ロボットは、夢なんて見ない。 けれど、【自分自身】を演算しないいつかの時間に、何かをみた記憶があるならば、それは、人間でいうところの【夢】なのだ。 そうしてその日にミクが見たのは、かなしい、さみしい、夢だった。 100年のときが過ぎて、もう誰もミクを覚えていない、ミクを歌わせてくれる人もいない。 いちばん好きな人ですら、いくさへと出かけていって、もう、帰らない。 鉄くずのようになったミクは、月の砂を踵下へと踏んで頭上を仰ぐ。そうすると、そこには一度は青いガラスのように美しかった星が、今はかさぶただらけのように白く乾いて、月のように空に浮かんでいるのだった。 交代制で見張りの任務。今日はロックマンと、それに、ストーム1。 二人で並んで夜の街を歩いていると、昼間の日差しに焼かれたアスファルトが熱い。マザーシップを撃墜しても、まだ、街には魑魅魍魎に妖怪のたぐいが徘徊する。使い慣れたアサルトライフルを肩に担いだストーム1の後ろをやや遅れるようにして、ロックマンは、油断無く左右に眼をくばりながら、街を歩いていた。 砕かれてとびちったビルの窓が、ふりそそぐ月光に銀色だ。給水管を壊して噴水をあげていた事故の痕は、今は、ひしゃげた車が一台と、ビーズのように千々に砕けた硝子の欠片。透明な水がアスファルトをひたひたと叩いている。どこかの海の、水辺のように。 「このあたりには、もう、妖怪はいないようじゃの」 ストーム1はつぶやき、アスファルトに膝を突いて、グローブの指でざらりと地面を撫でる。「どうしてです?」と思わず問いかけるロックマンに、「誰もおらんからの」と簡潔な返事が帰ってくる。 「血の臭いもせん、壊しがいのあるようなものもありゃあせん。今はやつらもマザーシップをやられて手勢不足に困っているじゃろうからの、わざわざこんなところまでは来るまいよ」 「……」 「ロック、お若い人が気にすることでありゃあせん」 側を通り過ぎながら、ストーム1の手が、ぽん、とロックの頭を軽く叩いた。 「やつらをワシらは退けた。そんな言い方をするなら、市街地に被害が出る前に叩いておくべきだった、とでも言うべきかもしれんがのう…… やつらが何をしたいか分からない以上、大本を叩くのもムリというものよ」 「後手後手に回っていますよね」 「正義の味方の宿命じゃ。しかたないわい。医者と戦争屋だけは、何があってもオマンマの食い上げにはなるまいよ」 そう言って、歴戦の老兵は、からからと笑う。それがロックマンを慰めるためのやさしい演技だと分かっていて、だからこそロックマンは、とうてい笑って答えるようなことなど出来なかった。 元々は、人間の家庭に入り、家族として愛され、そして、愛するためにつくられたレプリカント。ロックマンの"こころ"は、戦いというものに特化した今の身体には不釣合いなほど、やわらかく作られているように思える。 そのときだった。ふと、ガガ、ガ、と雑音が聞こえる。二人は顔を見合わせ、すぐに、お互いの武器を構えた。ストーム1はとっさに拳銃を抜き、スライドの動く金属音が聞こえた。ロックは片腕をバスターに変形させる。 目配せ。この反応は、通信電波を傍受するように設定されている。誰が、誰に対して通信を試みているのか。ショウウインドウが砕け散った玩具屋の店頭からそれは聞こえた。二人はお互いにタイミングを計り、死角になる壁へと、ぴたりと身を寄せる。 ラジオが鳴っている――― 子供向けの玩具、カラフルなプラスチックで作られた子供用のラジオ。だが、そこから流れ出す音をきいたとき、ロックマンは思わず、声を上げそうになってしまった。 "あれはとても暑かった夏の終わり" "青い、青かった空の下で" "そこでわたしは 歌い続けていた" "街にうたごえ響いた" 「―――ミクさんっ?」 ロックマンが声を上げると同時に、ふいに、怯えたように引きつった音と共に、ぶちん、とラジオから流れる音が止まった。 眼を見開いたまま、とっさに動けなかったロックマンよりも先に、ストーム1が、少女用のドールハウスや、ミニチュアカーを踏みしだきながら、ショウウインドウの中へと踏み込む。注意深く銃を向けた先で、けれど、ラジオがそれ以上の反応を見せる様子は無かった。 当たり前だ。それはただの、おもちゃのラジオだったのだから。 一度も子どもの手に渡ることなく、争いと共に見捨てられていった、ありふれたガラクタの一つに過ぎなかったのだから。 ロックマンだけが彼女の居場所が分かった、その理由はひどく簡単なものだった。 なぜなら、ロックマンもまた、ロボットだから。 目に見えない電波を辿り、彼女の存在が発信し続けている認識コードが足跡のようにあちこちに残るのを追えば、彼女を、初音ミクを見つけるのは、そんなにも難しいことではない。 キィ、と音を立てて、ビルの屋上のドアを開く。目の前には折れた避雷針がつきささっていて、その向こうに月が出ていた。おどろくほどに大きな月。卵色の月。 ミクは、おそらくはロックマンの存在にも気付かないで、夕顔の花のようなパラボラアンテナの下に座り、しずかに眼を閉じて、小さな声で歌を口ずさんでいた。いや、その表現は正しいのか。 ミクは、音という意味で"歌って"はいない。 ミクは、音ではないモノで、"歌って"いるのだ。 声をかけようかと思って、けれど、ロックマンはとっさに、その背中へと手を伸ばせなかった。 月光を受けた髪が、透き通るようなネオンブルーをして、風に吹かれて揺れていた。ヘッドセットから伸ばしたコードがアンテナにつながれて、ミクは小さな膝をそろえ、ぽつんと座り込んでいる。寄る辺のない少女の後姿。 "あれからどれだけたったのかしら あなたの姿が見えない" "わたしはまだまだ歌いたいのに あなたがいないの" "あなたの好きだったあの歌 わたしまだ歌いたいのに" 「……ミクさん」 "もっとたくさん歌をおしえて もっとうたわせて" "わたし 歌いたいの" ロックマンは、呼びかけようとして、けれど、黙った。 無心に歌を口ずさむミクの後ろへとゆっくりと歩み寄って、肩に手を置いてやった。ミクが眼を上げた。透き通るようなひとみは、人間には在り得ざるパライバ・ブルーだった。 "わたしまだまだ歌いたいのに" "あなたがいないの" チチ、と小さく音がして、ロックマンは、ミクの哀しみを己に読み込んだ。それは言葉ではない言葉、人には理解し得ないプログラムの想い。 ミクの口ずさむその曲。どこかにいる、誰か、ミクのことを愛してくれている"マスター"のひとり。彼が作ってくれたミクのための歌。 100年のときが過ぎても、100年も昔に死んでしまった人の歌を歌っているミク。ひとりぼっちになってしまったミクの歌う歌。 ミクはかるく唇に微笑みを浮かべて、けれど、ロックマンを見上げる目から、ぽろりとひとつぶ涙がこぼれた。ロックマンにはどうしてやればいいのか分からなかった。 思い出したことがある。お茶でも飲みながら何かのときに話した、たわいもないおしゃべり。そのなかでロックマンは確か答えたのだ。魔理沙かアリスの問いかけ、「お前っていくつまで生きるの」という台詞。 たしか、自分はこう答えたはずだ。 たぶん、僕はずっと生きてると思いますよ、と。 「僕の設計図は分散して保存されてますし、メモリーさえきちんとデバックしておけば、何回でも元に戻れるんじゃないかな。強いていえば、僕のことを誰もおぼえていなくなったら、死んじゃうのかもしれないですけど」 「へえ、便利なもんだな。じゃあお前、何回針の床の上におっこちても安心なんだ」 「安心って言わないで下さいよ! あれ、痛いんですから」 あのとき、ミクはどんな顔をしていたっけ。どんな答えをして、どんな風に笑って、どんな風に黙り込んだっけ。 "あれからどれだけたったのかしら あなたの姿が見えない" "あたしはまだまだ歌いたいのに あなたがいないの" ミクは、とっくに、ロックマンのことに気付いていたらしかった。 振り返って、なんだか、すごく泣き虫な風に笑った。けれど、ミクは喋らない。おそらくは人間らしく振舞うためのリソースを、歌を電波に変え、どこかへと発進するために振り分けてしまっているから。 壜に入れた手紙を海に放るのに似ている、とロックマンは思った。あるいは風船に手紙をつけて、空に向かって飛ばすことに。 やりきれない気持ちが、無線の電波ごしに伝わってくる。寝覚めのよくない日の怖い夢。ひとりぼっちの朝の夢。 もう100年も過ぎたどこかで、ミクは、まだ歌っている。 けれど、もう、人間はいない…… 歌を聴いて喜んでくれる人がいなくなって、笑ってくれる人も、泣いてくれる人も一人もいなくって、それでもミクは歌い続けている。 ミクにはそれしかないから。 歌を歌う以外には、なにも、できないのがミクだから。 "もっとたくさん歌をおしえて もっと歌わせて" "わたし 歌いたいよ" 百年が過ぎたとき、僕たちはどうなっているだろう、とロックマンは思った。 戦いは、消えない。ストーム1が言っていたように、戦いというものは人間、そして人間から産まれたものたちが存在する限り、決してなくならないだろう。 けれど、歌は残るのだろうか。無邪気な初音の歌声を願う人々と、彼らの歌を歌うボーカロイドたちの幸福は、100年が過ぎても残り続けているのだろうか? 胸が痛い。ロックマンは、後ろから、ミクの華奢で白い肩を、ぎゅっと抱いた。 「ミクさん、安心して。どれだけたっても、僕はいなくならないよ」 なぜなら、彼もまた、ロボットだから――― 「ミクさんの歌、僕は、ずうっと聞いてたいよ。ロボットだから歌を作ってあげることはできないけど、ミクさんの歌を、ずっと、ずっと好きでいることはできるよ」 でも、ほんとうにそうなのだろうか? これからもっと恐ろしい戦いがあったとき、僕は、ミクさんの歌を好きでいられる心を、ずっと持っていることができるんだろうか? でも、ミクさんの歌を聴いて幸せになれなくなったら、僕はもう、《僕》じゃない。 「ミクさん」 ぎゅっ、と抱きしめられて、ミクはちょっと笑った。泣きそうに笑った。そうしてそんなミクの後ろでは、まだ、誰が聞いてくれるかも分からない歌が、夏の夜空へと放映され続けている。ブロードキャスト。目にはみえない電波の向こうに、夏の空にくっきりと白く、天の川が輝いている。 深夜のブロードキャスト。誰もいなくなった街。ひとりで、己の歌を歌い続けるボーカロイド。 歌って、眼を上げる。ミクはむりやりみたいにくしゃりと笑った。手まねで、もうすぐ喋れるようなモードに切り替えるから、という。 「ううん、大丈夫。今のままでいいよ」 ロックマンは、ミクのことを強く、強く抱きしめた。 「僕、ミクさんの歌って、大好きだ」 ミクは、泣きそうに笑った。それから自分も手を伸ばし、ロックマンの背中をぎゅっと抱く。 街の灯りが消え、星があかるい。棄てられたビルの屋上で、二人のロボットの影は、しばらく、一つになったままだった。 "もっとたくさん歌をおしえて もっと歌わせて" "わたし 歌いたいよ" 《 【もっと歌わせて2107】(sm1292763) ワンカップP 》 ←back |