ビアンカ





 うちの家にはビアンカがいる。金色の巻き毛、真っ白い陶器の肌、硝子の目玉のビアンカ。ビアンカはビスク・ドール。古い古い人形だ。
 ビアンカはうちの家の女の子たちに代々受け継がれてきた人形だということだった。そのとおり、わたしのおばあちゃんはビアンカをとても大切にしていた。季節ごとにあたらしいドレス。髪の毛には埃ひとつ付かないように、いつも丁寧に髪を撫でて、まるでメイドがお嬢様に語りかけるようにうやうやしく話しかける。その様子を見ているとまるでビアンカがお嬢様でおばあちゃんが召使いだ。お人形の扱いとしてはおかしいんじゃないかとわたしが言うと、おばあちゃんは笑って答えた。
「だって、しかたないのよ。ビアンカはお姫様で、わたしはその召使いなの」
 赤の王様の話は知ってる? とおばあちゃんは言う。膝にビアンカを抱きながら。
「知ってるわ。アリスでしょう? 鏡の国だったっけ、アリスは赤の王様が見ている夢なのか、って」
「それとおんなじなの。実はおばあちゃんは、ビアンカの見ている夢なのよ」
 ビアンカはお姫様、とおばあちゃんはいとおしげにビアンカの髪を撫でる。金の巻き毛。長い長い時にさらされて、少し灰色がかかった亜麻色になった巻き毛。
「おばあちゃんだけじゃない、おばあちゃんのおばあちゃんも、そのまたおばあちゃんも、ビアンカの見ているただの夢なの」
 お人形には可愛がってくれる女の子が必要だものね、とおばあちゃんは言う。
「だからビアンカはわたしたちを作ったよ。だから、ビアンカの夢が醒めたらわたしたちも消えてなくなるの。だから、ビアンカはお姫様で、わたしはその召使い。だって、ビアンカがいなくなったら、わたしたちもいなくなってしまうんですもの」
 おばあちゃんの話はなんだか良く分からなかった。どう返事をしたら良いのか分からないわたしに、おばあちゃんは笑いかける。わたしの手を取ってビアンカの手に重ねさせる。陶器で出来たちいさな手。
「だから、もしもおばあちゃんが死んだら、今度はあなたがビアンカのお世話をするの」
「ドレスを縫って、髪の毛を梳いて?」
「そう。朝晩丁寧に話しかけて、ビアンカが心地よく夢を見られるようにするのよ。そうすればわたしたちはずっと幸せでいられるの。ね?」
 ビアンカの手は陶器細工だった。冷たかった。硝子玉の目がわたしを見たように思えて、わたしはちょっとぞっとした。

 そしておばあちゃんは数年後、死んだ。

 おばあちゃんの体は結婚式のときから取って置かれたドレスに包まれ、棺に入れられたまま、火葬場へと運ばれていく。私は黒いワンピースでビアンカを抱いていた。おばあちゃんはご丁寧に最期のときまでビアンカのドレスを縫っていた。黒いベロアのドレス。黒いチュールの付いたちいさな帽子。
 ちいさな窓からおばあちゃんの死に顔が見える。まるで蝋細工の人形のようだ。
「最期のお別れをしなさい」
 お母さんが言う。押し出されたわたしは、ビアンカを抱いたまま、おばあちゃんの前に立つ。
 ビアンカはまだここにいる。なのに、おばあちゃんは死んでしまった。わたしはまじまじとおばあちゃんを見下ろす。それはとても不公平なことのようにわたしには思えた。
 だから、わたしは、とっさにビアンカを手放す。おばあちゃんの胸の上にビアンカを押し付ける。そして、乱暴に棺のふたを閉めた。
「どうしたの?」
 お母さんは驚いたように聞く。わたしは作り笑顔で答える。
「おばあちゃんはビアンカが大好きだったんだもの。いっしょに逝かせてあげないと可哀想よ」
 本当らしい理屈に聞こえたのかもしれない。だから誰もわたしをとがめなかった。黒いドレスのビアンカ、金の巻き毛のビアンカは、おばあちゃんと一緒に棺に収まった。そして轟々と燃え盛る窯の中へと入れられる。
 わたしは心の中で唱える。燃えてしまえ。燃えてしまえ、ビアンカ。可哀想なおばあちゃんをずっと召使いにしてきた報いに、おばあちゃんと一緒に燃えてしまえ。
 やがて、高い煙突の上から、骨の色をした空へと、一筋の煙が昇り始める。
 そのときだった。
 ぼっ、と音を立てて、お母さんが、燃えた。
「えっ?」
 わたしは驚く。お母さんは驚く時間すら与えられなかった。一片の紙を火にくべたみたいに、ひらりと金色の火になって、あっという間に消え去った。
 ぼっ、ぼっ、ぼっ、と、みんなが燃え出した。
 叔母さんが、叔父さんが、従姉妹たちが、燃えた。お父さんと、他の数人だけが燃えなかった。そしてわたしは、
 ぼっ、と燃えた。
 金色の炎にくるまれながら、ああ、そうか、とわたしは思った。
 おばあちゃんが、おばあちゃんのおばあちゃんの血を引く人は、みんな、ビアンカの見ている夢だったのだ。だからビアンカが燃えればみんなが燃える。お父さんはおばあちゃんの血を引いていないから、ビアンカの夢じゃない。自明の理だ。
 おばあちゃんが言っていたことは本当だった。本当のお姫様はビアンカだった。人形だったのはわたしたちだった。だから、ビアンカが消えれば、みんな、みんな、消えてしまうのだ。
 そう考えたのを最期に、私はひとひらの白い灰になり、風に吹き散らされて、火葬場の空へと消えさった。





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