【悲しみの向こうへ】
≪17≫





 一度、海馬さんがわたしに、言ってくれたことがある。
 生きるために戦うことを責められても、ひるむことなんてないんだって。

 わたしは思っていた。わたしは、臆病者だって。何にも出来ない弱虫で、誰かが助けに来てくれるのを待って、泣きべそをかいていることしかできない子どもなんだって。
 でも違う。気付いた。どんなときだって、わたしは生きてた。生きることで戦っていた。明日に背中を向けることだけは、しなかった。
 それは、ほんとうにささやかで、へたくそな、何にもできない子の戦い方。誰かにあらがうことをしないで、それで、誰からも責められないように祈って、必死で、ドッジボールでひとりだけ生き残ってしまったみたいに、逃げ回っているだけの戦い方だった。
 きっと明日を信じていた。ひとりが寂しくても、辛くても、そのことで誰かを責めたりなんてしなかった。それは、弱虫にできる唯一の戦い方。わたしの、たった一人の戦争だった。
 絶望しないこと。明日は、きっといいことがあると信じること。明日出会う誰かが、優しく、あたたかい人だと信じること。そしてその人と出会ったとき、わたしも、その人に優しくできる人になれるように願うこと。
 それがわたしの、生きるための戦争だった。
 
 わかってる。どんなきれいな言葉で飾ったって、真実はごまかせない。わたしは、たぶん、わたしに負けた。明日を信じ続けることを、どこかで、棄ててしまった。
 わたしは、ひとりぼっちの明日と、誠くんのいてくれる今日を比べて、明日を棄ててしまった。わたしはそんなに辛かったのかな。わからない。ひとりぼっちでいることがそんなに怖かったのか、今では、そんなこともよく分からない。
 でも、誰かがわたしにチャンスをくれた。もう一回戦うことをゆるしてくれた。背中をまるめてうずくまるだけの戦いじゃなくって、刃を握り締めて自分の敵と向かい合う戦いのチャンスを与えてくれた。
 わたしは、自分と戦うことすらこわくてしょうがない、弱虫の剣士だ。たった一回の悲しみに挫折して、生きるという戦いに負けてしまった。自分も、世界のすべても、手放してしまった。
 それでも、もう間違えない。わたしは、自分の戦いに負けない。流されるままの決断を悔やんだりはしない。生きる場所も、死ぬ場所も、わたし自身で決めてみせる。
 生きること、死ぬこと。護ること、殺すこと。選ぶこと、捨てること。
 血と涙を流したままでも、己の武器を決して手放さないこと。

 そうやって生きることこそが、本当の意味で戦うことなのだと、海馬さんは教えてくれた。
 



 ―――敵の数が、増えてる。
 そう、これがわたしの望み。己が白鞘に手をかけたまま、言葉ははっきりとそう願う。ただ、モノクロームの風のように、夕暮れの廊下を疾駆する。足音が響き渡る。目の前に立ちふさがる魑魅魍魎。その姿はさながら百鬼夜行のごとく。悪夢のただなかから顕現した無数の影の合間を、しかし言葉は、表情ひとつ変えることなく、ただ一陣のもとに駆け抜ける。
 そう、ここは……学校。わたしの母校。誰も、わたしを助けてくれなかった、たくさんの人たちでひしめく、独りぼっちの世界。
 眼をつぶった瞬間に、その姿をありありとまぶたの裏に思い浮かべる。チッ、とかすかな鞘なりを立てて、鞘より、青古江の刀身がわずかに覗いた。
 ふいに、狂いの無かった歩調が、その合間を大きく広げた。つやめく黒髪は、暗い流星のようにきらめいた。言葉が足を踏みとどまるタイミングは、まるで、定められた舞踏のしぐさのように、確信にみちて迷いのないものだった。
「死んで……ッ!!」
 青刃一閃。血華繚乱
 一太刀の元に抜き放った言葉の刃が、真円を描くがごとく、狂いのない環を描いた。
 チン、と音を立てて、ふたたび鞘へと青古江が戻される。言葉は感情のない眼で周囲を見渡した。そこは、血の海だった。
 ―――一刀の下に頚椎を断たれ、深々と腹を切り裂かれ、喉を裂かれ、倒れ付したたくさんの人影。その全てを言葉は知っていた。見たことのある顔の少女たち。言葉に対して悪意を持って接し、残忍な笑い声を降り注がせた少女たちが皆、血みどろになり、一撃の元に命を奪われて、死屍累々と積み重なっている。
 ふいに、笑い声が響いた。言葉は、振り返らなかった。白い頬をよごす血を拭いもしないまま、ふたたび、走り出す。誰もいない廊下に足音が再び響き渡る。
『怖いわね、ほんとに! あなた、それでもほんとに人間?』
 あざ笑う声が耳に響く――― 視界の端、己のかたわらに続く窓ガラスの列の中に、夕日に染まった見知らぬ影を見る。言葉は、振り返らない。
『それとも、これが復讐なのかしら。自分のことを傷つけた人のこと、あなた、そんなに殺したかったんだ。みんなみんな。そんな風にずたずたになるまで切り刻みたかったの?』
「……うるさいです。黙っていてくれませんか」
『聴く耳も持たない、ってことかしら』
「その通りです」
『それでも人間なの? まるで殺人鬼。それとも、女修羅ってところ?』
「ええ、その通り」
 色のない言葉のくちびるが、そのときはじめて、うっすらと笑みを浮かべた―――
 目の前に階段があらわれる。ひとかけらの迷いも無しに、一息に駆け上がる。言葉は引きずり出した記憶を無理やりに夕日の校舎の姿へと重ねた。幸せな記憶など思い出さない。辛いことだけを記憶の底から引きずり出す。裏切られた記憶、悲しみの記憶、痛みの記憶……
 初めて二人で会った屋上だった。彼女もはじめ一緒だった。笑いあいながら言葉を交わし、お弁当の中身を交換して、からかいとやっかみがあって、それでも、あたたかくて。
 でも、それは全部嘘。わたしはただの言い訳に過ぎなかった。幸せになりたかったのは、誠くんと西園寺さん。わたしの存在にはなんの意味もなかった。二人はわたしを間に挟んで向かい合い、ゆっくりとめぐり、そして、自分たちだけ幸せになった。いらなくなったわたしのことは、まるで、からっぽになったペットボトルでも捨てるみたいに、簡単に投げ捨ててしまった。
 二人があそこにいる。フォークダンス。灯りの下で二人の影がしあわせそうに揺れ、なんども重なり合い、じゃれあっている。わたしのことを裏切り、傷つけ、そして忘れ去った二人。
 消えることのない心の痛み。その傷へと言葉は思い切り己の爪をねじこみ、心の痛みと血とを、引きずり出そうとした。幻視と共に、言葉は、屋上のドアを開いた。音を立てて鋼鉄のドアが開け放たれ、そして言葉は、夕日に照らされる屋上に、二人の姿を見た。
 ―――紅い紅い夕焼け。現実にはありえないほどに。そして、いびつにワイプしながら鳴り響くチャイムの音。とてもリアルとは思えないくらいに。
「呆れた」
 そこに、もうひとり分、少女の姿があった。切りそろえた前髪、くっきりとした眉。言葉どおりの驚きと軽蔑の表情を浮かべて、言葉のほうを見る。
「すごい復讐心というか…… 執着心ね。そんなに殺したかったの。この二人を?」
 はっと、驚いたようにこちらを見る誠。そして言葉を見る世界。
 言葉はうっすらと笑みを浮かべた。いままでの疾走で荒くなっていた息がくちびるを濡らしていた。言葉は肩をおとし、大きく息を吸い、吐いた。目の前の二人を見た。
 世界の服が、わずかに、乱れていた。
 ブラウスの前のボタンが外されている。ひとつふたつ。細身の彼女の喉首が、そこから肩へとつづく滑らかな線が、鎖骨がつくるちいさなくぼみが見えた。喉元にくちづけが薄紅く痣をのこしていた。さすがに言葉も力ない笑みをこぼした。さすがにこれはやりすぎかもしれないですね。けれど、それが言葉の中での最悪の想像であることは、まぎれもない事実だった。
 ―――この二人は、現実の存在じゃない。
 言葉の記憶の中身が映し出されたもの。いわば、言葉の、想像の産物だった。
「西園寺さん…… 誠くん」
 息が整う。言葉は、ゆらりと前へと踏み出す。無視された形になった少女が肩をすくめた。誠が露骨にうろたえた。
「こ、言葉?」
「桂さん」
 言葉の影が長く伸び、おどるように屋上に揺れた。言葉は微笑みすら浮かべていた。虚ろな眼をしたままに。
「どうしてたんですか、こんなところで。……二人っきりで、何をしてたんです?」
 まるで、台本を読み上げる大根役者だ。いくらなんでも、こんな安い台詞は無いだろう。
 言葉はそう思うが――― 『伊藤誠』は、同じぐらいに安く、薄っぺらな反応を返してくる。
「べ、別に――― 俺は言葉のことを世界に相談していただけで、その……」
「相談。ただの相談、だったんですよね?」
「う、うん。そうなんだ。だから」
 『伊藤誠』の、浅はかな言い訳をさえぎるようにして、『西園寺世界』の言葉が響いた。
「何それ。いまさら止めてよ、そんなの。桂さんだって…… 何、その言い方? 嫌味な言い方やめてよ」
 『西園寺世界』は、襟元をかき寄せようとしていた手を、止めた。ブラウスがはだける。ふたたび華奢な喉首が見えた。むしろ、そこにのこったはなびらほどの痣を見せ付けるように、世界は顎をそびやかした。
「二人きりで話してたの、わたしたち。桂さんについて。もういい加減、中途半端なことなんてやめようって」
「中途半端……ですか……?」
 ―――自分自身の傷跡を、むちゃくちゃに掻き毟る。ガラスを突き立てる。わたしは、西園寺さんにどんな言われ方をしたら、いちばん心が傷つくの? どんな誠くんにされる裏切られ方の中で、なにがいちばんひどい裏切り方だって思うの?
「そうよ。だって桂さん、とっくに気付いてるくせに、何にも知らない顔ばっかりして。誠だって、そんな風にされちゃうから、上手にあなたのことふることが出来ないの。桂さんが自分だけ被害者みたいな顔をするから」
 世界が言う。誠は何も言わない。目をそらす。言葉を、見ようともしない。
 言葉は口をつぐんだ。世界は唇をゆがめた。罪悪感を裏返しにした被害者感情が、その面差しをヒステリックなかたちに釣り上げる。嘲笑のかたちだった。
「ほんとはもう、誠の彼女は、わたしなの。だって証拠に―――」
 世界は、自分の下腹に、手を当てる……
「―――わたしのお腹には、誠の、赤ちゃんがいるんだもの」
 文字通りの、決定打だった。

 その瞬間、すべての時間が、凍りついた。

 チャイムが止まり、影は地面へと縫いつけられる。夕日は飴のように融けたまま、動かなくなる。赤い琥珀にとじこめられたような時間の中、ぱち、ぱち、ぱち、という拍手だけが、奇妙に白々しく響いた。
「……よくもまあ、ここまで、どうしようもなくなれるものね」
 半ば感心したような声がした。フェンス越しに立っていた、長い髪の少女の台詞だった。
 言葉はだまって二人を見る。勝ち誇ったように唇をつりあげた世界。その背後で言葉を見もしない誠。
 想像しうる最悪のパターン。言葉の心にふかぶかと傷をつけ、まるでレコードの溝をえぐりとった傷のように、同じ時間を何度も何度も再生するようなトラウマ。
「でもこれ、実際のパターンじゃないんじゃないの? なんの根拠もない。単純に、あなたが怖がってるだけの、最悪のパターンじゃない」
「ええ、そうですね。その通りです」
 言葉はただ、淡々と答えた。
 ―――『伊藤誠』が、心弱く、浮気な人間であることは、事実だった。
 でも、こんなにも酷い人なんかじゃなかった。少なくとも言葉にとってはそうだった。優しくしてくれた。どんな理由があったにしろ、抱きしめてくれた。笑いかけてくれた。一緒にいればきっと幸せでいられた。それが、言葉が見つめていた真実のもう片方の顔だった。
 眼をそらしたまま、ポートレイトのように静止した誠の表情を、言葉は、限りない悲しみと慈しみをこめて見つめた。弱い人、優しい人。言葉の、最初の味方になってくれたひと。
 けれど、もうすべて忘れよう。
 終わりにするのだ。
「わたしの心は、醜いですか?」
 言葉はすらりと白刃を抜き放った。傍観者たる少女が、わずかに顔をしかめる。
「なんの話なの」
「醜い、ですよね。血まみれで傷だらけで。その上、弱虫で、後ろ向き。なにもいいとこなんてない」
 ゆがむチャイム、滲む夕暮れ。
 この世界は、すべて、心の悲しみ、苦しみ、痛みで出来ている。言葉はいつしかそれを知っていた。
 心の闇を反映して現れる怪物たち。その恐ろしく醜悪な様は、心に闇を持つもの…… 言葉の怖れの反映だ。本当はもっと美しく、そして優しい場所だったはずのこの世界を、言葉の想いが、残忍で辛いところへと作り変えてしまう。
 けれど、その事実が、唯一の突破口と、なりうる―――。
 言葉は、はっきりと、言った。
「わたしの哀しみで、もう、この世界はいっぱいです。他のものなんて、なんにも、入りません」
 ハッ、と少女が眼を見開いた。言葉の思惑を悟ったのだ。
「ぜんぶ塗り替えました。この世界は、もう、わたしの想いだけで出来てる。だから」
 軽い足音が屋上のコンクリートを蹴り、言葉は、走り出した。
「わたしが、終わらせる」
 いまやこの小さな世界は、言葉の哀しみだけで構成されていた。故に、言葉自身が消滅すれば、共にすべても、消滅する。
 視界の端に確かめた少女が眼を見開き、声を上げたように感じた。それが己の采配が間違ってはいなかったということを証明してくれた。言葉は、確信した。今ならできる。
 わたしは、この世界を、終わらせることができる!
 腰溜めに、青古江を構えていた。もはや他の誰も目には映っていなかった。そこにいるのは『伊藤誠』その人――― 『桂言葉の哀しみ』が形となったもの、それのみ。
 『誠』が顔を上げる。言葉を見る目が恐怖に満ちて見開かれる。言葉は微笑んだ。

 わたしの哀しみを、わたしは――― 自ら葬る。
 
「こ、ことのは!?」
「ごめんなさい…… 誠くんッ!!」
 言葉は、全身の力を込めて、誠の胸へと、ふかぶかと刀を、突き立てた。
 肋骨がつくりだす胸の中の鳥かごをすりぬけ、その刃の切っ先は、赤く脈打つ心臓を貫く。その勢いのままに言葉は誠の身体へとぶつかっていった。まるで抱擁を求めるように。
 だが、事実は、その真逆だった。
 背後のフェンスにぽっかりと空いた穴へと、言葉は、誠の身体もろとも、自らの身を投げ出した。漆黒の髪が、鳥の翼のように、おおきく広がる。

 この世界のすべてを、無意味に積み重なるだけの言葉を、わたしは、消し去る。
 わたしと共に。

 フラッシュバック。重力の鎖に捕らえられる前のほんの刹那に、言葉は、思い出していた。
 己の恋、己の想いの全てを。
 ……一度はあんなにも恋した人を、こんなにも憎んでしまう自分。
 恋と名づけたそんな重い鎖は、あのひとには、相応しくないと思った。だから、この思いはきっと”恋”ではないと、言葉は決めた。
 遠くを見つめるまなざしの研ぎ澄まされた純度が、決して振り向かない強さが、血まみれた足で歩き続ける強さが、きれいだと思った。それだけで良かった。言葉のことを、”強い”と言ってくれた。涙が出るほど嬉しかった。それでいいと思った。
 けれど、これ以上を望めば、きっとわたしはあの人の重荷になる。誠くんをこんなにも憎んでしまったように、あの人のことも憎んでしまうかもしれない。わたしの何十倍か、何百倍か痛みと苦しみに満ちた道を、それでも歩き続けようとしているあの人。あの人に、これ以上の痛みなんて、たったひとかけらであっても加えたくなんてない。
 だから、あの人の全てから、わたしを葬ろうと思った。
 嫌われて、憎まれて、忘れられて、そうやって、なんの重荷にもなることなく、あの人のことを護ろう。
 それがわたしの、たった一回の、あの人への贈り物―――

 ひとたび、抱き合うように感じた誠のぬくもりが、自分から離れていくのを言葉は感じた。世界がコマ送りのようにゆっくりと動いていた。言葉は己の望みどおりにすべてをやりとげたと悟り、微笑み、そして、眼を閉じようとした。
 だが。
 ふいに、がくん、という衝撃と共に、自由落下が、静止された。
「!?」
 言葉は眼を見開いた。うつった視界に、己の手を離れて落下していく青古江、そして、誠の姿が見えた。誠のかたちをしていたものは、中空でただの闇へと還元され、霧となって四散した。言葉は弾かれるように上を見た。己の腕を掴んだ、一本の手を。
 それは、海馬だった。
「か、海馬、さ……!?」
 歯を食いしばり、海馬は、落ちていこうとしていた言葉の腕を掴んでいた。青い眼が見開かれ、表情は怒りに歪んでいる。言葉は、思わず悲鳴を上げた。
「やめて! 離して下さい! あなたまで……!」
「ふざけるなッ!」
 だが、言葉の声は、海馬の一喝に、さえぎられた。
「貴様は何を勝手なことばかり考えている? オレが、貴様を嫌うだと? その上、貴様がすべてを背負ってひとりで死ぬ気だと!?」
 言葉は、半ば、呆然とした。海馬がこんなことを口にするなど、夢にも思っていなかった。
 だが、その背後に迫り来る姿を見て、ふたたび、短く息を呑む。
 それは、『世界』だった。
 手にしているものはカッターナイフだった。人間らしい感情のぬけおちた面差しに涙を伝わせ、手を、振り上げる。言葉は思わず悲鳴を上げた。
「海馬さん……ッ!!」
 『世界』の振り上げたカッターは、迷うことなく、無防備な海馬の背中へと、突き刺された。
「……ッ!!」
 血が、飛沫した。
「やめて、やめてぇ!!」
 言葉は絶叫し、ひっしで海馬の手を振り解こうとする。海馬は両腕で言葉の手を掴んでいる。このままでは身を守れない。海馬さんのほうが、殺されてしまう!
「手を、離して! お願い、離して!!」
 再び、振り下ろされるカッターナイフ。無防備な背中へと刃が突き刺さり、そのたびに音が響き、血が飛び散った。白いコートの背中がみるみる紅く染まっていく。だが、海馬は痛みに顔をゆがめながら、それでも、言葉の手を離さない。
「海馬さんが、お願い、やめて、離して……っ」
 言葉は、半ば泣きそうになりながら、懇願する。
 だが海馬は。
「誰が…… 貴様が死ぬことを、赦した……?」
 海馬が、咳き込んだ。唇から血が流れた。だが、その双眸は、青白い恒星のように、強い意志の光を宿して、一片の怯みすらも見せない。
 海馬は、強い声で、言い放った。
「オレは、貴様が死ぬことなど、決して赦さんッ!!」
 言葉は、呆然とした。
 振り下ろされる痛み。腕をつたった血が、言葉の真白い頬に落ちる。一滴。背後から、無防備な背中をむちゃくちゃに切り裂かれる痛み。海馬は顔をゆがめながら、一言ずつ押し出すように、けれど強く、言う。
「オレが、貴様を嫌うかなど、貴様ごときが決めることではない! オレが決めることだ! 貴様をどう思うかなど、このオレが自分で決めるッ!」
「か、いば、さ」
「貴様を犠牲にする道など、オレの眼中に無いわ! 貴様ごときに護られる気などさらさらない…… 誰にも、殺させるものか!」
 海馬は大きく背中を波打たせ、咳き込んだ。血が、溢れた。言葉は呆然とそれを見上げていた。
 なぜだか、海馬が少し微笑っているように思えた。彼がそんな表情などするわけがないのに。けれど間違いなく言葉は見た。その青い眸に写った己の姿を。

「だから死ぬな…… ことのは」

 ―――海馬は初めて、言葉を、そう呼んだ。
 






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