【暴歌ロイド危機一髪】


 

 ぴんぽーん、と外から音が聞こえて、「はいはーい」とこなたがぱたぱたと外に出て行く。なんとなくそれを聞き流していたハルヒだったが、急に、ここがどこだったのかを思い出してぎょっとした。
「ちょ…… 何今の!?」
「何って、密林に頼んでたソフトが届いたんだよ〜」
 片手にハンコ、片手にハコ。戻ってきて過剰包装気味のビニールをバリバリとはがしているこなたを見ながら、ハルヒは思わず、外へと飛び出す。外、すなわち空中。轟々と風を切って飛ぶタイガー・モス号。広がる青空、青い海。
「どこから届いたの、それ!」
「だから密林。アマゾン。あれ、涼宮さんは使わないの〜?」
「なんで飛行船に通販の荷物が届くのよ! おかしいじゃないの!!」
「まぁまぁ、細かいことは気にせずに」
「あ、そのパッケージ、懐かしい……」
「やっぱりミクは反応したねえ。ふふふ」
 なんだか何を言っても無駄な気がする… ハルヒはそっとドアを閉めて、とりあえず、何も見なかったことにした。日常が懐かしい、と自分自身のアイデンティティを否定するようなことすら考えながら戻ってくると、ならんでテーブルに座ったこなたとミクが、ハコの中身を開けるところだった。
「じゃーん!」
 そこから、出てきたものは。
「何よコレ。…音声合成ソフト?」
「うん。いわゆるDTMってヤツだね」
「私の親戚ですよね?」
 DTM、すなわち、デスクトップミュージック。家庭用のパソコンなどで音声の合成を行うためのソフトである。初音ミクもまた、YAMAHAで開発され、クリプトン社から開発された立派なDTMの一種だ。それはともかく。
「いやあ〜、前からずっと気になってはいたんだけどね! 見てるだけでじゅーぶんって感じで、自分で手を出す気にはなれなかったんだよ。でも、ミクを見てたら、やっぱり私もDTMやりたいなって」
「何が出来るの、それ」
「うんと、なんだろうね〜? でも、やりたいことは決まってるからねっ」
 さっそく、分厚いマニュアルを真剣な顔でめくりはじめるこなた。何をやっているのかさっぱりわからないハルヒ。どうしようもなく納得の行かない顔でドアを見て、それから、ミクを見る。無邪気なミクは「なんですか?」と小首をかしげる。
「あんた、ただのソフトウェアだったの?」
「え、はい。おそらく」
「……DTM?」
 はい、とミクはにっこりと微笑んだ。
「人間の声を元に、歌を合成することが出来るのがわたしの特徴なんです。でも、ほんとは歌以外はちょっと苦手で…… 喋り方がおかしいと思うんですけど、そのせいなんです」
「ちょっと訛ってると思ったら、そういうことだったの」
「はい!」
 こなたは、眉のあいだにシワを寄せながら、「でも、ボーカロイドって、別にミクだけじゃないし」という。
「ええ。わたしの兄弟や、いとこたちはいっぱいいます。KAITOお兄さんとか、MEIKOお姉さんとか、リンとかレンとか」
「そうじゃなくってさ、私が言いたいのは、【人力ボーカロイド】のことなんだよ」
 なんだそれ。
 それがハルヒの、素直な感想だった。
「えっとねえー、つまりアレ、普通の人の声とか台詞とかをさ、ミクたちに歌わせるみたいに合成すんの。職人が作ったヤツはマジですごいね! もう、腹筋が崩壊するとゆーか、吹いたらマインドクラッシュとゆーか」
「日本語で喋りなさいよ」
「今来産業?」
 返事からして日本語じゃないってどうなんだ。
 ううう、とさらに汗を滲ませたこなたは、ぱたん、と本を閉じた。そしてすたすたと部屋の隅に歩いていくと、マニュアルを鍋の下に敷いて、きちんと戸棚を閉めた。存在を抹消するつもりらしかった。はあ、とため息をついて、ハルヒは頬杖をついた。
「で、さっそく諦めたと」
「諦めてないもん! 実行したほうが早いって思っただけだもん!!」
 ハコから取り出したCD-ROMのケースを握り締め、こなたは子どもっぽく言い張る。
「だって、このパーティには有名な人力ボーカロイドが複数居るんだよ!? 歌わせないとダメだよ! そんなのいろいろと間違ってるよ!!」
「ボーカロイドですかっ?」
 ミクが眼をまたたく。ハルヒが、「騙されるんじゃないわよ」と髪をひっぱる。
「どうせ眉唾なんだから、こいつの言うことは」
「……涼宮さん、いつからそんなかがみんみたいなキャラになったんだい」
 こなたは胸を張って、「名曲はたくさんある!」と言った。
「具体的には、【海馬は大変なコマンド入力をしていきました】とか、【最終鬼畜全部谷口】とか、【クラッシャーは大変なキーボードを破壊していきました】とか、やりたいじゃん。本人がいるんだから!」
「よく、わからないんですけど」
 ミクが控えめに問いかける。だがなんだか目がキラキラしはじめていた。まずい、とハルヒは思った。
「それって、海馬さんや、谷口さんや、KBCさんが、わたしと一緒に歌ってくれるってことですか?」
「そうだよ〜! わたしはねっ、みんなに【アクエリオン】とか歌わせたいんだっ」
「普通に合唱させなさいよ!」
 ハルヒのツッコミに、だがミクが、「ダメですよ!」と何故だか割ってはいる。
「ボーカロイドと、普通の人間の歌は違うんですよ。だからいいんですよ」
「さすが! 分かってるね、ミクはっ」
「それに、海馬さんとか、普通に説得したって歌なんて歌ってくれませんよ。わたし、こなたさんが調教した海馬さんとかKBCさんの歌が、聞きたいです!」
「ちょ、ちょうきょ……!?」
 穏やかならない言葉が、よりにもよってミクの口から飛び出してくる。なんだそりゃ、と言いかけたとき、ふいに、「おいおい、女の子だけで楽しそうな話をしているじゃないか」と後ろから声がした。
 妙に男っぽくて、かつ、変に色っぽかった。
「阿倍さん!」「おおっ、阿倍さんだあっ!」
 ハルヒは、錆びたロボット兵のごとき、ぎこちない動作で振り返った。そこにたっているのは青いつなぎのいい男。ニッ、と笑って歯を見せると、たくましい胸板をつなぎから見せたまま、悠々とこちらへと歩いてくる。
「うーん、調教ね、調教。ミク、誰を調教するつもりなんだ?」
 相手によっては協力するぜ、と彼は言う。ミクの口をとっさにハルヒは塞ごうとした。
「あの、海馬さんとか、キーボー……むぐっ」
 遅かった。
「海馬…… へえ、あの社長さんを、調教するのか。楽しそうな話じゃないか。そりゃあ、黙っちゃあいられないねえ」
 お前にはちょっと荷が重いんじゃないかい、お嬢ちゃんたち? にっこりと笑って椅子に腰掛ける阿倍。ハルヒは思わずその頭を【密林印】のハコでぶんなぐろうとするが、かるく片腕でいなされてしまった。
「おいおい、何をするんだい」
「ちょっと、話題をヒワイにしないでよっ!」
「卑猥、ヒワイね。いい言葉だが、女の口から聞いてもつまらないな」
 ぜんぜん話を聞きゃしない。
 阿倍は見るものすべてが思わずウホッと言ってしまうようないい男で、かつ、自分の性的嗜好に合わない相手(具体的には女性)に対しては、基本、紳士的で面倒見のいい好青年だ。だが、とにかく彼はガチホモである。【いい男】とくると徹底的に見境が無い。そして、オタクのこなたと、そもそも《がちほも》の意味を正確に理解していないミクは、この男の問題点を分かっていない、とハルヒは思う。
「あのね〜阿倍さん〜、私ね〜人力ボーカロイドがやりたいと思って、DTMソフトを買ったんだよ〜」
「DTM…… 童貞マゾ?」
「いや、そうじゃなくって、とりあえず暴歌ロイドとして名高い社長とかKBCとか谷口くんとかをね、歌わせようと」
「なんだかよくわからんが、そのソフトを使えば、いい男を好きなように歌わせられると」
「ええ。それをインストールすれば出来るはずなんです」
「……ふうむ、インストールね。つまり、挿入すりゃいいわけだ。簡単じゃないか」
 ハルヒは今度は後ろから阿倍の尻を蹴っ飛ばしてやろうとした。だが、またしても避けられる。足首を掴まれてうっかり転びそうになり、「何すんのよ!」と怒鳴るハルヒに、阿倍はニッコリと笑いかける。
「悪いな、ハルヒ。ケツに対して積極的な相手は嫌いじゃないが、あいにく、おまえは守備範囲外なんだ」
「こっ、このガチホモっ! 変態! 何する気なのよアンタ!!」
「変態ね。変態という名の紳士と呼んでくれ」
 こなたの手からCD-ROMを受け取った阿倍は、悠々と立ち上がる。ひらりとケースを振ると、たっぷりと余裕を含んで言った。
「まかせとけ。いい男を調教するのも、挿入するのも、オレの得意分野さ。むしろ大歓迎だね」
「そうなんですか!? 阿倍さんってそんなことも出来たんだ……」
「ミク、それ勘違い!!」
「まあ、お前さんはちょっと趣味じゃないんだがね。お兄さんがいたって聞いたんだけど、そいつはいい男かい?」
「KAITOお兄さんはカッコいいですよ」
「ぜひ、今度手合わせしてみたいもんだね。たっぷりと歌わせてやるぜ…… まあ、それはともかくとして、先にこのナイスなソフトだ」
 つまり挿入すりゃいいと。阿倍はニヤリと笑った。
「楽しくなりそうだな、こなた。ところで、【アクエリオン】って何のことだ?」
「歌っ! 具体的には、ミクとかがよく歌ってるやつだよ。一万年と二千年前から」
「愛してる〜 ですよねっ」
 楽しげにがやがやと騒ぎながら、手の付けられないニコ厨、絶好調のガチホモ、そして、何も分かっていないボーカロイドの三人が部屋を出て行く。残されたハルヒはしばし呆然としていた。
「……ま、まずい」
 これは、まずい。とってもまずい!!
「なっ、なんで私がこんな立場なのよ〜っ!」
 だが、この場合、止める相手がいないと、とんでもないことになる!
 ハルヒは、慌てて近くの通信用の筒に取り付くと、誰かが聞いてくれていることを祈って、ガンガンと鐘を鳴らした。《誰だい?》と答えた声はたぶん富竹だった。ハルヒは半ば泣き声になりながら、大声で怒鳴る。
「あ、危ないのよっ。このパーティ中のいい男が危ないっ」
《え? 誰? ゴッドマン??》
「違うッ!!」


【続かないよ!】





こ れ は ひ ど い 。



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