【悲しみの向こうへ】
≪15≫





 ―――兄サマが、父サマのことを、殺したの?

 そうだ。


 ……あのとき、オレは、分かった。
 この人は、オレが殺してあげないといけないんだ、って。




 闇は、虚空。白は虚無。そして、空間は無限。
 目の前のドアを、覚悟を決めて引きあけた瞬間、眼前にひろがった光景はそれだ。どこまでも続くフラットな空間と、自分の居場所が分からなくなるような広すぎる地面。世界の端で地平線がめくれあがり、はるか頭上で一つになる。めまいをおぼえ、ミクはよろめいた。ロックマンが油断なく肩をささえてくれる。
「なんなんだ、ここ」
 谷口が準備してくれたドアは、閉じると同時に掻き消えてしまった。出口はない。
 マリオ、ロックマンそしてミクの三人は、座標軸の存在しない場所に、ぽつりと取り残される。
「おい、ネギお嬢ちゃん。サーチいけるか?」
「は…… はい」
 ミクはあわててロックマンの腕から離れた。ちょっと顔をあからめながら礼を言い、それから、眼を閉じて【音】に集中する。
「ララ……」
 コロットゥーラソプラノ。ミクの声が高く、そして、純化された音を紡ぎ出す。ぴったりと10秒続き、そして、止まった。ミクは眼を閉じたまま音に耳を澄ます。一種のアクティブソナー。音を使って、その空間の作り、ひろさ、歪み方などをサーチするのだ。
 けれど。
「……!」
「どうしたの、ミクさん?」
 眼を開き、おびえたように立ちすくむミクに、マリオとロックマンの二人の表情に緊張が走る。ロックマンは片腕のバスターを構え、二人を庇うようにたったマリオが、油断なく周囲を見回した。
「ここ…… まやかしです。ぜんぜん広さがありません」
「どういう意味なんだ?」
「音が、すぐに戻って来たんです。広く見せかけてるけど全部ニセモノです。空間が、ループしてるんです」
「―――ふむ」
 ミクは異様な空間に立ちすくむが、マリオとロックマンの二人は顔を見合わせると、お互いにうなずきあった。
「大丈夫ですよ、ミクさん」
「ああ。悪いが俺らにとっちゃ、馴れたことだからな。ステージの構築の手間をサボってんだろ? ったく、手抜きしやがって」
 そういう場合は、とマリオが、口ひげの下の唇をにやりとゆがめる。
「ボスを見つけて、ぶっちめりゃあ、一発で先が見えるって決まってるんだよなぁ、ロック!?」
「はい!」
 答えるなり、ロックマンが片手をぎゅっと握り締める。握り締めた手に、陽光のかがやきが溢れた。バスターに変形する。チャージ。見る間にエネルギーが膨れ上がる。
「チャージショット、いっけぇ!」
 ドン!
 音と共に、光が溢れた。眩しいほどの閃光。ミクは思わず眼を見開いていた。闇の空間に、光の矢が突き刺さる。そこが裂ける―――
「出たな」
 まるで火であぶられたプラスチックの板のように、空間がよじれ、ねじれ、巻き上がる。その背後から現れたのは、見覚えの無い姿だった。ちいさな少年……子ども? ミクは眼をまたたく。
 悔しげにくちびるをかみ締め、顔をかばった腕を下ろしながら、立ち上がる。ロックマンと見た目はほとんど同じくらいだろう。長い黒髪と、切れ長な印象が歳に不釣合いな怜悧さをあたえているひとみ。小柄で手足が細い。が、こちらをにらみつける目には、はっきりとした意志の強さがやどっていた。
 誰だろう? 知らない子だ、とミクは思う。だが。
「なんだぁ? ガキじゃねーか。お前、ここで何やってんだよ」
「お前たちこそ……」
 答える声も、おさなく透き通った、子どものものだった。
「何しに来たんだよ。まさか、オレの邪魔をする気か?」
「だったら、どうする」
「ちょっと、マリオさん……」
 挑発もあらわに中指をたてて見せるマリオに、少年が顔をゆがめた。だが、そのくちびるがすぐに、好戦的なかたちにぎゅっと釣り上げられる。その表情が誰かに似ている。そう思ったミクは眼をまたたく。が。
「―――ブルーアイズ!」
 少年の指がひらめいた。そこに、一枚のカードがある。白い焔が光り、きらめいた。次の瞬間そこに生じた存在に、三人は、それぞれに驚愕の声を上げた。
「なぁッ!?」
「う……そ」
「こ、これって!?」
 少年の身体をとりまくようにして、うつくしく白い身体が伸ばされた。翼が広がり、しなやかな首が、強靭な尾が、抱くように少年の体をとりまく。獰猛な顎が大きく開き、鐘を打ち鳴らすような咆哮がひびいた。そして、こちらを見つめる眸。この世に類も無く純化された青の彩を持った、ふたつの瞳―――
「オレの名前は、海馬モクバ!」
 少年は…… 海馬瀬人の弟は、敵意を込めて、言い放った。
「オレは兄サマを…… いや、あいつを殺すためにここに来た! 邪魔するんだったら、お前らだってぶっ飛ばしてやる!」



 

「……!」
 ふいに、魔理沙が、足を止めた。飴色になった夕日の差し込む廊下。短い渡り廊下の途中だった。
「どうしたのよ、魔理沙?」
「ン、いや、なんか変な気配が」
 光に照らされる廊下に、影が躍る。ぱたぱた、という誰かの足音だった。ハルヒがすくんだように足を止めた。魔理沙はちらりとそちらを振り返ると、「ちょっと待ってろ」と短く言った。
「様子見てくる。お前はここにいろ」
「なんでよ! あんた1人じゃ危ないじゃない!」
「……さっきまで泣きべそかいてたくせに」
「うるさいわね。あんなの、ちょっと動揺しただけなんだから」
「やれやれ。わかったよ、お嬢さま」
 魔理沙は軽く肩をすくめた。そして笑う。くいと指で先を招いて、「じゃ、行こう」と答えた。
 二人の足音が、赤い影を揺らして、軽やかに響いた。黒い別珍に白いフリルをたたんだスカートが、健康的に伸びた細い足が、小走りに廊下を駆けていく。だが、すぐにハルヒが気付いた。「おかしいわよ」とつぶやく。
「何が?」
「廊下、長すぎる」
 ハルヒの言うとおりだった。階段を下ると、また、同じようなフロアがあらわれる。飴色にそまった窓と、赤い影のゆれるリノリウム。確かにこれはおかしい。魔理沙は、その猫族のような眼を油断なく細めた。
「ハマっちまったか……?」
 何者かが作り出すループ。無限とまでいかずとも、数万キロ、数億キロの距離を一箇所に畳み込んだ空間というのは見たことがある。正攻法でクリアするなど愚の骨頂だった。その意味は足止め、さもなくば、【挑戦】に他ならないのだから。
「おいハルヒ、ちょっと下がってろ」
「? 何よ」
「壁ごとブチ抜けないか、ためしてみる」
 魔理沙はエプロンに隠したポケットから、ミニ八卦炉をつかみ出した。マスタースパークで壁ごと空間をぶち抜く。他の解決方法なんて思いついたとしても二の次三の次、押してダメなら押しつぶせ。それが彼女のやりかただったのだから。
 だが。
「……何、考えてるの。そんな無茶、駄目」
 ふいに、そこで聞こえるはずの無い声がして、魔理沙はあやうく八卦炉を取り落としそうになった。
「ぱ」
 ハルヒが不思議そうに振り返った。ちかくのドアをあけて出てきた姿を見る。小柄な少女だった。ネグリジェのような長い服、たっぷりとフリルをとった亜麻の帽子に三日月の形のチャーム。
 透き通るように白い、といえば聞こえはいいだろうが、不健康な様子の膚をした、やせた少女だった。地面に届きそうな髪は宵闇のような茄子紺の色。にらみつけられて、魔理沙は、驚愕の声を上げる。
「ぱ、パチュリー!? なんでお前がここにいるんだよ!!」
「……」
 胸に本を抱きしめた少女は、ドアを閉めると、魔理沙たちのほうをじっと見つめる。ハルヒは露骨に顔をしかめた。
「なに、この子。知り合い?」
「あ、ああ」
 紅魔館のパチュリー・ノーレッジ…… 図書室の少女。閉じこもりがちで本来あまり外に出たがらない、どころか、幻想郷の外にいるはずのない少女の姿を、魔理沙は呆然と見つめた。少女は紫色のひとみで魔理沙をみて、それから、ハルヒを見る。かすかにその目の奥に何かが揺れた。
「魔理沙…… その人、誰」
「え、ハルヒのことか? こいつは涼宮ハルヒって言って私の新しい友達なんだが、ってゆーかお前、なんでここに」
「外の世界の、にんげん?」
 ぎゅっ、と小さな手が本を抱きしめた。ハルヒは敏感にその様子を見て取る。眉をかすかにしかめた。
「ン、まあ、そりゃそうだけどさ。それよりも、なんでお前こそ【外】にいるんだよ」
「魔理沙を、迎えに、来たの」
「……へっ?」
 今度こそ、魔理沙は呆然とする。猫のような飴色の目が丸くなった。紫の髪の少女は淡々と語りかける。
「魔理沙、外の世界に行くって、聞いたから。そんなの嫌だから、迎えに、来たの……」
「おいおい、待ってくれよ! なんだそりゃあ? そりゃ、私は今用事があるから外にいるけどさ、それがお前になんの関係があるっていうんだよ」
「だって、聞いたもの。魔理沙、外の世界のほうが、好きだって。外のほうが楽しくて、好きな人もいるって。だから……」
 まるでぐずる子どものような、物憂い声がつぶやく。
「……一番大好きなアリスだけ、連れて、外に出ていったって」
 その言葉には、魔理沙も、さすがにカチンと来たようだった。
「どこで聞いたんだか知らないが……」
 ずい、と一歩前に踏み出す。その瞳に、怒りの色が、生き生きときらめいた。
「わけのわからない言いがかりは止めてくれよ。私は別に幻想郷を捨てたわけじゃないし、アリスを選んで出て行ったってわけでもない。ただの成り行きだぜ? そいつをお前にどうこう言われる理由はないだろ」
「……」
「なあ、パチュリー。お前ってそういうこと言うやつじゃなかったと思ってたんだけどさ。どうしてそんな話になってんだ?」
 おかしいといえば、何もかもがおかしい。
 彼女がここにいることも奇妙なら、そんな甘ったれてぐずる子どものようなことを言うこともおかしかった。あらためて考えてみれば怒りよりも困惑のほうが強い。さらにもう一歩詰め寄ろうとしたとき、ふいに魔理沙の手が、ぐいとばかりに掴まれた。
 振り返ると、ハルヒがいる。強い警戒心を浮かべた顔で。
「ハルヒ?」
「魔理沙、おちついて。その子、なんかヘンよ」
「ヘンって……」
「鈍いわね。あんたみたいなタイプが鈍いって、正直、致命的だとしか思えないんだけど?」
「え? ええ?」
 会話の流れはともかくとして、ハルヒの手はしっかりと魔理沙の手を握り締めて離さなかった。それを見ていた少女が顔をゆがめる。
「ひどいよ、魔理沙……」
 魔理沙は、弾かれたように振り返った。そして見る。そこにいるのは、自らを密室に閉じ込めた寡黙な少女ではなかった。
 淡く透き通るような金色の髪。幼い面差し。ゆっくりとその背中で翅がゆれる。だが、それは本当に”翅”といえるのだろうか?
 七色にきらめく透き通った翅。奇妙な花のような翅を背中にゆらしながら、無垢な面差しの少女が、泣き出しそうに魔理沙をみていた。
「あたしたちだけ、ひとりぼっちなのに、魔理沙だけ幸せになろうなんて、ずるい」
「……フラン」
 フランドール・スカーレット。
 小さな、狂える王女。
「ずるい、ひどいよ」
 少女は泣き出しそうな顔で地団太を踏んだ。今度こそハルヒが力いっぱい魔理沙の腕を引く。半ば肩を抱き寄せるようにして背中に庇う。
「ど、どうしてフランがここに……っ」
「ニセモノだからよ、わかんないの!?」
 うろたえかけた魔理沙の声を、ハルヒが、きっぱりと断ち切った。
「これもニセモノだわ。あたしはあそこの子を知らないけど、いきなりココに出てくる理由がないってことくらい、分かる」
 泣きべそをかいて、拳で眼をこする。幼い仕草。だが、彼女をにらみつけるハルヒの目には、油断など、カケラも無い。
「―――ちょっと聞きたいんだけど、魔理沙」
「な、なんだよ」
「あんた、アリスのほかにもさっきのパチュリーって子とか、この子とか、いろんな女の子の心を玩んだりした憶えはある?」
 魔理沙は眼を見開いた。とんでもない大声が帰ってくる。
「あ、あるわけねぇだろ!? なんだよそのむちゃくちゃな言いがかりはっ」
「あっそ。まぁ、ならいいけどね」
「別に、アリスもパチュリーも、フランも、みんな友達だって。友達がたくさんいて悪いかよ」
「……」
 ハルヒはだまった。じと目で魔理沙を見る。なんか視線が冷たかった。さすがの魔理沙もたじろいだ。
「さっきからその目! なんだよその視線はぁ!?」
「そこに、アリスが入ってなかったら、いろいろと許してやったんだけどね」
 まあいいわ、とハルヒはため息をついた。振り返ると、泣きべそをかいている少女に向かって、挑戦的に宣言する。
「というわけで、アンタたちと魔理沙の恋愛関係トラブルについては、また今度にしてちょうだい。あたしたちは今別件で忙しいのよ」
「そんなありもしないトラブルについて言われてもよ……」
「”ある”んじゃないの? 推測するに、たぶん、この子の正体は”それ”だもん」
「なんだよ、さっきから!」
 ハルヒは一瞬魔理沙を見た。その聡明なひとみに、一瞬、あざやかな軽蔑の色がひらめく。
「―――恋愛感情なんて、精神病の一種に過ぎないってね。これはあたしの持論だけど」
 でも、とハルヒは言う。
「世の中には、そんなたかが病気の一つ二つで、人間が生きるの死ぬのって大騒ぎになることもあるらしいじゃない。バカらしいったらありゃしない」
 向き直ったハルヒは、肩までの髪をざっと掻きあげた。そして、はっきりと言い放つ。
「悪いけど、霧雨魔理沙は現在あたしがレンタル中なの。どうしても欲しかったら、返却機関を待つことね」
 それでも、どうしても欲しいのだったら。
「―――無理やり奪ってみれば? まぁ、出来るとは思えないけど!」
 そうハルヒは、魔理沙にとって不名誉極まりないことを、挑戦的に言い放った。




【参考→http://www5.atwiki.jp/nicorpg/pages/1705.html】








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