美女と野獣
とりあえず最初に言っておかなきゃいけないことは、その娘は本当にとんでもなくみっともない格好をしていたってことだ。
嘘じゃないさ。あの娘を見た奴ははじめには必ず唖然として、次には怒りだすか笑い出すかするって決まってたね。だってあの娘の格好といったら、ありとあらゆる連中からみっともない部分だけを寄せ集めたみたいだ、としか言いようがなかったんだから。
そうだな、まずセイレーンの頭の所、人猫からは足の部分、人魚の両腕、ラミアーからは胴体の所だけ。そういえば少しは想像がつくんじゃないかねえ? とにかくあの娘はすべすべした羽毛も柔らかい毛皮も、たくましい角も鋭い爪も、お月様にしたがって形を変える針の虹彩すらも持っていなかったんだ。
遠国の天魔に似てるんじゃないかって? ダメダメ。だってあの娘には腕も足も二つっきりしかなかったし、顔といったらたったの一つしか付いてなかったのさ。そりゃたしかに似てる部分もあったかもしれないけど、そんな少ない数の手足じゃあ天魔みたいに優雅にふるまうことなんて、できるわけない。
だから当然のことなんだが、あの娘はいつだって一人ぼっちだった。
だってそうだろう? 世界中をみてまわってるお月様すら笑い出してしまうくらい、そりゃあ醜くて滑稽な娘だったんだから。お月様と来たら笑いすぎたせいで天のレールからずれかけて、空からばらばらブリキの歯車をふらせるくらいだった。こまった連中があの娘を燃樹の枝の下に隠して、お月様もようやく笑い止んだってことだけどね。本当にあきれた話さ。
さて、かくも醜いその娘は、だからずっとずっと一人でその辺をうろつきまわって暮らしていた。当然娘に話しかけるヤツなんて誰もいなかったし、かまってやることがあるっていったら、精々近づいてきたときに石を投げてやるくらいのことだったね。
ところがある日、その娘に話しかけてやったお方がいたのさ。皆、そりゃあ驚いたよ。だってそのお方ときたら、誰一人並ぶことが出来ないくらい高貴で美しい方だって、お月様の下で暮らしてる全てのみんなに知れ渡ってたくらいだったんだから。
そうさ、俺だって知ってるよ。あんなに美しい方は、きっともう二度と見ることなんてできない。
あの威厳に満ちた鼻面と強靭な顎、豊かなたてがみの誇らしさは、見たことの無い奴には絶対にわからないだろうね。あの方が強靭な四肢で地面を駆ける時はまるで地上におりてきた黎明みたいに見えたし、あの方の吠える声は雷鳴よりも遠くまで響き渡ったもんさ。ああ、あのしなやかな尾、力強い爪、真っ白い牙。そしてお月様よりもまぶしく光る、トパアズ色のあの瞳。
あの方はたしかに生まれながらの王者だった。
……そうさな、あの娘とはまったく違う意味で、あの方もある種の異端だったといってもいいのかもしれないな。
あんまり高貴なお方だったから、あのお方に対等な立場で話しかけようとする無謀者なんて一人だっていなかった。あのお方はいつも栄光と光輝に包まれて、一人威厳を持ってお立ちになっていたが…… ああ、あの方の考えていらっしゃったことなんて、この俺程度にわかるわけがないじゃないか! あんなにお偉い方にも一人を寂しがる気持ちがあったかなんて、俺には全然わからないよ。
とにかく、あのお方があの娘の下へゆっくりと歩いていくのを見たとき、俺たちにどんなに驚いたかってことくらいは分かるだろう?
実は俺、ちょうどその瞬間に居合わせてたんだよ。今でもあの時のことは忘れることができないな。
そうさ、あの日は雨が降ってたよ。
あの娘はみっともなく痩せた二本の足を投げ出して、燃樹の木陰にすわってるんだ。みんなに嫌われる燃樹の下が、あの娘のいつもの場所だったからね。
とにかくあの娘はボロボロの服を頭からひっかぶって、燃樹の枝から落ちる雨粒をぼんやりと見ているんだ。あるいは薄い雨雲の向こうで、蛋白石みたいに光ってるお月様を見ていたのかもしれない。それとも、単に何にも見えてなかったって可能性もあるかな。あの娘は目が変に悪くって、やたらとまぶしい場所以外では物がよく見えなかったらしいから。
で、そうやって座ってた娘が、近くの夜蘭の茂みが揺れるのに気づいてふっと顔を上げるんだ。あの娘、そりゃあ驚いただろうさ。だって夜蘭の白い花の間から現れたのは、あのお方の金色の毛皮だったんだから。
あのお方は天鵞絨のような足裏で下草をふみつけながら、ゆっくりとあの娘の方へと歩いていった。あの娘は声もだせない様子だったよ。灰色の目をびっくりしたように見開いているのが俺からでも見えるくらいだった。
あのお方が娘になにを話したのかは俺にはわからなかった。でもしばらくたって、あのお方は娘の傍にゆったりと横たわったんだ。娘はあのお方のたてがみに恐る恐る手を置いた。黄金をつむいだようなたてがみだよ。どんな感触がしたんだろうな。娘はほそい手をあのお方のたてがみの中に埋めて、それから二人はずっと黙ったまま空を見上げていた。
それでも最初は、あのお方のただの気まぐれだろうって、みんな思ってたよ。
それが間違ってるって薄々気づいてきたのは、お月様が隠れるたびに、二人がこっそり燃樹の下で会っているって噂が広まりだしたからだった。
怒った奴も多かったし、悲しんだ奴も多かった。それ以上に多かったのは、そんなことはとても信じられないと言う連中だったさ。あのお方が、あんなみっともない娘に懸想するはずもない、ってね。まったくその通りさ。俺だって、あの雨の夜の二人を見なかったら、そんな話なんてとても信じられなかったと思うよ。
あの娘を非難する声が、だんだんあちこちで囁かれるようになっていったね。昔はどこにいたって影法師みたいに無視されていただけのだったのに、あの娘を見るたびに石を投げたり爪や牙で追いやってやる奴も増えてった。しまいには、あの娘はいつもいつも燃樹の下にうずくまっているだけになってった。
あのお方はトパアズ色の目でずっとそんな娘を見ていたよ。何を考えていらっしゃったかなんてこの俺に分かるわけがないけど、かすかな予感は感じていたのかもしれないな。だって、あの二人が消えたって話を聞いたとき、なんだかひどく納得したような気がしたからさ。
そうさ、あの二人は逃げたのさ。俺たちのお月様から。
ほら、あそこを見てごらんよ。あの二人が通るだろう。
ただの猛獣使いの娘と、サーカスのライオンじゃないかって? それはお前が物を知らない阿呆だからさ。お前は俺たちのお月様が空の向こうから覗いてらっしゃったって、公園の明かりと勘違いしたりするんだろうさ。お前みたいな奴には、この世の真実ってものなんて、何一つとして見えないんだろうよ。
安っぽいサーカスの色豆電球に照らされてたって、本当に物を知ってる人たちの目には、あの二人の姿は隠れやしない。でも本当の姿が一番くっきりと現れるのは、お月様がこのサーカスを覗きに来る夜だ。
俺たちは結局お月様の子供だ。お月様のいないところじゃあ、生きていくことさえもできやしない。だからお月様のいらっしゃる夜には、あの二人もきっと月光浴にこっそりと抜け出てくるだろう。そんな夜にはお前みたいな奴にもあの二人の本質が見えてくるはずさ。
俺がまるであの二人をうらやんでいるように聞こえるって?
……まいったな。あんた、実はただの阿呆じゃなかったのか。
そうさ、俺はあの二人のことが羨ましいよ。だってあの娘とあのお方は、何一つとして似たところも無いはずなのに、異端であるという一点だけでこの上も無いほど似通っているんだから。
俺たちはお月様から離れては生きていけない生き物だ。あの二人はやがて自分達の本質さえも忘れて言ってしまうだろうよ。でも、俺はあの二人を最後まで見ているつもりだよ。なんでそこまで思っているのかは、きっと俺も最後までわからないんだろうけどね。
……ほら、月が昇る。あの二人が歩いていくよ。
いまならあんたにも見えるだろう、あの二人の本当の姿が。
誰が何ていったって関係ないさ。すべての真実を見通すことなんて、お月様にだってお出来にならない。
お月様の楽園を逃げ出したあの日、きっとあのお方とあの娘は自らの意思でこの生を選んでいたんだ。
ただ二人きり、幸福な流刑者として生きる道を。
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