【カップを片方】


谷口ボーダー商事でバイト中。今日は紅魔館の妹様へお届けもの。
  
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 別にひとりだからさみしくなんてないわ、と言ったとき、あの人がした顔はとってもおかしかった。私はお腹が痛くなるくらい笑ったけど、いちばん初めのときみたいにだからって心臓がドキドキするくらいじゃなかった。
 
 ひとりじゃなくなると、いろんなことがおこる。
 
 初め、あの人がうちにきたのは魔理沙からのお届けモノを届けるためだった。別にそんなのはメイドにでも任せればいいのに、と思ったけれど、あの人に言わせるといちいち面倒ごとをおこしたくないときにはあの人に頼むのだそうだ。
 あの人はものすごく、ほんとうに、信じられないくらい弱かったけれど、逃げ足と忍び込みだけは誰も勝てないくらい上手。スキマ妖怪の弟子だって言ってるのはほんとうみたいだった。私はそのとき魔理沙が届けてくれた妙な色をしたお菓子に上機嫌で、あの人がいったい何者なのかなんて考えもしなかったけど、そのときにあの人はわたしのこと噂に聞くほど怖い相手じゃないって思ったみたいだった。
 
 怖いって何かな。怯えるって何かしら。あの人がここにくるたびわたしはいろんなことをして遊んでやったので、そのたびにわたしがあの人に期待することが増えてった。脅かしてあげるとびっくりしてあたふたして逃げ出すのや、怖がらせてあげると悲鳴をあげるのとかだけじゃなくって、ものすごくおかしな歌を歌ったり、変な顔をしてわたしを笑わせてくれるのも楽しみにしたりするようになった。
 
 魔理沙のくれるお菓子はヘンな味がしたけど楽しみだった。人間の血が入ってないからだって聞いて、あの人から血を貰った。ちょうだいというより先にくれた血を白くてカリカリしたお菓子につけて食べてみたけど、思ったよりも美味しくなくてちょっとがっかり。がっかりも楽しい。外の人に会うと、おもしろいことがたくさん。
 
「なぁ、フランちゃん。お前、外に出たいと思わないのか?」
「どうして? 別に思わない」
「ここ… 薄暗いし、つまんないし、それに寂しいじゃんか」
「別に薄暗くもないし、つまんなくもないし、寂しくも無いわ」
 それからわたしは、少し考えて、付け加えた。
「それと、【薄暗い】と【さみしい】はそもそもよく分からない」
「【つまらない】は?」
「魔理沙が何かをとどけてくれなくて、あなたが来てくれないこと」
 お姉様と咲夜はいるほうが普通だもの。いても、普通が普通だったら、つまんないはつまんないなんだろう。それを聞いたときあの人はしばらく考え込んでいた。その日は何を言ってもうまく通じなくって、それこそ、【つまんなかった】。
 
 次に来たときは徹底的に遊んでやろうと思ってた。そのときだった。
 
「っちょ…! タンマ! 今日は壊れ物あるからちょっとタンマ!」
「なあに?」
 顔を出すなり吹き飛ばしてやろうと思ってたのに気付かれてたみたいだった。ちょっと悔しかった。わたしがスペルをひっこめると、あの人は胸をなでおろしながら、何かの包みを背中の荷物からひっぱりだしてきた。見てみると、それは、小鳥の模様のカップだった。
「これなに?」
「んー、ん。あとで魔理沙が来るまで、こいつを見てりゃ【さみしい】が分かる魔法の道具」
 魔理沙が【魔法】っていうってことは、ほんとに魔法がかかってるのかしら…
「で、こっちがフランちゃん愛用のカップ」
 どこからとってきたのか、私の使っているボーンチャイナの隣に、あの人はそのカップを並べてみた。わたしは変な顔になったと思う。小鳥が二匹。似てないのに二匹。
「どう思う?」
「並んだわね」
「なんか仲間っぽくないか?」
「…そうかな?」
 
 わかんない。ぜんぜん、よくわかんない。
 
 あの人がいなくなってからも、わたしはずっとテーブルに頬杖をついてカップを見ていた。鳥が二匹。どういう関係かとか考えてた。姉妹。私とお姉様みたいな。主とメイド。お姉様と咲夜みたいな。あと、わたしと魔理沙みたいな… それってなんていうんだろう。
 咲夜が部屋にケーキとお茶をもってきたとき、カップを見て、ちょっとため息をついた。「こんなところにあったなんて」とつぶやいた。
「どういう意味なの」
「洗っておいたものが、いつの間にか消えていて… 誰のせいなのかしらと思っていたのだけれど。申し訳ございません、フランお嬢様。今日のカップは代替でございますが、明日からはこちらに戻します」
 昨夜はそういって、わたしのカップを持っていこうとした。わたしは思わず言っていた。
「待って!」
 咲夜はびっくりしたように振り返った。しげしげとわたしを見た。
「どうなさいました?」
「え…っと」
「何か、このティーカップにご用がおありなのでしょうか」
 無い。わたしは、なんにも無い。
 でも、わたしは困りながら、もう一個のほうのカップを見た。それを持って帰ってしまったら小鳥は一匹。
 …それじゃこまる。残った小鳥が困る。
 咲夜はしばらくわたしを見ていたけれど、やがて、少し苦笑しながら、「かしこまりました」と言ってカップを戻した。
「では、こちらのカップは、こちらのマグのお友達でございますね。分かりました。枕元に会っては邪魔でございますし、どこぞより棚でも探して参りますわ」
「お友達? カップが?」
「ええ、僭越ながら私には、フラン様がそうお思いになっているように思えましたので」
 
 咲夜がいなくなったあと、ますますわたしは分からなかった。カップがふたつ、それが離れちゃいけないのは、お友達だから?
「…あぁ」
 考えていて、やっと、思い当たった。
「そうか、離れちゃったら、【さみしい】からって言いたかったの」
 なるほど、これが【さみしい】なんだ… やっと納得が行った。
 たとえば魔理沙がわたしに会いにきて、このカップのどっちかを「貸してくれ」といっても、わたしはたぶん渡さない。相手が魔理沙でも。たぶんそういうことなのなんだ。思うとなんだか可笑しくなった。
 くすくす笑いながら、羽根布団のなかを転がった。魔理沙と、あと、あの人がくるのが、なんだかすごく楽しみになる。
「はやくこないかな、魔理沙も、あの人も」
 そしたら、カップの取り合いでいっぱい遊べるもの。わたしもたぶん何倍も真面目に遊ぶから、いろいろたいへんなことになるかも。でも、それも楽しい。
「ああ、あとね」
 今度、紫の使いのあの人がきたら、今度こそ名前を聞かなくっちゃあね、とわたしは思った。そういうのってはじめてのような気がして、またおかしくて、わたしはひとりでずっとくすくす笑っていた。
 
 




紅魔館の小さな妹姫。
谷口の扱いは、たぶん、近所の郵便屋さんポジションかと。
 



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