子どもなカンケイ 6.
(十代記憶喪失ネタ)




 そのとき、一番の迷惑をこうむったのは、何の罪もないイエロー寮の一般生徒だった。外でちょっとばかりバスケの真似事とかをして、みんなでがやがやと喋りながら風呂をつかってその後でコーヒー牛乳を飲みながら可愛いグラビアアイドルの話でもしようと思ってたのに。ドアを開けようとした瞬間横からぴしゃりと手を叩かれて、振り返ってみるとそこにいたのはDAでも有名人の一人に入る万丈目準こと、万丈目サンダーなのだった。彼はぎょっとしている彼らに向かって、「これから風呂は貸切だ!」と高圧的に宣言する。
「ちょっ…… なんだよ、それ! 万丈目、オレたち今外で運動してきたばっかりで……」
「外の風呂を使え」
 一方的に言うと、後ろの誰だかをぐいと風呂場に押し込んで、そのままぴしゃんと戸を閉める。内側から鍵をかける音が響いて、彼らは唖然とした顔を見合わせた。そうしてよくよく考えると、万丈目といっしょに風呂場に連れ込まれたのは、彼と同じか、それ以上の有名人でありながら、ここ数日ばかり外で姿を見かけなかった、レッド寮の遊城十代だったと思い当たる。
「あいつら…… 何やってんだ?」
「さあ?」
「なんで風呂が貸切なんだよ」
「知るかよ。オレに聞くなよっ」
 彼らはそれぞれに言い合い、釈然としない顔を見合わせた。


 そうして、そのころ、脱衣所では。
《万丈目のアニキィ〜、なんだか外でモメてるわァ〜》
「仕方がないだろうっ。こんなちびすけを堂々と人目にさらせるか!」
《でもォ、大浴場に二人っきりってなんだかヤラシイ響きよねッ。このこの、アニキも隅におけな… イヤァーッ!!》
「お、おにいちゃん、だめだよっ! おじゃまがかわいそうだよぉ!!」
 勢いに任せてカードをひっちゃぶこうとする万丈目を、十代があわてて横から止めようとする。なんとか自分のかんしゃくをおさめて、万丈目はぜいはあと肩で息をする。なぜだ。なぜ、たかが風呂に入る程度で、こんなに大騒ぎにならないといけないのだ!
「おい、ちび。さっさと脱げ。そんなに長く風呂を占領してはいられないんだからな」
「う、うん……」
 だがしかし、もたもたとボタンを外していく十代の手つきは、いかにもたどたどしい。万丈目はめまいを覚えた。たかがシャツを着たり脱いだりになんでこんなに時間がかかるんだ。しかし、胸をなでおろしてしばらく落ち着き、それから考えてみると、小さな子どもにとっては、自分の服のボタンをすばやく開け閉めするというのは、けっこうなレベルの難事だったということを思い出した。
「貸せ」
「おにいちゃん?」
「だから、おにいちゃんはやめろっ!」
 十代の着ているシャツのボタンを手早く外し、内側に来ていたシャツを頭からひっこぬく。あとはもうほっといてもいいだろう。さすがにパンツまで手ずからはぎとってやるというのは、万丈目自身にとっても精神的ダメージがでかすぎる。
 自分も服を脱ぎながら、そういえば、十代はいきなりぶったおれたといっていたな、と万丈目は思い出した。それを思い出してみてみると、わざわざ床にぺたんと座り、もたもたと靴下を脱いでいる十代の腰の辺りに、びっくりするほどおおきな青痣がある。痛くないんだろうか。そう思ってぶっきらぼうに声をかけると、十代は、びっくりしたようにふりかえる。
「おいちび、そこ、痛くないのか?」
「おしり? ……ううん、いたくないよ」
「嘘をつくな」
「……」
 ぐっ、とだまる十代に、はあっと万丈目はため息をついた。手間のかかる年下の親類の面倒でも押し付けられている気分。
「さきに入ってるからな」
 イエロー寮の共同浴場は、さほど広いというわけでもない。だが部屋ひとつひとつにはユニットバスは付いていても、手足を伸ばせるほどの湯船はないのだから、この共同浴場はイエロー寮の寮生たちにとっては憩いの場だ。四角い湯船に洗い場がいくつか。装飾といえば何種類ものタイルを使ってちょっとしたモザイクを描いている程度のシンプルなインテリアだが、しかし、それなりに瀟洒で上品といえないこともないだろう。先に浸かって頭から湯を浴びていると、引き戸がそろりと開けられて、「うわぁ」という小さな声がした。
「どうした、ちび。早く入れ」
「う、うん」
 てくてくと入ってくるちび、もとい遊城十代。
 腰だけではなく腿の辺りにもおおきな青痣がある。別に手当てをするというレベルのものではないが、やはり、いささか痛々しい。もともと色白の万丈目と違って健康的な肌色をしていて、細身ではあるが俊敏そうな体つき。しかし、そんな体つきと、いかにも不器用な感じの所作が不釣合いだ。隣の椅子に座らせた十代にシャワーの湯をぶっかけると、「わぷ!」と悲鳴が上がった。
「さっさと洗え。自分で洗えるか?」
「う、うん」
「頭は洗えるか?」
「……」
 とたん、黙る。なんだか万丈目は嫌な予感がした。
「……あたま、明日洗う」
 やっぱりか。
「ダメだ」
「明日にする……」
「昨日もそんなこと言っていなかったか?」
「だって、今日は今日だもん。明日じゃないもん」
 そのロジックでは、永遠に明日がやってこない。万丈目は無言でシャワーの栓を全開にすると、十代の頭にぶっかけた。「ひゃあ!」とあらぬ悲鳴が上がる。
「やだよぉ! 目にはいるもん!」
「やっかましい! 貴様はもう三日も風呂に入っていないんだろうが! 風呂は毎日入るもんだ!!」
「やだやだやだ!! 万丈目のおにいちゃんのいじわる!!」
 逃げようとするのを羽交い絞めにして、押さえつけて、頭からシャワーをぶっかけてやる。そこにシャンプーをぶちこんで、むりやりわしゃわしゃと洗ってやる。なんだか犬でも洗ってるみたいだ。「目にはいったよぉ!」と半泣きの悲鳴が聞こえてきた。
「じゃあ、眼をつぶってろ!」
「苦いよぅ!」
「口も閉じてろ!」
 小さな子どもならば押さえつけて無理やり洗えばいいが、相手は、中身はどうあれ同年代、まして、すばしっこさでは万丈目にはるかに勝る十代なのだ。とにかく手加減とか油断とかそういうことをしていられる場合ではない。ほとんどタイル床に押し倒して、背中に馬乗りになるような状態でがしがしと頭を洗ってやる。シャワーで一気に泡を洗い落とすと、次はリンス。ちょっと多すぎるくらいの量を髪の毛にもみこんでやると、下から、なんだか妙なうめき声が聞こえてくる。
「……むぐ、う、うう」
「おい、ちび?」
 万丈目は、なんだか、嫌な予感がした。
 顔を見ると、眼も口もぎゅっと閉じた十代は、顔を真っ赤にしている。なんだ!? と思った瞬間、《ちょっとアニキィ!》とイエローが甲高い声で叫ぶ。
《口を閉じてても、息はしてもいいんだって言ってあげてってば!》
「……」
 思わず絶句。その瞬間、イエローの言葉が聞こえたのか、十代は「ぶはっ!」と大きな息を吐き出した。
「く、苦しかったよぉ……」
 ぜえはあと息を乱しながら、そんな風に言う。かとおもったら、「目に入った!」とまた悲鳴を上げる。何がなんだか、もう、さっぱりだ。
「……もう、いい。ちび、ちゃんと座れ」
「万丈目のおにいちゃん?」
 万丈目はむりやり下敷きにしていた十代を開放する。目だけはぎゅっと閉じたまま(たぶんリンスが目に入るからだろう)、ぺたんと起き上がった十代を見て、万丈目は深い深いため息をついた。
 ……なるほど、これはたしかに、《遊城十代》とは、正真正銘の別人である。
「正真正銘のバカだ……」
「……ぼく、バカなの?」
「本気にするなッ!! このバカがっ」
 眼をぱっちりと開くと、やや釣り目がちで猫めいたイメージのとび色なのに、万丈目をみる表情は『年長者』をみる目以外の何者でもなく、万丈目はどうしようもなくむずがゆい気持ちを味合わずにはいられない。「眼をつぶってろ。息はしていい」と言うと、またシャワーをその髪に向ける。
「まずいよぅ……」
「我慢してろ。口を閉じて息をしろ」
「むつかしいよぉ」
「それくらいはちゃんとやれるだろう。お前、もう7歳なんだろうが」
 片手でシャワーを持って、片手でリンスを流し落とす。こんな風に十代の髪にさわったことなんて、いままで一回も無かった。髪は思っていたよりずっと長くて、たやすく指で梳けるほどの長さがあった。
 肩の辺りが華奢な感じで、わずかに弧をえがいた鎖骨の形が浮いていた。肩のあたりの丸みのない線はたしかに同性のものだったが、無防備にうなじをこっちにさらした感じになんだひどく妙な気分になる。十代は、『まとも』だったら、ぜったいに万丈目にこんな風に身体を触らせたりしない。これって役得ってヤツだろうか。―――役得!? なんで!?
「おにいちゃん、痛い、痛い、痛い! 髪の毛抜けちゃうよぉ!」
「あ、ああ!」
 無意識に髪の毛をひっぱっていたらしい。あわてて手を離すと、だいたいのリンスは流し終わっていた。そこらへんにおきっぱなしにしておいたタオルでざっと髪の水分をぬぐってやると、はあ、と十代は息をつく。一仕事終わった、とでも言いたげな顔だった。たかが髪を洗うくらいで大げさな、と思うが。
「おにいちゃん、ぼく、お風呂の帽子無しであたまあらったの、はじめてだ」
「お風呂の帽子?」
 シャンプーハットのことだろうか、とすぐに思い当たる。―――17歳の高校生男子の口から出たとはとても思えない発言だが、しかし、万丈目のほうを見てはにかんだように笑う表情は、まちがいなく、その発言相応に幼いもので。
「万丈目のおにいちゃんにあたま洗ってもらうと、すごいね。お風呂の帽子もいらないんだね」
 すごいね、とうれしそうにわらう。見慣れた十代の顔、目の大きいやや幼げな顔立ちに、それ以上にあどけない、子どもっぽい笑顔。
「……」
「おにいちゃん、あのね、ハネクリボーもあらってあげていい?」
 すごくいい匂いするね、とニコニコと答える十代に、はっ、と万丈目は我に帰った。
「精霊は洗えないと思うが……」
「そうなの?」
「そうだ!」
 そうなんだ、と悄然と肩を落とす。
「じゃあ、ぼく、体洗うね。おにいちゃん、背中ごしごししてくれる?」
「……」
 いかにも不器用な手つきで、石鹸でタオルに泡を立てはじめる。そんな後姿を見ながら、万丈目は、なにやら非常にモヤモヤとした、直視したらあきらかにヤバいような気持ちを自分の中に確認し、愕然とした。
 ―――な、なんだ、この気分は!
《ねーアニキィ。こういう風にしてると、けっこうかわいー顔してるのね、十代のダンナって》
 初めて知ったわぁ、とイエローが余計なことをいう。万丈目は無言でイエローをひっつかむと、そのまま全力で風呂桶にむかって叩き込む。水しぶき。「どうしたの?」と振り返ってこっちをみるとび色の大きな目。
「なんでもない!」
 必要以上に大声で怒鳴りつけると、声が風呂場にぐわんぐわんと響いた。眼を丸くする十代に構わずに、万丈目は頭からシャワーの湯をかぶると、猛然と頭を洗いはじめた。





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