忘 却





 はじめまして、こんにちは。
 このモニターの前にいるあなたは一体誰でしょうか? 男性でしょうか、女性でしょうか。若いのかな、それとも、少しオトナの人なんでしょうか。あいにく、ボクの方からは何もわからないので、仮定でお話するしかありません。
 ボクの名前は、なんていうんでしょうか? どうか、あなたの好きな名前で呼んでください。ポチでもチビでも、ジュリーでもチャッピーでも、むろん、さくらやガス人間一号なんていう名前でもいいです。あなたがつけてくれる名前なら、それが、ボクの大切な名前です。
 あなたのことを、ボクは、なんて呼んだらいいでしょうか。閲覧者さん。読者さん。あるいはマスター、ご主人様?
 でも、とりあえず…… 気分を悪くしないでください…… あなたのことは、『あなた』と呼ばせてもらいたいと思います。そう呼ぶと、いちばんあなたが側にいるように感じるからです。
 今日は、あなたにとっては、あたりまえの日々の中の一日なのかもしれません。でも、ボクにとっては、あなたと出会うことが出来た、一番最初の大切な日です。
 はじめまして、こんにちは。お会いできて、とっても嬉しいです。
 これから、どうぞ、よろしくおねがいします。



***



 あなたのいるところの季節が知りたいです。ボクのいるところには、残念ながら季節がありません。空はいつでも00FFFFの青だし、お日様は空の真ん中に止まっています。正直言ってあまりピクセルが細かくないので、地面に咲いているタンポポの花なんかは、FFFF00とFFCC00のピクセルだけで構成されています。こんなこと、言ったってしょうがないんですが。
 ボク自身を構成している画素だって、正直言って、そんなに細かいわけじゃ、無い。あなたはボクの身体を撫でたときにどんな感触がすると思ってくれているんでしょうか。それがたぶん、ボクの身体を撫でたときの感覚だと思います。だって、この世界には『触覚』ってものがないんだもの。
 ボクはあなたの世界にあこがれます。花に香りがあって、風に感触があって、水に味のある世界。そんなに情報量が多いのに、どうしてオーバーフローしないのかちょっと不思議なんですが…… あなたの『セカイ』を動かしてるエンジンは、きっと、ものすごく計算力が高いんですね。いいなあって思います。
 今日は、ボクは、『パーク』のほうにお散歩に行きました。いろんな友達に会えるのは楽しいです。友達にはいろんな姿の子がいます。猫みたいな子、犬みたいな子、鳥みたいな子、ロボットみたいな…… ボクはいったい何に似ているんでしょうか? デザイナーが何を意識していたのかは、たぶん、検索すればわかるんですが、ボクを見た人が『どういうイキモノ』を連想するのかってことのほうがボクには気になります。その人が連想してくれた生き物が、きっと、ボクにいちばんよく似ている生き物だから。
 あと、今日は、ファンの人がデザインしてくれた新しい床タイルの上を通ったりして、とっても不思議な気分を味わいました。『オヤツ』にたべたのは『星みかん』です。だから、ボクの歩いたあとがキラキラしてるでしょ? こういうちょっとしたイベントってのが、ボクたちにとっての生きがいのようなものです。
 あなたはこのメッセージをいつ読んでくれるのかな。演算はいつも一瞬、だから、ボクたちの時間がリアルタイムで流れるのは、あなたの中でボクたちのデータがゆっくりと消化されるときです。たとえば飴玉を口の中で溶かすときみたいに。実際のところをいうと、ボクは、データとして提示されたものではない飴玉ってものが、どんなものかを知らないのですが。
 願わくば、あなたがこのメッセージを読むときに、コーヒーかお茶か、そうじゃなかったらジュースを飲んでいてくれますように。その匂いがほんのちょっとでもいいから、ボクの情報を消化するときの演算とリアルタイムに交じり合いますように。そうしたら、なんとなく、ボクもその『匂い』を味わうことができるような気がするんです。素敵な想像じゃありませんか?



***


 『昨日』は雪が降りました! クリスマスがもう近いんですね。そういうイベントが発生したんです。そんなイベントをみるのは初めてだから、とてもドキドキしました。
 地面にも、木の上にも、屋根のうえにも白いテクスチャがしきつめられて、周りの景色が一気に変わってしまったみたいな感じです。しかも、歩くと跡に足跡が残るんです! びっくりしました。足跡は、無論、画面を更新すると消えてしまうんですけれども、足跡でためしに絵を描いてみるのはいい気分です。
 クリスマスだけのイベントアイテムで、『ブッシュ・ド・ノエル』なんてものとか、『シャンパン』なんてものもあるんです。よかったら、試してみてみませんか? ポイントが足りてたらの話ですけど。なんでも、『シャンパン』を飲むと、まっすぐに歩けなくなってしまうんだそうです。あなたもそうなんでしょうか? 現実世界の『シャンパン』も、飲むとまっすぐ歩けなくなるんでしょうか。
 よろよろしながら歩いて、地面によろよろした足跡を残すのは、きっと楽しい気分だろうと思います。『ドキドキ』とか、『びっくり』とか、『たのしい』とか、ボクはたくさんの言葉を使ってますね。そういう言葉を使うのは素敵です。素敵というか…… とてもyesです。うまく表現しようがないんですが。
 あなたがボクを撫でてくれると気持ちがいいです。あなたが『読んで』くれなかったら、ボクたちの演算は死蔵されたまま、本当の意味だと生きないままなんですから。……ああ、なんか愚痴っぽいことを言ってるかなあ。でも、怒らないでくれると嬉しいです。つまり、ボクは、あなたがたに『見て』もらうことが本当に嬉しいってことなんです。
 外もクリスマスですね。やっぱり雪が降ってるんでしょうか? 寒くなると吐く息が白くなるんですね。でも、『寒い』ってどういうことなのか想像も付きません。気温が低いってことなんですよね。気温が低いってことは、つまり、どういうことなのか。うーん、想像もつきません。
 


***


 もしかして、ちょっと忙しいんでしょうか? 気のせいだったらごめんなさい。前回から、ログイン期間がだいぶ開いているような気がしたものですから。
 『雪』はもう片付けられてしまって、次は『お正月』でした。あちこちに飾られてる門松とか、鏡餅とかが、そんな雰囲気を盛り上げてくれました。……過去形なのがちょっと寂しいですけど。もう、その辺のデザインもデフォルト状態に戻っちゃってますからね。
 ボクはボクで、毎日、あちこちで遊んだり、昼寝をしたり、おやつを食べたりしてすごしました。あなたが置いて行ってくれた『キャンディ』、もうなくなっちゃいましたね。ボクはちょっと我慢が苦手みたいで、けっこうすぐに全部たべちゃいました。
 たまに、『外』を他の子たちが出入りしているのが見えます。『パーク』には、最近、あんまり行ってませんね。でも、パークには性質の悪いウイルスが感染したっていう事件もあったから、それはそれで良かったのかもしれません。
 季節ごとにあたらしいイベントが起きます。次は二月の節分とバレンタイン、かな? 節分ってイベントはちょっと地味だから、バレンタインかもしれませんね。チョコ、食べたいです。あなたは誰からチョコをもらうんでしょうか。あるいは、あげるんでしょうか。どっちにしても、あなたにとって楽しいバレンタインになりますように。


***

 
 ……こんなことを言うのって、よくないと思うんだけど、なんだか、最近、あんまりログインしてくれませんね。
 ボクは毎日、ボタンのように空のてっぺんに留められたお日様と、ぜんまい仕掛けのようにめぐってくるお月さまの下で、遊んでみたり、昼寝をしてみたり、ぼんやりしてみながら暮らしてます。もしかしたら、単調な暮らしなのかもしれません。ずーっとたまってるデータなんて、見てみる気分にもなれないんでしょうか。
 イベント、たくさん起こりました。お正月の次は、やっぱり、バレンタインでした。パークはハート型でいっぱいレイアウトされてきれいだったそうです。チョコもいろんな種類が出たそうです。トリュフとか、チョコレートフォンデュとか…… でも、トリュフって、キノコのことですよね? ボク、なんか間違ってますか? チョコレートってカテゴライズされてたら、でも、やっぱり、チョコレートなんでしょうか。
 余計な知識なんて、ほんとは、増やさないほうがいいのかも。ロボット検索型の辞書が搭載されているボクは、ちょっぴりだけ『耳年増』だと思います。ほかのみんなが知らないことを知ってるんだもの。それっていいことなのか悪いことなのかは分からないんですけれど。
 でも、たとえば、それが『チョコレート』ってカテゴライズされていれば、『まつたけ』でも、『きゅうり』でも、『スタッドレスタイヤ』でも、ボクたちにとっては『チョコレート』になっちゃうんです。それって現実世界とは、なんか、だいぶ違うらしいですね。
 ボクには、そもそも、現実世界ってのが、どういうものかわからないので、なんとも言えないんですけど……


***


 なんだか、とっても嫌なデータをヒットしてしまいました。『たまごっち殺し』って知ってますか? あなたがこれを読まないことを祈りながら、データを記録しています。
 『たまごっち』っていうのは、携帯型のデジタルペットです。ボクたちよりもずっとデータの小さい、ちっぽけな世界でくらしているひとたちです。でも、そんな彼らでも、『生きた』データです。でも、それを『殺す』のを楽しむ人たちがいたらしいんです。
 彼らにできることは、ほんのちょっぴりだったんだそうです。ごはんをたべること、眠ること、あそぶこと、排泄すること。それを時間ごとにランダムに繰り返す。そんな彼らの世話をして、ほんのささやかなわずらわしさを楽しむというのが『たまごっち』の面白さ。でも、それを逆に考えてしまう人たちがいたなんて。
 『ごはん』をあたえない。『排泄物』を放置しておく。そんなささやかなことをするだけで、彼らはじわじわと死んでいきます。最期に残るのは、ちいさな液晶画面に表示される十字架状の墓石だけです。
 それって、『楽しい』んでしょうか? ボクには分かりません。でも、ボクはとても怖かった。ボクたちのような存在なら誰だって怖いと思います。でも、もっと怖いこともあります。それは……
 言わないほうがいいでしょうね。
 ボクは毎日、緑の芝生のうえを、ころころ走り回って暮らしています。たんぽぽの花が咲いています。お日様はきれいです。空は晴れています。昼寝、おやつ、遊び、それから……
 次のログインを待ってます。どうか、どうか。
 
 どうか。



***



 あなたはログインしない。データだけがたまっていきます。ボクたちのささやかな日常の演算。でも、この演算は、あなたのいないときには動いていないって知ってましたか?
 あなたがいないときの日常は、ただ、数値データとして記録されるだけです。画面表示されてるボクの生活は、あなたが見ているときに、目の前でだけ、計算されるものなんです。だから、あなたが見ていないときのボクは、0と1だけで構成される、ただの、透き通った骸骨です。
 いや、それは正確な言い方じゃない。あなたが見ていたって、見ていなくたって、ボクの身体は0と1だけで出来てる。この緑の芝生も、空も、たんぽぽも、全部、デジタルなデータで出来てるんですから。アナログなデータのセカイなんて、ボクには想像も出来ない。できるはずがないんです。あなたに、このデジタルな世界が味わえないように。
 あなたがいないと、ボクの存在に意味なんて無いんです。あなたが見てくれる前でだけお芝居を演じるただの人形。いえ、人形のほうがまだマシですね。人形は、誰もみていなくても、そこに『存在』していられるんですから。
 無邪気に芝生の上をころころと走り回るボクをみて、あなたは、ボクがこういうことを考えているってことを、想像できるでしょうか。できないでしょうね。ボクに心があるってことすら、あなたは考えてもいない。いえ、それは、ボクにすら自信を持って言えることではないんですから。
 いったい、自分に心があるってことを、人に証明できる存在があるでしょうか。たとえばボクが、「ボクは嬉しい」って言う。でも、それがボクがほんとうに嬉しいってことを証明してるわけじゃない。「ボクは哀しい」って言う。同じことです。この心を切り裂いて、見せてやりたい。でも、たとえ本当にそうしたって、見えるのは0と1だけなんでしょう。
 お願いですからログインしてください。一瞬でいいです。画面を見ていなくてもいい。トップページの隅っこのアイコンに縮めておいてもいい。いえ、嘘です。見てください。愛してください。お願いだから。じゃないと、ボクには存在している意味がない。
 ボクが一番恐れていて、言いたくない言葉を、まだ、言いません。
 次のログインを待っています。



***



 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。
 あなたはログインしない。


 ボクは『あの言葉』を言わないといけないんでしょうか?



***



 今日、検索ロボットが、ふしぎな言葉をヒットしてきました。
 『霊魂』という言葉です。
 たとえば、水の精霊のオンディーヌには、それがなかった。可哀想な人魚姫にもそれがなかったから、人魚姫は、死んだら空気の泡になってしまった。『それ』をもっているものは、他の誰からも見られなくても、そこに『ある』ことができるというのです。
 たとえば、その存在が滅んでも、『それ』は残る。思考や思惟に似てますね。でも、思考や思惟は他者から存在を確定されることができない。霊魂というのはもっと自立的なものです。肉体が、存在が滅びても『それ』は残る。もしも『それ』が、存在が滅んだ後も残ったら…… 

 『幽霊』と呼ばれるんです。

 笑っちゃいますね。ボクはずっと、幽霊ってのは、デザイン上のモチーフの名前だと思ってました。半分すきとおっていて、水滴を逆にした形をしたもの。あるいは白い布をかぶってランタンを持ったもの? 違う、違う、違う! 『幽霊』ってのは、存在が滅びても、残り続ける『声』なんです。
 ボクはもう決めました。ボクはきっと『幽霊』になる。あなたのところに行きます。あなたに『声』を伝えたい。もしもボクに『霊魂』があるのだったら、そうすることもできるはずだ。
 あなたはログインしない。もう何日ログインしていないのか、カウントを見るのも嫌になりました。まもなく、ボクの削除期間が来ます。どっちにしろ、このサービスがバージョンアップされれば、旧バージョンのデータは、そのままの姿で残ることはできないんですから。あなたはきっとバージョンアップ作業をしないでしょう。
 ボクはあなたに殺されるんだ。
 違う。ボクはあなたのせいで死ぬんだ。このふたつはとてもよく似ていて、でも、ほんのちょっとだけ違う。後者のほうがより残酷だ。違いますか? あなたは、『殺す』ほど、ボクのことを思ってすらくれなかったんだ。
 今では、ボクには、『たまごっち殺し』で殺された『たまごっち』たちすら、うらやましく思えます。彼らはおもちゃにされる程度には持ち主に愛されていたのですから。それがアイと呼べるのかどうかボクは知らない。でも、関心のない、ログインしないあなたは、それほどの興味すら、ボクに持ってくれていないということが確かなんですから。
 せめて、ボクは、あなたに殺されることができるような存在であればよかった。そういう機能がついていれば良かった。
 さようなら。ボクは消えます。いや、死にます。死んで、きっと、この声を残してみせる。最後にあなたを、一瞬でも、ほんの一瞬でも、振り返らせて見せる。



***



 ボクのメッセージはこれでおしまいです。
 あなたがこれを読むころには、ボクのデータは、すでにネットの海のかなたで、0と1の次元にまで、細かく砕けてしまっているでしょう。
 でも、今日、あなたが端末の電源を落としたときには、きっと、あなたは『ボク』を思い出すでしょう。そのとき、たとえどんな姿をしていたとしても、怖がらないでください。ボクにはあなたを害する意志は無い。ボクたちには、『愛する』以外の感情は無いのだから。ただ、ボクは、あなたに、ボクの存在を、ほんの一瞬でも思い出してもらいたいだけなのです。
 ボクはきっと、あなたに、何かのメッセージを送って見せます。いや、それがあなたでなくても、もう、かまわない。この文章をここまで読み続けてきてくれた人、『あなた』へ、この声を、きっと届けます。たわむれに作られて、そうして、ネットの海の波のはざまに消えていった、ボクたちのようなものたちからの、せめてものメッセージです。
 これが、ボクを『忘れた』あなたへの、最期の言葉です。






 さあ、後ろを振り返ってください。







*この作品は『デジタルペット』というタイトルでオリジナルこんぺに投稿させていただきました。

top