子どもなカンケイ 5.
(十代記憶喪失ネタ)




 すくなくとも、万丈目の知っている時点で、遊城十代という人間は、過剰なほどに明るく、屈託がなく、そして、元気のいい人間だった。
 自分はこのアカデミアに入学した時点だと、いまよりかずいぶんと付き合いにくい人間だったと思う。なれなれしさに屈してプライドを切り売りしているということに忸怩たる思いがないでもないが、雑草根性が身についた今だからこそ、こういう風になれた自分がいる、というのもまた事実だ。そして、そういった人格が構成されてしまった原因には、十代という人間のあのなれなれしさ明るさがあったのだ、ということも事実だと思っている。

 だが、今のこれは、なんなんだ。
 臆病なハムスターみたいに、びくびくぷるぷるしているこいつは!

 ドアをノックして、しばらく返事を待ち、それから覗き窓から中を覗く。かと思うといきなり目の前になんだかもさもさしたものがひっついていてぎょっとするが、それはよく見るとハネクリボーなのだった。
 やがて毛玉のような精霊はひょこんと姿を消した。十代が出てくる気配は無い。が、入ってもいいということだろう。「入るぞ!」と大声をあげてドアを開けた。
「万丈目のお兄ちゃん?」
 あいかわらず、頭の痛くなりそうなその呼び名。中を見ると、レッド寮の制服ではなくセーターを着た十代が、ちょこんとベットに座っていた。
 万丈目を見つけると、ぱあっと表情が明るくなって、それからとことことこっちに近寄ってくる。なんだこのどんくさい所作は。もっとちゃきちゃきせんか、と言いたくなる。
 が、今日の用事はまた別だ。
「おい、十代。聞いたんだがな」
「?」
 小首をかしげるしぐさ。いちいち頭が痛い。
「……お前、飯を食ってないのか」
 ぶっきらぼうに言うと、とたんに、とび色の目が曇った。
 しゅん、とおちこんで、「ごめんなさい」と謝る。謝ることじゃない、と思うのだが、まあいい。それよりもこっちのほうが問題だ。

 まず、ザルークをおいかけて十代の部屋に乱入し、なんだか信頼を得てしまったらしい、と鮎川に言ったのが昨日のこと。
 そして、ちょっと叱られつつも安心したらしい様子を見せられ、それから、「だったら、相談を聞いてもらえないかしら」といわれたのがその直後だ。

「いったいどうしたんだ。飯を食わないと体力がもどらないじゃないか」
 それ以前に、三日間絶食状態だったのだから、腹が減るのが当然だ。十代はますます肩をちいさくして、「ごめんなさい」とまた言った。
「すききらい……」
「違うだろうが」
 好きなものだけ食べて、嫌いなものを残す、という風でもない。
「食欲が無いのか? だったら、食いたいものを言え。あるものだったらもってきてやらんこともない」
 エビフライか? といってみるが、反応はあきらかではない。びくびくおどおどしている十代を見ていると、なんともいえず違和感を感じて、背中の辺りがぞわぞわした。正直、不気味だというのが正直なところだ。
 やがて、そろり、と眼を上げる。なんだか妙に悲壮な表情。
「ごはん、きょうはちゃんと食べます……」
 その発言に、こっちがあきれてしまう。万丈目は思わず言ってしまった。
「飯を食うだけでそんなに力が入るやつがあるか! ……って」
 言いかけたところで、後ろから何かに頭を小突かれた。
 ふりかえると、茶色い毛玉がぱたぱたはばたきながら浮いている。なんだか怒った眼をしていて、また、後ろから万丈目の頭をぺいと蹴った。こいつのせいか!
「この毛玉っ。なんなんだ、いったい!」
「やだ、万丈目のお兄ちゃん!」
 ひっ捕まえようとすると、横から急に手を出される。ひったくった毛玉をぎゅうと胸に庇うと、そのまま部屋の隅っこでこっちに背中を向けてしまう。あきれかえるを通り越して、呆然とした。

 ……なんだ、この反応は!

《ちょっとォアニキィ、コドモ相手に大人気ないわよォ》
 後ろのあたりから、くねくねとしなをつくった声がする。万丈目はいらいらと言い返す。
「あほう、十代のどこが子どもだ! 記憶喪失だかなんだかしらんが、すねたりごねたりして人に心配をかけていいという法はないだろうが」
《だからァ、違うのよォ。あれは十代のダンナじゃなくって…… ううン、なんだかしらないけどォ、そっくりだけど別のコよォ。六つくらいのちっちゃなコじゃないのォ》
 見えないのォ、アニキィ? といわれて、万丈目は眉間に皺を寄せる。おもわず振り返り、壁際にうずくまっている十代を見た。

 六つくらいの子ども……

 困惑しながらも、考えてみる。
 六つの子どもが、何ができて、何ができなかったか。
 
 親元をはなれて、急にしらない環境に放り込まれた六つの迷子。それは、泣いたりわめいたりして当然だろう。もしかしたら食欲も無くなるかもしれない。びくびくおどおどしてしまうのも仕方ないかもしれない。
 ごめんなさいを繰り返されるのはいらいらするが、しかし、しつけを厳しくされている子どもには、そういう風になってしまう子どももいる気がする。ふいに自分の子ども時代を思い出し、なんだか急に、目の前の十代への違和感が、さらりと溶けるような気がした。

 ……たしかに、この十代は、《遊城十代》であって、そうではないのかもしれない。

「おいじゅうだ…… そこのちび!」
 呼びかけると、十代が、目だけで振り返った。
 万丈目はためいきをつきかけて…… むりやり飲み込む。ちょっとでも声を落ち着けた。
「プリンは好きか? アイスは?」
「……」
「好き、きらい、どっちだ!」
「す、すき!」
 びくっとして、答える。万丈目はふんと鼻をならした。
「それよりお前、風呂は入っているのか。ひとりではいれるのか? 頭はあらえるか?」
「……」
 万丈目は、6つのころには、まだひとりで風呂に入れなかった。
 アナログ時計もよめなかったし、シャンプーハット無しではシャンプーが目に入るのが怖くて、頭も洗えなかった。夜中はひとりでトイレにいけなかった。偏食でキュウリとセロリと刺身が食べられなくて、お弁当のウインナーがタコさんになってる幼稚園の別の生徒がこっそりとてもうらやましかった。
「ちび、今からプリンとアイスを買ってきてやる。それから風呂に入れてやる」
「……おやさいたべてないのに、おやつ、食べていいの」
「特別だ!」
 ちょっとこちらを振り返る。上目遣い。十代だと思うとまた背中がぞわぞわしたが、無理やりそれを押さえつける。

 こいつは十代じゃない。しばらくは別人だ。名前は…… もう、勢い任せでいい。しばらくは《ちび》で十分だ。

 しばらく迷っていた十代は、こそりと言った。
「アイス、チョコがいい」
「わかった」
 おとなしく待ってろよ、ちび、と万丈目は言う。しばらく丸い目がぼうっとこっちをみあげていた。それから、ちょっと首をかしげる。
「万丈目のお兄ちゃん… どうしてぼくに、しんせつなの?」
「おまえが、ひとりじゃ何にもできない、ただのちびすけだからだ」

 正確には、《そうなっちまった》からだが。

 小柄だが、ちびとは言いがたい十代は、それでもしばらく万丈目のほうをじいっと見ていた。そんなしぐさを見ながら、こいつは十代じゃない、ちびだ、ただのちびすけだ、と万丈目は必死で自分に言い聞かせた。




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