ひとりでお帰り (四期×一期)


 その日、春なのに、竹林でははらはらと葉が散っていた。明るくてまるで昼間のようで、おれはふかふかと深く積もった竹の葉の上に腰掛けて、その人の言葉を聞いていた。
 遠くに登った月が沈まないとおもったら、よくみると、それは満月の灯りではなく、ほんの数日前まではなかったはずの街灯のあかりだった。なんでこんなに散るんだろう。春なのに、葉が散るんだろうか。まるで何かの終わりの季節みたくに。誰かとばいばいするシーンみたくに。
「竹は、花が咲くと、散るんだ。これくらいのサイズの竹林だったら、根がぜんぶつながっているんだろうから、まるごと枯れてしまうだろうな」
「…花が咲くと、枯れるんだ」
「ああ。でも、咲かないと、実もならないからな」
 竹の実ってきいたことないよ、とおれが言うと、そりゃ、滅多にないもんだからな、とその人は言った。声はおれの声にそっくりだけれど、どこかしらに幼い弟を慈しむような響きが滲んで、やわらかい。子どもっぽさのない口調は靭く、幾重にもニスを沁み込ませた胡桃材のような、硬く、そして深い艶があった。
「おれ、行かないとダメなんだよね」
「だめってことはないだろ」
 その人は、言う。おかしそうに。
「別にいかなくたっていい。今から、別の高校にいけないってこともないしな」
「…でも、そしたらデュエルは出来ない」
「ああ。アカデミアに行けば、お前は最高の決闘が出来るだろうな」
 それは保証するぜ、とその人は言う。
「最高のライバル、最高の決闘、死と隣り合わせの栄光、誰も見たことのないカード、すべて、お前は見ることができるはずだぜ」
 その道を選べばな。
 おれはかかえた膝をひきよせて、その上にあごを乗せる。まだおれの手はやわらかく子どもっぽく、手の甲の皮膚がきめ細かくて、日焼けをしても子どものような肌だ。引き換え、その人の肌はおれのものよりも強く硬い。もうほとんど大人の男の、浅黒いというほどではないにしろ日を浴びてきた、乾いて肌触りのいい膚。
「…おれが行かないと、しあわせになれないやつがいっぱいいる」
「そうだな。…でも、わからない。もしかしたらお前がいなくったって、そいつらは勝手に自分で全部をなんとかできるかもしれない」
「あのさ、止めたいのか行かせたいのかわかんないよ」
「バカ言うなよ。オレはどっちとも決めないさ。…ただ、お前もそいつらと出会えないのは事実だ。誰よりも尊敬できる人とも、共に歩む親友とも、お前を慕ってくれる誰かとも会えない」
「…続けてもらって、いいかな」
「ああ。…お前に剣を突きつけて決断を迫るもう一人のヒーローとも、お前のことを誰よりも信じてくれる友とも、世界でたった一人と思えるくらいに近しい魂をもった人とも」
 その人は、淡々と、けれど嬉しそうに、そして寂しそうに、次々と名前をあげていく。
 まだ出会っていないおれの未来の仲間たち、敵たち、出会うすべてのひとたち。おれがまだ出会っていない未来の記憶を、なつかしそうに、上げて行ってくれる。
 おれはまだ知らないそいつらと会って、たくさんのものを得て、うしなって、そして、…そして、どうなるんだろう? なんだかずいぶん昔のことみたくに、考えても思い出せなかった。こういう言い方はおかしい。”まだ体験していない未来のこと”が思い出せるわけがないんだから。
 くしゃくしゃとかんがえているおれの上に、はらはらと何かが降り積もっていく。香ばしい匂いが強く香る。それは春なのに散っていく竹の葉の感触だろうと思ったら、頭にそっと手が載せられた。大きくて暖かい手が。
「選ばないことはできるはずさ。お前は、いつだって自分で路を選んだんだから」
「……」
「赦さないことも、棄てることも、背を向けることも、ほんとうはいつだって出来た。どっちの道を選んだって、代償と結果が出るだけだ。お前はふたつを天秤にかけるより、両手をはかりの代わりにして、自分にとってほしいもののほうを選んだ…」
「そうして、おれは、あんたになるの?」
「ああ、そうさ」
 微笑む眼の、ふたいろが、闇に優しい、とおれは思う…
 おれは、たぶん、この人のかんがえているようなことは絶対にかんがえないだろうし、思うことだってできないと思った。代償だとか、はかりだとか、そんなことはよくわからないし、考えてもすぐに思いがぱらぱらと逃げていってしまう。春なのに葉っぱが散るみたくに。おれはいちばん上手な結論を選べない。
「怖いか?」
「…すこし。でも、正直、すっごくわくわくもするんだ
「そりゃ、頼もしいな」
「あのさ、もっかい言ってくんないかな。いつかのやつ」
「そうだな」
 その人は、おれの頬に手を当てる。ひたいとひたいがくっついて、栗色の髪が眼の辺りをくすぐる感じがする。おれは眼を閉じる。強くて香ばしい竹の葉の香り。

「大丈夫だ。どんな辛いことがあったって、怖いことや寂しいこと、壊れてしまいそうなくらい痛いことがあっても、きっとお前はがんばれる。だってお前はオレなんだから。…もうひとりの十代」

 ぎゅう、と抱きしめる腕を身体に感じて、それから、閉じた眼の上にくちびるを感じた。少し震えていた。ほんとうはこの人も怖いのだ、とおれは思う。
 でもそれは、終わってしまった怖さで。後悔や傷跡がのこっても、この人はそれを背負ってここまで来られた。そうしておれに、どんな未来が来たとしても、だいじょうぶだから、と言ってくれる。それを言える自分をたしかめている。おれは腕を伸ばして、自分よりもいくらか骨ばって引き締まった年上のその人の身体を、ぎゅっとする。
「…ありがと」
「ん」
 お互いに抱き合っていたのは、ほんの一瞬だった。
「じゃあ、明日、行ってくるな。がんばる」
「ああ。精一杯に頑張ってこい。きっと、何もかも大丈夫だから」
「うん。…でも、今晩はここにいてもいいか?」
「ああ」
 ありがとう、とおれは眼を閉じる。膝をかかえたまま、ことんと頭を落とす。隣の方へと頭を預ける。
「ありがとう、もう一人の…」
 春なのに、なんでこんなに散るのか、わからない。
 夜は深々とやわらかくて、強く香ばしい香りに満ちて、闇はやさしいぬくもりに満ちている。なのに、なんでこんなに散るんだろう。ぱらぱら、さらさら、かすかな音がして、青いままの竹の葉が降ってくる。
 何年か、もしかしたらもっとずっと時間が過ぎて、【おれ】が、【オレ】になったころ、ぜんぶ分かるんだろうか。なんでこんなに葉が散るのか、なんでこんなに夜があったかいのか。
 でも、おれはこの人のことがとても好きだった。それはものすごく安心な事実だ。もしどんなことが起こるとしても、この人みたくになれるんだったら、そんなに怖いことはない。でも、考えていくうちに、何もかもが手の間からぱらぱらおちて、そもそも何が【コワイ】のかとか、全部がわかんなくなっていく。
 明日、この場所を出て行ったら、もう二度と思い出せないのかな、この人のこととかも。こんなにやさしくて、そして、哀しそうな手の感じも?
 でも、もう眠たい。よく考えられないや。おれが【オレ】になったら、こうやって話をしたりもできないなとか、そういうことも、ぱらぱら心からこぼれてく。
「眠ったのか、十代?」
 ねてない、と返事をしようとおもったのに、大きくてあたたかい手がオレの眼をおおって、何もかもが見えなくなる。あたたかい温度と散っていく葉の香りのなかで、薄闇になにもかもうすれていく。

 その頃、時間はまだあいまいで、未来と過去はときどき一つになった。すれちがってお互いに声を掛け合い、はげましあって、また、離れていった。お互いを強く惜しみながら。

 なんでこんなに散るのかな… なんで?
 何度聞いてもそれが思い出せないのが、この人と離れていく証拠なんだ、と唐突におれは気付いた。かなしくなると、でも、まだ未来のおれはそばにいて、この手をぎゅっと握り返してくれた。
横たわった深い竹の葉はふかぶかとやわらかくて、おれはそこに身体をうずめたまま、自分でもわけのわからない理由で、ほんのちょっとだけ、泣いた。



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