子どもなカンケイ 8.
(十代記憶喪失ネタ)
「ちょ、まて万丈目、なんでオレがバカなんだよっ!?」
「自分の精霊の監督責任も取れないやつがバカじゃなくてなんだっていうんだ!」
「知ッらねーよ! 宝玉獣たちは普段はこんなことなんてしないんだからな! こんな…」
…人間を襲うような。
ヨハンはあらためてまじまじと眼を見開くと、万丈目の首っ玉にかじりつき、ぷるぷると震えている十代を、なんとも信じられないモノでも見るような目でみた。
こちらをちらりと振り返るが、しかし、すぐに怖いものでも見たように眼をそらし、万丈目にしがみつく腕に力を込める。締まらないか、と思うとやっぱり締まっていたらしい。「苦しい、ちび!」と万丈目に怒鳴られてあわてて腕を緩める。
「ちび… ちび?」
「こいつのことだ」
「ちびって、十代のことかよ? お前らほとんど身長変わらないじゃんか」
「……」
万丈目の反応は、いささかばかり不可解だ。はあ、とため息をつくと、「とりあえず、それをしまえ」とヨハンの手元を指差す。
ヨハンの腕にだかれたルビーは、藍色の毛を逆立てて、万丈目の周りにただよっているおジャマどもを威嚇していた。こんなに興奮しているのはめずらしい。ヨハンはとまどいながらも、その小さな頭をぽふぽふとなでて、なんとかルビーを落ち着かせようとする。
「おいルビー、ちょっと引っ込んでろってさ」
《るびっ! る、びーッ!!》
「頼むよ。お前がいると、その、なんか都合が悪そうだから」
るびるび! るびー! などと鳴いていたルビーを、なんとかしてカードの中に押し込む。そのままデッキケースの蓋を厳重にしめなおし、こっちを警戒と怯えの目で伺っている十代に、ほらほら、と両腕を広げて見せた。
「ルビーはちゃんとひっこめた。これでいいだろ、十代、万丈目?」
そろり、と万丈目を見上げる十代。とび色の目が涙でいっぱいになっている。十代らしくない、といえばあまりにらしくない表情に、ヨハンの口がへの字にまがる。
「……おにいちゃん……」
「わかった。わかったから、ちび、俺から離れろ」
「うん」
万丈目から離れると、しかし、やっぱりヨハンから距離を押して背中にかくれる。しかし自分とほぼ体格が同じ(むしろ十代よりも細身といってもいい)万丈目の後ろには隠れきれるわけがなく、身体がはみだしている。おどおどした目と、なんだか妙にさらさらした髪。
「おーい、十代ぃぃ…?」
ヨハンはぱたぱたと手を振ってみる。万丈目が深い深いため息をつく。
「ちゃんと事情を説明する。とにかく、廊下は勘弁してくれ。寒いから」
大浴場を出て、少し近くの喫茶コーナー。ソファが置かれ、雑誌が置かれ、テレビなんかのある感じは、ホテルなどの風呂場の前にあるようなコーナーに雰囲気がにていた。しかし、十代はやっぱり万丈目のよこにぴったりとすわって、ヨハンのほうを怯えた目で伺っている。ヨハンはけっこう傷ついた。
「…で、さあ。万丈目、お前、オレたちがいないあいだに、どうやって十代を口説き落とし」
「口説いてないッ!」
万丈目は再びため息をついた。
「先に、要点から説明する。こいつはたしかに十代の見た目をしている。だが、中身は十代じゃないんだ」
「へ? なんだそりゃ?」
当然のように眼を丸くするヨハンに、万丈目は、ガリガリと頭を引っかいた。
「俺にも理屈はよくわからん! だが、こいつは自分のことを六つか七つのガキだと言っているし、実際、それくらいのガキ程度のことしか出来ないし、知らない」
一人じゃ風呂にも入れやしない、と万丈目はいう。
「それどころか、髪も洗えないし、服のボタンもまともに留められない。俺たちのことをおぼえてもいない。そんな相手をむりやり俺たちの知っている《遊城十代》としてあつかおうったって無理だろうが」
「ん… なこといったって」
いきなりそういわれて、納得できるわけがない。
「記憶がどうこうなろーが、どうなろーが、十代は十代だろっ!? 頭の中身がひとつふたつぶっとんだくらいで、人間が別人になっちまってたまるもんか!」
思わず身を乗り出す大声をだすヨハンに、万丈目のとなりの十代が、半ば露骨に、びくんと身体をふるわせた。
ぷるぷると小動物のようにふるえながら、万丈目の後ろに隠れようとする。万丈目はためいきをついて、「おちつけ、ちび」とその頭をがしがしとなでる。ヨハンにはわけがわからない。
「なんなんだよぉ、その距離っ。ずるいぞぉ!?」
「なにがずるいだ。お前こそ落ち着かんか」
だから、と万丈目は言い聞かせるように言う。
「こいつは十代であって十代じゃないんだ。暫定、《ちびすけ》と呼んでるが、本人も《17歳の遊城十代》と、自分が同一人物だとは思っていない。実際、ことがどういう経緯だろうと、そういう風に扱うほうが話が簡単なんだ。…そうだな、ちびすけ?」
「う、うん……」
上目遣いにそろりとヨハンを見る。《十代》は、なんだか妙にたどたどしい感じの口調で言った。
「その… ごめんなさい、おにいちゃん」
「おにいちゃ…」
絶句するヨハン。ようやく理解したか、という顔をする万丈目。
「ちび、この男もお前や俺と同じで精霊が見える。いちおうお前とは友人だった、ということになっているらしい。あいつもそのつもりだろう」
「おい、その言い方、あんまりじゃないか!?」
ヨハンは思わずかみつくが、十代のほうは万丈目の言葉のほうをよりしっかりと聞いていたらしい。こくんと頷くと、ヨハンのほうを見上げる。
「緑色のおにいちゃん…?」
「緑色って…」
二人を渋面でみていた万丈目は、顔をくしゃりとしかめると、ひとつ、くしゃみをした。
「ったく、貴様の邪魔で湯冷めしたじゃないか」
「オレのせいじゃないだろ!」
「やかましい。…おいちび、俺は服を取ってくる。そこでまってろ」
そのまま万丈目がたちあがって歩いていってしまうのを、「あ」と手で追いかけかける。だが、途中でその手をひっこめる。ヨハンのほうを上目づかいに見た。
「じゅうだい…」
ヨハンは、まだ、事態がしっかりと把握できていなかった。
大事な親友がいきなり記憶喪失だとか、幼児退行だとかいわれても、おおよそ信じられるものではない。だいたい自分を見るこの目のおびえた色はなんなんだ。ヨハンは思わず立ち上がり、十代のほうへと歩いていく。十代はびくんと肩をふるわせる。
「なあ、十代。万丈目の言ってたことはよくわかんないけど… おまえ、オレのこと、ほんとにわからないのか?」
「ご、ごめんなさい…」
身体を小さくしてこちらをみあげている十代には、たしかに、普段のあの闊達で屈託のない少年の面影はない。まるで別人みたいだ、と思い、ヨハンは愕然とする。
決して白くはないけれど肌理の細かい肌、大きくてつり目気味のとび色の目、細く俊敏そうな体つき。髪がちょっと普段よりもおとなしくなっているように見えるのはなんでだろうか。シャンプーか石鹸でも変えたんだろうか。
シャンプーや石鹸をかえた…?
「じゅ、だい」
ヨハンは、ふいに、眼を瞬いた。
なんだか、妙にいい匂いがするような…?
「お前、なにか、」
言いかけて、ごくり、とつばをのむ。
十代は、何がなんだかわからないという顔だ。とび色の目はまるで木の実のようにつややかな色だ。なんでいままで気づかなかったのか、とヨハンは思う。やわらかそうな肌の、まるでこまかく泡立てられたクリームのような感じ。髪からわずかに見え隠れするみみたぶの柔らかそうな色。
「十代…」
半ば無意識に、自分の舌が、くちびるをなめているのを感じる。唇が熱い。わずかにひらいた口から、やや八重歯気味になっている犬歯がのぞいた。
―――奇妙に真剣な顔でにじりよってくるヨハンに、おそまきながら、十代が、事態を悟った。
うわぁぁぁぁん、という絶叫に、万丈目がおもわず持っていた桶を取り落としたのは、その瞬間だった。
「っ、ちびすけッ!?」
「おに"いちゃぁぁぁ!!!」
全力で駆け出した万丈目の目に飛び込んできたのは…
ソファに押し倒された十代が、Tシャツをひんむかれながらヨハンに噛み付かれているという、とんでもない光景だった。
「な、な、な、何だこれはぁぁぁあッ!?」
こっちも思わず悲鳴を上げると、ようやく我に帰ったらしいヨハンが、はっと顔を上げる。その隙にヨハンの腕からにげだした十代がとびつくようにして万丈目に抱きついた。押し倒されそうになってなんとかふみとどまり、万丈目は、絶叫する。
「な、な、何をやってるんだこの変態デルセンッッ!?」
「あ…… ああ?」
我に帰ったらしいヨハンが、呆然と顔を上げる。自分の手を見て、えぐえぐ泣いている十代を見て、呆然と眼をまたたく。
「あれ、オレ、いったい何を」
「何をもかにをもあるか、この変態の幼児性愛者ッ!!強姦魔!!」
「え、ええええ」
ショックと恐怖とでか(当たり前だろう)ひっく、ひっく、としゃくりあげている十代の肩の辺りや耳には、くっきりはっきりと、ヨハンの歯型が残っていた。立ちすくむヨハンを万丈目がどなりつける。
「自分の親友が幼児退行してるからっていきなり襲うやつがどこにいる! 貴様、男の風上にもおけないやつだなッ!!」
「ちょ、いいがか…」
「言いがかりもへったくれもあるか!」
…その通りである。
「二度とちびすけに近づくな、この変態デルセンがっ」
「そ、そんなぁぁぁ」
我に帰ってみれば、自分が何をしていたのかもよくわからない。ただただ真っ青になるばかりのヨハンは、頭を抱えるしかない。
「だ、だって、なんか十代がいい匂いさせてるのが悪くって… 万丈目! おまえ、どういうシャンプー使ったんだよ!? なんか十代がむちゃくちゃ美味そうに見えたんだよッ! オレのせいじゃない!」
「何もかも貴様のせいだろうが! 俺は普通にそこにあったシャンプーをつかっただけだ!」
「そんなぁ、十代ぃぃ!!」
半ば泣きながら追いすがるが、しかし、ヨハンを見た十代は恐怖の表情であとずさる。
―――当たり前である。
「二度とくるな、この食人鬼! 強姦魔! いくぞちび!」
「ええええええ!!」
万丈目は十代の手をひっぱり、大またに歩き出す。あちらこちらからこっそりと覗いていたイエロー寮の生徒たちが、にらみつけられて、それぞれあわてて元通りに部屋に引っ込んで行く。
あとにはただ、じゅうだぁぁぁぁい、というヨハンの情けない泣き声だけがひびきわたった。
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