黒いたんぽぽ
生まれた庭がダンプカーにつぶされてしまったので、しかたなく彼は旅に出た。
はじめにたどり着いたのは、うつくしい水仙の花壇だった。
「あなたは笑うことができる? 子どもたちをよろこばせるために」
「できません」
「なら、よそへ行って」
しかたなく彼は、水仙の花壇を後にした。
次にたどり着いたのは、誇り高い薔薇の花園だった。
「あなたには誇りはあるの。誇り高く香り、人を跪かせることができる?」
「できません」
「なら、立ち去りなさい」
しかたなく彼は、薔薇の花園を後にした。
次にたどり着いたのは、つつましい百合の庭だった。
「あなたに涙はあるかしら。去る人々を悼み、涙を注いで、哀しみを癒すことができるかしら」
「できません」
「ならば、ここはあなたの場所ではないわ」
しかたく彼は、百合の庭を後にした。
次にたどり着いたのは、熱帯の蘭の温室だった。
「おまえに蔓はあるかい。絡みつき縛り付けて木々を殺し、それを肥やしにみだらな花を咲かせることができるかい?」
「できません」
「なら、出て行け」
仕方なく彼は、蘭の温室を後にした。
次にたどり着いたのは、野辺に咲く白い花のところだった。
花は毒芹だった。毒芹は言った。
「おまえには笑うことも、誇ることも、悼むことも、蕩尽することもできない。おまえの居場所はどこにもない」
「あなたは、ぼくと一緒にいてはくれませんか?」
毒芹は首を振った。
「私の根は人を殺す。これも辛い生き方だが、それをも出来ないお前を哀れに思う。元の場所へ帰りなさい」
はたして彼が帰ってくると、生まれた庭があった場所は、アスファルトに埋め尽くされて、草一本生えなかった。
しかたなく彼が見ると、そこには真新しいマンホールの蓋があった。彼が地下にもぐると、へどろが重油のにおいをさせるなかに、光の一筋も差さない暗闇があった。
「ここにいてもいいんだろうか」
彼は問うた。誰も応えなかった。
「なら、ぼくはここにいよう」
そうして、そのとおりになった。
それから長いときがたって、あるとき、昔の家を懐かしく思ったかつての娘が、自分の生家の場所を尋ねた。
「私の庭には、たくさんのたんぽぽが咲いていたわ。とてもなつかしい」
それから、娘は鳥にたずねてみた。たんぽぽたちは、どこへ行ったのかと。
鳥は応えた。
「あるたんぽぽは水仙の花壇へ、あるたんぽぽは薔薇の花園へ、あるたんぽぽは百合の庭へ、あるたんぽぽは蘭の温室へ。悲しいことだけれど、毒芹の仲間になったものもいる」
娘はこたえた。
「そう。みんながいなくなってしまって哀しいけど、居場所を見つけられたのなら、よかったわ」
けれど娘は気付かなかった。そこに、もっとも臆病だったたんぽぽがまだいたということに。けれどもそれもあたりまえのことで、たんぽぽはへどろに埋もれて、薄黒くすすけていた。
「ぼくはここに……」
いいかけて、黒いたんぽぽは口をつぐんだ。
娘は去った。二度とこなかった。
黒いたんぽぽがどうなったのかは、誰も知らない。
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