≪2≫ 「だーからさあ、社長に見せればきっとなんとかしてくれるぜ。機械とかなんとか得意だっていってたし、あいつ」 「あんたはどれだけデリカシー無いのよっ。あんなワハハ男に見せたら、ミクがパンツの中までのぞかれるに決まってるでしょ!?」 「必要だったらしかたないだろ。お前だって、自分で上海人形のパンツまで縫ってるんだろ」 「そういう問題じゃないって言ってるのがなんでわかんないのよ、このバカ! 鈍感!」 ロックマンは、思わず立ち止まる。この声は、アリスと魔理沙だ。またケンカしてるんだろうか? だが、その間から、やめてくださぁい、と半ば泣きそうな声が聞こえたところで、ロックマンは、今度は持っていた箱を落としそうになってしまう。 「私は平気ですー! だから、ケンカしないでくださいよう」 「ぜんぜん平気に見えないんだってば!」 「だから、社長に」 「それはダメだって言ってるでしょ!」 何の会話だ。ロックマンは、思わずドアをあけようとして、その瞬間、バランスを取り落としてしまう。 あっ、と思うまでもなく、ばらばらと床に野菜やルーが転がった。やばい、と思った瞬間、こちらを向いた目が三対。 「ロックさん?」 「あ、ロックマン」 何をやっていたのだろうか。だが、それを思うよりも先に、ロックマンの目に入ってきたのは、普段とはなんだかひどく様子の違うミクだった。え、ミクさん? 思わずLANで認識コードを確認して、やっぱりそれがミクだと確認する。だが、見間違えたのも無理は無い。魔理沙とアリスの二人にはさまれて半ば泣き出しそうな顔をしているのは、ふだんのツインテールではなく、長い長いネオンブルーの髪を背中にたらしたミクだったのだ。 耳の前あたりで三つ編みにした髪が一本。髪の色にまぎれそうな髪飾りがひとつ。だが、まるでお人形のように可愛らしい髪型にされているミクの顔は、いまにも泣き出しそうに情けないものだ。 ミクの座っているソファの背中に頬杖をついた魔理沙が、「ちょうどよかった」とため息をつく。 「おい、ロック。お前からもさ、言ってやってくれないかな」 「僕ですか? ……何があったんです?」 説明ができる精神状況じゃなさそうなミクをみて、それから、アリスのほうを見る。アリスはきっと眉を吊り上げると、「勝手にしなさいよ!」と怒鳴るなり、こっちにむかってすごい勢いで歩いてくる。思わずロックマンが身を離すと、その横を通り過ぎて、つきとばされそうな勢いで廊下を去っていった。いったいなんなんだ。ロックマンは思わず眼を白黒させる。 「アリスもヘンだぜ。なんなんだよあれ」 魔理沙は、呆れ顔で、ガリガリと頭をかいた。 「あのう、何があったんですか?」 「何もかにも無いよ。ミクがいきなりわたしのところにアリスをひっぱってきてさ、仲直りしてください! なんていうんだ」 でも、別にわたしたちはケンカも何もしてないぜ? 魔理沙は、肩をすくめた。 「そりゃ、アリスとはいつもケンカくらいはしてるけど、別に今日はなんでもないんだ。でも、説明してもミクはぜんぜん分かってくれないし」 「……だって…… アリスさんが」 「アリスはいつもああなんだってば。そんなに落ち着かないんだったら、何回もいうけどさ、社長あたりに見てもらえよ。あいつ、機械にはくわしいらしいから」 ロックマンは、思わずあいだに割り込んだ。 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。話がよく見えないんですけど、 魔理沙さんとアリスさんがケンカをしてるんじゃないかって、ミクさんが言ってた?」 「そのとおり」 でも、わたしたちはケンカもなにもしてない。魔理沙はため息混じりに言った。 「何回も言ってるだろ、ミク」 「でも…… でも、やっぱり、仲直りしてください」 「こんな具合なんだよ、ロック」 ちょうどいいや。そんな風にいうと、魔理沙は、ミクを仔猫のようにひょいとつまみあげると、ロックマンのほうへとぽんと背中を押す。 「お前ら、ロボット同士なんだから、ミクの気持ちも分かるだろ。わたしは医者のところにいかないといけないんだ」 「え、お医者?」 「なんともないって言ってるんだけどな。どうしてこの世界の人間は、そういうことにうるさいんだか…… ったく」 軽く帽子をもちあげて見せた魔理沙は、ほら、ここにコブ、と頭をしめしてみると、ひょいと肩をすくめた。 「頭、打ったんですか!?」 「別にその場で琴姫になおしてもらったし、たいしたことないんだけどさ。ちゃんと医者にみてもらえもらえってうるさくって、ったく」 魔理沙は苦笑して見せると、「だからまあ、頼むぜ」とロックマンの肩を叩く。そのまま、横をすっと通り過ぎていってしまった。 「ま、魔理沙さん。魔理沙さんってば!」 そのままロックマンの横をすり抜けて、こちらはいつものぶらぶらした足取りで、アリスがいったのと逆の方向へと歩いていく。ロックマンはやや唖然として、ミクと二人っきりでそこに残された。 なんだかえらくしょんぼりした顔のミクは、立ち尽くしたままでうごかない。こちらを見る目が途方にくれていた。ええと、これって、としばらく悩んだ末、ロックマンは床に落ちたニンジンを拾い上げた。 「あのさ、ミクさん」 ミクがどうなっているのかが分からないから、ひかえめに声をかける。 「はい……」 「僕、これから、晩御飯のカレーをつくろうと思ってたんだ。これから台所に行くから、よかったら付いてこない?」 ほらジャガイモ、とロックマンはミクに向かって笑いかける。見た目よりもずっと年下の子を相手にしている気分。ミクは、ネオンブルーのひとみを、とほうにくれたように瞬いた。 人間の女の子だったら、ここでチョコレートでも食べさせてあげればいいんだけど…… とロックマンは思う。とりあえず、食堂までつれてきたミクを椅子に座らせると、なんとも困った気分で思った。 (E缶飲む? ってわけにもいかないし) 「あのさ、ミクさん、どうしたの。なにか困ったことでもあった?」 正面の椅子を引きながら声をかけると、ミクが、眼を上げる。おおきな青い眼。 「えっと…… 僕でよかったら相談に乗るよ。魔理沙さんはロボット同士がどうした、とか言ってたけど、 何かエラーでも起こったの? 修理が必要なの?」 ロックマンがそう声をかけた瞬間、ミクが、いきなり、くしゃくしゃの顔になった。 (え、えええっ!?) ぼろぼろぼろ、とおおつぶの涙が目からこぼれた。ロックマンは度肝を抜かれた。 「ミクさん!? ど、どうしたの!?」 「ロックさん、わたし、壊れちゃったのかもしれない」 すん、すん、と子どものようにしゃくりあげながら、ミクは泣き声でうったえる。小さな手が胸の辺りをぎゅっと握った。 「なんか、おかしくって、さっきから、……アリスさんが、かなしくって、それで」 「……」 ロックマンは困った末、ためらいながら立ち上がる。涙をふいてあげるものもない。手で涙をぬぐってあげると、その滴があたたかかった。ひどくふしぎな気持ちになった。 (ミクさんて、泣けるんだ) 自分たちにそんな機能は無い…… 同じロボットでも、属しているテクノロジーが違えば、機能も違う。ミクの頬はやわらかくてすべすべしていた。その感触も、自分の兄弟機であるシリーズにはないものだった。 そんなロックマンの気持ちにもまるで気付かない様子で、ミクは、泣き声交じりのひどくわかりにくい口調で、つっかえつっかえ、説明らしいことを言ってくれた。 そもそも、アリスが自分の髪をゆってくれたのが最初だった、という。 アリスが髪を結んでくれて、髪飾りを付けてくれた。けれど、アリスの様子がどうもおかしいから、聞いてみたらその髪飾りは魔理沙がくれたものだったらしい。魔理沙はEDFの任務の一環で妖怪を退治していたとき、雑貨屋をいとなんでいるという老人をたすけて、お礼にソレを貰った。自分は使わないからとアリスに譲られた髪飾りは、けれど、まわりまわってミクのものになった…… 「でも、ほんとはいらなくないんです。でもアリスさんがいらないって言ってて、なんでいらないのかなってきいたら、 魔理沙さんがいらないものだったからって」 「え、えーっと……」 「でもすごくうれしかったのに、うれしくないって、なんだか哀しくって。だからアリスさんに返そうとしたのに 受け取ってくれなくって」 ―――ミクには悪いけれど、ぜんぜん意味が分からなかった。 だが、内心であせっているロックマンにも、ミクが小さな胸を痛めているらしいということは分かる。 大人しいが明るいミクが、こんな顔をしているのを見たのは初めてだった。胸を押さえたミクは、「ここが、痛いです」とかすれた声で言う。 「わたしヘンなことたくさん言ってて、胸も痛くて、壊れちゃったのかなって…… さっきから自分がぜんぜんわかんないんです」 それだけは、ロックマンにも分かった。なんだかすとんと納得がいった。 となりの椅子をひいて、腰掛ける。泣きべそをかいているミクはほんの小さな女の子に見えた。手を伸ばしかけて、ふと、自分の腕が重たいプロテクターをつけたままだと気付いた。 それをはずす。ごとん、と音がする。ミクが眼を上げた。情けない泣きべそ顔のミクにちょっと笑いかけて、ロックマンは、その頭を撫でてやった。 「ロックさん?」 「話はよくわからないけど、それは違うよ、ミクさん」 ロックマンは、ミクにむかって笑いかける。自分の胸に手を当てて見せた。 「ここが痛いのは、ミクさんが悲しいからだよ。故障とかじゃない」 「かなしい?」 うん、とロックマンは頷いた。頭をフル回転させて、なんとか状況を整理する。ロボットでなくとも何があったのか、わけのわからない状況ではあったのだが。 「ええとね、話を整理すると、魔理沙さんがアリスさんにプレゼントした髪飾りを、ミクさんにつけてくれたのが最初だったんだよね?」 「はい」 「それは、魔理沙さんが自分が怪我をして、それと引き換えにもらったものだった。そんな大事なものをもらったんだから、アリスさんは嬉しかったはずだった」 「はい……」 「なのに、いろいろ理由があって、アリスさんはそれがいらなくなって、ミクさんにあげちゃおうとした」 「―――ロックさん、どうして全部分かるんですか!?」 うーん、とロックマンは頭を掻き、苦笑する。 アリスの態度はわかりやすい。たぶん、この一行の中でちょっとでも人の心の機微が分かるものだったら、魔理沙のことを見ているアリスの視線に気付いているだろう。だが、何かと彼女たちは複雑なのだ。魔理沙は鈍感だし、アリスは世間で言うツンデレだし…… しかし、《みんな知ってるよ》というのもミクがかわいそうだろう。 いろいろと悩んでいるロックマンの横で、ミクは、しょんぼりとうつむいた。 「何が哀しいんでしょうか、わたし…… アリスさんの《恋》が哀しいんでしょうか」 「恋が?」 「アリスさん、恋は苦しいしつまんないから、そんなの知らないほうがずっといいって」 でも、わたしの知ってる歌の恋は、もっとしあわせな、やさしいものだったはずなのに、とミクはつぶやく。 「わたし、ボーカロイドだから、恋とかってよくわからなくって。でも、アリスさんの気持ちをかんがえると、ここが痛いんです」 「アリスさんの想いが、可哀想で?」 ぱっと顔を上げたミクの大きな目が、おどろきをこめてロックマンを見る。驚きと、尊敬のこもった目。こんな顔をされるとはずかしいなあ。ロックマンはちょっと照れ笑いをする。 「ロックさん、すごい……」 「そんなことないよ、僕はミクさんの話を聞いて話しただけだから、あってるか分からないし」 「でも、わたしにも分からないことがわかるなんて、すごいです」 おんなじロボットなのに、とミクはぽつんとつぶやいた。 「ロックさんには、こころがあるんですね…… ロボットでも、心があるんですね」 いいな、とミクが憧れをこめてつぶやく。 「……」 ミクは、なんだか、子どもみたいだ。自分のほうが見た目は子どもだけれど、そういえば、ミクのほうがずうっと自分よりも年下なのだ、とロックマンは思い出す。僕にも、自分に心があるかとか、そういうことが不安だったころがあったっけ。 だが、人の気持ちを想って心を痛めて、何もできなくて泣きべそをかいているミクは、ロックマンから見れば、どんな人間の女の子よりも心優しい、普通の女の子に見えた。もう一度手を伸ばして、ぽんぽん、と頭を撫でてやる。自然と、やさしい声が出た。 「ミクさんには、ちゃんとこころがあるよ」 「……」 「涙を流したり、胸が痛いのはただの機能かもしれないけど、誰かのことを考えて泣いたり悲しんだりできるのは、優しい心を持ってる人だけだ。ミクさんは、どんな人間よりも、優しい心をもってるんだと思うよ」 ミクは、ぼうっとロックマンの顔を見上げた。頬のあたりが赤かった。どうしたんだろう? ロックマンが思わず首をかしげると、ミクはあわててごしごしと涙をこすった。 「ありがとう、ございます」 「ちょっとおちついた?」 「はい」 にっこりと笑いかけるロックマンに、ミクは、こくんと頷く。妙に心のこもった返事をされて思わずこっちが照れてしまう。ロックマンはあわててぱたぱたと手を振る。 「あ、でも、僕も恋とかそういうのはよくわからないんだ! でも、ミクさんが優しい人なのは間違いないと思う。それは本当だよ?」 「ううん、すごく嬉しかったです。ありがとう、ロックさん」 あの、とミクはひかめにつぶやく。 「ありがとうだけじゃなくって、お願い、あるんですけど」 一緒に考えてくれませんか、とミクは言った。 「―――わたし、アリスさんに、何かをしてあげられないでしょうか。何かしてあげたいんです。アリスさんに」 「うん…… そうか。そうだよね。このままだと、二人とも、上手く行かないままだし」 「はい! わたし一人じゃなんにも思いつかないと思うから、いっしょに考えて欲しいんです。あと……」 それから、ミクはちょっと声を小さくして、顔を赤くした。 「……もうちょっとだけ、あたま、なでなでしてもらえないでしょうか?」 ロックさんの素手って、はじめてみました、とミクは言う。そういわれてみればはじめてだ。ロックマンは思わず黙り込む。ミクは、蚊が鳴くような声で言う。 「ロックさんに、頭なでてもらうと、とっても落ち着くんです。だから、その」 もうちょっとだけ、と言うと、ミクはとうとう、真っ赤になってうつむいてしまった。 ←back |