【悲しみの向こうへ】
≪10≫




 ごうん、ごうん、とエンジンの稼動する音が闇に響き渡る。排熱機関のタービン音、サーチライトの放つ熱。だが、目の前にわだかまる闇はすべてを飲み込み、静まり返っている。谷口はおもわずつばを飲み込んだ。
「こ、こりゃかなり勇気がいるな、おい……」
「―――勇気どころじゃないわよ。あなた、ほんとにやる気なの」
 背後からアリスの声が聞こえた。谷口は手すりをかたく掴んだまま振り返る。甲板に、現在ここに残っているメンバーがすべてあつめられていた。
 アリスやリョウなどの異世界の住人もいれば、ロックマンやミクのようなロボットたちもいる。だが、せいぜいが半分足らず…… 指揮を執るべきピコ麻呂も、豊富な経験からそれに代わってくれるだろうストーム1やハートマンもいない。
 彼らを取り戻さなければ、どの道、先にはいけまい。
 谷口はもういちど果てしなくひろがる闇を覗き込み、それから、覚悟を極めておおきく息を吸った。指をつっこんで乱暴にネクタイを緩める。
「どっちにしろ、俺らがいかねーとピコ麻呂も琴姫サンたちも帰ってこられないじゃねえか。そっちのが何倍もヤバいって」
「……でも」
「そうだ、アリス。どの道、仲間を見捨てるような覚悟では、この先になんてすすめるわけがない」
「仲間が危ない!」
「適切な発言だが、緊張感が足らないといわざるを得ない……」
 はは、と谷口は失笑を漏らした。だが、そんなアシストはありがたくもある。ただでさえ術者としては未熟な谷口だ。無駄な緊張をかかえこんでいては、そもそも、侵入路を開くことすら叶わないかもしれない。
 すでに、やるべきことは決まっていた。

 ダークネスの只中に作られた閉鎖空間に侵入し、仲間たちを、救出する。

「では、最後にもう一度、確認をしてもらえませんか」
「そうだね。今回の総指揮はキミに任せたほうがよさそうだから」
 ボブや富竹の声に、深呼吸をして、振り返る。谷口はそこに並んだ仲間たちを見た。
「えーっと、俺はこういうのマジで苦手なんだけどさ…… えっと、つまり」
「今北産業」
「やかましいわ! 分かったよ! つまり三行で言うと、”ループの原因をなんとかする””敵の頭をツブす””ハルヒをとっ捕まえて閉鎖空間を解かせる”の以上だ!」
「説明乙ww」
 クラッシャーはいつものように軽い口調で茶化すが、背中に背負ったバックパックいっぱいにアイテムを詰め込んだ姿はマジだった。ぐるりと周りを見回してから、「それでよ」と言いたす。
「しかし、その作戦は把握したけどよ、どの面子がどこに突入するんだ? 全員で行くのかよ」
「いや、いくらなんでも拠点を空けるのはマズいだろ。富竹さん、ボブさん、ゴッドマン、なのはには残ってもらう」
「うむ、これで仲間は危なくない!」
「……まぁ、妥当だね。梨花ちゃんたちもいるんだし、僕らくらいは残らないと挟み撃ちにあったときに大変だ」
 なのはが、何か、言いたげな顔をした。だが側のボブが肩に手を起き、小さく首を横に振る。
「敵のアタマには、ロックマン、ミク、あとマリオに突入してもらう。キッツイと思うけど、平気か?」
「何言ってやがる。俺たちを舐めんじゃねぇよ」
 真っ赤な帽子のひさしをくいと持ち上げ、マリオが、不敵に笑った。
「何回tktkしてもきちんと戻ってきてやるよ。しつこいステージほど燃えるってもんさ。……ネギお嬢ちゃんには、カッコいいところを魅せてやるぜ」
「は、はい」
「大丈夫、ミクさん。きちんと僕らが戦うから、サポートしてくれるとうれしいな」
 緊張の面持ちで頷くミクと、彼女をなだめるように声をかけるロックマン。こちらはまだ安定感がある。大丈夫だろう。
「じゃあ、ハルヒの回収は俺たちか。アベックで選んでもらえるとは光栄だねえ」
 にやりと笑う阿部さんのとなりには、古泉がいる。ハルヒが相手であってこその人選だ…… 二人を見たハルヒが怒り出さないだろうか、と谷口は一瞬不安になったが、いまさらグダグダ考えているタイミングじゃない、と慌てて頭を横に振って現実を追い払う。
「残りは俺が先を開くから、中に突入する。これでいいか?」
「おk、把握した」
「ああ。全力で協力するといわざるを得ない」
「真っ暗闇の中でもモノが見える男、スパイダーマッ!」
「……なんでよりにもよってバカばっかりなの」
 愚痴りながらのアリスが、肩の力を抜いてくれたように見えるのが救いだ、と谷口は思った。ここから先は、自分は正直まともな戦力にはならないだろう。ほかにやらなければいけないことが多すぎるのだ。
 まるで、全ての色の絵の具を混ぜ合わせてしまったかのような黒い闇の中には、ありとあらゆる不安や恐怖、悲しみと絶望が溶け合い、混ざり合っている…… 谷口は頭の中で煮込みすぎてすべての具がドロドロに融けてしまったスープを想像した。チャイニーズ・スープ。何もかもが溶けてしまった果てに、ただ、眠りの闇にも死の色にも似たべた一面の色彩だけが存在する。
 谷口は、それをスプーンでひとさじすくいとり、そこに存在するフレーバーを味わい分けなければいけない。
 闇の中にとけはて、見失われてしまっている『希望』の糸口をつかみとり、たぐりよせなければいけない。
 梨花は言った。それは、バラバラに散乱して意味を持たないカケラを組み合わせて、なんとかして自分の望む形を作り上げるような作業だ、と。
「ハルヒは、何回も似たような現実をくりかえしてる。それがバラバラになって散らばってる中から、なんとかして全員が生きてかえれるようになるように、パーツを見つけ出して組み上げないといけない。そういうことでいいのかよ?」
「ええ」
 両肩をピーチの手でささえられながら、梨花が、頷く。顔色は良くなかった。
「たった一回じゃダメだった…… 悲しみや絶望は、たくさんの理由の上に成り立っている。そこを通り抜けて、全員が帰ってこられるような”答え”を見つけ出すのは簡単なことじゃないわ。すくなくとも私にとってはそう」
「……」
 ピーチが何かを言いかけた。だが梨花は、「いいのよ」と彼女の言葉をさえぎる。
「一つだけいいことを教えてあげる。あなたたちが完全に失敗してしまった場合でも、すくなくとも、ほとんどの人は戻ってこられるはずよ。そうして、自分たちが失敗したことすら憶えていないでしょう…… 失ってしまった人のことは、『失ってしまったこと』すら忘れる。おそらく、思うほどに恐ろしくはないはずだわ……」
「あんたの発言がいちばん怖いよ」
 谷口は思わずぼやく。それは、恐ろしいというよりも、背筋の毛が逆撫でされるように不気味な想像だった。
 全員が顔を見合わせる。それぞれに己の役割を心得ていると確かめ合い、頷きあった。
 だが。
「―――たにぐち、さん」
 ふいに、硬い声が、響いた。
「なのはさん?」
「待ってください。わたしも、行かせて。救出メンバーに入れてください……!」
 ボブの手を振り払い、なのはが、半ば転がるようにして谷口の方へと走ってきた。驚いて見下ろすと、おおきな眼いっぱいに涙が溜まっていた。杖を硬く握り締める両手が震えている。
「だって、谷口さんたちだけじゃ、パワーがたりなくって危ないかもしれないの。それに私、谷口さんたちにいっぱい迷惑をかけちゃった。だから、もう平気だから、わたしも一緒に戦わせて……っ」
 誰かが眼を上げた。誰かが、困惑の表情を浮かべた。誰かは何かを言いかけた。おそらく、誰の気持ちも一緒だった。
 困惑する谷口の背中を、「おい」とクラッシャーが小突いた。ちらりとなのはに眼をやって、それから、面倒そうに顎をしゃくる。谷口はしばらく上を向いたり下を向いたりして、呻いていたが。
「―――ごめん、なのはちゃん。ソレ、さすがに無理だわ」
「……っ」
 なのはが、眼を上げた。そこにめまぐるしくさまざまな感情が動くのを谷口は見た。その大人びた聡明さが、痛々しい。思わず膝を突いて目線を合わせる。両肩に手を置くと、びくん、となのはの身体が震えた。
「なんかさ、こう、なのはちゃんを連れて行くのは危ないんだよ、正直。さっきの色々もあったし」
「は、い」
「だから、無理。分かってくれるよな」
「……うん。分かってる、よ……」
「……」
「でも、でもね、谷口さん。わかってても、わたしは行きたいの。だって、わたし、まだ戦えるから。まだ十分に戦えるのに、わたし一人が安全なとこにいるなんて、出来ないよ……」
 必死の口調で訴え、目にいっぱい涙を浮かべた少女は、おそらくは本当に己が戦える、そして、もしも足手まといになるようならばいっそ死を選ぶ覚悟で言ったのだろう。なのはは、ただの愚かしい思い込みでこのようなことを口にするような子どもではなかった。
 それゆえに、だからこそ。
「そういうことじゃねえんだよ、なのはちゃん」
 なのはが、眼を、見開く。
「あのさ、こーいうこと今言えたことじゃないかもしんないんだけどさ…… 俺思うんだよ。戦う力があるからって、戦わなきゃいけないってもんじゃないだろ、って」
 谷口はためらった。だが、手を伸ばした。
「た、たにぐち、さん?」
「なのはちゃんは、確かに強えーよ。俺よりずっとな。きっとつれてったら頑張れると思う。すんげえ助かると思う。―――でも、もしつれてったら、なのはちゃんはむちゃくちゃ辛い思いをするのも分かってるんだよ、俺らは」
 なのはの背中に腕を回す。抱きしめる。
 ぎゅっ、と。
「なのはちゃんは強いからさ、そういう風に、いっぱいつらい思いをしてきてたんだと思う。むちゃくちゃえらいよ。俺みたいにアホなだけのヤツよかずっとだ。
 でも、つらい思いをしながら、なのはちゃんが無理にがんばんなきゃいけねえ理由はねーんだよ。俺らのがオトナなんだから、なのはちゃんは俺らに任しといてくれていい。強くたってなんだって、子どもは子どもなんだからさ。なのはちゃんはもっと楽していい。
 だから、富竹さんやボブさんたちと一緒に、俺らが帰る場所を守っててくれないか?」
「……谷口、さん……」
 谷口は手を解き、立ち上がる。なんだかガラにもないことを言ったせいか顔が真っ赤だった。真っ暗で助かった、と思う。顔を片手で覆った瞬間、いきなり後ろから足を蹴られた。
「お前、マジ紳士だなwwww」
「やかましいわぁっ!?」
 てれからぎゃあぎゃあと言ってクラッシャーになぐりかかる谷口と、奇声を上げて逃げ回るクラッシャー。そんな二人をなのはは呆然と見ていた。富竹とボブが顔をみあわせ、ふっと笑う。今度は富竹が手を伸ばし、なのはの両肩に、後ろから手を置いた。
「さ、なのはちゃん、僕たちはちゃんと彼らを見送らないと。大丈夫、きっとすぐに帰ってくるよ」
「……富竹さん、みなさん……」
 リョウとマリオが、ぐっと親指を立ててみせる。ミクが嬉しそうに笑っている。阿部さんは気付かない谷口の背中に流し目をちらりとくれてから、なのはには分からないヒワイな指つきをして、ニヤリと笑ってみせた。
 なのはは、ぎゅっと唇を噛むと、顔を上げた。はっきりとした声で言った。
「谷口さ…… 谷口お兄ちゃん!」
 捕まえたクラッシャーのこめかみに拳をねじこんでいた谷口が、振り返った。なのはは、片手で涙を拭うと、谷口を見上げた。
「谷口お兄ちゃん、がんばってね…… 無事に帰ってきてねっ」
 そして、精一杯に、笑って見せた。
 谷口は一瞬、あっけにとられた…… それから、ふにゃりと顔を崩し、「おう!」と歯を見せて笑った。





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