空の光はぜんぶ星 (藤・吹)
ねえ、しあわせ?
おれのふるさとはたぶんろくでもないところで、ジジイは酒びたりだったし、ババアは首をくくって死んだ。腹違いだの種ちがいだのいうまわりのガキどもはみんなものごいをしていた。まわりのみんながみんなどぶのなかにかおをつっこまれつづけてるみたくな生き方してた。おれはずうっと死にたかったから、だから、なんばいもなんばいもがんばった。死にたかったから、だから、ふつうのなんばいもがんばらないと、生きていられないとおもったから。
ひとのなんばいもぬすんだし、なんばいもなぐったし、なんばいもころした。
おれは悪いにんげんで、だからたぶん死んだらじごくにいくとおもってた。なのになんでだろう、空があおい。こんなに楽になるんだったら、はやくしねばよかったなあ。
「ねえ、しあわせ?」
ああ、しあわせだ。
「―――また聞くけど、おまえ、名前は?」
もう、わからないなあ。わすれちまった。
「くやしくないの?」
なにがだ。
「そんなに一生懸命生きてたのにさ、今、お前、自分がどうなってるかわかってんの。野ざらしだよ。まるで、夏の終わりのセミみたいに、地面に転がってるだけだ」
そうか。
どうりで、そらがよくみえるなあ。
「悪いこといっぱいやって、そんなに生きたかったのに、どうして悔しくないんだ?」
しんだにんげんはなんにもこわくない。くやしくもない。やっとわかったんだよ。
そらはあおいし、くさもあおいし。
くもはしろくて、いいきもちだ。
「…お前が、そんなに生きたかった理由も、あったはずだろ」
そうだったなあ。
だれかのことだいすきだったけど、わすれちまったなあ。
でも、それでよかったんだよ。
あいつもおれをわすれたんだったら、こうなっちまっても、かなしまないから、あんしんだよ。
おれは、よろこんでる。
「……」
なあ、ぼうず。
よこにきて、ねっころがらないか。
とてもらくだ。こわくもくるしくもない。
そらはあおいし、くさもあおいし。
*****
アカデミアの隅っこのほう、斜めに地面へ降りていく斜面のあたりに、昔から草がたかくのびて、季節忘れのきすげが、よく、黄色い花をさかせている。
藤原は、さいきんよく、そこらへんにいる。僕は心配で毎日会いに行く。ぼうっと空を見てるあいつは、そのときだけ、なんだか妙に軽い感じの風にみえるから。心が軽々として、楽そうな感じ。風が吹くとひらりとふきとばされて、海までふわふわ飛ばされていっちゃいそうな感じ。
自分の時間、から四年も切り離されていて、やっぱり藤原はじょうずに人間に戻れていないんだろうか、と僕はときどき考える。そういう辛気臭い考え方は僕らしくないなんていわないでほしい。一回、自分を手放すことをおぼえてしまった人間は、簡単にもう一度、なにもかもから手を離せてしまうような気がするのだ。
僕がいくと、やっぱり藤原はそこにいて、高く伸びた草をたおして、そこにねころがっていた。ほっとして、ちょっと、悔しくなった。なんで僕がこんな気持ちになってるんだろうな。
「ふじわら」
呼びかけて、顔をのぞきこむと、すみれ色の目が、僕を見た。
「…ふぶき」
「なにやってんの。日焼けするよ」
隣に座ると、藤原が、腕を突っ張っておきあがる。斜面の草は海からの風に吹かれて塩辛い。僕は手を伸ばして、藤原の背中や肩をはたいてやる。
「なんかいいもんあった?」
「ン……」
「昼間から、天体観測?」
僕が笑っていうと、藤原はちょっとおどろいたような眼をする。くすりと笑って、空を指差した。
「ほら、星が見えるよ。昼間なのにね」
視力がよくないと見えないかな。ほんとは星じゃない。火星とか金星とか、なんかの惑星だ。でも、空にあるものはみんな本当は星なのだ。昔藤原がそう言ってた。二年も前の話。
「ほんとだ。…惑星か」
「どっちだろうねえ、とりあえず、なんかホシっぽいもの」
「なんだ、そのいい加減な言い方」
「キミがいったんだろ、空にあって光ってるものは、いちおう全部星だって」
おぼえてるんだからね、と僕は笑った。
藤原は、ひざを抱えて、しばらくぼんやりしていた。その手元を見ると何か白いものがある。一瞬骨みたくにみえて背中が冷たくなったけれど、よくよくみると、それは枯れて折られたきすげの茎なのだった。雨風にさらされて、骨みたいに真っ白になっている。
「誰かと話してた?」
「…ン、かもな」
「見えない人?」
「……」
しばらく黙っていて、それから藤原はこっちをみた。そうして、なんだかヘンなことを聞いた。
「吹雪、お前って、幸せだった?」
「…何が?」
「オレがいなかった間。亮もいなくなってから」
「んー」
藤原のいうことは、妙に知恵が豊富な感じがするくせに、子どもっぽくって唐突だ。なつかしいなあ、この感じ。僕はいろいろかんがえながら、草の上に足を伸ばす。
「いろいろあったからな、よくわからないけど。でも、だいたいしあわせだったかな」
「大変なこともたくさんあったんだろ」
「あったよ、そりゃあ。波乱の学生時代だった」
「…でも、幸せ?」
そりゃあ幸せだったよ、と僕は笑って、藤原の髪、萌葱色の髪を、くしゃくしゃと撫でた。
「しあわせだったから、今、ここにいるんだよ。昔のことはみんないいことだった、ってね」
「……」
僕は本気のつもりだった。たとえ、冗談としか思ってもらえなかったとしても。
藤原はしばらくだまって、しばらく足元をにらんでいた。それから妙に真剣な風に僕を見る。
「吹雪、おまえってぜんぜん友達に恵まれない」
「おいおい」
「だってオレはこんなんだったし、亮は無茶してぼろぼろになっちゃったし、しかも、オレたちってぜんぜんお前のことなんて考えてなかったし」
それなのになんで”しあわせ”なのさ?
…ああ、やっぱり藤原は、子どもだなあ。
なんだか妙に可愛い。それもそのはずで、今は藤原って、僕より年下なんだっけ。こっちをにらむ目が、逆になんだか泣き出しそうにみえて、僕は眼を細めて藤原の頭をまた撫でる。
「だから、しあわせなんだったってば」
「…ふぶき!」
「いろいろたいへんなこと、辛いこと、哀しいことがあったけど、結局我慢できなかったことなんて一個もなかったわけなんだよ?」
藤原は、不意を突かれたかんじで黙り込んだ。
やっぱ、かわいいなあ。僕はぐしゃぐしゃと髪をいじりつづける。
「それに自分の気持ちで我慢してずっと友だちでいてさ、キミは返ってきてくれたし、亮だってなんとか無事ですんだ。我慢のしがいがあったってことで、考えてみると、ぜんぶしあわせだったってことになるの。…わかる?」
「…わかんないよ」
「ほんとに?」
わかんないよ。
駄々こねるみたいにそうやって掠れた声で言って、藤原はぎゅっとひざを抱えた。
足元に、折れたきすげの茎が転がっていた。僕は空を見上げた。青く晴れてていい天気だ。指にくるくるまきつけたり、また解いてみたり、藤原の髪はやわらかい。
「空も青いし、草も青いし。しあわせでしょ?」
「…吹雪の、ばか」
やっぱり子どもじみた口調で言う藤原に、ああでも、帰ってきてくれたんだなあ、と僕は思う。そうおもうとやっぱりじんわりとしあわせだった。だから、ほんきだってば、と言って耳の辺りにちょっとキスをしてやる。藤原はもういっかい、ふぶきのばか、と言った。手を払いのけたりなんてしなかった。
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