日本では古来から、笹の葉に短冊をつるし、そこに願い事を書いて飾る日だ。 「ようするに、クリスマスみたいなもんだろ?」 「ちげえよ。だから、それを吊るすなって!! 竹のてっぺんに星つけたらギャグマンガの定番になっちまうだろ!?」 「じゃあ、このスターはどのへんにつけるか? ついでに、ファイアフラワーも吊るすか。コインとキノコもいっとくか」 「まてまてまて! なんか怪しいギシキみてーになってきたぞ!?」 わいわい、がやがやと有象無象がかしましい。 EDF日本支部に配属されたメンバーのうち、半分近くが日本人以外だ。逆を言うと半分近くが日本人だ、とも言う。だから、7月7日だから七夕でもしようか、という話になるのも自然なら、七夕というものを勘違いする連中の続出で大混乱が発生するのも、また、自然な話なのであった。 「なんか吊るすところたりねーなー」 「魔理沙さん、これ、わたしの短冊できました!」 「ああ、ミク。えっとー、あとは誰だ? アリスは書いたか? 上のほうにつるしてきてやるよ」 「…いい」 「はあ?」 「自分で吊るす。見ないでよね!!」 なんだそりゃ、とあきれる声だの、それぞれに短冊相手に苦戦をしている相手だの。広いベランダには大きな竹がかざられて、紙細工のかざりがひらひら、きらきらと光るのがいかにも楽しげな様子だ。 さすがに祭事をつかさどる巫女だけあって、琴姫の準備には万事ぬかりがない。ベランダには団子のたぐいやそうめんに加えて酒、そのつまみの類もたっぷりと用意をされているし、みんな短冊に書く願い事はきちんとすずりですった墨で書かされた。おかげさまで五色の短冊にゆれる願い事のおよそ半分近くは判読不可能であった。 袖をかるく避けた琴姫が、ていねいに墨をすっている。さました餡を運んだ帰り、ふと、その手元を覗き込む。白い指先がほんのすこし薄墨にそまっている。また、なかなかに風流なものだった。 言葉の視線に気付いたのか、顔を上げた琴姫が、「どうしました?」とにっこりと笑った。 「あ…… すいません。お邪魔だったでしょうか」 「いえ。こうやって落ち着いて墨をするのも久しぶり。けっこう、楽しいものなんですよ?」 おっとりと微笑む琴姫は、やはり、巫女らしいおちつきがある、といったところか。言葉はややためらいがちに、その隣に膝をたたむ。琴姫はていねいに墨をする。 「こうやって、1から墨をすってるところを見たのって、すごく久しぶりな気がします」 「そうですね…… 書家の方ならともかく、今は、ちょっとした用立てなら墨汁や筆ペンで十分に用がたりますもの。でも、やっぱり七夕は、こうやってきちんとすらないと」 ご存知ですか? と琴姫はいった。 「昔はこうやって、七夕に墨をすると、字が上手になるって言ったんです。私なんかは子どもの頃からずっとですけれど…… ちゃんと水も特別なものをつかって」 「特別、ですか?」 「七夕の日の朝に、竹をとりにいくがてら、笹の葉から朝露を集めるんです。それでこうやって墨をするのが本式なんですよ」 ―――なんとも風流な話だ。 思わず感心している言葉に、琴姫は、「桂さんは、もう願い事を書いたかしら」と微笑みかけた。 「えっと、私は…… まだ」 「そうですか? もうじき墨ができあがりますから、そうしたら、ぜひ書いていってくださいな」 そういって、琴姫はにっこりと笑う。なんだか姉のようにやさしい笑顔に思えて、言葉は素直に、「はい」と頷くことが出来た。 ―――けれど、願い事を書くチャンスなんて、いままでに何回もあったのだけれど。 夕闇に、屋根の上の給水タンクが、うかびあがるようなシルエットを見せている。星が見えてきた。晴天とはいいがたい。だが、星を見るには十分だろうか。ふと思い立って回り込み、灯りを背にすると、さらにたくさんの星が見えた。藍色の空にうかびあがる乳色の天の川。銀砂を撒いたような星。 「きれい……」 言葉は、おもわず眼を細める。都会暮らしだと見慣れない星空。七夕のその日に晴れてくれるなんて、ずいぶん、運がいいように思えた。 しばらくそれに見とれてから、言葉は、ゆっくりとタンクの後ろに回りこむ。そこには、ひとりで七夕の騒ぎを面倒くさがり、ひとりでパソコンなんかを弄っているひねくれものがいるはずだった。非常階段を登っていくと、すぐに、こんな闇夜にもくっきりと浮かび上がるような、光沢のある白い布地が見えてくる。 「海馬さん」 言葉は、呼びかける。海馬が振り返った。 「なんだ」 「差し入れです。お団子と、あと、冷たいお茶。よかったらいただきませんか?」 海馬はしばらく黙っていたが、やがて、手にしていた端末を閉じた。ずいぶん素直になったものだ。思わずちょっと顔をほころばせながら、言葉は、カンカンと音を立てて錆びた鉄の階段を登った。 海馬の居る場所は、非常階段の北向きの踊り場だった。日当たりが悪くて寒いから、滅多にヒトがいることがない。けれど、気候が良くてすごしやすい夜だったなら、灯りに邪魔されずに星が見られる、いいスポットになっていた。言葉はつぶあんを添えた団子と、ガラスの器に注いだ冷茶を差し出す。海馬は例も言わずに器を手に取る。 「何をされていたんです?」 「本社と連絡だ。イベントの状況を確かめていた」 「イベント…… ですか」 「KCはエンターテイメントを仕事にしている企業だ」 「ああ、だから」 それは、たしかに七夕あたりに何かをやりそうではある。 爪楊枝で団子を刺して、つぶあんをたっぷりとつけて、ちびちびとかじる。とにかく、よく言えば豪放、普通に言えば大雑把なメンバーが多いものだから、団子のサイズも一個ずつが大きくて一口にするには無理がある。けれど、きちんと缶詰のあずきから煮込んだあんこは素朴な味がして美味しかった。言葉がちらりと側をうかがうと、海馬ももくもくと同じものを食べている。 海馬さんの隣にいて、こうやって黙っていても平気になったのって、いつぐらいからだったかな。 言葉はぼんやりと、そんな風に思った。 言葉は、人と喋るのが得意なほうではない。自分は面白みのない人間だと思っていたし、誰かを楽しませたり、喜ばせたりできるような会話術とはまるで無縁だ。だが、かといってまるきりの沈黙の状態というのが好きでいられるほどに神経が太いわけでもなかった。だから、ついつい人嫌いのような行動を取ってしまうのだ。 海馬はどうだろう。―――たぶん、こっちは、正真正銘の『人嫌い』だろう。 誰かを楽しませることなんて最初から考えていないし、必要だと思わないことは言わないし、逆に、必要だと思ったことはどんなに回りから嫌がられても平気で口にしてしまう。そして、言いたいことがなければ、相手がどう思おうと平然と無視する、あるいは、追い払う。 全部、逆なのだ。気が弱いから何も出来ないのと、我が強いから回りの人間を追い払うのと。 でも、結果論では、気付いたらこんな風に、お互いにもくもくとお茶を飲んでいるような状態が、それなりに心地がよく落ち着いていたりするようになる。とても不思議な話ではある。 「……ふふっ」 思わずちょっと笑ってしまう言葉に、海馬が、顔をしかめた。 「なんだ。何がおかしい」 「いえ…… こうやって二人でいるのに、何も言わないでお団子だけ食べているのって、なんだかおかしいなあって」 「ならば貴様が何か言えばいいだろう」 「思いつかないんです。海馬さんは?」 「喋る必要があるのか」 ほら、予想通りだ。 「なんだか、面白いです。海馬さんは必要のないモノが全部いらないのに、いろんな人に楽しみをあげる仕事をしてるなんて」 「楽しみは、必要なものだろう。人間は必要のないモノに金や手間を払ったりはしない」 「……じゃあ、海馬さんにも『楽しみ』が必要なんですか?」 「いらん」 「矛盾してますよ」 「どこも矛盾などしておらん」 なんだか、意地っ張りの子どもみたいに思えて、可笑しい。さらに言葉はくすくす笑いをおさえられなくなる。海馬はものすごい渋面になった。 「だいたい、七夕自体が非ィ科学的な話だろうが。必要だからイベントの手配などはするが、俺には、こんなもので騒ぐ理由は理解できんな」 「非ィ科学的……ですか」 「そうだ」 見ろ、といって、海馬は空を指した。 「あそこに、星が見えるだろう。ヴェガ、デネブ、そしてアルタイルだ」 長くてきれいな指が、まっすぐに空を指していた。そこには天の川をはさんでふたつの星と、そして、乳色にけぶった流れの中にひかる明るい星が見える。織姫星と彦星、それと……? 「えっと、夏の大三角形ですよね」 「通称、織姫星と呼ばれるヴェガは、視等級0.03。アルタイルは0.77。共に全天のなかでも非常に明るい部類に入る恒星だ」 「え、えーっと……」 専門用語が出てくると、何がなんだか分からなくなってくる。内心で混乱している言葉に構う様子もなく、海馬は、淡々と続けた。 「……地球からの距離はそれぞれ、25光年と17光年。どちらも数億年の歳を経ていることが確認されている。それが、お互いに会うだと?」 「一年に一回しか会えないんですよね、織姫と彦星は。……なんだか悲しいお話、じゃないんですか?」 「一年に一度でも、数億年だ。年数に換算してみるがいい」 「はい…… え? ええ?」 海馬は、ちらりと、あわてて指を数えている言葉をみた。ため息交じりに答える。 「数万年単位の話になる。一年に一度といえど、それだけお互いの顔を見ていれば飽きもするだろうが」 言葉は、あとはもう、ただただ、呆然と口をあけているしかなかった。 考えたことも無かった――― しかし、同時に、海馬の指摘はなんとなくだが、科学的に正確な分、同じくらい、ズレた内容であるような気もした。 ……らしい、といえば、このうえもなくそれらしい。 「ふふっ」 「なんだ」 吹きだす言葉に、海馬は、またしても眉の間にシワを刻む。言葉は「すいません、」と謝りながら、しかし、なんとか自分の口元を隠すくらいしかできない。 「そうですね。そうしたら、ぜんぜん哀しいお話じゃなくなっちゃいますね」 「そのとおりだ」 「数万年も…… 毎年会いに行ってる仲良しのことなんて、心配するほうがバカみたいですよね」 「……」 しばらく笑い続けている言葉に、海馬は、憮然とした顔で冷茶を飲んだ。やがてようやく笑いやんだ言葉は、目元をこすりながら、「でも、うらやましいですね」と答える。 「何がだ」 「だって、そんなに会える…… 一年に一回でも、ずっと、これからもずっと会えるって分かっているのは、うらやましいじゃないですか。お互いにキライになったりもしないし、別れ別れになったりもしないんですよね」 そういう二人は、うらやましいな。 言葉はそんな風につぶやいて、ゆっくりと、自分の膝に頬杖をついた。 頭上には銀砂の星。藍色の空。向こうから、仲間たちの騒ぎあう声が聞こえてきて、少し、不思議にさみしいような、落ち着くような気持ちになる。夏祭りの帰りのような、浜辺で夕暮れを見送ったときのような気持ち。 そんな言葉を、海馬は、しばらく黙って見ていた。やがて、ゆっくりと茶を下ろし、手を上げる。 ぱこんと、言葉の頭を叩いた。 「いたっ」 「この、阿呆が」 びっくりして眼を丸くする言葉に、海馬は、ぶっきらぼうに答えた。 「核融合するしか能のないガスの塊に、そんな思い入れをしてどうする。それこそ非ィ科学的だろう。だいたい、七夕というのはただの伝承であって、事実無根もはなはだしい」 「え…… あ、そう、そうですよね」 急に、センチメンタルになっていた自分がはずかしくなって、言葉は顔を赤くする。海馬はためいきをついて立ち上がる。 「行くぞ」 「え?」 「茶がなくなった」 言葉は、長身の海馬がこちらを見下ろすのを、ぽかんとして見上げる。ふたつの青いひとみがこちらを見下ろしていた。恒星の青と同じ色のひとみ。 「それに、貴様のことだ。まだタンザクとやらも書いていないのだろうが」 くだらんただのまじないだが、といって、海馬はふんと鼻を鳴らした。 「貴様のような思考回路の人間ならば、書き損なえばのちのちまでうだうだとそれを気にしているのだろう。ふぅん、くだらん」 「……」 「ほら、立て」 言葉は、思わず、目の前に差し出された手を、じっと見つめた。 海馬の差し出した、その手を。 やがて、顔がほころぶ。満面の笑顔になる。 「……はいっ!」 言葉は、海馬のさしだした手を、握り返す。海馬はそのまま言葉の身体を無造作にひっぱり上げて、立ち上がらせる。 「海馬さんは、お願い事、何を書くんですか?」 「知らん。適当でかまわないだろう」 「適当でかまわないんだったら、素直なことを書いても、いいんじゃないでしょうか」 「……奇妙な理屈だな」 「会社のこととか、モクバさんの健康と幸せとか」 「そんなものは俺自身でどうにかするべき問題だ」 「……海馬さんらしいですね」 「だから、何故笑うのだ!」 「ふふ……ごめんなさい、おかしくって…… ふふっ」 二人がゆっくりと非常階段を下っていったあとも、星は、宵闇の空にきらめいている。 乳の河を隔てた二つの恒星は、数億年前から変わらぬ光で、ちいさくまたたきながら、静かに地上を見下ろしていた。 ツンデレ社長×おっとり言葉。 あと琴姫さんはかわいいと思います。 ←back |