【さみしいから、何か食べよう】




 お昼のご飯は、いつでも、お砂糖たっぷりの玉子焼き。
「そろそろお昼かしら? ここはいつまでもマックラケで時間がわかんなくって困るのかしら!」
 ぷりぷりと怒りながらそこいらを歩いている人形がひとり。ベビードール風の可愛らしい衣装の端をちょっと避けて、足元によどんでいた沼地のようなものを避けた。はあ、とため息をひとつ。傘をずらして空を見る。
「もー、ゆーちゃんったら遅いのかしらー。カナ、先に玉子焼き食べちゃうかもしれないのかしら」
 とはいえ、今の彼女にとっては【ゆーちゃん】のいる時間でなければ、ご飯を食べる意味がない。存外に人に優しい性格の彼女は、口では文句をいいつつも、楽しげに踊るような足取りで、暗い暗い道を歩いていく。跳びこえた水たまりの水面に虹色の環が揺れた。
「おっひるは美味しい玉子焼き♪ ばんごはんは美味しいハンバーグ♪ でもカナのほうがもーっと可愛いのかしら♪ かしら♪」
 いい加減な歌を口ずさみながら歩いていた金糸雀は、大きな傘をくるりと回し、何故だか何の脈絡もなく突っ立っていた電柱の横をくるりと避けた。そうして顔を上げて、ふと、気付く。路の向こうに誰かいる。
 可愛らしい赤いドレスを着ていた。頭にボンネット風の被り物を被っていた。透き通るような金髪と、奇妙な細工物のような翅。金糸雀は首をかしげた。
「だーれ? ここで何をしているのかしらー?」
 侵入者だったら、敵だ。どう見てもか細い体つきの少女にしか見えない相手だが、しかし、と金糸雀はすぐに頭を切り替える。自分だって見た目は壊れ物のアンティークドールだ。舐めてはいけない。
 ふらりと顔を上げた少女は、どこか、途方にくれたような顔をして金糸雀を見た。苺味の飴のような、赤い眼をしていた。
「あなた誰」
 声も高くて細い。子どもじみた声だ。生意気というよりも単に世間知らずな調子に、金糸雀はため息をついた。
「先に自分が名乗るのが礼儀かしら。でも… 子どもにそんなこと言っても無駄かしら」
「子どもじゃないわ。私、フランドール。吸血鬼だから年をとらないだけだもん」
「カナだって人形だから年をとらないだけで、もう立派な大人かしら!」
 名乗ってから金糸雀は、まずい、と思った。
「カナ? 変わった名前ね。神奈子とかそういう名前なの」
「そ、そうかしら〜」
 三将の一角である智将にとって、最大にして最強の知略。それは智将が一人ではなく二人いる、という事実である。……単にずるいとか言ってはいけない。それはとても重要なヒミツなのだ。内心で焦る金糸雀に、けれど、フランドールと名乗った少女はちっとも気付いていないようだった。途方にくれたような、投げ出すような口調で、「おなかすいた」とつぶやく。
「おなかが空いたわ」
「? あなた、お昼食べてないのかしら?」
「食べてない。お昼も、夜も、何も食べてない」
 少し、気の毒になった。金糸雀は軽く眉を寄せる。
 見ればずいぶんやせている。髪も膚も透き通るような様子をして、握り締めたらぱりりと割れて壊れてしまいそうだ。金糸雀は自分の姉妹たちの姿を思い出した。可憐といえば聞こえはいいが、ずいぶん不健康な様子をしている。
「もしも貴女がお願いするんだったら……」
 金糸雀は、ためらいながら、自分の持っているお弁当の中身を思い出してみる。
「玉子焼き、一個だけならあげてもいいのかしら」
「玉子焼き……」
「そう。お砂糖たっぷりの、あまくてフワフワでいい匂いの、とってもおいしい玉子焼きなのかしら!」
 中にはみっちゃんの愛がたっぷり詰まっている、美味しい美味しい玉子焼きだ。彼女が頭を下げたら、譲ってやるつもりだった。下げないわけがないと思っていたし、食べさせれば美味しいというに違いないとも思っていた。だがそんなシンプルな善意をしってかしらずか、フランドールは、しばらく黙って返事をしなかった。
「…なんなの? どうしたのかしら。返事しないと玉子焼きあげないのかし……」
 金糸雀がいいかけた、そのときだった。
 ふいに、フランドールがぱっと顔を上げ、背中の華奢な翅が開いた。金糸雀は驚いた。だが、フランドールは蜻蛉のように身軽に羽ばたくと、そのままくるりと身体を入れ替え、闇の空へと舞い上がる。音も立てず、フランの背後にあった電柱が、真っ二つにされ、倒れた。
「な」
「カナリア。こちらへ来い」
 背後から低い声がする。金糸雀が振り返るよりも前に、首の後ろが掴まれた。「ひゃっ」と声を上げて猫のように手足を縮める。なんだか美味しそうなイイ匂いがした。振り返るとそこにいるのはAOCである。
「AOC!? どうしたのかし」
「そこの娘は気が触れている。不用意に近づくと危ない」
 低い声で言われる。金糸雀は驚き、フランドールを見上げた。
 人形のような顔立ちを悔しげにゆがめ、フランドールは七色の翅をうちふった。かげろうのような頼りない動きだった。
「いらない、ぜんぜんいらない! そんなんじゃおなか一杯にならないもん!」
 癇癪を起こしたように怒鳴る。きらきらと光が散った。
「あなた、人形でしょ。あなたの玉子焼きだって食べられないわ! わたしはおなかが空いてるのに!」
「―――帰れ」
「言われなくても帰るもん!」
 いーだ、と舌を出して見せると、そのままフランははたはたと翅を打ち振り、闇の彼方へと舞い去っていく。金糸雀は、呆然とその姿を見送った。
「な、なんなのかしら、あのコ」
「フランドールはテラカオス殿の端末だ。だが、最近はいささか落ち着かないようで危ないとユダ殿が言っていた」
「え、ゆーちゃんが?」
「そうだ」
 ユダだからゆーちゃん。安直極まりないネーミングだった。だが、その男の名前をきかされて、金糸雀はとたんに機嫌を直す。
「ねね、AOC、ゆーちゃんどこにいるか知らないのかしら?」
「……俺はユダ殿に言われてカナリアを探しにきたのだが」
「あら、そうだったのかしら?」
 なんとなく、迷子になっているのは自分のほうのような気がしていた。だがバレたくなくて空っとぼけてみせる。AOCは何も言わなかった。無口な…… そして口を開くと妙なことを言うことのほうが多い…… 男ではあったが、悪い人間ではないのだ。金糸雀にとっては少なくともそうだった。
「それじゃ帰るのかしら。ゆーちゃんがおなかを空かせてると可哀想だから、さっさと帰ってあげないと」
 ちっぽけな金糸雀の言葉に、無表情なAOCも少しばかり表情を緩めたようだった。そしてふと、闇の空を見上げる。その向こうにわだかまる闇。

 はたはたと翅を打ち振って飛ぶ、七色の翅のかげろうが、たまさか見えたような気がした。無論それはただの錯覚に過ぎなかったのだが。




************


 おなかが空いた…… おなかが空いたの。
 食べても食べてもおなかが空くの。どうしてもいっぱいにならないの。

 闇のわだかまる空間を飛び越えてきたフランは、ふくれっつらをしたまま、目に付いたベンチのほうへとひらひらと舞い降りた。あたりを歩き回って誰か美味しそうな人を見つけようと思ったのに当てが外れた。見つかったのは人形、それとレモン臭い男一人ではどうしようもないじゃないか。
 木が一本生えた丘が、浮島のようにカオスの上に浮かんでいた。だが梢には一枚の葉も付いていない。おそらく枯れ落ちてしまったのだろう。ふわり舞い降り、華奢な翅をたたむ。フランは痩せたひざを抱えてうずくまった。
「……ばか。ばか、ばか。なんでみんな食べられないの」
 花びらのような、ガラス細工のような、華奢な翅が縮こまり、フランの小さな身体をつつんだ。当惑していた。どうしていいのか分からないのだ。
 分かることは一つだけ。【おなかが空いた】ということだけ。
 ところが空腹の充たし方が分からない。フランは籠の鳥だった。エサを与えられ丁寧に世話をされてきた鳥は、籠を出されると、自分で餌をとれずに落鳥してしまう。
 いや、違う。
 本当は違うのだ。フランもそれに気付きかけていた。けれど。
 かさり、と足音がした。フランはのろのろと顔を上げた。一人の少女が丘を登ってくる。茶色いパンプスの下で枯れ葉が崩れる。
「……閣下ちゃん」
「また外を出歩いていたの」
 春閣下だ。見知った顔。
 フランは再びうずくまる。彼女はとなりに腰を下ろす。フランは自分の膝に顔をうめたまま、細い声でつぶやいた。
「おなかが空いた」
「そう」
 彼女は、何も言わない。何かを食べさせようとも、あるいはそれ以外のことも。
 フランは少しだけ眼を上げた。こっそりと隣を見る。春閣下は黙ってそこにいるだけだった。彼女もまた、無口な人間だった。幻想郷だとたまに見かけるようなタイプの人間ではあった。
 長い寿命に飽きて怠惰になり、大きな力を乱用しないために何もしなくなる類の人間。【人間】とは正確には言わないのか。そういうイキモノだ。
「何か食べるものくれるとか、言わないの」
「言わないわ」
「……閣下ちゃんは優しくないね」
「だって言っても無駄だもの」
 手を伸ばして、フランの翅に触れる。ぴくん、とか細い骨格がふるえた。春閣下の手は透き通る翅をなぞり、そのままにフランの透き通るような髪を撫でる。
「何を食べてもおなかが空くんでしょう。だったら仕方が無いじゃない」
「……」
 ここは広い。ここはとても暗い。ここはとても夜で、ここはとても自由だ。
 495年間、時間だけを数えながら地下のベットにうずくまっていたフランが、今は自由を得て、好きなだけ飛びまわることが出来る。何を壊してもいいし、何をしたってしかられない。
 なのに、気付いたらこんな有様になっている。
 おなかが空いて、仕方が無いのだ。
「人間の血がほしい?」
「……いらない。欲しくない」
「血だけじゃ足りないかしら」
「足りない」
「何がほしいの?」
 フランはいやいやをするように首を振り、ぎゅっと自分の膝へとうずくまった。細い声でつぶやいた。
「咲夜のケーキが食べたい。お姉様と紅茶が飲みたい」
 そうしないと、絶対に、おなかがいっぱいにならない―――
 春閣下はしばらく黙っていた。やがてぽつりと、「可哀想にね」とつぶやく。
「あなたは本当に、気が触れているのね。可哀想に」
 他の人間なら、違う言い方をする。けれどその言い方がフランには分からない。
 おなかが空いた、おなかが空いた、といいながら、フランはまったく違うことを訴えている。
「そういうときはね、」
 春閣下は、そっとフランの髪を撫でた。
「【寂しい、寂しい】って言うものよ」



 ……おなかが、空いたよ。



「もうちょっとだけ我慢なさいな。すぐに全部気にならなくなるから」
「どういう意味?」
「あなたのことをおなか一杯にしてくれる人たちが、もうすぐここにくるから」
 春閣下はポケットに手を入れて、そこにあった小さな紙包みを取り出す。中から出したのはクッキーだった。変に黒っぽい色をしていた。
「それまで、これでも食べて我慢してなさい。渚が焼いたものだから」
「誰、それ」
「誰でもいいでしょ」
 フランはおとなしく受け取って、クッキーをちびちびとかじる。春閣下は少し笑ってフランの髪をもう一度だけ撫でた。
「さあ、帰りましょう。王子にお好み焼きでも焼かせるか、レナのおはぎを食べるか、渚に八宝菜でも作らせるかすればいいわ。それに私だってケーキくらい焼けるもの」
「だって、みんなの作ったご飯って、美味しいけどおなか一杯にならないんだもの」
「諦めなさい。みんなそうなのよ」
 人間は、”アイ”を食べなければ、生きていくことができない。
「さあ、帰りましょう。それから待ちましょう。お迎えが来るまで」
 春閣下が立ち上がると、フランも大人しく従った。春閣下が彼女の手を引く。小さな手はひんやりと冷たかった。
「もうじき、あなたにとって本当の”ご飯”になる人たちが、ここまで来るわ……」
「ほんとに?」
「ええ、ほんとに」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとに」
 フランの手を引きながら、春閣下もまたふと思う。自分もどこかに帰りたい。けれど、帰る場所が思い出せない。この闇の中に飲まれてしまったゆえに。
 フランの手の小ささに、誰かのことを思い出した気がした。一瞬だった。
「ねえ、ねえ、閣下ちゃん。クッキー、もうないの」
「ないわ。歌でもうたって紛らわせなさい」
「はぁーい……」
 細くきれいな声で、フランは古い古い歌を歌いはじめる。春閣下はその手を引いてゆっくりと丘を下る。やがて少女たちの姿は闇に紛れ、あとは暗やみだけがそこに残った。





U.N.オーエンが彼女だったとしたら?>sm1668908
アイドルマスター 天海春香 レクイエム>sm1705739




フランちゃんも春閣下も俺の嫁。
…ごめんなさい嘘です命だ(ry





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