【メルト】





 凍りそうな星がキラキラと光る日に、夜間飛行。眼下にはきらめく都市の灯火、それに、頭上には針の先でつっついたような星空が広がっている。空気はほっぺたが切れるんじゃないかと思うくらい冷たいが、その分空気が透き通って気持ちがいい。絶好の夜間飛行日和だ。
 だが、どうやら同乗者はそういう気持ちとはいかないらしい。うしろで「くしゅん!」と小さくくしゃみが聞こえて、魔理沙は思わず「おいおい」と振り返る。
「どうしたんだよアリス、風邪か?」
「あんたのマフラーが顔にかかっただけ……っくしゅん!」
 ちょっとばかり偵察任務をして回ったのはいいのだが、どうやら、魔理沙よりも繊細な作りで出来ているらしいアリスはもうグロッキーだ。もうちょっとだけ遠回りしていこうかと思ってたけど、まあ、今晩はもう帰るか。そう決めると、魔理沙は箒を握っていた手を離して、首に巻いていた毛糸のマフラーを器用に解いた。
「ほら、これ」
「なによ。これ、魔理沙のじゃない」
「わたしがつけてたら、お前の顔にひっかかるんだろ。だったらお前が巻いとけ」
「……し、しかたないわね」
 しかたない、といいつつ、どうやら本当に寒かったらしいアリスは、魔理沙の体温であたたまったマフラーを大切そうに首に巻きつけた。ちゃんと吹き飛ばされないようにしたことを確認して、魔理沙は、にっこりと笑う。そして両手で箒を握りなおす。
「ちょっとスピード上げるぜ」
 凍りついた夜空の星は、夜中に降りて月の光にキラキラする霜のきらめき。魔理沙の吐いた息も真っ白になる。夜空をよぎる流れ星のように、魔法使いの箒は、二人乗りのまま、空をまっすぐによぎっていく。


「あ、お帰りなさい、魔理沙さん、アリスさん」
「ただいま、ロックー。うーさみ…… 耳が凍りそうだぜ」
 お疲れ様です、と笑うロックは、今日の台所の当番だ。夕飯の時間はとっくにすぎているが、アリスといっしょに顔を出した食堂にはいい匂いのあったかな湯気がたちこめている。アリスが手をこすりながら紅茶を用意している横で、魔理沙はロックの手元を覗き込んだ。大きな銀色の鍋…… いや、鍋じゃないよな。なんだこれ。
「にくまん、作ったんです。お二人の分は今あっためますね」
「お、にくまんかあ!!」
「寒いから食べたいって言ってた人が何人もいたんです。材料もちょうどあったし。ちょっと冷めてるけど、すぐにふかしますから」
 家事用ロボットというのは、ほんとうにありがたい。魔理沙はしみじみと思う。こまめで気が利いて、しかも、焼いてくれる世話のひとつひとつに恩着せがましさというもんがまったくない。茶色い髪をしてエプロンをつけた10歳の少年は、蒸し器の中にちょっとばかり水を足した。ほわっと立ち上る湯気からは、それだけで身体があったかくなるような、やさしい匂いがした。
「魔理沙、お茶入ったわよ」
「お、ありがとう。うー、手が冷えすぎて動かないぜ……」
 大きなマグカップに、濃いめのお茶をたっぷり。レンジがチンと言った。ありがたいことに、アリスは牛乳もあっためてくれたらしい。砂糖をやまほどいれて、牛乳もたっぷりいれる。はふはふ言いながらマグカップの紅茶をふたりで吹いていると、少しばかり調子のはずれた鼻歌が聞こえてきた。
「とっても冷え込む、冬の帰り道……」
 猫舌気味のアリスは、いっしょうけんめい紅茶を吹いて冷まそうとしている。隣の椅子の背中に、魔理沙のマフラーが大事にたたんでかけられている。魔理沙は甘い紅茶をひとくちすすって、首をかたむけて台所のほうを覗いてみる。
「にーくまん買って、おうちに帰ろう」
 それであの人といっしょに食べよう……
「なあロック、それ何?」
 途中で声がとまって、「え、なんですか?」と声が帰ってくる。魔理沙は「その歌ー」と声を返した。
「なんだそれ、にくまんの歌か?」
「え? 歌?」
「なんか美味そうな鼻歌だなーと思って」
 えと、などといおうとして、そのタイミングで蒸し器がぴゅーと間抜けた声をあげる。慌ててロックは蒸し器の下で火を落としたりしていた。そうして、いろいろあってしばらくして、ようやく、大きなお皿いっぱいに、小ぶりのにくまんがやまもり運ばれてきた。
「美味そう! いただきます!」
「すごいわねえ、これ、ひとりで作ったの?」
「いえ、みなさんに手伝ってもらいましたよ。ゴッドマンさんとかスパイダーマさんとか」
「……聞くんじゃなかった」
 なんだかものすごい光景の結果、この美味しそうなにくまんが出来上がったらしい。ひとつひとつのおおきさはまちまちで、わりと大きいのもあれば、片手でもててしまうくらいこぶりなものもある。ぱくっとほおばると口の中に豚肉の味ととろとろした玉ねぎの甘さが広がって美味しい。あっという間に一個平らげて、さらにまた一個。両手で持っている魔理沙の横で、アリスは、「お行儀わるい」と顔をしかめながら、ふうふう、ちびちびと小さめのやつをかじっていた。
「おいしいですか?」
「うん、すっげえ美味い! お前、便利なやつだよなあ……」
「そんなふうに褒めてもらえると、すっごい嬉しいですよ」
 にこにこと笑う顔立ちはあどけない少年のものだが、表情はどちらかというと大人びた感じだった。当然だろう、ロックマンは見た目よりもずっとたくさんの経験をつんでいるのだから。けれど、ふと、ロックマンは黙り込む。なんだか奇妙な表情になった。なんだろう? そう思って眼をぱちくりとまたたく魔理沙に、ロックマンは、やや真剣な顔で、言った。
「僕…… 何か歌ってましたか?」
「へ?」
 歌っていたも何も。
「なんか美味そうな鼻歌歌いながらふかしてただろ、これ」
「そういう機能は無いはずなんだけど……」
「なんだそりゃあ」
 ロックマンは頬をカリカリと指で掻く。なんだか、困ったような顔だった。
「僕は、元は家事手伝い用のレプリカントで、その後、もっといろいろできるように改造してもらって、今、ここにいるんですけど」
「だよ、なぁ?」
「でも、歌を歌うなんて機能は、つけてもらった記憶が無いんです」
 それのどこが、そんなに悩むことなのか分からない。首をかしげながら、魔理沙は手を伸ばし、いちばん大きなにくまんをぎゅっと掴んだ。
「ミクといっしょにいるうちに憶えたんじゃないのか? ミク、いっつもカルガモのヒナみたいに、お前の後ろをチョロチョロしてるだろ」
「か、カルガモかあ……」
「っていうよりも、なんだろ。ヒバリとかかな」
 歌を歌うから、といって、魔理沙はがぶりとにくまんにかじりつく。とたん、「あちち!」と悲鳴を上げるハメになる。ロックマンは苦笑しながら「お水持ってきます」と席を立った。
「ひた、やけどひた…… いひゃい……」
「いじきたないんだから、もう」
 アリスがとなりでため息をつく。それから眼を上げて、台所で水を汲んでいるロックマンのほうを見た。
 なんだか、真剣な顔だった。魔理沙はぱちくりと眼を瞬いた。



 ロボットには、歌は、歌えない……
 それがロックマンの知っている常識だった。少なくとも、自分の生まれた時代、場所に置いては。
 そこにはさまざまな場所、役割を果たすためのロボットたちがたくさんいて、人間たちのため、ほんとうにさまざまな物事に携わっていた。土木機械のような仕事をするパワー型で大型のものもいれば、極寒の環境でも働くことができるもの、宇宙空間での作業にたずさわるもの、かとおもえば、本来のロックマンがそうだったように、人間たちの生活によりそって働くためのロボットもいた。
 けれど、歌を歌ったり、音楽を奏でたり、といったことをすることができるロボットは存在しなかった……
 正確には、そんなことができる機械は、【ロボット】には、なれなかったのだ。
 人間がプログラムしたとおりに歌い、奏で、踊る。それはオルゴールや、その蓋の上でくるくると踊る人形とまったく同じ程度のことでしかない。あまりに高度に人間の声を真似すぎれば、それはただの録音と大差ない。そう思えば、そんなロボットは誰も必要だとは考えなかったのだろう。CDプレイヤーや、さらに高機能な録音機器が存在すれば、それで十分。ロボットに歌を歌う必要があると思ったものが、そもそも、どこにもいなかったのだ。
 だから、ロックマンも歌は歌う機能は与えられていない。
 そんな必要がなかった。
 けれど。
「……雪?」
 暗い窓が曇っていることに気付き、指で露をはらってみると、いつの間にか夜空の星が隠れている。そして、窓からもれる光に照らされて、何か、白いもののかけらがちらちらと舞い降りてきていた。雪だ。
 ずいぶん、寒かったんだ。魔理沙さんもアリスさんも、ほんとに冷えてたんだね。
 そう思いながら、火が完全に消えていることを確かめて、電気を消す。外に灯った街灯の灯りのほうがずっと明るくなった。
 ちらつく雪が、かすかに橙がかかった水銀灯の灯りにゆれている。雪が降るときってすごく静かになる、とロックマンは思う。積もった雪が音を吸うから、というよりも、雪というもの自体に、どこか、ひっそりと眺めていたいような気持ちを持たせる何かがあるのだ。
「雪ちるちる、冬の目覚めは……」
 くちずさんで、そのことに気付いて、まただ、とすぐに思う。
 また、僕は、【歌を歌って】いる。
「まだまだ、お楽しみは、これから、これからなのに」
 音は自分でも分かるくらい外れていて、お世辞にも上手いとは言いがたい。けれどロックマンは小さな声で口ずさんでいた。とても大事な何かを確かめるように。
 そして、ふと、窓の外をよぎったものに、気づいた。
 妖精の羽のような。
 透き通る、ネオンのような、ブルーグリーンの。
「―――ミクさん?」
 ふわり、と長い髪がゆれて、水銀灯のあかりをはじいた。錯覚じゃない。ロックマンはあわてて窓を開ける。
 アルミのサッシから身を乗り出すと、びっくりしたように、透き通るような髪が跳ねる。そこにいたのはミクだった。いつもの服の上に誰から借りたのかぶかぶかのコートを羽織って、寒さに鼻先を真っ赤にしている。なんでこんな時間にミクさんが外にいるんだ? ロックマンはおどろいて、思わず窓を飛び越えてしまう。
「ロックさん」
「ミクさん、どうしたの?」
「雪が降ってきたから、近くで見たかったんです!」
 すぐ近くまでロックマンがいくと、ミクは満面の笑顔になった。夜、降り出した雪が明日には積もるよと教えられたときの、子どもの顔だ。
 可愛くて、思わず、こっちの顔までほろこんでしまう。ミクは手を伸ばしてくるくると動き回っていた。一瞬、仔犬が自分のしっぽを追いかけるみたいにおさげの先っぽを追いかけているのかと思ったが、違ったらしい。ミクは真剣極まりない顔でちいさな雪のかけらのひとつぶひとつぶを追いかけていたのだ。
 長い髪が軽やかに跳ねて、次第にふえていく雪の結晶とたわむれる。ミクはなかなか雪のかけらを捕まえられない。なんとかしてつかまえたかとおもっても、一瞬で融けてしまう。ロックマンは、思わずみとれていた。そのことに気付かないらしいミクは、「うぅ」と残念そうな声をあげる。
「ロックさん、雪の結晶って、ひとつづつがとってもきれいな形をしてるんですって」
「? そうだけど……」
「でもわたし、見たことないんです」
 だから今日こそ! とミクは気合を入れる。そうして雪をつかまえようとまたパタパタと走り出すミクをやや唖然としてみていて、すぐに、ロックマンは事情を理解する。
 ―――ああ、そういうことなんだ。
 気付くと、思わず、笑みが漏れてしまう。くすくすと笑い出すロックマンに、ミクは、不思議そうな顔で振り返った。「なんです?」と首をかしげるミクに、ロックマンは、「ミクさん、こっちにきて」と声をかけた。
 手を伸ばしてしばらくじっとしていると、追いかけなくても、ちいさな雪のかけらが指先におちてきた。ロックマンは壊さないようにそっとミクのそばへと近寄る。
「息を止めるんだよ」
 ミクの目が丸くなる。
「ミクさんはね、結晶を見ようと思って顔を近づけるから、息と体温で結晶が融けちゃっていたんだね。でも、こうやれば…… ほら」
 ちいさな、数ミリほどの氷の結晶が、少年の形をしたロボットの手の上で、薄い橙色の灯りにひかった。
 ひとつ、ふたつ、あるいはいくつかがお互いにくっつきあった形をした雪の結晶に、ミクは、ネオンブルーの眼を丸くする。そのひとつづつが違う形をしていた。六つの針を持つ星のようなもの、透明なガラスだけで細工した花のようなもの、あるいは、深海に生きる原始のままの微生物のような、透き通って不思議なかたちをしたもの。
 感嘆するあまりか、ミクが、はあっ、とため息を漏らした。とたん、雪の結晶はすべてが融けて、ちいさな水の玉になってしまう。
「あっ! あー……」
「大丈夫、大丈夫。いっぱいあるんだから、ほら」
 また、別の結晶を捕まえて、注意深く、ミクへと見せてやる。ミクはあわてて自分の口元を覆うものを探し、そのうち、長い髪で口元を覆うことにしたらしい。お下げをあつめて口元を覆い、目だけを丸くしているミクに、ロックマンも思わずくすくすと笑みを漏らしてしまった。
 ロックマンの手は、何もしなければ、人間のように熱くはならない。運動があれば関節が熱くなって体温めいたものができるけれど、こうやって寒い日にじっとしていれば、いつまでも雪の結晶が融けることもなかった。
 ミクの髪が、街灯の灯りに照らされる……とロックマンは思う。
 透き通るようなネオンブルー。膚の色も淡雪のように白く、それは、生身の人間であったら持ち得ることのできない柔らかさを持っている。だが、喜んだとき、驚いたとき、楽しいとき、その頬は血が上ったようにほのかに桜色にそまるのだ。くるくるとよく動く目も、人間ならばとうてい持ち得るものではない鮮やかな色をしていても、そこに浮かぶ表情の瑞々しさは、他のどんな人間たちにも遜色が無いほど、【少女らしい】とロックマンには思えた。
 歌を歌うロボット。
 喜び、悲しみ、また、楽しむことのできるロボット。
 少女の、瑞々しい魂を持ったロボット。
 ―――。
「ねえ、ロックさん」
 ふいに、ミクが言う。ロックマンは我に返った。
「な、何?」
「わたし、雪って大好きなんです。わたしが見た中で、最初にいちばんきれいだったものが、雪だったから」
 にこにこと言うミクに、けれど、ロックマンは、しばらく言葉の意味を考えないとならなかった。だが、しばらくたって納得がいく。
「ミクさんが生まれたのって、去年の秋ごろだったっけ」
「はい。でも、最初はいっしょうけんめいで、何にもわかりませんでした。私の歌じゃない、人間の歌手の方が歌った歌をマネするのだけで精一杯で」
 初音ミクが最初に眼をひらいたのは、夏の、逝く頃合だった。
 蝉たちが弱って、その合唱がしだいに秋の風にうすれていく。秋の虫がそれに変わって歌い始める。空は澄んで高くなっていく。木々の葉は赤くなり、あるいは、黄色くなり、風に吹かれてはらはらと散り始める。
「今思ったら、きれいなものや、ステキなものがいっぱいあったはずなんですけど、ぜんぜん憶えてなくって……」
「それで、最初にきれいだと思えたのが、雪だったんだ」
「はい!」
 クリスマスが近づく頃だった。
 ミクは、初めて、すべてを見た。幸せの季節を。
「クリスマスツリーも、プレゼントも、ほんものの賛美歌も、全部始めてでした。全部全部…… でも、まだクリスマスよりもずうっと前だったんです。本番になったらもっとずっときれいになるよってMEIKOお姉さんは言ってくれました。それから毎日、明日はきっと楽しい、今日よりステキになる、って思って、とってもしあわせだったんです」
 生まれて来てよかった、って最初に思ったときが、そのときだったんです。
 そういってミクは笑う。ロックマンはその笑顔に眼を奪われる。
「雪は、桜に似ているんだよって、KAITOお兄さんが教えてくれました。真夏の砂浜が真っ白になるときは、雪がいちめんにつもったときにも似てるって。まだ私は夏を知らないですけど…… でもだから、すっごく楽しみで…… あ」
 ロックマンが黙り込んでいるのを、どう誤解したのか。
 ミクの頬が、ぱっと、赤くなった。
「ご、ごめんなさい! 私ばっかり喋っちゃって!」
「え? あ…… そ、そうだね」
「手、冷たくないですか? 雪、いっぱい触っちゃって……」
 ミクがあわててロックマンの手を取る。「冷たい!」と悲鳴をあげて、あわてて、小さな手を両手で包み、いっしょうけんめい息をかけはじめる。あたたかい手だった。そして、柔らかい。
「み、ミクさん、大丈夫だよ」
「でも、冷え切っちゃってますよ?」
「僕は恒温タイプじゃないんだ。あんまり動き回らないときは、表面温度が下がるのも普通だから」
 動いていない車が冷たいのとおんなじだからね、とロックマンは照れたように笑い、手をひっこめようとする。
「でも、ミクさんは常に身体が温かいんだろ。手が冷えちゃうよ」
「……」
「だから、その…… 大丈夫だよ?」
「……でも、手が冷たいです」
 ミクは子どもみたいな頑固さで言い張ると、また、ロックマンの手に、はあ、と暖かい息を吹きかける。透き通るような髪に雪が降る。
 ロックマンは思い出す。
 まるで雪が降るように、その髪へと、光るかけらが降り積もっていたときのことを。
「……あの、さ、ミクさん」
「はい?」
 ためらいがちに、ロックマンは問いかける。
「こういう歌は知ってるかな。とっても冷え込む 冬の帰り道……」
 ミクはきょとんと眼を丸くした。けれど、すぐに笑顔になる。にっこりと微笑む。
「はい、歌えます!」
「じゃあさ、雪散る散る 冬の目覚めは……っていうのは?」
「はい、歌えます。でも、ロックマンさんに歌ってさしあげたことって、ありましたっけ?」
「うん…… ううん」
 あいまいな返事に、ミクが首をかしげる。ロックマンは少し困った風に笑った。どんな風に言えばいいのか、よくわからなかった。

 ミクとふたりで、誰も見たことのない景色を、見たことがある。
 この世のどこでもない場所、どこにも無い場所で。
 心も、魂も無い場所で、存在の全てが、0と1にまで還元される場所。そこが、どんな場所であるのかは、ロックマンにも説明することは出来ない。
 それは、作られた体に宿る心が、【こころ】という形になる前の、最初の場所だった。
 そこでロックマンは見た――― 細かなピクセルにまで砕けた歌たちが、粉雪のように降り積もるさまを。
 音素よりも小さく砕けた歌たちは、おそらく、もう【うた】としてのかたちをなくしていたけれど、彼らはミクを慕って、その長い髪に、透き通るような声に、ちらちらと降りそそいだ。温度も形もない光の雪。音の泡沫。
 それが、初音ミクの魂の、もっとも純化された、結晶……
 彼女を構成するもの。
 歌、というものの、魂。

 僕とミクさんのデータが、あのとき、どこかで少しづつ交じり合ってしまったんだ。ロックマンはそう思う。
 ロックマンとミクは、一度、必要があって、お互いの機能を接続しあったことがあった。それ自体には、そのときの目的以外の意味はまったく存在しなかったろう。だが、その結果、おそらくはロックマンとミクたちにしか分からないささやかなお土産が残された。
 規格もOSもまったく違う、本来ならデータの相互参照などするはずもない、必要も無い【二体】の中に、お互いのデータの一部が、少しづつ、ログとして残されたのだ。
 その結果、僕は歌を憶えた…… やっぱり、これはミクさんの歌だったんだ。
「勝手にミクさんの歌を憶えちゃって、ごめん」
「なんで? 私は、嬉しいです」
 ミクは、眼を大きくまたたく。にっこりと笑う笑顔が、あどけなかった。
「ロックさんも、私といっしょに歌ってもらえるってことですもん。すごく、すごく嬉しいです」
「そうかな」
「そうです!」
 ミクは、ぎゅっとロックマンの手を握り締める。胸の中で何かがコトンと音を立てる。
 心臓なんて無い身体。そこに無いはずのこころ。
 同じ機械の身体、こころでも、いままで一度も想像したことがなかったくらい、やわらかくて、あたたかい存在。
 それが隣にいる。積もった雪の結晶が融けない手を握って、しあわせそうに、微笑んでいる。
「……ミクさん、あのさ」
「はい?」
「さっきの歌、ほんとは、どういう歌なの?」
「歌ってもいいんですか? ……いっしょに歌ってくれます?」
「がんばってみる」
「ありがとうございます!」
 本当に嬉しそうに、顔一杯に、ミクは笑う。まぶしいものでも見るように、眼を細めるようにして、ロックマンも、微笑む。
 そして、雪がすべての音を吸い取った沈黙に、やがて、ふたつの声が響き始める。
 ふたりの上に、あたたかい雪は、しずかに、しずかに、降り続ける。






【にくまんさめないで:sm1711502】
【おてんば恋娘 ver初音ミク:sm1040703】(どっちもワP)





ワPってのは「ワンカップP」の略で、
ボーカロイドのマスターの中ではおそらくトップクラスに人望のある方です。
ワPの曲はMEIKOのほうが多いけど、とにかくあたたかい、そして気持ちがいい。
肉まんあったかいです。




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