子どもなカンケイ 7.
(十代記憶喪失ネタ)


 風呂からあがった十代のことを、万丈目はがしがしとタオルでしっかり拭いて、その後、ドライヤーで頭もしっかり乾かしてくれた。髪の毛がふかふかになってなんだかいい匂いがする。万丈目は十代をばっちり乾かした後、くしゃみをひとつして、それから憮然とした顔で髪の毛を乾かしはじめる。なんだか念入りに鏡に向かっているのは髪の毛をセットするためだろうか。
「万丈目のおにいちゃん……」
 それを鏡越しにみながら、そろりと言う。「なんだ?」と鏡越しの万丈目が渋面になる。
「…コーヒーぎゅうにゅう」
「ああ、飲みたいとかなんとか言ってたな。そこにある生徒手帳をよみこませれば買えるはずだ」
「万丈目のおにいちゃんは?」
「フルーツ牛乳」
 廊下へとぺたぺたと出て行くと、そこに大きな自動販売機がある。そこのボタンを押しながら、どうにもおかしいなあ、と十代は首をかしげてしまう。―――なんでこんなに周りのものがみんなおおきいんだろう。背伸びしなくたってボタンが押せる自動販売機なんて初めてだった。
 十代は、ドアのノブを押すには背伸びしないといけないし、エレベーターにも一人で乗れなかった。だから一度家に帰ると、外には出られない。家はマンションの18階だったから、ボタンを押せないかぎりは家にも帰れない。ときどき外に出たときは、どこか、そのへんを通りかかった人をつかまえてボタンを押してもらわないといけなかった。そうしてそれは、ときどき、ものすごく怖い思いをするようなことだったのだ。
 見回す周りのものが、なんでか、ぜんぶ小さい。ここ数日の謎の一つだ。
 ベットのサイズも大きすぎない。コップが片手で持てる。箸の長さも、ドアノブの高さも、クローゼットのサイズも、みんな十代の身の丈だ。だからこそこうやってユベルが居なくても暮らしていけるのだけれど、それにしたって不思議でならない。だいたい、いろいろと世話を焼いてくれる《万丈目のおにいちゃん》だって、目線の高さが十代とたいして変わらないのだ。
 ボタンを押すと、がこん、がこん、と音を立てて牛乳の瓶がおちてきた。手につかむと痛いくらい冷たかった
。でも、片手にいっこづつ、二つももてるのだ。十代は首をかしげる。
「…へんなの…」
 いやというわけじゃないが、不思議でならない。ユベルがいたら、なんでなのか、きっと教えてくれるのに。
 ユベルにあいたいな、としみじみと思って、十代はぐすっと鼻をすすりあげた。でも、こんなところで泣きべそをかいちゃだめだ。今はユベルはいないけれど、ハネクリボーがいてくれるし、それに、《万丈目のお兄ちゃん》だっていろいろ世話を焼いてくれる。なきべそをかくほどひどい目にあってるわけじゃない。
 そんな風に思って、Tシャツの裾で顔をごしごしこすった。万丈目はまだ鏡とにらみあいっこだ。十代はぺたぺたと風呂場にもどろうとする。
 だが、その瞬間だった。
 視界の端を、《何か》が掠めたかと思うと、十代は次の瞬間、顔から、地面に叩きつけられた。
「――――ッ!?!?」
 ごん、と派手な音をたてて、牛乳の瓶がふたつ、床に転がった。
「うぇ、ひゃあああああああッ!?」
 十代の頭が、いきなり後ろにひっぱられた。悲鳴が響き渡った。

 凄まじい悲鳴が、廊下、および風呂場に響き渡る。万丈目はおもわずブラシとブライヤーを取り落とした。
「ちび!?」
 あわてて廊下に飛び出すと、十代が廊下の端っこに頭をつっこむようにして亀のように丸くなり、悲鳴を上げながら必死で頭をかばっている。驚いた。慌てて近くに行くと、何か、ネコのような小動物が、興奮しながら十代の髪の毛をうしろからひっぱっている。というか、襲っている! 
「ち、ちび!! なんだこいつはッ!?」
《るーびーッ!!》
 ―――あれ、なんか聞き覚えのある鳴き声だ。
「このっ! この野良猫がっちびから離れろッ!!」
《るびーッ!!るびるびーッ!!》
「痛い、痛い、痛いよぉ!! やだっ! ユベルぅっ!!」
 悲鳴を上げてなきわめくちび、もとい十代と、興奮して後ろからネコよりもいくらか大きいケダモノ。必死で掴んでひきはがそうとすると手がすり抜ける。これは実体じゃない!
 とっさに精霊に呼びかけてなんとかさせようにも、デッキは服ごと脱衣所のかごの中だ。とっさに万丈目は迷った。泣きながら必死で頭をかばっているちびすけと、興奮してその髪の毛をむしっている小動物。
「おいっ、クズども!」
《へっ? どうしたのォ?》
 とっさに判断を下して、いちばん声の届く相手を呼ぶ。ぽん、と空中に現れる世にもみぐるしい精霊三匹。だが、見てくれはこの際どうでもいい。
「このケダモノをどうにかしろッ!!」
《え、ええ〜?》
《いきなりなんだよォ、人使い、というか、オジャマ使い荒いなァ…》
「やっかましい! どうにかしろといったら、しろっ!!」
 えー、だの、なんだよぉ、だのといいながら、しかし、いちおうはマスターの言うことを聞かざるを得ない立場のおじゃまどもは、十代の頭にとりついていたケダモノにひっつく。噛み付こうとしたり引っかこうとしたり暴れていることこの上ないが、しかし、三匹がかりでやられればさすがに分が悪いと思ったらしい。ケダモノはひらりと十代の背中からとびおりると、身軽なしぐさで近くの棚のうえまで駆け上がり、そこで、フーッ、と小さな牙を剥いた。
「うえぇぇ…」
「ああもう、おちつけ、ちびすけ! あれは精霊だ!」
 ひくひく泣いている十代は、いくらなんでも弱すぎだ。万丈目はため息混じりにそばまでいってやる。さすがにここまでくればあれの正体も丸わかりだ。エスパーポケモン、エーフ…ではなくて。
「自分の精霊の面倒くらい、きちんと見ておけっていうのに… ヨハンの莫迦が!」
 星3、光属性、天使族、攻/守ともに300。宝玉獣ルビー・カーバンクル。見た目と大きさはおおめのネコくらい。藍色の毛並みと大きな耳がとにかく愛らしいが、性格は基本的にはただのどうぶつである。近くによっていったおじゃまイエローが噛みつかれそうになって《キャア!》と悲鳴を上げる。万丈目は思わず疲労しきったため息をついた。低レベルモンスター同士の争いはいつみても脱力感に満ち溢れている。
「えぅぅ…」
「こらちび、泣くな。男だろうが」
「…っ」
 背中が震えていて、たぶん、目は涙目になっているんだろうと簡単に推測が付いた。精霊にひっかかれてもなんともないだろうが… といおうとして、十代を見て、万丈目はぎょっとした。
「っく、…うう…」
「お、おい、十代!?」
 肩の辺りに、ぽつんとちいさく、赤い雫が落ちた。
 首の辺りに噛み付かれた痕がたくさんちらばって、針の先でつついたように、ぽつぽつと赤い玉が並んでいた。ありえない。精霊は、通常、人間に《触れない》。どれだけ襲われたところで、たとえ、それがルビーのような弱小モンスターではなく攻撃力が4000を越えるワンターンキルレベルのモンスターだって、人間には傷一つつけない。《付けられない》のだ。
 そのはずなのに。
 そろりと振り返った十代は、涙をいっぱいに溜めた目で万丈目を見た。
「お、おにい、ちゃん……」
 万丈目は絶句していて何もいえない。そこに、後ろから、ようやく声が追いついてきた。
「お、おい、ルビー、ルビーっ! ……十代ーッ!?」
 自販機の上で背中の毛をたてていた小動物が、敏感にふりかえり、ぴょこん、と飛び降りる。
 万丈目はおびえきっている肩を腕でかばったまま、眉を逆立てて振り返った。

「このっ、大バカデルセンがっ!!」

「へ… ええっ!?」
 走ってきた己の精霊を腕に抱きとめて、眼を丸くする。
 監督不行き届きとはいえ、己の精霊が何をやったのか分からない彼には、状況はおもいきりとばっちりというところだ。彼は…… ヨハン・アンデルセンは、出鼻に叩きつけられた罵声にびっくりして、廊下に立ち止まり、眼を丸くした。



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