li'l miss sticky kiss




 リトル・ミスはとても可愛い子だったけれど、ずっと、あたしたちのなかでも一番のおくての、ねんねちゃんだった。真っ黒な髪を二本の三つ編みにして垂らし、やせっぽちのくせに、ぽってりしたセクシーな唇の持ち主だったリトル・ミス。リトル・ミスはあたしに言った。
「ママが怒るの。あたしが男の子に近づこうとしたら」
「別にそんなの、どの家だってそうだよ」
 あたしはリトル・ミスの言うことがばからしくってしょうがなかった。だいたいママってのはどこの家でも口やかましくて狭苦しいものだ。でも、誰だってママに隠れて煙草を吸うし、酒だって飲む。リトル・ミスに限って言うとそれは例外だったけれど、ある意味、あたしはリトル・ミスのそういうところが面白くって、彼女の友達をやっているってところもあった。
 可哀想なリトル・ミス。あたしたちは13歳で、まだ生理の処理にも手を焼いてるくせに、いっちょまえに眉毛を抜いて、裏だと煙草をふかしたりしていた。その上、あたしたちはバージンだった。少女雑誌の過激な特集を読んで、わざとらしく舌を出してアイスを舐めてみたりするだけで最高に盛り上がれる、13歳という年齢だった。
 なのに、リトル・ミスはいつだってビクビク、おどおど。学校に来ちゃえば、何やってたってママはバレやしないってみんな思ってた。服に煙草の臭いがうつっても、「学校だと不良っぽいコが多くてこまっちゃう」の一言でごまかした。リトル・ミスだけがどうしてそんなにママのことを怖がってたんだろう? それはあたしたちにとって最大の謎だった。
「ママはいつだって見てるの」
 それが、リトル・ミスの口癖だった。
「あたしが悪いことしてないか、悪いところに行かないか、ママはずっと見張ってる。だから悪いことなんてできやしない。だって、ママのお仕置きがこわいもの」
「あんたのママは千里眼の持ち主ってわけ?」
 あたしが言うと、リトル・ミスは口ごもった。
「まあ、そういうようなものだけど……」
 可愛い、可哀想な、リトル・ミス。いつも、あの子はなんにおびえていたのか、あたしはそのうち知ることになった。

 
 学校帰り、アイスクリームショップによって、アイスだとか、キャンディ・バーだとか、甘くてべたべたしたお菓子を買うのが、あのころのあたしたちの、一番の楽しみだった。
 でも、自分でお金なんて出さない。その辺の男の子たちを口説いておごらせる。それができないようじゃ、そのコは将来ずーっとバージンのまんまだ。そういうのがあたしたちのお約束の冗談で、そして、不思議なことにリトル・ミスは人からおごってもらうのがすごく上手だった。あんなに地味な格好をしてたのに。でも、確かにリトル・ミスは可愛かった。あたしたちのなかでも、だんとつに。
 そして、あの日も、アイス・ショップにいくと、年上のハイスクールの男の子たちが、あたしたちにアイスをおごってくれた。
「おまえら、大きくなったら、ちゃんと俺たちに付き合えよ」
 そいつらはそう言って笑った。あたしたちは知っていた。あの男の子たちは、おんなじようにして、このアイス・ショップを卒業していった女の子たちに、きちんと自分のチェリーをしゃぶってもらえたから、いっちょまえの顔をして不良ぶっていられるのだった。そういうのがあたしたちの約束。このあたりの土地の、このアイス・ショップのルール。ふざけてるって思う? でも、そういうのが女の子ってもんだし、男の子ってもんなんだと思う。
 リトル・ミスはとりわけ悪戯っぽい感じで、人懐っこいことで有名なひとりに、バーガンティ・チェリーをおごってもらい、あたしはキャラメルのアイスを舐めていた。そのコは体つきはごっついくせに年下の女の子にやさしくて、あたしたちはそいつのことだったらいつだって思う存分にからかえた。特に、そいつが不良の癖して、煙草をくわえているよりも、キャンディを咥えていることのほうが多いっていうことがからかいの種だった。甘党の不良なんて絵にならない。でも、絵にならないからって、そいつが周りから嫌われてるっていうことにはならない。
「おい、リトル・ミス、お前のそのちっちゃなキッスは、いったいどれだけ甘いんだろうな?」
 リトル・ミスを見ながら、そいつはからかって言った。リトル・ミスはきょとんとしてそいつを見上げた。そいつはにやりと笑った。見覚えのある笑顔だった。
「ちょっと味見させてくれよ」
 そいつは言って、リトル・ミスの前にすばやくしゃがみこんだ。肩を片手でつかんで、ぽってりした唇を舐めた―――

「リトル・ミス!!」

 その瞬間だった。とんでもない金切り声が、聞こえた。
 リトル・ミスが目を見開いた。悲鳴がその唇から迸った。みんなが、何が起こったのかと振り返った。そしてみんなが見た。リトル・ミスの黒髪を、真っ赤なマニキュアをした手がわしづかみにしていた。リトル・ミスは悲鳴を上げた。
「ごめんなさい、ママ、ごめんなさい!!」
「お前は悪い子だよ、リトル・ミス! なんてはしたないことをするんだ!!」
 ヒステリックな女の声。でも、誰もその姿は見られない。ただ、その手だけが見えた。真っ赤な爪、長い指、白い手―――
 あたしは見た。あの男の子、あたしたちに優しい、悪戯っぽい、あの年上の男の子の口から、その手が生えていた。
「もうしません! もうしません! だから、許して、ママ!!」
 髪を引き毟られたリトル・ミスが悲鳴を上げてしゃがみこむ。男の子の口はありえないほどに開いている。目が白目を剥いている。女の腕が、水玉のワンピースの短い袖が、男の子の口から見えた。
 リトル・ミスが泣きながら謝るのを見て、『ママ』は、ようやく満足したらしかった。
 腕は、ビデオを逆さ戻しにするように、彼の口の中に吸い込まれた。
 何が起こったのか、誰にも分からなかった。リトル・ミスは台無しにされた三つ編みをかかえて、しくしくと泣いていた。床には無残につぶれたバーガンティ・チェリーが、ピンク色のしみを作っていた。


 目の錯覚だろう、みんなそう思った。それでそのことは無かったことになった。あたしも怖いので、それから先はそのことについてリトル・ミスに聞かなかった。
 でも、そんなとき、リトル・ミスに彼氏が出来たという噂があたしたちの間に流れた。リトル・ミスは、なんとあたしたちのなかで一番にバージンを捨てたのだった。しかも、相手はというと、あの日、リトル・ミスにバーガンティ・チェリーをおごった当の男の子だというのだから、みんなが、信じられないくらい驚いた。
 当の彼は、例の日のことを忘れてるんだろうか? さもないと、あんなおっかない『ママ』のついた女の子となんて付き合えやしない。あまりに疑問だったので、あたしはある日リトル・ミスに聞いた。リトル・ミスはくすりと笑って答えた。
「別に、あたしがママを怖がらなくなっただけ。別にママだって万能じゃないんだもの。文句言われても気にしなけりゃいいのよ」
 その証拠に、とリトル・ミスは言った。
「見せてあげる。ねえ、煙草をちょうだい」
 リトル・ミスは絶対に煙草をすったりしない。それはみんなが知ってることだった。理由は『ママ』が怖いから。―――そんなリトル・ミスをみんなが笑ったけど、あたしはあの日から到底笑う気がしない。だから、そんなことを言い出したリトル・ミスが本当に正気なのかとよくよく疑ったが、彼女が言い出したんだから仕方なかった。しかも、あたしのジーンズの尻ポケットのなかには、折り悪く(良く?)最後の一本が残ったガラムの箱があった。あたしはちょっとためらいながら、ライトストーンの入ったライターと、ガラムの最後の一本を彼女に渡した。リトル・ミスはなれたしぐさで指にタバコを挟み、火をつけた。
 そのとたん、聞こえた。聞き覚えのあるあの叫び声。
「リトル・ミス!!」
 そして、何か、『変な感じ』がした。
 リトル・ミスは、やっぱりね、という顔をしてあたしをみた。あたしは見た。あたしの胸が裂けて、何かが出てくるのを。真っ赤なマニキュアの手を。
 あたしの胸から這い出した指が、リトル・ミスの手から煙草を叩き落そうとした。だが、リトル・ミスのほうが早かった。リトル・ミスはあたしの胸から生えた腕をつかむと、手にしているガラムを、その手の甲におしつけた。じゅうっ、という音。そして、ぎゃあっ、という叫び声。
「うるさいなあ、ママ」
 リトル・ミスは言った。
「ほっといてちょうだい。あたし、もう13歳なんだから」
 リトル・ミスはポケットから何かを取り出す。それはソーイング・セットだった。何かを言う間もなかった。リトル・ミスはつかんだ腕をあたしの胸の中に押し込むと、既に糸の通されていた針が、踊るようにひらめいた。あたしは胸にちくちくちくっと痛みを感じた。そして、見下ろすと、もうあたしの胸は、しっかりと縫い合わされてしまっているのだった。押し込み損ねた小指が一本、胸の裂け目から這い出して、蛆虫のようにうごめいていたが、リトル・ミスはため息一つで、ためらいもなくちっちゃなソーイングばさみを取り出した。
 すべてが終わると、リトル・ミスは、あらためて煙草を咥えなおして、甘ったるい匂いのガラムの煙を、大人っぽくふうっと吐き出した。そしてあたしをみて可愛らしく笑う。
「ね、わかったでしょ?」
 その縫い目はごめんね、すぐに消えるから、とリトル・ミスは言い足した。驚きとあきれで口が閉じられないあたしを、リトル・ミスは、にっこりと笑って見た。
「ようするに、ママが何を言っても、気にしなければいいって問題なのよ」
 そしてリトル・ミスは短くなったガラムを地面に落とすと、きっちりとサンダルのかかとで踏みにじって火を消した。真っ赤なマニキュアの小指も、ガラムの吸殻と一緒に、始末された。


 あたし今度舌にピアスをあけるつもりなの、とリトル・ミスは言っている。彼氏がリトル・ミスに、キャンディみたいなピンク・トルマリンのピアスを買ってあげると約束してるからだそうだ。
 あたしたち、誰だってリトル・ミスには適わない。なんたってあの子は一番にバージンを捨てたのだし、おまけにあのおっかないママのことまで、あっさりと始末を付けてしまったのだから。
 それともう一つ。……きっと死ぬほどびっくりするだろうピアス・スタジオの人のことを考えると、あたしはいまから、どうにも同情を禁じえない。





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