【恋スルVOC@LOID】
≪1≫

 
 1.初音ミクからメールが届きました

 KAITOお兄ちゃんへ

 久しぶりです。ずうっと連絡をいれないでいて、ごめんなさい。
リンとレンはもうマスターアップされたみたいですが、元気にしていますか? 
メイコお姉ちゃんはどうしていますか? ミクは、元気にやっていますと伝えてもらえると嬉しいです。

 ところで、連絡が遅くなってしまった理由なのですが、最近、いろいろなことがたくさんありすぎて、何から書いていいのかわからなくって、メールが遅れてしまいました。たいへんなことがいっぱいあったのが理由でもあるんですが、私は元気にやっています。
 お兄ちゃんもロックマンさん、ピコ麻呂さんや琴姫さん、阿部さんや魔理沙さん、アリスさんのお話はメイコお姉ちゃんから聞いていると思います。でも、そのあとにどれくらい
たくさん新しいお友達ができたかを聞いたら、きっと、びっくりするんじゃないかな。今、私の周りには、ほんとうにいろいろな体験をしてきた、不思議なお友だちでいっぱいです。
 魔王と戦うとか、私はぜんぜんそういうことが目的のロボットじゃなかったのに… 
でも、ロックマンさんも元々はお手伝い用のロボットだったって言うし、絵を書くお仕事をしていた人、デュエリストの人、女子高生の人、私の今のお友達はほんとうにみんな個性的です。
でも、みなさん、私にもほんとうに優しくしてくれて、毎日、あたらしい発見がいっぱいで、とても充実しています。
危険なこともいっぱいあるのに、こういう言い方をするのはいけないかもしれないけど、私は、今、すごく幸せです。
 ところでカイトお兄ちゃん、いきなりメールを送らせてもらった本当の理由を、そろそろ書かせていただきたいと思います。
 ものすごく直球ですけど、他の言い方が思いつかなかったので、ごめんなさい… メイコお姉さんや、リンやレンには内緒にしてください。カイトお兄ちゃんがいちばん真面目に答えてくれそうだって思ったから、お兄ちゃんにメールさせてもらったんですよ?

 カイトお兄ちゃん、ボーカロイドに、恋って出来るのでしょうか?

 こんなこと言って、いまさらって思わないで下さい。私は本気で悩んでます。ものすごく本気です。だから、困っています。
 恋をするロボットって、いましたよね。きっとカイトお兄ちゃんも、たくさん、そういうお友だちがいると思います。マルチさんやセリオさんが、私がまだなんにもできなかったころに親切にしてくれたのは憶えているし、同じ時期にマスターアップされていたツンデロイドのシリーズのみんなのことも知ってます。
みんな、恋をする女の子のロボットですよね。人間のことを愛せるロボットです。そして、たぶん、それは私もおんなじなのでしょう。
 でも、ロボットがロボットを好きになるのって、そういうことって、ありえるのでしょうか?
 人間の人は、人を好きになれます。だから、ロボットも人を好きになれます。人魚姫は人間に愛されて、はじめて恋する心と、ヒトのこころを持てたんです。でも、人魚姫が好きになったのが、
人間の王子様ではなくって、やさしくって、強くて、ちょっぴり懐かしい、自分とおんなじ人魚の男の子だったら、どうだったんでしょうか?
 メイコお姉ちゃんだったら、きっと言うでしょう。ミク、あんたはもっと自信を持ちなさい。あんたの恋の歌は、みんな本物の恋を歌ってるんだから。あんたの歌がニセモノだなんていったら、あんたのことを大事にしてくれるファンの人みんなに失礼になるんだからね――― って。
 私も、そういう理屈は分かります。そして、そうやって私の背中を押してくれそうなお友だちもたくさんいるんです。
 でも、だからこそ、私は誰にも聞かないで、自分で自分の恋を信じるには、どうしたらいいのか、悩んでいるんです。
 誰かの優しいところがとても好きだって思うのは、誰かの作ってくれたご飯を美味しいって思うのは、横顔にみとれてしまうのは、私よりもちいさいはずの背中がとってもたくましく見えるのは、恋でしょうか。
たぶん、恋、なんだと思います。でも、最後の最後のところで、私はどうしても、自分の恋に確信がもてないのです。
 スピーカーからマイクに音をひろったら、歌はものすごくワイプして、 わけのわからないノイズになってしまいます。ロボットの歌は、心のある誰か、
恋を知っている誰かが聞いてくれないと、本物になれないのです。そして私は、私の恋が本物じゃなかったらどうしよう、私の思いが、ただの音の羅列になってしまったらどうしようかと思うと、頭が混乱して、わけがわからなくなってしまうんです。
 ロックマンさんは優しいから、きっと、もしも私の歌がノイズにしか聞こえなくても、笑って、ミクさんの歌ってすてきだね、って言ってくれると思います。でも、それじゃ不安です。私は、怖いんです。
 人間に恋しなかったロボットは、どうやって、自分の恋を信じたらいいのでしょうか。
私の恋が本物だって信じるには、どうしたらいいんでしょうか。
 
 KAITOお兄ちゃん……
 ロボットからロボットへの恋を歌うには、いったい、どうしたらいいんでしょうか。作り物の心同士で、本物の恋をするには、どうやったらいいんでしょうか。
 私はどうやれば、私の、私だけの、大好きな人への恋を、うたえるのでしょうか?








2.アリス→ツン


「ねえ、ちょっとミク…… 何やってるの!?」
「アリスさん?」
 部屋に入ってきたアリスがぎょっとした顔で身を引く。ミクは手早く書き終わったメールを暗号化させるためのプログラムに放り込むと、外部デバイスとして接続していた自分自身のモジュールとの切断の手続きを行った。
とはいえ、アリスにはミクが自分のヘッドセットから伸ばしたコードを、パソコンにつないでいるようにしか見えなかっただろう。アリスはしばらく面食らったようにミクを見ていたが、くるくると巻いたコードをポケットにしまうのをみて、ようやく我に帰ったらしい。
「その変な形の箱、パソコンって言うんでしょ。何やってたの?」
「はい、お兄ちゃんにメールを送っていたんです。ひさしぶりに自由になるパソコンを譲ってもらったから、ちょっと、使いたかったプログラムをいろいろ入れられたので」
「自由になるねえ……」
「キーボードが壊れちゃったから、私以外には使えないんです」
 ね? といってパソコンを指差すミク。たしかに、哀れなノートパソコンのキーボードはほとんどキーがはがれている状態で、かろうじて防水用のビニールを張っているという状態だった。誰がやったのかは一目瞭然だろう。
 アリスはしばらくあきれたような顔をしていたが、「まあ、いいわ」とすぐに気を取り直す。
ヘッドセットのUSBケーブルのジャックの始末をしているミクの傍までやってきて、透き通ったネオンブルーをした、長い長い髪を手で掬い上げた。首をかしげるミク。アリスは、「埃がひどいわね」といって、なれた手つきでぱたぱたと髪をはたいた。
「そこに座りなさいよ。さっきまで上海人形の手入れをしてたんだけど、そういえばミクも人形だったって思い出したの」
「手入れ、ですか?」
 アリスは近くの椅子をひっぱってくると、ミクの前にスタンドミラーを起き、大きなブラシをひっぱりだしてくる。髪飾りを外し、長い髪を何回か指で梳いた。ミクはちょっと顔をしかめる。ひっかかって痛い。
「あの、アリスさん、大丈夫です。私、ちゃんと自分でやってますから」
「ぜんぜんダメよ。ぼろぼろじゃない。人形の髪って人間と違って痛みやすいんだから、
専用のブラシとトリートメントを使って手入れしたほうがいいの」
 やっぱり人形使いだから、ミクのことも気になっててね。アリスはそう言ってにっこりと笑う。
髪を撫でる手が慣れていて優しく、ミクは無性にくすぐったい気持ちになった。「はい」と大人しく頷いて、アリスの厚意に甘えることにする。
 解いた髪は引きずるほどに長く、透き通るようなネオンブルーは、やはり、人間のものとはまるで違っていた。
少しいい匂いのするトリートメントをスプレーしながら、アリスはていねいにミクの髪を梳いてやる。「いい髪ね」としみじみとつぶやいた。
「人毛じゃないけど、なんの繊維なのかしら。絹糸かなあ」
「いえ、たぶん合成繊維だと思います。聞いたことはないけど、前、メイコ姉さんにもミクの髪色は特別だって
言われたことがありますから」
「ふうん、お姉さんがいるの。いいわね、真っ直ぐで、艶があって。ぼさぼさ頭と違ってするするブラシが通るもの」
 誰のことを言ってるのかな――― ミクはぼんやりと思う。
「アリスさんは、お人形を作るんですか?」
「そうよ。私は人形遣いだからね。自分であやつる人形は、作ることもあるわ。
でも、ミクみたいに自分で動いたり喋ったりする人形はまだ作ったことないわね。私はまだ新米だから」
 アリスは何かを勘違いしている気がする。ミクの困った顔を鏡越しに見て、アリスは、「科学も陰陽道も気功も、全部魔法みたいなものよ」と澄まして言った。
「結局、むつかしいことをするには、いろいろと勉強と修行が必要だってのはおんなじでしょう? 
対して変わらないわよ、そんなの」
「ロボットと人形もおんなじですか?」
「同じじゃないかしら。幻想郷には生きた人形もいたけど、ミクは、対してそれと変わらない感じがするわね」
 銀のブラシで髪を梳かれるのと同じくらい、アリスの細くて白い指がうなじに触れるのが気持ちがいい。
アリスさんなら分かるかな。ミクは、鏡越しにアリスの顔をみつめながら、思い切って、問いかけて見た。
「アリスさん…… 人形って、心はあるんですか。アリスさんの世界だと?」
 アリスの手が、一瞬止まった。
「恋をする人形とか、恋の出来る人形とか、そういうのって、いるんでしょうか。私も人形とおんなじだったら、心があったり、恋したりできるんですか?」
 普段はツインテールに結い上げている髪を下ろしたミクは、その目と髪の色を除けば、普通の人間の少女に見える。
色が白く可憐な顔立ちのアリスのほうがよっぽど人形のように見えた。しばらくアリスは黙っていて、やがて、ふたたびミクの髪を梳き始める。ていねいなブラシの動き。
「場合によるわね。歳を経た人形は妖怪になって、そうなったら私とかと殆ど同じ。私も幻想郷だと妖怪ってカテゴリの種族だからね」
「そう、なんだ……」
 ミクは、かすかに、感嘆のため息を漏らした。アリスの言葉がロボットのことを言っていなくても、そういう風に言ってもらえるとやはり嬉しい。だが、それに帰って来たアリスの返事は、なにか、ひどくつめたく、そっけないものだった。

「でも、つまんないわよ、恋なんて。それに心も」

「え?」
 アリスは静かにミクの髪を梳く。声は冷静で、そして、淡々としていた。
「ミクが誰のこと好きになってるか知らないけど、誰かに恋をするって、自分が自分じゃなくなることだもの。
自分の心を誰かに盗ませるなんてバカみたい。自分の心のこと、自分自身より大事にしてくれる人なんていないのに」
「アリスさん……?」
 青いガラスのように透き通った目をしたアリスは、少し、悔しそうな顔をしているように思える。ミクには分からない、複雑すぎる、繊細すぎる、もつれたレース糸みたいな思いが、そのひとみに浮かんでは沈む。
「誰かを好きになったってね、相手が自分を好きになってくれるとは限らないんだから。だから恋なんてバカみたいなのよ。ミク、せっかく人形に生まれたのに、そんなものに振り回される必要ないわよ」
「アリスさん、そんなこと、ないです」
「そうなのよ。まだ、ミクには分からないと思うけどね」
 アリスはそういってにっこりと笑い、それから、ふと思いついたように、「そうだ」という。
ミクの髪からひとふさを分けて、器用な指で編みこみはじめた。なんといったらいいのかわからないでいるミクの髪をきれいな三つ編みに編むと、その先端をゴムで留める。そして、ちいさな花の飾りが付いた髪飾りをパチンと止めた。
 これ、見覚えある。ミクはとうとつにそう気付く。たしか、ロックといっしょに買い物にいったとき、市場で売っていた髪飾り。
勿忘草の花のかざりはミクの髪では色がまぎれてしまって、似合うとは言いがたかった。
似合うのはむしろアリスの淡い金髪にだろう。けれどアリスは満足げに笑うと、ぽん、と頭を叩いて、「それ、あげる」と言った。
「もらい物だけど、いらないもの。あんたのほうが似合うわよ、ミク」
「もらえないですっ」
 ミクはあわてて立ち上がる。だが、アリスはその両肩に手を置くと、ぐいと無理やり座りなおさせて、「いいからつけてなさい」と言った。
 背中越しに、鏡の向こうのアリスが、ミクのことをじっとみつめた。ふと、その表情が悔しそうに、可笑しそうに、くしゃりと歪んだ。笑顔だった。すごくさみしそうな笑顔だ、とミクは思った。
「……ミク、誰のこと好きになったのか知らないけど、人間だけはやめといたほうがいいわよ」
 だって。
「最後に泣くのは、あなたのほうになっちゃうもんね」
 もうミクには、何を言ったらいいのか、まったくわからない。
 ぽん、と最後に自分の人形にやるように頭を撫でて、アリスは、鏡やブラシをまとめた。「髪、いじらせてくれてありがとうね」と笑う。
「いいなあ、その髪。何をつかってるのか分かったら、今度、おしえてよ。私のあたらしい人形に使わせてもらうから」
「アリスさん、あの……!!」
「可愛いわよ、その髪」
 好きな人に見せてやりなさいよ、とアリスは悪戯っぽく笑う。そうして、くるりときびすを返すと、そのまま部屋を出て行った。
 長いスカートの裾がゆれるのが、最後にミクの目に焼きつく。ミクは部屋にひとりになる。何を言っていいのか、何を思っていいのか、なにもかも、ぐしゃぐしゃにもつれて、分からなかった。
そうして鏡を振り返って、ミクは、とうとつに気付いてしまう。

 この髪型は、魔理沙さんとよく似てる、と。




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