隠し眼鏡職人の話
今は師でもありますわたくしの叔父は、根強い愛好家を持つ隠れ瞳鏡の職人であります。
隠れ眼鏡といえば、視力の矯正のために目に入れるもの。そういった隠れ眼鏡専門にあつかう職人もおおくおりますが、叔父のつくる隠れ眼鏡はそういったためのものではございません。
叔父が作る隠れ眼鏡は、『飾り隠れ眼鏡』とよばれるたぐいのもの。瞳の色を変えたり外見を変えたり、お洒落の一部として身に着ける、そんな隠れ眼鏡を専門に作る職人でございます。
職人に飾りのための隠れ眼鏡つくりを頼むような方はもとより不思議な目つきをしているものですが、叔父のつくる隠れ眼鏡はそういった方の目をことのほかひきたてるような逸品ばかりでありました。
瞳孔を猫のように縦に裂く隠れ眼鏡、細い金色のうずまきがまわる隠れ眼鏡などはまだまだ児戯のようなもの。瞳孔の収縮を花のほころびのように見せる隠れ眼鏡、瞬くたびに黒い潤んだ瞳の面を流星が横切る隠れ眼鏡などまで叔父はたやすく作ってしまいます。けれど、叔父の技が職人とよばれていた理由は、当然のようにそのような軽薄なものではございませんでした。
叔父の客人は皆、工房に来るときはそれなりの『ほしい飾り隠れ眼鏡』というものの考えを持っているものです。叔父も正しい職人らしく、客人からの注文をそれらしい顔をして聞くものです。けれど、問題はその後―――
叔父の作る隠れ眼鏡は、ほとんどの場合が客人のもとめたものとは違う形になっているのです。
普通の方々の語り草になるたぐいの職人の頑固さ―――などというものとは違っていると、わたくしは叔父の名誉にかけても断言いたします。叔父は客人のことを思えども、自らの技をもって悪戯に驕慢となるような人物ではないのです。
その証拠に、完成した隠れ眼鏡をうけとった客人の中に、不平をもらした人間はひとりとて居ないのです。
それどころか、叔父のつくった隠れ眼鏡はすべての客人の瞳にぴったりと沿いました。普通、隠れ眼鏡と言うものは目を疲れさせたり、場合によっては傷つけてしまいすらするもの。けれど、叔父の隠れ眼鏡は第二の角膜のようにぴったりと目に張り付いて、中にはうけとった以後は生涯外さない客人すらいるものだと聞きおよびます。
当然のように、わたくしはそれが不思議でなりませんでした。
叔父の工房はわたくしの家からバスで数十分ばかりかかる、のどかな職人街の一角にございます。
職人街にくらすことをゆるされるほどの職人の工房ばかりがならんでいる場所ばかりでございますから、叔父の家のほかにも不思議な風体の人や品が出入りする工房は沢山ございました。硝子風船つくり、燃え羽つくり、水素蝙蝠つくり、ねじれ幻燈鏡つくり…… と。
けれど、むしろ普通の装いをした叔父の工房が、わたくしにとっては一番の不思議でございました。わたくしは母の作った弁当をとどけるのを口実に、いつであっても足しげく叔父の工房に通いつめたものです。
隠れ眼鏡作りというのは、これでそう沢山の道具をひつようとする作業ではございません。いつも青猫の寝ている縁側から上がりこみ、畳の日焼けした10畳間を通り抜けて、裏口の土間に行く。その土間もせいぜい10畳程度の広さでございましたが、それが叔父の工房のすべてでございました。
わたくしが弁当を持ってたずねたときには、叔父はたとえ作業中であっても茶を淹れ、駄菓子をすすめてくれたものでした。
そして叔父が茶をいれるためにひと時だけ水場に行く、あるいはほんの稀にですが、やってきた客人と話をするためにわたくしに留守番を頼む。その時こそがわたくしの目的でありました。
いくら人当たりがよくても叔父は職人、子供が工房に入ることに良い顔はいたしません。わたくしもそれを分かっていて、工房の中を覗くのは叔父が席を外しているひと時だけだったのです。
材料や器具、見本のたぐいをともかくとしても、叔父の工房には完成品や未完製品の隠れ眼鏡がたくさん並べられておりました。
透明な保存液をみたした瓶の中に入れられ、うつくしい隠れ眼鏡は棚にならべられておりました。瓶に入った隠れ眼鏡はおとぎ話の魚のうろこ、硝子の作業台のうえにまだ乗っているつくりかけの隠れ眼鏡は、お姫様のたべる飴のようにも見えました。
そのようにしてうっとりしているところを叔父に見られたことも、数度ばかりはございます。そんな折には、叔父は気まずい思いをしている私に向かって
「お前はおれの甥っ子だなあ」
と笑ったものです。
今から考えてみれば不思議なことですが、わたくしは隠れ眼鏡を見ることには熱心でも、つけるということにはそもそも思いが及びもしませんでした。叔父が笑ったのは、そのようなことに関してだったのでしょうか。
幼いころのわたくしには一つの野望がございました。
ここまで話してしまえばお分かりでしょうが、それは叔父の謎をとくことだったのです。
黒瞳がこのうえもなく美しいと思われていた少女が、その時その時間の空と連動して色を変える隠し眼鏡を身につけたとき、どうして以前よりも美しく、また自然にみえるのはどうしてなのか。天使の輪を浮かべた瞳に変わった神父が、以前よりも神々しくまた敬虔になるのは一体どうしてなのか。
叔父のつくる隠し眼鏡の、言ってしまえば『その人をよりその人らしい姿にかえる』という性質そのものが一番の疑問であったのです。
あるいは、わたくし自身が叔父の作った隠し眼鏡をつければ分かるのかもとは思えておりました。
けれどいくらせがんでも、叔父はわたくしに隠し眼鏡をつくってはくれませんでした。その理由はのちに分かったものですが…… どちらにしても、だれか他の客人のためにつくられた隠し眼鏡をつけると言うのは無意味な話。わたくしの野望はいつまでたっても達成されそうにございませんでした。
そんな、ある折のことでございました。
いつものように母の作った弁当をもっていったとき、叔父は工房にはおりませんでした。
隠し眼鏡が目当てであることは無論のこと、優しい叔父に会うことも目的の一つでありましたので、わたくしは少しばかり落胆いたしました。ですがとにかくも叔父の帰りを待たなければならないなと、叔父の工房に上がりこみました。
そして工房に並べられた隠し眼鏡を眺めていたとき、その奇妙な隠し眼鏡をみつけたのです。
他のものと同じように小さな瓶に収まったその隠し眼鏡は、工房の机の上に置かれておりました。ですが、その隠し眼鏡は他のものと違って二つ一対ではなく一つっきりが瓶に収められております。その上ただの視力矯正用の隠し眼鏡のように、透き通った薄い硝子で出来ていたのです。
その瓶を手に取ったときは、あるいはただの好奇心だったのかもしれません。ですが見れば見るほどに、わたくしはその隠し眼鏡に惹かれてしまいます。
浅慮な子供ではなかったわたくしは、その瓶を手に握り締めて散々に逡巡いたしました。
特に美しいわけではない。むしろ平凡で、作りかけのようにも見えます。しかも片方しかありません。
ですが、その隠し眼鏡は酷く魅力的だったのです。すくなくとも、わたくしにとっては。
わたくしは激しい鼓動を感じながら鏡の前に移動し、瓶を空けました。そして、隠し眼鏡を左目に入れたのです。
その眼鏡には本当に何の仕組みも無かったと見え、わたくしの瞳には何の外見の変化もあらわれませんでした。左目がわずかにひやりとするのを感じただけで、違和感もなにもございません。ただ、叔父の作品を身につけたと言うことは、とても強い満足感をわたくしにもたらしました。
わたくしはご機嫌で叔父の工房中を歩き回り、ついには外にでようと思い立ちました。どうせ外見は変わっていないのです。叔父が帰ってくる前に戻ってきて、こっそり元に戻してしまえばいいということ。
わたくしは靴をひっかけ、大通りに出ました。
職人街にも住人は居ります。昼ごろだけに人通りも多く、すれ違う中には所々に知り合いの顔も見受けられました。その中のだれも、わたくしが叔父の隠し眼鏡をつけていることに気づきはしません。満足しながら道を歩いていて…… けれど、やがて、わたくしは妙なことに気がつきました。
右目と左目で、見えているものが僅かに違うようなのです。
裸眼の右目の視界の中で、水凧作りの見習い坊主が手を振ってすれちがいます。隠し眼鏡をつけた左目の視界の中で、彼は熱帯魚の群れが泳ぐ目を嬉しそうにきらめかせました。
隠し眼鏡は高価なもので、見習い坊主が買えるような代物ではありません。何故彼が、と思いながらすれ違い、前方に向き直って。
私は目を疑いました。
道行く人々…… 工房の出前に来た定食屋の給仕や、商品の納品に来たらしい中年の男。高貴なみなりの少年や、織姫らしい老女と女性の二人連れまで、皆。
皆が皆、叔父の隠し眼鏡をつけたかのような不思議な瞳をまたたかせていたのです。
わたくしは驚愕してよろめき、片手で左目を覆いました。すると、視界は普通に戻ります。
そこでようやく真相に気づき、わたくしはそっと左目を開けました。
わたくしが工房に戻ってしばらくたちますと、叔父が帰ってまいりました。
ガラス瓶を大量に抱えて戻ってきた叔父は、放心したようにすわりこんでいるわたくしをみて驚きました。
わたくしは叔父がかえってくるまでに隠し眼鏡を外そうと、あらゆる手をつくしていたのです。ですが、叔父の隠し眼鏡はわたくしの左目にはりつき、どんな手をつかってもはずれはしませんでした。
ルビイのように赤くなった目で見上げられたとき、叔父はすべてを悟ったようでした。
「あのレンズを目に入れちまったんだな。……取れないだろう」
叔父はわたくしの顎を捉えて、点眼鏡で左目を覗き込みました。わたくしは泣き出しました。
叔父の大切な隠し眼鏡を勝手につけてしまったことや、ついにはとれなくなってしまったこと。大好きな叔父に迷惑をかけてしまったことは腹立だしいやら情けないやらで、わたくしは涙も鼻水もいっしょくたにして号泣しました。
「泣くな、泣くな」
人の良い叔父は半分困ったような顔をして、私の肩を叩いてくれました。叔父の優しさがまた悲しくて、喉の奥がさらにしょっぱくなります。わたくしは、いっそ目を抉り出して叔父に返してしまおうかとまで思いました。
が、次の言葉を聴いた瞬間、そんな情け無い考えはふっとんでしまいました。
「いいんだ。それはもともとお前に遣るつもりで作ったものなんだからな」
わたくしは耳を疑い、ついでに泣くことも忘れて叔父の顔を見上げました。叔父は恥ずかしそうに笑い、わたくしの肩をぴしゃぴしゃと軽く叩きました。。
「お前、それをつけたら道行く人がみんな俺のレンズをいれているように見えただろう。それも、左のほうの目でだけ」
わたくしは頷こうかどうか迷いました。あまりにも、叔父のいった通りなのです。わたくしの情け無い表情は、口で言うよりも雄弁な答えでした。
「そうだ、そうだ。実はな、俺の目にもそれと同じレンズがはいっているのだよ」
叔父がわたくしの顔にぐうっと顔を近づけたので、わたくしはしっかりと見ることが出来ました。……遠目ではまるで分からないけれど、叔父の右目にはたしかに隠し眼鏡がはまっておりました。
「じつはな、このレンズをつけたものは、他人の目を窓のようにして思っているものが見ることができるようになるのだ。と、言っても千里眼のようになんでも見えるようになるわけじゃあないが……
俺の師匠は魔術師で、このレンズをつかって人の心を覗き、たくさんの魔術が使えたのだよ。だが、俺はできそこないの魔術師だった。レンズをとおして人の心を覗いても、色々なきれいなものが見えるだけだったのだ。占星術のできない人間にとって、星空がきれいなだけと同じことだな。
そこで俺は考えた。誰だってあんなにきれいなものを持っているのだから、しようのない魔術師にだけ見せておくのはもったいないのではないかとね」
叔父が一人合点に頷きながら言うのを、わたくしは呆然と聞きました。叔父は唇をひんまげるようにして、にやりと笑いました。
「お前、みんなが俺の作ったレンズを入れているように見えただろう。結局そういうことなのさ。俺は誰にでも見えるように、その人のもっているきれいなものとそっくり同じ見た目のレンズを作って、渡してやっているのさ」
わたくしの話はこれで大体おしまいです。
わたくしは叔父の話に大変感心し、ぜひ弟子にしてもらいたいと頼み込みました。左目にこんな隠し眼鏡がはまってしまっているのだから仕方が無いと、叔父は笑ってわたくしを弟子にしてくれました。見習いになったわたくしは今、毎日隠し眼鏡を磨いてばかりの日々を送っております。
ですが、わたくしにはまだ一つだけうたがいがございます。
叔父がわたくしにくれた片方だけの隠し眼鏡、これは本当に、叔父の言うとおりのものなのでしょうか?
人の心はきれいなばかりと、叔父はいつも口にいたします。ですが、そればかりを本当と信じるには、世の中はいささか世知辛すぎるものでしょう。
だから、わたくしは思うのです。
この左目がきれいなものしか見えないようになったのは、叔父がきれいな隠し眼鏡ばかりをつくるのは、叔父の言うとおりに『人の心はきれいなばかり』にするためなのではないでしょうか?
もっとも、まだ見習いの硝子磨きのわたくしには、これ以上のことは言いかねるようです。
あるいはわたくしが一人前になったときには、叔父の言うとおりのものが見えてくるのかもしれません。それも修行の楽しみと、この身は考えておりますから。
もしもお客様各位がそれを確かめたいのなら、一つ叔父のつくった隠し眼鏡を目に入れてみるのもよろしいでしょう。
隠し眼鏡は目に入れるもの、外側からの見た目だけが変わるわけでもなく、きっと内側からの視界もかわるものなのでしょうから。
確かめたくなりましたなら、叔父……師とわたくしの工房にいらしてください。
いつでも歓迎いたしますよ。
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