい。光るような目を可笑しげに細める彼の様子に気付いてか気付かずか、彼はそのまま岩を伝って降りてこようとして…… はた、と手を止めて困った顔をした。眉を寄せた表情が可笑しい。
「どうした、バッツ」
「あのさセフィ、」
「降りて来られるだろう、私のところまで?」
 彼は、銀髪のセフィロスは、ゆったりと手足を伸ばし、起き上がる。あの青年が足場の不確かな場所が苦手らしいと知ってその困惑を面白く思う。眉を寄せた顔で自分の居場所と彼の場所の高さを天秤にかけていたらしい青年だったが、まもなく、自分の手には負えないとわかって、諸手をあげて降参した。
「やめてくれ、降りらんないよ! あんたが来てくれよ!」
 そのしゃべり方は、まるで同年代の友人に話しかける若者だ。その様子を不快というよりはひどく面白く思う。セフィロスは、光るひとみをまたたいた。青年を見つめる。彼を、無垢な風たるバッツを。

 まったく、この私に、今になってこんな口の利き方をする人間がいたとは!

 それからしばらく押し問答をしていたが、やがて、動かないセフィロスに焦れたバッツは、へっぴり腰になりながら岩肌を伝い降りてきた。そのころにはセフィロスはもう起き上がり、背中を岩塊に預けたままで興味深くバッツの様子を眺めていた。どうやら、この星の胎内の様子が本当に怖かったらしい。バッツは上りすぎた樹からおっこちた子どもみたいにばつの悪そうな顔をして、セフィロスの隣に座り込む。
「落ちなかったな」
「あほ! なら助けろ!」
「何故私がそんなことを?」
「……するわけないよなぁ、分かってるけどさ」
 はあ、とため息をついて、ばりばりと髪を引っかく。そして顔を上げてちょっと笑う。照れたような上目遣い。興味深い。同時に、どこか奇妙な感じがするものでもある。
「皇帝と、何を話していた?」
「ん? あんたのこと。それと」
 あんたの大切な、あの子のこと。
「クラウドか」
「皇帝に言われたんだ。あの子をやっつけてこいって。おれなら出来るだろうってさ。でもやだったから、断った」
「ほう?」
「あんたの獲物だろ。横取りはできない」
 当たり前のような口調で言われて、セフィロスは思わず、相好を崩した。
「……それは、それは」
「なんだその口調さー」
「意外だと思っただけだ。お前がそれほど義理堅かったとはな」
 バッツはつんと鼻をそびやかす。笑った顔がいたずらっぽい。
「それだけじゃない。あの人を見てると、なんか、困らせてやりたくなるんだ」
「皇帝か?」
「そ」
「災難なやつだ。お前のようないたずら者に見込まれるとはな」
 何気ないやり取りだ。言葉をお互いに交わすことがひどく自然で、それが、セフィロスにはひどく奇妙なものと感じられる。すでにがらんどうになっているはずの胸の内側を何かがぱらぱらと撫でる感覚。セフィロスは、それを楽しんでいた。どのみちこの青年には情というものがまるでない。今は自分になついているように見えても、風向きが変わればすぐに無関心に別の方向を向いてしまうと知っている。だからこそ、そばに置いて楽しむこともできるのだから。
「で、そのセフィは何をやってたわけ?」
「英気をやしなっていたところだ」
「ふぅん……」
 バッツは目をまたたく。興味深そうに視線を落とした。削いだような岩肌を内側から焙るように照らす光がある。融けた硝子のような滾る液体が、青白い光を放って轟々と渦を巻く。が、本来ならば放たれるはずの熱も、放射も、そこにはない。ここに開いた傷口はあくまでかりそめのものに過ぎないから。
「きれいだな、相変わらず」
「……」
「ぎゃっ!?」
 顔を出して興味深そうに下を見ていたバッツを、ふと、思い立って正宗の先端でつついてみた。とたん飛び上がるようにして戻ってくる。あわてて岩にしがみつく。可笑しい。セフィロスは思わず声を出して笑った。
「あんたさあ、やめろよ、そういう悪戯!!」
「される隙を見せるほうが悪いと思わないか?」
「根性悪」
「おや、ありがとう」
「……うぅ……」
 ほんとうに、突き落としてみようか。セフィロスはふとそう思った。
 薄茶色の髪、ひとみ。手足はしなやかに伸び、弾けるように機敏なしぐさが、流浪の旅を楽しんできた生き様を生き生きと表している。セフィロスが、今までにほとんど知らなかった種類の人間ではあった。移り変わり立ち代り、変容することの鮮やかさをこそ、己の生きる喜びとする魂。
「その目、やめろ」
 ふと、本気のまなざしをみせていたらしい。セフィロスの様子に気付いたバッツはちょっとすねたような口調で言う。
「あんたのこと、気に入ってる。変な手出しはしたくない」
「ふむ、光栄だな。だが私もお前のことは嫌いではない」
「思い通りの人形におれがなったら、がっかりするんだろ? やめとけよ、そういうの」
 ぱちりと、胸の内側を、爪で弾かれたようだった。
 セフィロスが……珍しくも……目を瞬くのをみて、バッツはちょっと面白そうな目をした。こちらに近づきたがっているのだろう。彼が、気に入った相手には子どものようにべたべたとまとわりつく癖があるのは知っていた。セフィロスは腕をひろげて招いてみる。
「おいで」
「……やめろ、そういうの」
 バッツはすねた顔をする。近寄ってはこなかった。
「あんた、おれが近づきすぎたら、いらいらする癖に」
「……」
「傍においといて、おちついていられるやつが少ないんだろ。知ってるよ。だから、あの子には手ぇ出さないって言ったんだ。あの子を消したら、あんたががっかりするから」
 あの子、あの子、とバッツは彼を呼ぶ。彼を、金の髪のクラウドを。だがバッツは直接クラウドと話した事も、そばに近づいたこともほとんど無い。だからクラウドがセフィロスの言うとおりの存在だと信じ込んでいる。セフィロスの、可愛いおもちゃだと。セフィロスは小さな子どものように、お気に入りのおもちゃをなくしては、満足に眠ることもできないのだと。

 ―――奇妙な男だ。セフィロスは、しみじみと、そう思った。
 
 光る風。しなやかな手足をしたバッツ。彼は、今生におけるカオスの手ごまのひとつだった。そして同時に混沌の闇にも秩序の光にもまったく興味を持たない気まぐれな猫だった。誰のいうこともに殆ど従わない代わりに、自分の好悪の情だけでふらふらとさ迷い歩き、気に入った相手の後ろをくっついて歩いては楽しそうな様子をしている。今回の《お気に入り》のひとりが、この、自分だ。自分がいまさら誰かの《お気に入り》になどなるとは思っても見なかったセフィロスは、この展開を面白いと思うと同時に、すこしばかり居心地悪くも感じていた。
 誰かに無邪気に好意の目で見られ、ときどきは友だちめいた顔で心配などをされるというというのは、セフィロスにとっては今までほとんど一度も味わった覚えのない体験だった。これが長続きするものではないと思えば好奇心という立場を崩さないでもいられる。けれど、ときおりは無性に苛立ち、この状況を力いっぱいに叩き壊してしまいたくなることもあった。お前の居場所はここではない、ここを去れ、とバッツに怒鳴りつけたくなる。
 そのことを、彼もうすうす知っているのだろう。セフィロスのことを遠くから目で追いながらも、バッツは彼への距離を詰めすぎることはない。すれすれの綱渡りをバッツはもうずっと続けていた。今のところは堕ちることもなしに。
 ひとみを閉じた間だけ物思いにふけり、目を開くと、バッツがこちらをじっと見ていた。気遣わしげな表情。眉を寄せ、「なんだ」とつぶやくセフィロスに、バッツは目をまたたく。
「落ち着いた?」
「……」
「怖い目してたぜ、今」
「ならば、逃げればいいだろう」
「危なくなったら逃げる。別に今は平気そうだしな」
「……」
 バッツは肩をすくめて、ちょっと笑った。苦笑いめいた表情だった。
「ややこしいやつ。いいよ、そういうの馴れてるから」
「どこで、だ?」
「忘れた」
 バッツはとすんと小さな尻を岩に下ろす。少しはなれた岩の上で。片膝を引き寄せて顎を乗せる。子どもっぽい面差しに渦巻く蒼光が照り映えて、大きな目が、玉虫色めいた色合いにきらきらと光っていた。
「あのさセフィ、なんつったっけ、あんたの大事なあの子」
「クラウドか」
「そうか、クラウド、クラウドね。何回も聞いてるんだけど憶えられなくってさ……」
「私のものだということは憶えていても、か」
「そうらしい」
 バッツは苦笑いをした。そんな表情だけが年相応に見える。二十歳の青年に。
「今さっき思ったんだけど、おれ忘れっぽいしバカだから、ここから突き落としたらホントに何の使い物にもなんなくなると思うぜ」
「たいていの人間はそうだろうがな」
「茶化すなよ。そうじゃなくてさ、まだ、おれは廃人にはなれないよ。少なくともセフィはまだ無事だ。だったらあんたの役にはたてる。まだこのゲームからは降りられない」
 セフィロスは彼を見上げる。目を細めて。バッツがこちらを見下ろしていた。ちょっと戸惑ったように笑ってみせる。表情がどこか、痛みでもこらえているようだった。
「仕方ないだろ。セフィは、おれがいなくなっても《仲間だった》って理由だけで満足するようなやつじゃない。違う?」
「満足する、か……」
「あんたのこと気に入ってる。だったら役に立ちたいじゃん」
 ―――繰り返す輪廻のなかで、本当は、別の誰かにささげられるはずの、それは、《思いやり》というものだ。セフィロスはそう思う。そして、らしくもない疑問をふと口にしてしまう。
「バッツ。これはゲームに過ぎない。何故そのような思い入れが出来る」
「あんたのいうこと、意味わかんないよなぁ」
 バッツは目をまたたいた。彼には不可解なものだろう問いかけに、けれど、ごく当たり前な様子で考え込み、首をひねる。
「ゲームだったら好きだけどさ。《遊び》は本気でやらないと面白くないんだ。手を抜いてだらけた遊びほどつまんないものはない。コレで答えになってる?」
「……そうだな。お前らしい答えだ」
「何回も言うけど、おれはみんなのことまとめて気に入ってるんだぜ。別に、皇帝のことだって嫌いじゃない。ただ人の思い通りになるのって苦手なんだ。自分のゲームだったら、自分の意思で遊びたい。そういうもんだろ」
「自分の意思でなく参加させられたゲームであってもか?」
「……セフィ、あんたの言う意味わかんないけどさ、ホントに嫌なゲームだったら投げればいいんだ。さもなきゃ、マジになってのめりこんで、《最初は嫌だった》なんてこと忘れちまえばいい」
「お前は、本当に、愚かな男だな……」
「たしかにバカだよ、おれは。でも別にいいんだ。楽しければさ」
 気楽にやろうぜ。バッツはそう言って、肩をすくめ、ちょっと笑った。一度も誰も、セフィロスに対して向けたことのない表情だった。
「ゲームだってなんだって、楽しいなら、幸せなら、それはそれで意味があるんだよ。それでおれは楽しい。セフィみたいな面白いやつと仲良くなれた。それじゃ答えになってないか?」
 セフィロスは、静かに目を閉じた。胸の内側を風が爪弾く。胸の虚ろを風が撫でる。その感触が心地よく、また、少しばかり哀しかった。
「そういう言葉は、もっと別の人間に向けるべきだろう」
「そう?」
「もっと、ふさわしい人間が、他に居るだろうに」
 バッツは目をしばらく目を瞬いていた。透き通った薄茶色に青白い光が映えた。きらきらと渦巻き入り混じる色。けれど目をまたたくと、そこからは悩みも憂いも消えうせる。バッツは笑った。子どもみたいに。
「何言ってるんだよ。ほかのやつなんていないだろ。これはおれと、あんただけに当てはまる話なんだから。そうだろ、セフィロス?」




 セフィロスは後に思うことになる。
 もしも自分が、誰かを愛せる当たり前の人間で居ることが出来たのなら、彼を友だと思ったかもしれないと。
 だが、そのようなことを口にしたなら、バッツは笑っただろう。セフィロスといたときよくしていたように。意味のよく分からないことを言われたと、少し困ったような、けれど、面白そうな顔をして。
 むつかしいこと考えるなよ。おれはあんたの友だちのつもりだよ。それで十分だろ。おれは、今のままであんたのこと十分気に入ってるんだからさ、セフィロス。
 無理してガラにもないこと言わないでもいいよ。  
 ここに、いるだけでいい。あんたとおれがいる、それだけで。

 
 お前は、ここに、いる。


 何もかも手遅れになる前に、その言葉が与えられたのなら、あるいは全てが違っていたのだろうか。





カオス側バッツの話を書こうと思ってたら、当初の予定と全然違う話になりました…(呆然
まさかの英雄デレです。バッツの人懐っこさってすげえ。