【さよならを教えて】
《2》




 夜中も遅いが、事情が事情だ。谷口には害意はないときっぱり言い切るなのはに、周りの人間も危ない相手と強弁することも出来ない。最終的に二人、さらに心配してついてきたフェイトの三人をまとめて通してくれたのは、管理局所属の資料部、いわゆる、『無限書庫』の一室であった。
「なんとまあ、こりゃあ」
 谷口は、底の見えない円筒形の書庫を覗き込み、感心したような声を上げる。うっかり柵を乗り越えておっこちそうで、フェイトのほうは気が気でなかった。
「パチュリーあたりをつれてきたら、10年単位で帰ってこねーな、こりゃあ」
「それ、だあれ?」
「幻想郷での知り合いだよ。まあ、なんつーか、本の虫。可愛いんだけどなー、本にしか興味がないっつうか……」
 ガリガリと頭を掻いて、それから、司書のひとりが準備してくれたコーヒーの置かれたテーブル、その前に戻る。フェイトはいささか以上の困惑を含めて、彼の姿をちらちらとうかがう。
 幻想郷の谷口、と彼は名乗った。八雲紫の弟子とも。だが、どちらも聞いた事のない名前だった。管理外世界なのは間違いない。だが、谷口の姿を見ていても、見た目から彼が何者なのかという情報をまったく得られない。
 前で合わせるガウン風の服装。ゲートルを巻き、繊維を編んだ履物をくくりつけている。さまざまな種類の鉱物のビーズを連ねたアミュレット。そして、今は背中に下ろしている、さまざまな色の布をかざりつけた派手な傘。
 やや伸びかけた髪を襟足でくくっているほかは、対して目立つところもない若い男だ。魔力らしきものも感じられない。この姿だけを見れば、どこぞの辺境世界で祭りに参加する役者か、とでも疑っただろう。だが、彼は実際に、管理局でも最も厳重な警備をたやすく潜り抜けるという離れ業を演じて見せた。常人どころか、そうとうな能力を持った魔導士であっても、誰でもできるということではない。
「谷口お兄ちゃん、なんだか、雰囲気が変わったね?」
 なのはが、フェイトがあまり聞いた事のないような、どことなくはしゃいだ口調で言う。「あーコレ」と谷口は苦笑しながら背中の傘をつついた。
「幻想郷の連中は、なんつうか、みんなこういうモン被ってるんでね。俺も例外じゃないってこった。師匠から編んでもらった式とかも入れ込んでるから、着替えるわけにもいかねえんだよ」
 ちょっと恥かしいけどな、と谷口は言った。なのはがちょっと笑った。
「中身のほうは、あんまり変わってないみたい。安心したな」
「なのはちゃんは、ずいぶん美人になっててビビったよ。長いんだなー、10年って……」
 すっかり旧知同士の会話になりかかる二人に、「あの」とフェイトは思い切って割り込む。このままでは、さっぱり話が進まなさそうだったからだ。
「谷口…… さん。あなたは、なのはのどういった知り合いなのですか? そして、どうしてこの時空管理局へといらっしゃったのです?」
「あ、ああ、そうだった。うっかり昔話に熱中しちまうところだったぜ」
 谷口はガリガリと頭を掻き、そして、少しばかり表情を引き締める。なのはがわずかに不安げな顔になる。
「えっと、フェイト…… フェイトさん。あのさ、10年ばかり前のことなんだけど、なのはちゃんが一時、行方不明になってたってこと知ってるか? この世界じゃなんて呼ばれてるんだか知らないけど、『魔王』って呼ばれるヤツがいろいろとデカいことやらかしたっていう事件」
「この世界では、あまり影響はありませんでした。なのはが一時行方知れずになっていたという程度しか」
「あのね、フェイトちゃ……」
「そうか。じゃ、そっちはハブくわ」
 なのはが何かを言いかけたのを、谷口が、マイペースな口調で割り込む。
「とにかくそこで知り合った仲なんだ。当時、俺が16歳で、なのはちゃんは9歳。まあ、そのとき知り合った連中のなかだとなのはちゃんが一番ちっちゃかったし、一番ちゃらんぽらんでヒマだったのが俺だったんで、子守みたいな感じで仲良くしてたってわけよ」
「……ひどいよ、お兄ちゃん。面倒見てたのは私のほうだよ」
「あーそうだっけー? 憶えてねーや」
 ははは、と笑う谷口に、なのはが、ちょっとほっとしたような顔をしたのをフェイトは見ていた。今日は驚くようなことばっかり、と思いながら、コーヒーをひとくち啜り、気持ちを落ち着かせる。
「で、まあ、俺はその時の縁で『幻想郷』ってところに移り住んで、とある人の弟子やってたんだ。その人が『紫』。通称だと『八雲の紫』って呼ばれることもある」
「魔導士……ですか」
「魔導士ランクで言うんだったら、たぶん、オーバーSにランクをしても、間に合わないよ。なんていうか、わたしたちの常識とは、まったく違った世界の人だよ」
 なのはが、真剣な表情で言った。
「フェイトちゃんにはどう説明したらいいんだか分からないんだけど、あのとき、わたしが知り合った人たちは、魔法とかとはぜんぜん違う力を持っている人が少なくなかった。ロストギアの時代がそのまま発展したような形での『科学』の世界の住人もいたし、ほかにも、まったくどう説明したらいいのか分からない人たちもいた。そして、紫さんはそのなかの1人だったんだよ」
「それって……」
「師匠は、『妖怪』なんだよ」
 谷口が、短く、言った。
「すべてのモノの『境界』を操る力を持った『妖怪』。俺にも正確なとこは把握しきれてないけど、そういう存在なんだ」
「わかるような、わからないような……」
 そうとしか、答えられない。フェイトは自分の頭の固さを心底うらめしく思う。困惑顔をしているフェイトをみていた谷口が、ふいに、ニッ、と笑った。
「実例見たほうが、分かりやすいだろ?」
 立ち上がる。腰につけたいらたか数珠が、じゃら、と音を立てた。
「俺はまあ、まだまだ未熟な弟子なんで、師匠みたいにでっかいことはできないんだけどな。でも、『境界』を操る、ってことについてはバンバン修行させられてたんでね」
「『境界』を、ですか」
「どんな『境界』であっても超えられる、それが俺の素質らしいんだよ。まぁ、まだまだ出来ることは少ないんだけどな―――」
 谷口はたちあがり、柵から身体を伸ばして、「よっ」と本棚のなかから一冊を抜き取る。開いてみるとどうやらそれは、管理外世界のどこかの水棲生物についてをあつかった本だった。ぱらぱらとめくっていくと、カマスに似たおおきな魚の書かれたページがあらわれる。谷口は片手で本をひろげ、そして、もう片手の袖を肘までまくった。
「世の中には、無数の『境界』がある。たとえば、うん、平面…… 二次元と、それから立体、三次元の境界なんかが分かりやすい」
 そして、それを超えるということは。
「……つまり、こういうことだ」
 テーブルマジックを見せようとするマジシャンのように、谷口は、ニッと笑うと、指を鳴らした。パチン、という高い音が、意外なほどのクリアさで、響き渡った―――
 とたん、重い音がして、何かが床に落ちた。
「!?」
「うお、ちょっと大物すぎたか?」
 やや間の抜けた声を漏らす谷口とは違って、フェイトは、声も出せなかった。一匹の大きな魚が、激しく身体をばたつかせながら、乾いた床に跳ねていた。
 潮の濃い臭いが立ち上がり、薄暗い灯りに銀の鱗がきらめく。薄いひれにも、力強く躍動する体にも、側から見てもありありと分かるほどの実在感がある。生きたサカナ――― まぎれもなく、命を持った実在。
 なのはが、感嘆の声を漏らした。
「すごいね、お兄ちゃん。こんなことまでできるようになったんだ」
「いや、コレが良し悪しでさ、もう便利に使われるのなんのって、真冬なのにスイカが食いてーとか言うヤツが季節の境界超えてスイカ取ってこいとか言うし…… うおっ!?」
 サカナを回収しようとした谷口が、ひれでもろに顔をビンタされる。のけぞる谷口になのはがくすくすと笑い、暴れるカマスをなんとかするために立ち上がる。フェイトはようやく落ち着きを取り戻し、二人がカマスをつかまえてしばろうとしているところを、そして、開いたままの本のページから『カマスの絵』が抜け落ち、空白だけがそこに残されているのを見る。
 魚を一匹呼び出す程度、と考えれば、ごく初歩的な召喚術だ。だが、彼はいっさい、『魔法』を用いなかった……
 まったく異質な力。未知の能力。
 なるほど、彼は、ほんとうに『異邦人』なのだ――― そんな思いをしっかりと確かめて、フェイトは自分をおちつかせるべく、再びコーヒーを口にした。味はほとんど分からなかった。



「でも、谷口お兄ちゃん。どうして『ここ』に来たのかの理由、まだ聞かせてもらっていないよ?」
 なんとかしてカマスをもとどおりに本のページに押し込むと、ようやく落ち着きを取り戻し、なのはが本題を切り出した。
「わたしに会いに来たってことは、何かの当てがあったってことだよね…… いったい何があったの」
「ン……」
 谷口の表情に、わずかに影が差した。
「なのはちゃんに手間かけさすのも悪いんだけどさ。この『カンリキョク』って場所は、いろんな異世界への往来が多い場所だって聞いたんだけど」
「そうだね。少なくとも、把握できている範囲の世界同士の間で、争いが起こったりしないように監視したり、あとはいろんな仲介をしたり。そういうところだよ」
「……どこかで、師匠を見たって話、聞いてないか?」
 思わず、なのはとフェイトは、顔を見合わせた。
 谷口はふところから写真を取り出す。そこに写っていたのは谷口と、そして、ちいさな少女がひとりと、女性がふたり。少女と、落ち着いた顔をした女性のほうは、獣のような耳と、そして尾を持っている。亜人類だろうと見当はすぐに付く。問題は最後の1人だ。
 亜麻色の髪をリボンで結び、代わったデザインの被り物を被っていた。淡い紫色のワンピース、フリルとレースで飾られた日傘。落ち着いた顔立ちの美女だった。ラベンダー色のひとみが、無関心さと好奇心の双方を含めて、カメラのほうを見つめていた。
 なのははため息をつく。
「紫さん、ぜんぜん変わってないの」
「師匠にとってすりゃ、10年なんて一週間やそこらと大差ないからな」
「彼女が、『境界』を操る力を持った…… その」
 その言葉が、馴染まない。口ごもるフェイトに、谷口はニッと笑う。
「うん。『スキマ妖怪』の八雲紫。俺の師匠だ」
 なんだか妙に馴染みがいいというのか、自分をこんな風に扱う男性が珍しくて、フェイトはいちいち困惑するしかない。頷くだけの彼女を見ている谷口はなんだか楽しそうだった。こんな状況でもなければ、冗談のひとつふたつは飛ばしているだろう、という感じだ。
「紫さんはね、もう何千年も生きてるっていうすごい妖怪だったの。いろいろな世界のあいだを行き来したりできてね、それで、すごく長生きをしてるおかげか、とっても落ち着いた感じの人で、わたしもすごく頼りにしていたんだよ」
「……ン。そういう感じかな。ぐうたらで、怠け者で、自分のやりたいことしかやらない人だけど、すごい実力持ってるってのは事実だった」
 谷口は写真をじっと見つめる。
「そっか、なのはちゃんたちでも、知らないのか」
「探してみないと分からないよ。きちんと依頼をして管理局のデータベースを当たれば、どこかで情報が手に入るかもしれない。でも……」
 なのはは、首をかしげた。
「どうして、紫さんを探しているの? 何かあったの?」
 谷口はポリポリと頬を掻いた。困ったような笑顔だった。
「ンー、まあ、なんていうか、家出かなー」
「家出…… ですか」
 困惑気味に答えるフェイトに、「ん」と谷口は頷く。
「一年位前からさ、幻想郷を出てったっきりで帰らないんだよ。まあ、師匠はネコみてーな人だから、戻りたくなるまで何言っても帰らないとは思うけどさ」
 でも、いちお弟子としての義務ですから、とおどけた口調で言う。
「藍さんも橙も心配してるーって伝えとかないといけないと思ってさ。そんで、ココまで来たってわけ。迷惑かけてごめんなーなのはちゃん」
 フェイトは、なのはを見た。
 なのはは笑顔で、「いいよ、谷口お兄ちゃんのお願いだもん」と答える。
「わたしも仕事があるからあんまり協力はできないけど、データベースとかが使えないかどうか、はやてちゃんとかにも相談してみるね」
「はやてちゃんって誰だ? なのはちゃんの知り合い?」
「お友達だよ。えっと、今は上司さんかな」
「美人?」
「……もう。谷口お兄ちゃん、そんなとこぐらい、変わってくれてもよかったのに」
 なのはが、苦笑しながらコツンと谷口の頭を小突く。「ごめん、ごめん」と谷口がまったく誠意なく謝っている。
 ―――何かを黙っている、気がした。
 だが、ためらいながら口を開こうとしたとき、ふいに、ぽふんと、頭に何かが触れた。
「っ!?」
「ってまあ、そーゆーことでしばらく世話ンなるんでよろしくな、フェイトちゃん」
「ふぇ、フェイトちゃ……」
 思わず頭が真っ白になりかける。なのはが口を尖らせて谷口を肘でつつく。
「そういう扱いはダメだよ! フェイトちゃんはわたしと違うんだから!!」
「そっかー? いや、なんつうか幻想郷にはまともな人間の女の子がいないからさー、なのはちゃんと同い年だと思うと……」
「もうわたし19歳なんだよ! 大人の女の人なんだから!」
 めっ、と指をたてるなのは。苦笑しながら頭をガリガリと掻いている谷口。フェイトは、困惑しながら自分の頭を押さえてみる。まるきり子ども扱いで頭を撫でられる感触がまるで知らないものに思えて、フェイトは、なおさらに困惑した。




そりゃまわりが妖怪や人外の幻想郷の女子ばかりの環境だったら、フェイトさんですら「ふつうの女の子」に思えるだろうと想像…





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