子どもなカンケイ 4.
(十代記憶喪失ネタ)



《……なんだか、ちょっとばっかし前あたりから、変にいい匂いがするのよねェ》
《アレ? お前もそう思うのか、イエロー?》
《気づかないわけが無いわァ。なんていうか、なつかしいっていうか、おいしそうっていうか、ものすごぉーくいい匂い》
《でも、オッカシイよなァ。人間の世界で、こんな匂いのするものなんてあったっけ?》
《おいお前ら、なんの話をしてるんだ》
《あ、黒サソリの旦那ァ。なんだか最近、やけにおいしそうな匂いがするわねェって話をしてたのよォー》
《でも、万丈目のアニキは気づいちゃないんだぜェ?》
《アラ、そうだったの? アタシ、てっきりダンナたちがソワソワしてるのも、そのせいかもって思ってた》
《……ふむ、人間どもにはわからない、奇妙な良い香り…… か。お宝の匂いがするな。おい、野郎ども! ちっとばっかり調べてみることにしようぜ。退屈しのぎにゃぴったりだ》

彼に与えられた部屋のドアがどんどんとたたかれたので、十代はびくんと顔を上げた。
ドアの叩き方がずいぶんと乱暴で、たったそれだけのことが、十代のことを怯えさせるには十分なのだった。十代は手にしていた本から目を上げて、側に浮いていたハネクリボーを見る。
「だれ、かな」
《くり……?》
「……」
 こういうときに、とっさにいちばん悪い可能性を考えてしまうのは、たぶん、十代のいちばん悪い癖のひとつだ。誰かが手を上げると、次はその手が拳に固まって自分の頭の上におちてくるんじゃないかと考える。誰かがいらいらとした声をあげると、次は同じ声が自分を怒鳴りつけるんじゃないかと考える。
 だが、そんなことを思ったからって客を無視するなんて想像も超えたことで、十代は、そうっとドアを開けてみた。―――そこには、びっくりするくらい大きな身体の男の人が立っていた。金色の眼帯を目に当てている。二の腕はまるで丸太みたいに太い。
 男の人は、にやりと笑った。「ひさしぶりだね、遊城十代くん」と言った。
「う、うん」
「悪いが、通してもらおうか。廊下は暗くっていけない」
 たしかに、今は夜だ。十代はそこを退いて男を通す。男はソファに勝手に座ると、太い葉巻の先端をナイフで切り落とし、火をつけた。唖然とした顔の十代の前で美味そうに紫煙をふかすと、「さて」と十代のほうへと振り返る。
「あの…… 誰ですか?」
「ふむ、聞いたとおりのようだね。キミは私を覚えていない。私は黒サソリ盗掘団の首領、ザルークという」
「……はい」
「盗掘団という名前で分かると思うが、つまり、私たちは盗人… なんであっても、貴重で価値のあるものを手に入れるのが仕事でね」
「!?」
 それを聞いた瞬間、十代は、ほとんと飛びあがりそうなくらいに驚いた。
 とび色の目を丸く見開く十代に、ザルークは、「本当に記憶が無いのだな」と複雑な顔をする。だが、十代からするとそんなことを言っている場合ではない。そのまま部屋の隅へと逃げ出すが、すぐに、気づいてしまう。ザルークのいる方角にドアがある。道がふさがれてしまっている。
「最近、私どもの間では、キミがあらわれてからというのも、不思議ないい匂いを感じるというのが評判になっていてね……」
「し、知らないっ」
「だがしかし、我等のマスターであるところの万丈目くんもはじめとして、人間のデュエリストたちはまったく気づいていないらしい。と、いうことはつまり、それは私たち精霊にとってのほうが、より価値のある宝のにおいだということだ」
「知らない、知らないよっ!!」
 壁際に追い詰められる。必死で身体をぎゅっと縮め、胸元に何かを必死に隠す。本人がどんなつもりだろうが、そんなことをしている時点で、隠したいものがそこにあるということは丸分かりだった。灰になった葉巻をテーブルの上に置いてあった紅茶のソーサーにぎゅっと押し付けると、ザルークはたちあがる。にやりと笑うと大きな歯がのぞく。まるで遊園地の海賊アミューズメントのようにやすっぽい脅しだったが、しかし、今の十代にとっては十分すぎるくらいだった。
「さあ、ちょっとでいいんだ。キミの宝物を、見せてはくれんかね?」
「……っ」
「私たちは、ジェントルな盗みというのを心がけていてね。キミがおなじくらいジェントルに振舞ってくれるなら、なあに、何もしない。私たちは親切なんだ」
 ザルークが近づいてくる。カチッ、と音がするのを見ると、それは、腰に差してあったフリントロック式のピストルを抜き放つ音なのだった。
「さあ」
 ゆっくりと、ザルークが、近づいてくる。
「さあ、さあ」
 十代の目に、涙が浮かんだ。そのまま、膝から力が抜けたように、ぺたんと座り込んでしまう。
《くりーッ!くりーッ!!》
 そんな十代の前に立ちふさがり、ハネクリボーが果敢に両手を広げる。しかし、悲しいかな、せいぜいが羽の生えたソフトボール大の毛玉にすぎないハネクリボーが抵抗したところで、どうというものでもないのだ。ザルークはふっふっふっと笑いながらにじりよってくる。
「さあ、おとなしくお宝を渡したまえ!」
 だが。
「……寝言は寝てから言わんかぁっ!!」
 まったく予想外の方向から、救いの手が、差し伸べられた。
 ごすっ、とも、どかっ、ともつかない鈍い音がして、ザルークの目が、くるりと白目を向く。両手からピストルがこぼれおち、そのまま真正面にぶったおれ…… かけたところで、ひらりと一枚のカードが舞い落ちる。頭を抱えていた十代が顔を上げた。涙をいっぱいに溜めた目で、現れた人影を見る。
 通常の使用法的にはあきらかにまちがった方法でデュエルディスクを握り締めた黒服の男が、そこにいた。
《よかったァ〜。やるわねェ、さすが万丈目のアニキ!》
「子分の不始末は親分の不始末だ」
 いいながら、ため息混じりにカードに戻ったザルークを拾い上げ、片手に握り締めていたデュエルディスクを腕に戻す。そして、涙目で床にへたりこんでいる十代を、なんとも奇妙な気分で見た。
 ……涙をいっぱいにうかべた目ですわりこみ、ぼうっとこちらをみあげている、栗色の髪、とびいろの目の少年。
 これが、普段なら、《無駄なくらい》のつくほど元気と活力に満ち溢れているはずの、遊城十代である。普通に考えて、たかがザルークにおどかされたくらいで、こんな顔や態度を見せるはずが無い。思わずだまりこんでいる万丈目に、「あの」と、十代がおっかなびっくりに声を上げた。
「た、たすけてくれて、ありがとう、ございます……」
「助けるもへったくれもあるか」
 万丈目は、ぶっきらぼうに答えた。
「オレの精霊が勝手なことをしにきたから、とりもどしにきただけだ。まったく!」
 ぷりぷりと憤慨する万丈目に、しかし、十代の反応は、まったくもって予想外のものだった。
「お兄ちゃんの、精霊?」
「お、お兄ちゃん!?」
 驚く万丈目に、しかし気づかず、十代は、驚きに目を丸くする。万丈目の姿を上から下まで見回した。ついでに肩の辺りにいるおじゃまイエローもみた。うふん、としなをつくるイエローを万丈目が叩き落とし、さらにかかとでぐりぐりと踏みにじっていると、ふいに、驚きと他のなにかの入り混じったような声がする。
「精霊が、見える、お兄ちゃん……」
「お兄ちゃんというな! オレの名前は万丈目さん、だ!」
 だが、ここ三年繰り返してきたはずのやりとりが、通じない。
 たちあがった十代は、なんだか、みょうにヨチヨチした感じの足取りでこっちにくる。そして、じいっと万丈目の顔を見た。……顔が近すぎる。だが、なんだか変な予感がして、いつものようにぐいと押しのけられない。押しのけたら泣き出しそうな気がする。そんな変な予感。
「万丈目のお兄ちゃん、精霊が見えるの? この、ハネクリボーも?」
「その羽の生えた毛玉はどうでもいいだろうが! だから……!!」
「……すっげぇ!!」
 だが、万丈目がいいかけた言葉をさえぎって、十代が、声を上げた。
「すげえ、すっげえ! 精霊が、見えるんだ。精霊が見える人って、ぼくのほかにもいたんだ!!」
 すごいや、すごいや、となんだかわからないが、十代は感動したように繰り返す。万丈目は唖然として、うっかり返事をしそこなった。
 ふいに振り返った十代は、満面に笑みを浮かべる。その表情のあまりのあどけなく、純粋な喜びの色。
「万丈目のお兄ちゃん、聞いて、ぼくもね、精霊が見えるんだよ!」
 ……そんなこと、三年も前に、とっくに知っている。
 だが、十代がどうにも真剣なので、そういう風に答えがたい。戸惑いながら、万丈目が、「あ、ああ」などと答えると、十代はまた感極まったようにぎゅうと両手を握り締めて、「すっげえ」とかみ締めるようにつぶやいた。




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