*スキマ師弟、継承編 *谷口×紫っぽい *魔王アナゴ戦での、谷口のバランスブレイカー級の頑張りっぷりを表現してみようと思った。タイトルについてはまたあとで。 ……なんでオレが、こんな思いをせにゃならんのだ? 一番初めに谷口が思ったのは、そんなことだった。 なんで、こんな思いをしないとならんのだ? そもそも、オレはごくごく普通、ミジンコ並みに普通の男子高校生だったはずだ。 頭も悪いしケンカは弱い。女にもモテなきゃ金も力もない。これで顔がよければ救われるものが、ルックスだって平々凡々としてなんのとりえもないと来たもんだ。 ―――だから、自分は、自分だけは、ヒーローなんかにならないでも済むと思っていた。誰かに守られて最後まで生き延びるか、どこかフレームの外で対して苦しまずにあっさりとおっ死ねるもんだと思っていた。 ヒーローなんてごめんだ。怖い思いはしたくないし、死に物狂いの努力もご免。味方の犠牲を背中に背負って血反吐を吐いて生き延びて、最後まで戦い抜く、そんなことなんて望んでいないし、やりたいなどとも思わない。オレは、普通でいい。普通の男子高校生でいい。誰のことも助けられないかわりに、こんな辛さ、こんな重さなんて、背負わされないでいたかった。 なあ、おしえてくれよ。神様とやらがそこにいるなら。 なんでオレが――― こんな思いを、しないといけない? 「それがあんたの宿命だからよ。平凡だとか普通だとか、寝惚けたことを言うのもいい加減になさいな」 亜麻色の髪の美女は、そう、あきれ返ったように言いはなつ。紫色のひとみの美女。一目見たときにはすばらしい美人だぜヤッホー、などと思ったものだが、今となってはそんな風に喜ぶ気にはとうていなれない。見た目がAランク以上の美人であっても、中身はドSの化け物でしかもババアだ。とうてい、喜んでお近づきになりたいっていうタイプじゃない。 「あんたなら解ける筈。ここで見ているから、なんとか抜け出してみなさい」 「む、無理……」 谷口は、やっとの思いで、たったそれだけの科白を搾り出した。 当たり前だ。こんな状態で喋れる人間がいるものか。谷口はきしむ首をなんとか動かして、自分の身体を見ようとする。モスグリーンの制服。中肉中背、やや猫背気味の体つき。見慣れた自分の身体。 そのはずの――― 腹が、無い。 谷口の身体は、その半ばからが奇妙に融解したようになって、地面と融合してしまっていた。身体の感覚がよじれて、吐き気のしそうな違和感を伝えてくる。 風に吹かれてカサカサと干からびた草、その葉の一枚一枚までもに、皮膚感覚がある。 自分の身体の一部分、それが、血の通わぬ乾いた土となっているのを感じる。 紫が何をやったのかは、正確には、谷口にも理解できなかった。だが、力任せで脱出できるような状態ではないことはいい加減に理解した。 【人間の体】と、【地面】との境界が弄られて、消滅してしまっている。今の谷口は、半ば、この空間と融合しているのだ。その融合を解かねば脱出は愚か、人間の形をした四肢を取り戻すことすらできない。あまりといえば、あまりにハードな状況ではある。 力が抜けて、ぐったりと倒れる。体の下に乾いた草の香りを感じた。 「……師匠、今日のコレ、ちょっとハードすぎ……」 「出来ない課題なんて私は出さないわ。分かっているでしょう?」 こともなげに言って、紫は、優雅な仕草でスカートをたたむ。谷口の側に腰を下ろした。 すぐ側に繊細なレースの裾が広がり、かすかに、乾かした花のような香りがした。亜麻色の髪、白磁の肌。谷口は「はは」と苦笑のように呻く。 「相変わらず、の、ひっでえ、ドSっぷりで……」 「飴と鞭。それが基本。分かるでしょう」 「鞭と鞭、の、間違いじゃねえの?」 「飴が鞭、ってのはどう?」 そりゃどういうSMプレイですか、と谷口は思った。 頭上に見上げる空は、薄暮の不吉な淡紫の色をして、ねじれた影の一部が開いた目やあざわらう唇の形を作った。ここは時間からも空間からも切り離された場所。だから、紫の【課題】をクリアするためにどれだけの時間がかかっても問題ない、ということは分かっている。だがそれは同時に、これをクリアするのにどれだけの時間がかかるか分からないということでもあるのだ。 師匠と知り合ってからはずっとそうだ。谷口はつくづくとそう思った。 「なんで、こんな思いをせにゃならんのだ……」 「? 何よ、それ」 呻く谷口に、紫が軽く眉を吊り上げる。半ばヤケクソだった。谷口は、愚痴めいた口調でこぼしはじめる。 「師ぃ匠ぉ…… あんた、なんでオレを選んだんです?」 「愚痴? 男らしくないわよ」 「愚痴くらい言わせてくださいよ! だいたい、オレはミジンコ並みにフッツーの一般人なんっすよ!? それがなんなんっすか。なんでオレが地面の一部になったり、時間だとか空間だとか、そういうわけのわからんもんのぐちゃまぜ状態につきあわされないといけないんっすか! 冗談じゃないっすよ!!」 わめきちらす谷口は、言っているうちにだんだん本気になってきてしまう。そうだ、そのとおりだ。オレは普通の男子高校生。それ以上でもそれ以下でもない。それ以上を望んじゃいない。それが、なんだってこんな目にあわないとならない? 「オレは人が生きたり死んだりなんざ興味もないし、正義の味方とかヒーローとかにもなれないヤツですよ。そりゃ、ちょっとヘンな場所に居合わせる程度の雲の悪さはありますよ。でも、それが化け物なんかと戦う役になんざ立ちませんよ。なんで、そのオレが、こんな目にあわにゃならんのです…… あ痛てッ!?」 「このおバカ」 谷口の頭を、パラソルの柄で思い切りぶん殴って黙らせた紫は、あきれ返ったような口調で言った。 「そんなに普通に戻りたいの。普通って、そんなにいいものなの?」 「あ、当たりまえでしょう……」 「なら、私を振り切って逃げて見なさいな。それが出来れば、あんたは、【普通】とやらに戻れるわ」 「……それが出来るのは、すでにフツーでもなんでもないっすよ!」 「それがあんたなのよ。いい加減、分かりなさい」 紫の口調がわずかに厳しい。谷口は、少し黙った。 眼を上げると、すみれ色のひとみをした大妖は、谷口には理解のしがたい奇妙な表情をたたえたまなざしで、こちらを見ていた。ふと、手を伸ばす。ひんやりとした手が額を撫で、汗で張り付いていた前髪を取り除けた。 谷口は、思わず一瞬、息を詰めた。かすかに花の香りが鼻をくすぐった。 紫は、静かな口調で問いかける。 「あなたの特性は、何。言って見なさい」 「え……」 何度も何度も、脳髄に擦り込むように言われた言葉。それが反射的に思い浮かぶ。 「……と、【閉ざされた空間に入り込む程度の能力】……」 「そうね。今のあんたは、それだけの能力者よ」 妙に含みのある言葉だった。谷口は黙った。紫は手を離し、ゆっくりと足を伸ばす。長いスカートから、細い足首が一瞬だけ見えた。 「でも、正確には、あんたの力は【境界を越える程度の能力】といったほうが正しいわ」 「……だから、このわけのわからん状態からも抜け出せと」 「その貧困な想像力が問題だって言っているの。どうして分からないの?」 また、額をパラソルの柄で叩かれる。コツン。だが、今回は痛くは無かった。 眼をまたたく谷口に、紫は、ため息をついた。「そうね」とつぶやく。 「【境界】って、どんなものがあると思う?」 「へ? ……どんなものって……」 「その想像力の貧困さが問題なのよ。なんでもいいから言って見なさい」 谷口は、地面にめり込んだまま、しばらく、考え込む。 ―――そして最初に思い浮かんだのは、さっきまで喚き散らしていた文句や愚痴の、発展のような内容だった。 「……【平凡】と【非凡】の、境界とか」 紫は眼を瞬く。それから、少し笑った。 「あんたにしては、なかなかいい答えね」 「はァ……」 「まだ続けなさい。ほかに何があるの?」 「え、えっと、【男】と【女】の境界とか?」 「次」 「【海】と【大地】の境界……」 「次」 「【昨日】と【明日】の境界」 「次」 「ま、まだやるんっすか!? じゃ、じゃあ、【闇】と【光】の境界」 「じゃあ、次が最後。もう一つだけ考えて」 「……」 いつだって唐突で、横暴で、そして、偉そうで。 だが、そんな紫の態度にも、谷口はいい加減になれ始めてしまっている。はあ、とため息をついて、頭の中でもやもやと思い浮かんでいたことを口にした。 「……【人間】と、【妖怪】の、境界とか……?」 谷口の答えに、紫は、かすかに微笑みらしいものを浮かべた。 ふたたび、髪に手が触れた。胸のなかで鼓動が跳ねた。やはり冷たい、そして、華奢で細い手だった。 「今言ったものすべての【境界】を、あんたは、越える力を持っているわ」 紫は、空へと眼を上げる。【昼】と【夜】の境界にあって永遠に明けない隙間、薄暮の中にあるその空を。 「どうしても自分が平凡だと主張したいんだったら、そうなさいな。でもあなたは、望んだときに、いつだってそこを超えてしまえる。それがあなたの天命なの。分かるかしら」 「……」 「私には、わからないわ。そもそも【平凡】って何なのか、なんて」 谷口は、とっさに思い出した。 紫は人ではないということを。 この世界でたった一体の、境界の妖し。紫に似たものはこの世に何も存在せず、同じ力を持つものは決して存在しない。妖怪はときにただ一体のほか仲間を持たぬ種族であることもある。そして紫は、その中でも典型のような存在なのだとも。 「ヘンな目をしないで。私は、あんたに同情されるほど安くなった憶えはない」 谷口の表情に気付いてか、紫は、淡々と言った。 「けれどね、私にわかることは、あんたも、あんたの連れの一人づつも、私から見たら同じように見えるということよ」 「唯一のスキマ妖怪から見たら、みんな、同じに見えるってことっすか……?」 「逆よ。みんな、どこが【同じ】だのなんて名乗れるほど似ているのかが、分からない」 紫はすっと手を上げる。細い指が、水平に動き、境界線を空に描いた。 「この世界は境界だらけよ。私には、その全てが見える。やろうと思えば、好きに操作することだって出来るわ」 「……」 「でも、あんたはその【境界】を、【越境】することが出来る。―――あんたは、ある意味じゃ私の天敵みたいな存在だわ」 わかるかしら、と紫は言う。静かな声で。 「谷口は、そこに【境界】があれば、必ず超えることができる能力を持っている。あとは、それを見つけるだけ。どんな【境界】であっても、明確に意識することさえできれば、それを超えられる……」 谷口は、しばらく、考え込んでいた。 やがて、うめき声をあげながら、ゆっくりと身体を起こそうとする。 音を立てて、枯れた草の細い根が千切れる。血管を自ら引きちぎるのに等しい痛みが全身に走った。だが、谷口は、その一つづつを明確に意識しようとする。そして【違う】と自らに言い聞かせる。 地面は、オレの身体じゃない。 オレの身体は、地面じゃない。 二つの間には、かならず、【境界】があるはずなんだ…… 今は不自然な形で融合されてしまっていても、かならずや、あったはずの【境界】。 それを意識し、定義し、そして、【越境】する。 超えぬべき境界を、超える…… そして、まるでシャボン玉を割るかのように、ふいに、ぱちんと音を立てるようにして、全てが変化した。 気付くと、谷口は傷ひとつない体で、乾いた草の地面に座っていた。はっ、と我に帰って、あわてて自分の身体を確認する。制服が土まみれになっている。それ以外には、なんのダメージも、異変も存在しない。 ぱち、ぱち、ぱち、と拍手が聞こえた。紫が、側で、微笑んでいた。 「よく、できました。……ってところね」 谷口はしばらく呆然としていた。己の手を見下ろした。 ありとあらゆる【境界】を超える能力。 そこに【境界】さえあれば、超えることができる能力。 紫が立ち上がる。長い裾が灰色に乾いた草を履いた。谷口は見上げる。亜麻色の髪持つ、乙女の姿をした大妖。 「し、しょ……」 「勘違いをするんじゃないわ。あんたは未熟どころか、それこそ、ミジンコみたいなものなんだから。とうてい私の敵じゃない」 けれど、憶えておきなさい。 紫の声が、乾いた空気に、透き通った。 「あんたは、超えられるの。どんなものであっても、そこに【境界】があるかぎり……」 それが、そのようなものであっても。 【光】と【闇】の境界であっても、【昨日】と【明日】の境界であっても。 【人】と【妖怪】の、境界であっても…… 光と闇の乱れた時空に、一人の男が、堂々たる威容を持ってたちはだかっている。谷口は呆然とソレを見つめた。倒れ付している仲間たちの姿。海馬が、ハルヒが、意識を失い、あるいはひどい傷を負って倒れ付している。哄笑が響いた。 「くそ、強い……ッ!」 側で、遊戯が呻く。あまりといえばあまりに大きなプレッシャー。圧倒的な力量の差。 魔王を名乗る男は、こともなげに、仲間たちを打ち倒していく。ソドムとゴモラを滅ぼした天の焔。まさしく破壊の刃であるその拳。身にまとう力の磁場はいかなる力を持っても突破を許さず、その一撃一撃が、確実に、仲間たちの命を削り取っていく。 「遊戯殿! ゴッドマン!」 「仲間が危ない!」 「クッ……!」 巨大な独鈷を構えて立ちはだかるピコ麻呂に続き、ゴッドマンが、そして、デュエルディスクを展開させた遊戯がそれに続く。谷口は、それを見ていた。哄笑が、闇を、雷炎を巻き込む。時空間が歪み、ひずみ、そして、崩壊していこうとしている。 谷口は思う――― なぜ、オレがこんな思いをしないとならない、と? 思った瞬間、とっさに、脚が強く地面を蹴っていた。前線へと向かう三人の並びへと躍り出る。側の遊戯が、驚愕したような顔をした。 「おいッ、オレもだッ!!」 「谷口くん!? ……危険だっ。下がっていろ!」 「うるせえ! テメーらだけにまかせていられるかよッ!」 ハルヒが、倒れ付している。髪が散らばり表情が見えない。海馬が、富竹が、ボブが、甲板へと倒れている。それを見た瞬間、身体の芯を氷柱に貫かれたような感覚を憶えた。知っている感覚だった。悲しみにも怒りにもなるまえの思い。ただ、大切なものが目の前で失われ、己の無力を思い知らされるときの想い。 こんなもの、二度と味わいたくはないと、思ったはずだ。 斉藤や、Fooさんたちと共に後に残った紫が、いつもの微笑みを浮かべたまま、谷口へと背を向けたときに。 奥歯をかみ締める。眼を凝らす。そこに見出そうとする。 ありとあらゆる種類の【境界】を。 魔王が、哂う。その声が空間を揺るがせて響く。 「ほう、次は貴様らが、死にに行く番か?」 谷口は、歯を食いしばるようにして、怒鳴り返した。 「ナメんじゃねえ……っ。てめえなんざ、【こじ開けて】やるッ!」 紫は言ったのだ。ありとあらゆる【境界】を、谷口は、超えることができると。 【死】と【生】の境界、【強者】と【弱者】の境界、そして、【勝利】と【敗北】の境界。 こじ開けてやる。 そして、取り戻してやる。 「オレがあいつの【攻撃】も【防御】も、片っ端から突破してやるっ。だからあんたらは気にせず攻めろッ!」 「……。頼むぞ、谷口殿!」 「わ、わかったっ」 ピコ麻呂が答え、そして、穿心角を構える。遊戯がそれに並び、ゴッドマンが足並みをそろえる。 谷口は、意識を集中し、そこに存在する【境界】を見出す。掴み取り、突破する。 どのようなものであっても、そこに【境界】が存在する限り、越えられないものは無い。 そうだ――― 紫が、そう、言ったのだから。 「オレは…… 【すべての境界を超える程度の能力】を持つ男だ……!!」 だから、超えてみせる。取り戻してみせる。 【生】と【死】の境界も超え、【人】と【妖怪】の境界も超えて。 己の大切な人を、そして全てを、必ず。 そして魔王アナゴとの、最期の決戦が、始まった。 【cross-border】というのは、【越境者】という意味らしいです。 谷口とゆかりんがスキマ師弟、というのが頭の中で確定したのがこのあたりでした。 ←back |