/日の出の方へ





 さよなら、とかもっともらしく言うのはぜんぜん性にあわなくって、
 だからオレは、誰にも別れをいわないままで、あの場所を出るフェリーに乗った。

「こんな朝一のフェリーに乗るなんてめずらしいね。君、何年生なの?」
「いえ、もうアカデミアを卒業したんです」

 へえそうかい、なんて言って、ちょっといぶかしげな顔をして、その船員さんは船室のほうへもどっていった。
 まだ日は昇らない。打ち寄せるおだやかな波が、船腹をおだやかに叩いていた。眠る気分にはまったくなれない。船弦に頬杖をついて眼を閉じると、となりで、かたん、と足音がした。

「誰にもばいばいって、言わなかったんだ?」
「まあな。あんまり言う気がしなかったんだ」
「…。言えばよかったのに。そのうち、思い出して哀しくならないかな。ばいばいって言っておけばよかったんじゃないかって」

 思わないさ、とオレは答えた。となりから聞こえる声はいかにも幼い。眼を開けて、大きく見開かれた眼にうつりこむオレの表情を見て、それから、小さな彼がうかべている表情を見る。その顔いっぱいに浮かんでいる感情は、今のオレからみると、いとおしくなるくらいに子どもっぽいものだった。
 はちきれそうな期待と、不安と、今にも走り出しそうに生気に満ちた表情。
 たぶん、同じなんだろう。
 オレもこいつと同じで、きっと、目の前に《未来》ってものがあらわれたなら、こういう風な顔をするだろう。それが、おれ、という人間のどうしようもない性分なのだ。明日、ってものが好きでしょうがない。見たことのないものすべてが、好きで、好きで、しょうがないのだ。

「ずっとここにいたら、新しいもんに逢えないからな」

 そんなんじゃ、退屈して、窒息しちまうよ、とオレは笑った。くしゃりとなでた硬い髪が、指にやさしかった。

「それに、お前がここにいてくれるんだったら、何にも寂しいってこたないさ。
 そのうち時間がずっとたって、オレが全部全部忘れても、お前はここで待っててくれる。
 誰もかもが死んだり、いなくなったりするくらい長い時間がたっても、
 お前みたいに、過去の時間に属してるやつは、絶対に待っててくれるんだから」

 だから何にも怖くないのさ、といって、オレはこつんとそいつの額に自分の額をぶつけた。
 オレのものよりも熱い血。風のような、草原のような匂い。乾いてあたたかい肌。光をやどしたふたつのひとみ。
 そいつは何かを言いかけて、それから、黙った。ぎゅっと手を伸ばしてオレの頭をひきよせると、頬にくちびるを当てた。やわらかい感触がした。そいつは、ちょっと泣きそうな、けれど、精一杯に明るい声で、「元気でな」と言った。

「ずっと元気で。無理は、すんなよ。全部のデュエル、がんばれよな。ずうっと楽しめるように祈ってる」
「…うん」
「お前がわすれても、おれは、ここにいるから。ずっといるから。だから、哀しくても辛くっても、きっと大丈夫だからな」
「ああ。…ありがとうな」

 オレたちは一瞬だけ、ぎゅっとお互いの身体を抱きしめあった。ほんの一瞬だった。
 

 ぱたたたた、と音を立てて、エンジンが動き始める。重ったるい音をさせて、波がプラスチックの船腹を叩く。空気には強い潮のにおいがする。早朝でねぼけた海鳥が、かお、かお、と鳴き交わしながら空をゆく。
 船はゆっくりと動き出して、灯台のある岬をこえて、入り江をでていく。泣きっ面をぐしゃぐしゃにしながら、ちいさいあいつは、ずっとオレにむかって手を振っていた。となりにはあの人がいた。オレのことを見送ってくれたのは、優しく強いあの人と、オレ自身が置いていくことにきめた、人間としてのオレの過去とか思いとか、そんなものたちだった。

 船は白く泡立つ曳航を残しながら、ゆっくりとアカデミアを離れていく。海の色が闇の色から藍色へとかわっていく。日の出なのだ、とオレは気付く。船が太陽の登ってくる方向へとむかっているのをたしかめて、オレは眼を閉じ、船べりに身体をあずけた。






 
―――さあ、どこへ行こう?








遊戯王GX完結記念、フリーSSです。
すごく好きだったですよ、GX… 
おもうことはいっぱいありますが、ひとまずは、みんなにありがとうと言いたいっす。