≪2≫ 蝦蟇の油、というものが切り傷に聞くという話をよくよく聞いていたが、今の自分からだったら『琴姫の膏』が取れるんじゃないだろうか、とかなり真面目に考えている。証拠に、桃色の髪をていねいに分けた額に脂汗が浮いていた。コレすなわち『巫女の脂』。陰陽道に置いては左道の名の下に用いられる、究極の術のひとつである。 すなわち巫女の膏とは、齢にして二十歳を過ぎんばかりの若い巫女を用いて作られる薬である。蝦蟇の油は鏡の箱のなかに蝦蟇を入れ三日三晩己と対面させるうちに全身からたらたらと流れ出す油を用いて作られるものだが、 「何わけのわかんないアテレコしてるのよっ!」 「痛っ!」 アリスに背後から腰を蹴られて、不安定な姿勢でニヤニヤと琴姫の様子を見ていた魔理沙は、コロンと布団に転がされてしまった。そんないかにも怪しい魔理沙にも気付いていなかったのか、琴姫は、ハッとしたようにふりかえった。 「え……えっ? なんですかっ?」 「聞こえていなかったの?」 よっぽど緊張してたのねえ、とアリスはポリポリと頬を掻いた。水着買出しツアー、その日の夜、のことであった。 水着を買うか否かで昨晩から死ぬほど悩んでいたらしい琴姫も、既製品の水着を見たことの無い幻想郷の少女たちも、なのはも、みんなみんな水着をちゃんと購入できた。ソレもコレも夏という季節の魔法…… もとい、修学旅行の夜テンションの親戚のようなモノ、すなわち、『大人数で服を買いに行くとついつい高いものを買っちゃう現象』の結果である。 「だって…… 私、こんなものをほんとに買ってしまったのかと改めて…… なんていうか……」 琴姫はぼそぼそとした声でつぶやく。アリスはその目の前にきちんと広げられている水着を見た。 「……同情はするわ」 ほかになんと言えばいいものか。 いわゆる三角ビキニ、しかもホルターネックで色は白。セットでコサージュ付きのベルトも付いてくる、まさしく、ミクが雑誌で琴姫に似合うと名指しした水着そのものであった。最近人気の『ちょっぴりセクシー』系アイドルがモデルになって雑誌にも写ってしまった水着、覆うところのとても少ない、出るところの立派にでている女性でなければとても着こなせないような一品である。 「だってアリスさん、これ、下着ですよ! どうみても下着です!!」 「下着じゃないだろ〜」 アリスに転がされた魔理沙がころりと転がり、布団の上に頬杖をついて、真顔で言う。 「そ、そうですか…… そうですよね、これ、いちおうはちゃんとした水着……」 「いや、そういうことじゃない」 魔理沙は、ニヤリと笑った。 「―――フツーの下着より、覆うところが少ない」 「まーりーさーぁッ!!」 琴姫が真っ赤になった顔を覆って布団にうずくまり、なにやら拳でパフンパフンと枕を殴りはじめる。アリスが怒鳴り、魔理沙がケラケラ笑いながら足をパタパタさせる。琴姫がそんなものを買ってしまったのも、ひとえに、『こういうノリ』が原因である。 「だって、だって、ハルヒさんや、こなたさんが、これよりも地味な水着を進めてくれないから……っ」 「似合ってたからいいんじゃないのか?」 「でーもー!!」 「そうよ魔理沙黙んなさいよ! あんたにはだいたい乙女心ってものが分かってないのよ!」 琴姫に泣かれ、アリスに怒鳴られ、魔理沙はぶーっと頬を膨らませた。頬杖をつく。 「なんだよ、アリスだって水着買ってたくせにー。琴姫だって自分で決めて買ったくせにー」 いいじゃんか、と魔理沙は言う。 「琴姫、出てるところが出てるから、そういうのがちゃんと着れてさ。アリスなんてアレだぜ? 出るもんも無いからそういうの着たら一発でズレて脱げ…… 痛た痛ててて!!」 ばたばたと騒いでいるところ、後ろからふと、「出来たよー」と声が聞こえる。琴姫はようやく顔を上げると、半泣きのままで背後を振り返った。洗面所から誰か出てくる…… ミクであった。得意げな顔のハルヒと、ちょっと満足げな言葉が一緒だ。さらにはこなたがひょいと顔を出す。ミクは満面の笑みを浮かべていた。 「どうですか、琴姫さん?」 「まあ……」 くるり、とミクは回って見せる。長い長いツインテールが、左右でそれぞれ何本もの三つ編みに編まれていた。頭の左右でおだんごにして、残った部分を細い三つ編みにしている。長さはそれでも背中の途中くらいまである。が、普段のふんづけて転びそうなクソながいおさげに比べれば、ずいぶんと動きやすそうな格好といえた。 「どうかなー、これならミクも泳げそうじゃない〜? さすがに水泳帽子は無理だけどねっ」 「ちょっと大変でしたけどね。ミクさんひとりに三人がかりですもの」 「すごいでしょ。大作よね」 口々に言う女子高生三名。ミクは裸足のままでくるくると回って自分の髪の毛を追いかけている。ふと、振り返ると、琴姫、そして魔理沙にコブラツイストをかけているアリスにも、顔いっぱいの笑顔で笑いかけた。 「これなら、私も泳げますよね?」 ……なんだか、こちらまでほのぼのしてしまうような調子だった。 「そうですね。それなら、たぶん、水に入っても大丈夫」 えへへ、とミクは笑った。か細い手足とぺたんこのお腹、ひかえめの胸。グリーンドットのセパレート。まさに、今日購入した水着姿であった。 髪が長すぎて水に入ったら頭が重い、ということに気付いて悩んでいたミクだったが、これなら問題ないだろう。アリスがギブアップした魔理沙を離し、立ち上がると、いかにも興味深そうにしげしげとミクの水着姿を眺めている。 人間じゃなくてVOC@LOIDなんだから防水がどうのこうの、その後のケアがどうのこうの、と困りごとの多かったらしいミクだが、これなら問題なさそうだ。その笑顔を見ていると羞恥心などまったくなさそうである。むしろ、今すぐにでもみんなに見せに行きたい、プールに飛び込みに行きたい、という勢いだった。 「……」 「琴姫、今、『若いってうらやましい』って思っただろ」 「……! ひ、人の台詞、とらないで下さいよぅ……」 魔理沙はケラケラ笑う。アリスに極められた関節を曲げ伸ばししながら、しかし、口調はいたずらこぞうのように楽しげだった。 「いいじゃないか。琴姫は可愛げがあると思うぜ、たぶん? 少なくとも私の知ってる女の中だと、かなりこう、羞恥心というか、可愛げというかがあると思うぜ。年齢なんてプラマイゼロだぜ」 「そう、です、……か?」 「むしろ、プラマイどころか、ボーナス付くかも」 「そそっそっ、そんなことは」 「女は見飽きてるからな。たぶん見る目はあるぜ、私は」 からかうような口調でいいつつ、魔理沙の真意は別であった。 ちらり、とアリスのほうを伺うと、なんだかすねたようになって魔理沙のほうを気にしていた。魔理沙が他の女の子を褒めると、アリスは、落ち着かないのだ。理由は知らないが。とにかく、琴姫は押して、アリスは引く。こうすれば二人を水着に着替えさせて、プールに突き落とすまであと一歩である。 アイコンタクト。ハルヒと目配せをしあう。 ―――コレでいいよな? ―――完璧ね。そのまま一気に押し切りなさい。 「そういうの、一回着てみたら恥かしくなくなるんじゃないか? どうぜ女しか水着もってないんだしよ、明日あたり、みんなでプールでも行かないか」 「!? プール、あるんですか!?」 飛びついたのはミクのほうだ。側のハルヒが、「そうよ〜、あるわよ〜」と悪魔のようにそそのかす。 「まあ、ただの競泳用プールだから、滑り台も屋台もなんにもないけど〜、そういう楽しいプールや海岸に行く前の準備には調度いいんじゃないかな〜?」 「滑り台とか屋台があるんですか、ほんとのプールとか海には?」 「あるわよ〜。ねー、こなた?」 「うんうんあるよあるよ〜。砂浜に人が埋まってたりね〜、みんなでスイカを割るための真剣勝負をしたりね〜、波に乗ってジャンプしたりするんだよ〜」 誇大広告じゃないでしょうか? などと、言葉が苦笑顔でつぶやいているが、しかし、彼女とて止める気など微塵もないであろう。 「でも、今のままだと琴姫とか行けないわね、絶対。人前に出るなんて無理無理無理、とか言い出して」 「! それはもったいないですよ! 琴姫さんッ!!」 ―――そのあたりで、明日の計画をあらかた掴んだ谷口は、誰にもバレないよう、ちょっとだけ開いていた空間のスキマを、ていねいに閉じた。 「聞いたかKBC、遊戯、ロックマン!!」 「聞いた聞いたwwwww」 「おい、これって盗み聞きじゃあないのか?」 「そうですよね……」 「なんだよお前ら盛り上がらないなぁ!! 水着だよ水着ッ!! 女の子がみんな水着なんだよ! 下着以下のビキニなんだよ!!」 この浪漫がわからねえのかお前らは! 谷口は拳を握り締めて力説する。 「下着ww以下www ウホッみwwなwwぎwwっwwてwwきwwたwww」 「だろうだろう!? 見ろよ、こっちの反応のほうが十代男子として正しいんだよ。お前らは間違ってるんだよ! なんか根本的に大事なところが!!」 キーボード片手に小躍りするKBCを見て、遊戯はかなり揺れていた。ゲームが本業の癖に精神的なゆさぶりに弱い。それが、彼のチャームポイントである。 「チャームポイント……」 複雑極まりない顔になる遊戯の背中を、「そうなんだよ!」とKBCが勢いよく張り飛ばした。 「そうそうッ。だからさあ、お前も明日、俺たちと一緒に女子の水着大会に乱入すべきなんだよ!」 「ちょwww水着大会自重www 水泳大会の間違いだろwww」 「うおっ!? あ……ああ、すまんすまん」 こほん、と咳払いをして頭を冷やしなおし、谷口は、あきらかに動揺している遊戯、なんだかこちらを怪しんでいる様子のロックマンのほうへと向き直る。 「とにかくアレだ、オレたちも行くぞ明日は」 「勝手に入ったら、彼女たちが嫌がるんじゃないか?」 「ンなわけねーだろ、お前だってはしゃいだり騒いだりするの好きじゃねーか。しかも遊戯はゲームとかそういうのマジで詳しいし。絶対に喜ぶってみんな!」 「あのう、僕は?」 「ミクさんはお前に水着姿見せたがってたんだぜ? 見てあげないとかわいそうなんだよ! 彼女が!!」 力説しつつ、ちらりとKBCと目配せをしあう。当然のように打ち合わせは完璧である。 ……つまりアレだ。この二人を引きずり込めば、水泳大会に入り込むのが容易になる、という、実に戦術的名な発想であった。 しかも、遊戯に絡むのはたぶんこなた、ロックマンにはミク。彼女たちは双方、可愛いことは認めるが、体型補正を入れると優先順位はかなり下になってくる。つまり、本命である琴姫、言葉あたりはこの二人を連れ込んでも残るのだ。あとはいくらでも見放題絡み放題、あとは遊戯あたりをそそのかしてちょっぴり嬉しいゲームなどに持ち込んでしまえば完璧なのである。 谷口、まさに策士である。 頭上にバナナをつるされたチンパンジーのようなものだ。美味しいものがそこに在れば、スキマだろうが正義の少年ロボットだろうが3000年前のファラオだろうが、使えるものは何でも使う、それが谷口主義であった。 「明日が楽しみだぜぇ!! なあ、クラッシャー!?」 「モニターの前に全裸に正座で待機する勢いだぜwww」 「そ、そういうもんなのか……」 そもそもみんな忘れがちだが、場所は谷口がスキマ作りと称してもぐりこんだ謎の小空間のため、かなり暑苦しい状態になっていた。にもかかわらず、悩める男子三名は、なんだかんだと大騒ぎである。 プラス、悩まない少年ロボット一体。 「いいのかなあ、ほんとにそれで?」 ロックマン一人が冷静で、首をかしげて考え込んでいた……。 いつなんたるときも自重しない、それがKBC&谷口のジャスティス。 ←back |